飛行機ネタ 謎のイリューシン80とイリューシン86(12月10日 曇り時々晴れ 9℃)

雲の多い1日で肌寒い。

冬になると日差しが恋しく思える。

勝手なもので、つい2~3か月前までは暑さであれほど太陽が忌々しかったのだ。

来週にはこの冬最初の「冬将軍」が予想されていて、冬本番を感じることになりそうだ。

そして気になるコロナも、連日新規感染者数が増えている。

県内でもここ数日、20~30人と言うペース。

そのほとんどが無症状もしくは軽症者とされるが、一方で高齢者の死亡も出ている。

普通でも風邪を引きやすい季節にあって、感染しやすくなっているのだろうか。

ここまで来ると、メディアに登場する「専門家」の意見はさっぱりで、主観的な可能性ばかり主張する。

だが空気が乾燥し「飛沫」が拡散しやすいとか、水が冷たくなってつい手洗いやうがいを避けてしまう・・なども原因の一つになるのかも知れない。

年末が近づき、職場や友人同士の「忘年会」のシーズンに、リスクを考えるのは正直辛いと言う人は多いに違いない。

だが東京・大阪が人口集中で感染者が多いのは分かるが、北海道の多さは妙だ。

当初は最も人口の多い札幌市が中心だったが、ここにきて第二の都市旭川市が「感染爆発」状態。

市内5か所の大病院がコロナ対応になっているが、このうち2つでクラスターが発生。

残る3つの病院に患者を移したが、医療関係者の感染も増加し、自衛隊の派遣が開始されている。

寒さと共に増加していると言うが、因果関係は今なお不明だと言う。

確かに東京と同じく、札幌市では春先から夏場も感染者が連続しているから、寒さ=拡大とは言えないのだろうか。

いつまでも正体がはっきりしない、ムカつくウィルスだ。

街ではクリスマスムードに満ちているが、今年は手放しで味わえそうにない。

来年はきっと・・と思うしかないのだろうか。









飛行機ネタ。

9日、ロシアの政府系メディアが報じたところによると、ロシア南部ロストフ州タガンログにある軍の基地で、空軍所属の「イリューシン80」型機の通信システム機器が盗難されたと報じた。

事件に鑑みて、ロシア内務省は即座に捜査を開始したと同時に、「緊急事態」に等しい事件であると述べたと伝えた。

報道によれば、既に複数の関係者が捜査の対象とされていて、同機に近付く事の出来る人物もしくは組織的な犯行の可能性を示唆している。

実はロシアがこの手の事件を報じるのは、極めて珍しい。

舞台となった「イリューシン80」とは、ロシア空軍に所属する「空中指揮機」と言われる機体。

空軍の中では「極秘」に値する機材で、核戦争などが起きた場合、大統領や首相などが乗り込んで、空中で戦時指揮を執る。

1-1A26 IL-86VKL(RF-93642).jpg ←「事件」があったと報道された空中指揮機IL-80。大型のフェアリングが特殊性を物語る(ウィキペディア英語版より)

アメリカでは「ボーイングE-4」に相当する機体で、ロシア空軍は4機を保有している。

いわばロシアにとって、最悪の事態における「最後の砦」となりうる重要な機体。

故にその詳細は一切公表されていないが、毎年首都モスクワで行われる「戦勝パレード」式典には、戦闘機とともに上空をデモ飛行することも多い。

メディアによれば、機内に搭載されている通信機器が盗まれたと言う。一部の報道では日本円にして150万円相当の物とも言われているが、その程度であれば「緊急事態」とは言わないであろう。

むしろかなり秘匿性の高い機器、もしくは高価な機器だった可能性が高い。

1-1A28 IL80(IL86VKP).jpg ←モスクワ近郊、チカロフスク空軍基地に駐機する4機のIL-80。胴体上のアンテナの数や形状がそれぞれ違う事に注意(ウィキペディア英語版より)

同機は旧ソ連が崩壊した直後の92年から任務についているが、ベースとなったのは旧ソ連時代に開発された旅客機「イリューシン86」である。

しかもまるごと新造機として製造したのではなく、旅客機として生産された既存の機体を改造したものである。

その為設計・開発を担当したイリューシン設計局では、「IL-86VKP」と言う型式名をつけていて、ロシアになってからは「IL-87」と言われたこともある。

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1-1A26 IL80-Russian_Air_Force_Ilyushin_Il-87_Aimak_May_2009.jpg ←(2枚)アンテナが違うのは機材の変更によるものなのか、機材そのものが違うためかは機密のため不明だ(ウィキペディア英語版より)

現時点でロシア側が「IL-80」(ILはイリューシンの頭文字)と呼んでいるので、それが正式名称のようである。

機体外観の写真は比較的多く公開されているものの、近接写真は殆ど見られない。

それでもパレードや基地公開される事はままあるようで、だいたいのアウトラインは把握できる。

同機で最も目を引くのが、胴体上部に飛び出た「カヌー型」の大きなフェアリングで、衛星通信などのアンテナが内蔵されていることが分かる。

また「IL-86」にはないものとして、機首左側に「プローブ&ドローグ」式空中給油装置と、左右主翼付け根には増槽のようなポッドが常時取り付けられている。

1-1A26_Il-86VKP(Il-80)_(4322062598).jpg ←電子装置のフェアリング、ポッド、空中給油装置など軍用機の装備を追加したIL-80(ウィキペディア英語版より)

これも通信用のポッドと見られ、どちらかは敵から無線などの傍受を防ぐためのジャマー能力もあると見られる。

更に胴体のあちこちには、旅客機にはなかったアンテナ類が複数追加されており、高度かつ多様な通信システムを搭載していることが分かる。

機体によってアンテナの位置や数の違いが見られる事から、機器の種類や更新が常時行われているとも考えられよう。

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1-1A26 IL86-Russian_Air_Force_Ilyushin_Il-87_Aimak.jpg ←(2枚)塗装は旧アエロフロートの物だが、れっきとしたロシア空軍機のIL-80。メーカーサイドでは「IL-86VKP」とも呼ばれるが、IL-80が現在は正式のようだ(ウィキペディア英語版より)

元となった「イリューシン86」は、60年代後半に旧ソ連で開発が開始された旅客機で、同国初めてのワイドボディ機である。

半ば「鎖国」に近い情報統制を取っていたことから、その経緯はソ連崩壊後に伝えられたが、同機は当時としては珍しく西側諸国へのアピールを積極的に行った機体であった。

60~70年代は米ソの「冷戦時代」まっただ中で、熾烈な軍拡競争を繰り広げていた。

それは科学技術が反映される民間部門にもフィードバックされることが多かったが、民間機に於いてのソ連は遅れを取っていたこともまた事実であった。

1-1A26_Il-86,_Aeroflot_AN0205185.jpg ←80年にアエロフロート・ソ連航空でデビューしたIL-86(ウィキペディア英語版より)

西側ではジェット機の隆盛で大量輸送時代を迎え、最大の旅客機B747が登場しつつあった。

同時に西側ヨーロッパでは、世界初の超音速旅客機「コンコルド」の開発も具体化しており、ソ連は対抗意識を旺盛にさせることになった。

ソ連の旅客機もジェット化の時代を迎えており、近距離用のTU134、中距離用のTU154、そして長距離用のイリューシン62を完成させていたが、いずれもナローボディ機であった。

TU134/154は水準に達した機体だったが、イリューシン62は機体そのものは優秀ではあったものの、同じ長距離用の4発機ながらB747とは比較にならない小型の機体であった。

当時のソ連旅客機は「軍民共用」が基本であり、唯一のエアラインで国営の「アエロフロート」は旅客営業だけでなく、軍務以外の航空事業すべてを担当する部門であった。

それは緊急輸送や気象観測、土木工事の資材輸送や計測、そして農場の農薬散布に至るまでアエロフロートの担当であった。

故にその保有機材はピーク時で、10,000機を超えていたと言われている。

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1-1A26_IL-86,_Aeroflot_JP5836686.jpg ←(2枚)アエロフロートのIL-86(ウィキペディア英語版より)

旅客機は有事になると空軍輸送部隊に編入されて、兵員や物資を輸送することになっており、旅客機もそれに対応した設計が課せられていた。

また「全て平等」を掲げる社会主義体制は、極端な話サービスと言う概念はなく、旅客機は単なる輸送手段と見られていた(全くサービスしなかったのではなく、中長距離線ではドリンクやミールサービスが行われたが、有料サービスはなく全てチケット代込み)。

最も厳しい管理社会だったため、国民は自由に海外旅行出来なかったので充分だった。

しかし70年代後半になると、アメリカとの「デタント(緊張緩和)」の時代が訪れ、民間レベルでの東西交流が僅かながら始まっていた。

それに先立ち、旅客機の近代化が宣伝材料として重要視されることになり、西側水準の機体の計画がスタートしたのである。

その一つが「コンコルド」に対抗したオリジナル超音速旅客機「TU144」であり、初のワイドボディ機である「イリューシン86」だった。

TU144は旅客機としては全く成功しなかったが、原形機の初飛行と初の営業飛行はコンコルドよりも先だった。

イリューシン86に関しては、300席を設けられるワイドボディ機「エアロバス計画」が立てられて開発が始まった。

コンセプトは69年ごろに作られ、71年ごろに正式に開発が始まったとされる。

特にアメリカが開発したB747に次ぐワイドボディ機のDC-10やトライスターにはいたく刺激されたと見え、政府は各設計局にアイディアを出すよう命じた。

最もソ連では大戦時から、設計局の「お得意分野」が定着しており、大型機の開発はイリューシンかアントノフ、ツポレフが得意としていた。

このうちアントノフは、主に軍用輸送機や小型機の開発を担当しており、ツポレフは新型爆撃機の開発とTU134/154の生産に忙しかった事もあって、イリューシンの案が採用された。

1-1A26_Il-86,_Atlant-Soyuz_Airlines_AN1529559.jpg ←真円形の胴体を持つIL-86は、ソ連初のワイドボディ旅客機だった。そのデザインは西側旅客機並み(ウィキペディア英語版より)

これに先立ってイリューシンは、ソ連初のジェット戦術輸送機「IL-76」を開発しており、その技術を生かした新型旅客機の設計に取り掛かった。

当時西側では、ソ連の技術は遅れていると考えていたが、それは資本主義と社会主義の体制の違いによるものであり、本来単純な比較は不適当だった。

だがソ連は外貨取得のために、この新型機を輸出できないか模索しており、西側スタンダードな旅客機の技術は確かに遅れていたと言えよう。

幸いにデタントが生まれたことで、米英を中心とした技術が知れ渡る事になり、民間レベルでの技術提携も多少叶えられた。

加えてヨーロッパ初のワイドボディ機「A300」は特に興味を引いたようで、外観やシステムはよく似た部分がある。

これを西側は「コピー」と揶揄することがあって、イリューシン62とイギリスのヴィッカースVC-10、コンコルドとTU144は外観も開発時期も似通っている。

かと言って「コピー」したと言う証拠もないし、この2機種はイギリス・フランスと公式に「意見交換」を実施している。

大いに「参考」にした、もしくはインスパイアしたことは間違いないが、少なくともコピーではなく別機である。

IL-86は、ソ連で初めて「旅客機」専用として開発されたジェット機である。

デビュー後、有事における「輸送機」としての徴用はあったものの、それまでの機体のように軍での運用はあまり考慮されていない。

西側水準に追いつくことが目標とされ、胴体はれっきとしたワイドボディとし、INS・GPSを使った完全な自動操縦・航法システムを装備している。

「カテゴリーⅡ」対応の自動着陸システムを持ち、西側の安全基準を完全に満たす最初の旅客機でもあった。

自動化が進んだことで、運航乗務員は機関士を含めた3人乗務機になった。

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1-1A26_Il-86,_Pulkovo_Airlines_AN0213758.jpg ←(2枚)ソ連機としては計器が整然と配置されたIL-86のコクピット。下は機関士の操作パネル(ウィキペディア英語版より)

人件費を考慮せずに済むソ連では、正・副パイロット、機関士の他、通信士・航法士などが乗務するのが通例だった。

操縦システムは動翼全て油圧作動で、4重のフューエルセーフ機能を持たせている。

前作のIL-62では人力操縦だったが、輸送機のIL-76で全油圧化を実現。同機にもフィードバックさせている。

キャビンの断面は真円形で、A300に近い構造を持つが、幅は若干広くDC-10/トライスターとほぼ同じ幅員である。

座席はエコノミー標準で3-3-3の9列。

モノクラスならば、最大で350席を設ける事が出来た。

キャビンは天井が高く広々としていて、インテリアも西側機を強く意識したかのように照明も明るく設定された。

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1-1A26_Il-86_passenger_cabin_Kustov.jpg ←(2枚)2-2-2のファーストクラスと3-3-3のエコノミークラス(ウィキペディア英語版より)

オーバーヘッドストウェッジは、ソ連機で初めて標準化されたが、キャビンを広大にするために中央部には備えられていない。

これはL-1011トライスターでも問題になったが、IL-86は大胆なアイディアが活かされていた。

それは乗降口が、胴体の「下部」にあることだ。

同機を見ると、メインキャビンには通常の乗降ドアが設置されていて、何の違和感もなく見えるが、実はこのドアは「業務用」なのだ。

ボーディングブリッジに接続できないことはないが、基本的に乗降には使われない。

胴体前方下部、貨物室のあるあたりに乗降口があって、そこから出入りし、メインデッキには階段を使うのだ。

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1-1A26_Il-86_RA-86140_(3690414918).jpg ←IL-86は胴体下部に乗降口があり、収納式ステップを備えている。乗客は階段を上ってキャビンに入る(ウィキペディア英語版より)

なぜそんなことをしたかと言うと、当時のソ連では地方空港の設備は不十分でブリッジを備える空港はモスクワなど大都市に限られていた。

地方空港ではタラップを使う事になるが、IL-86のような大型機は初めてだから、それに合うタラップもない。

故に下部に乗降口を設け、ドアには収納式のステア(ステップ)を装備することで、地方空港でも運用できるようにされていた。

また脚は全てダブルタイヤで、胴体中央に1軸2輪のセンターギアがついている。

機体重量を支えるのが目的だが、やはり未整備の地方空港での運用を考慮した結果でもある。

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1-1A26_Il-86,_S7_-_Siberia_Airlines_AN1293126.jpg ←(3枚)運航停止した各地のエアラインからIL-86をかき集めたシベリア航空(S7航空)。その為旧エアラインの様々な塗装の機体が存在した(ウィキペディア英語版より)

話が逸れてしまったが、中央席の乗客の荷物は乗降口の脇にある「荷物置き場」に置くのである。

乗降口は後部にもあるが、そこには荷物置き場の他「アンダーフロアギャレー」やトイレも置かれている。

この辺りは74年に親善訪問したトライスターのアイディアを拝借したものと思われるが、乗降口に関してはソ連独特のアイディアである。

ソフト面では、70年代と言う時代を考えると極めて先進的で国際標準並みの機体であったと言える。

問題はエンジンだった。

当初IL-86には、「ソロビヨフD-30」ターボファンエンジンの改良型を予定していた。

同エンジンはソ連で最初に実用化された低バイパスターボファンエンジンで、アフターバーナー付きで戦闘機にも搭載されていた。

だが初期のターボファンエンジンだった事もあって、耐久性は良くなく改良型の開発は遅延した。

そこで比較的新しく改良された「クズネツォフNK-86」ターボファンエンジンを搭載した。

耐久性と言う点では合格点を出せたが、相変わらずファン径の小さい低バイパスエンジンだった。

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1-1A26_Il-86,_Atlant-Soyuz_Airlines_AN1975166.jpg ←(2枚)クズネツォフNK-86ターボファンエンジン(ウィキペディア英語版より)

イリューシンでは東西デタントを利用して、アメリカ製の高バイパスエンジン「GE CF-6」を輸入するかライセンス生産しようと画策していたが、同エンジンはアメリカでも最初の量産型高バイパスエンジンであり、軍用機にも使われていたことからソ連への供給は認められなかった。

加えてソ連政府は、80年開催予定だった「モスクワオリンピック」に同機を間に合わせる予定であり、エンジンにもたつく余裕は残されていなかった。

ソ連では社会主義と言う以前に、原油を含めエネルギーは自給出来たし、人口密集度は極めて限られていたため、エンジンの低燃費や環境性能は考慮されなかったと言うより、概念そのものが不必要だった。

故に効率の良い大口径ファンを持つ高バイパスエンジンは、極端に言えば全く興味を持っていなかった。

しかし外貨所得を含め、もはや鎖国状態の「内輪」だけでは反映できないと見て、IL-86の開発を始めたとも言える。

結局高バイパスエンジンの自主開発は断念せざるを得ず、NK-86エンジンで通す事になった。

同エンジンはアメリカだと「JT-9D」に相当する大きさ・出力を持っていたが、耐久性は高いエンジンだった。

1-1A26_Il-86_RA-86124_(5921566852).jpg ←機体規模の割にエンジンが小さく見えるIL-86(ウィキペディア英語版より)

ソ連は第二次大戦から「質より量」を重んじる政策を取っていて、そこそこの性能で良いからどんどん作れ、修理も簡単・・と言う工業を主軸としていた。

軍用機のジェットエンジンも、耐久性よりも大量生産向きで、かつシンプルな物が多かった。

駄目になれば即座に交換・・と言うコンセプトだから、耐久性や環境性など不要であった。

IL-86ではその「ツケ」が回って来たかのようで、大型ワイドボディ4発機ながら航続距離は5,000キロ程度に過ぎない旅客機になってしまった。

原形機は76年に初飛行したが、プロトタイプは存在せず、初号機はテスト飛行と改修後、アエロフロートに納入されている。

1-1A26_IL86_Aeroflot-Don_(4169931978).jpg ←アエロフロート・ドン航空のIL-86は、国内線で比較的後期まで運用を続けていた(ウィキペディア英語版より)

同機のデビューは80年ごろと見られるが、実際には不明である。

なぜならば79年、ソ連はアフガニスタンへの軍事介入を行い、世界中から猛烈な批判と制裁を受けたからだ。

それは初の社会主義国での開催だった「モスクワオリンピック」にも大きな影響を及ぼし、日本を含めて参加予定国の半数が「ボイコット」する騒ぎにまで発展した時だった。

「西側製に負けない新型旅客機」をアピールする絶好の機会は、永遠に失われてしまったのである。

しかもテストに時間がかかり、数カ月の差でオリンピックには間に合わなかった。

同機のデビューは、80年12月にモスクワ~アルマトィ(現カザフスタン)だったとされる。

それでも国営アエロフロートは同機を計画通りに導入し、モスクワを筆頭にレニングラード(現サンクトペテルブルグ)などの大都市及び支局に集中配備し、幹線を中心に運航した。

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1-1A26_Il-86,_Pulkovo_Airlines_(Rossiya_-_Russian_Airlines)_AN1142851.jpg ←(2枚)プルコヴォ航空のIL-86(ウィキペディア英語版より)

また機体の一部をポーランドに任せることで、衛星諸国や同盟国への輸出も考えられていた。

先に書いた「CF-6」エンジンの構想は、同エンジンを装備することで同盟国だけでなく西側諸国への販売も目論んでいた方と言われている。

当時の世相から、例えアフガン侵攻がなかったとしても、輸出は難しかっただろう。

現在でもそうだが、旅客機はメーカーが限られているから、売るだけでは商売にならない。

「サービス体制」を整えてこその商品であり、まして事故など絶対起こしてはならないのが資本主義化での定義である。

そうした概念が乏しいソ連機を、自ら望んで購入する国・エアラインはなくて当然だった。

事実ソ連時代まで同機は1機も外国に売れず、80年代末に自由化された中国の「中国新疆航空」が数機導入しただけで、アテにしてた東欧諸国のエアラインには見向きもされなかった。

1-1A26_IL-86_China_Xinjiang_Airlines_B-2019,_PEK_Beijing_(Peking)_(Capital).jpg ←中国新疆航空のIL-86(ウィキペディア英語版より)

東欧諸国は自国の市場は非常に限定的であり、同機のような大型機は必要としなかった。

唯一興味を持ったのは、中米の同盟国キューバの国営エアライン、クバーナ航空だったが、航続距離の短さとワイドボディは需要に見合わず断念している。

しかしソ連としては渾身の旅客機だっただけあって、操縦性は安定し、新機軸の運航システムも大きな問題はなかった。

特に悪天候時における自動操縦・計器飛行は優れており、同機が就航する路線の運休・遅延率は大幅に低下した。

事実今日まで同機が起こした重大事故は1件だけで、しかも原因は操縦ミスが挙げられており、旧ソ連機としては安全性が格段に向上した機体だった。

生産はロシア南部、ヴォロネジの工場で90年代初頭まで断続的に続けられ、最終的に106機が生産された。

その殆どがアエロフロートに納入されたが、ソ連崩壊後は拠点空港で設立された民間エアラインが継承した。

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1-1A26_Il-86 KRASAIR.jpg ←ソ連崩壊後、民間エアラインとしてクラスノヤルスクに設立されたクラス・エアのIL-86(ウィキペディア英語版)

ソ連崩壊直前には、アエロフロートが大西洋路線に投入していた。

もちろん直行することはできず、アイルランドのシャノン・カナダのガンダーなどを経由してであった。

それでも北米路線の他、南米へも同機を投入したのは意地だったのだろうか。

既に直行便は当たり前の世の中になっていたにも関わらず、しかも4発機でありながら。

やはり意地があったのだろうと思う。

1-1A26_Il-86_Shannon_Airport_Gupta.jpg ←アイルランド、シャノン国際空港に駐機するアエロフロートのIL-86(ウィキペディア英語版より)

航続距離が足りるヨーロッパでは、ロンドン・パリ・フランクフルト・ローマなどの主要幹線に投入され、ファーストクラスを含む2クラス制の機体が充当されていた。

開発時からサービス用エンターティメントのための電源や配線が準備工事されていたが、実際に装備された機体はなかったようだ。

ソ連崩壊後、各地に譲渡と言う形で残った機体は多かったが、半ば強制的に民営化させられたような地方のエアラインでは資金面などで大型機を維持できず、殆どが数年内に退役せざるを得なかった。

ただ多くの機体がフライトサイクルが少なく、状態が良いものが多かったことで、アエロフロートに「出戻り」したり、民営化に成功したシベリア航空(現S7航空)が引き取って00年代初頭まで現役にあった。

最も90年代以降、世界は飛行機に対する環境基準が強化されており、アエロフロートでも同機の国際線運用は出来なくなった。

効率が悪いだけでなく、頑丈ながら設計に古いNK-86エンジンでは騒音・排気ガスの規制に適応できなかった。

ロシア国内、および旧ソ連構成国ではその限りでなかったことから、細々とではあるが運用が続けられた。

1-1A26_Il-86_ARMAVIA Pichugin.jpg ←アルメニアのアルマヴィアが運用したIL-86(ウィキペディア英語版より)

だがロシアの経済が安定すると、不経済な同機を使う必要性自体がなくなり、ボーイングやエアバス機に交代した。

旅客機としての退役は定かではないが、アエロフロートとS7航空では00年代前半までに退役したと見られるが、その後何機かがロシア航空が運用している。

現時点で旅客運用している機体はなく、現役にあるのは今回「事件」の舞台となった「IL-80」4機だけと思われる。

この4機は旅客機から改造した中古機ではなく、新造機として生産中「追加工作」された機体である。

ソ連時代だったので明らかではないが、87年ごろに生産され、92年ごろから正規の任務に就いたと見られている。

セールスには失敗したが、IL-86自体が失敗作だったと言う訳ではないと思う。

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1-1A26_IL86_Atlantsoyeuz_(4169179761).jpg ←(2枚)ウラル航空とアトラントソユーズのIL-86(ウィキペディア英語版より)

ソ連崩壊直前のいわゆる「ペレストロイカ」時代には、西側諸国との門戸が開かれた事に伴い、同機の発展型である「IL-96」が開発された。

相変わらずエンジンの開発に手間取ったものの、今度はロールス・ロイスなどと技術提携が可能となって、同国初の高バイパスエンジン「PS90」が完成。

グラスコクピット、フライ・バイ・ワイヤの導入などを採用し、航続距離も10,000キロを超える性能を持つ機体に仕上がった。

しかし既に4発機はB747-400やA340が登場し、B777やA330などの双発ワイドボディ機も登場しつあり、IL-96の出番はなかった。

市場経済への移行時期もあって、IL-96の生産や発展型の開発は停滞してしまった。

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1-1A26 IL86-Aeroflot_Ilyushin_Il-86_RA-86124_Janura.jpg ←(2枚)旧ソ連機とは思えない、洗練された外観を持つIL-86(ウィキペディア英語版より)

現存する「IL-80」のエンジンは、IL-86と殆ど変化がなく、NK-86のままと思われる。

軍用機は環境性を求められないのでそれで良い、と言う事だろうか。

エンジンはとうに生産停止になっていると思われるが、そのままと言う事は部品のストックはまだあると言う事か。

だとしても、今ならばGEでもP&Wでも、ロールス・ロイスでも交換できるだろうに、なぜNK-86のままなのだろう。

短い航続距離は、空中給油装置をつけたことで解決したのであろうが、元が元だけにその任務を遂行できるのかとも思う。

アメリカ空軍のE-4は、空中給油を続けながら最大で48時間飛行できると言われている。

B747ならではの大きさと、自身の航続性能が加味されてのそれだと思うが、IL-80にそこまでの性能が出るかどうかは分からない。

最も同機もE-4も、実際使われるときは米ロと言う大国が「危機」に直面した時に限られるので、疑問符はついたままの方が良いとも言える。

その特殊な用途から、フライトサイクルも極めて少ないようで、4機のIL-80は古さを感じさせない程綺麗に保たれている。

改めてIL-86/IL-80を見ると、およそソ連機とは思えない流麗なスタイルであると思う。

最近の若いファンがIL-86を見たら、一瞬エアバス機だと思うのではないか。

特に真円形の胴体と、台形のコクピット窓はエアバス機にそっくりだ。

4発機だからA340・・・?でもやけにエンジンがか細い様な・・・と思うのではないか。

1-1A26 IL86 S7 SIBERIA_RP3094.jpg ←機首周りはエアバス機と良く似ている(ウィキペディア英語版より)

70~80年代のソ連機としては、失礼ながら実に垢ぬけたスタイルの機体であり、面倒なイデオロギーが邪魔さえしなければ高バイパスエンジンへの換装、2人乗務化、航続距離の延伸も決して不可能ではなかったであろう。

少なくとも当時の西側世界の評価は、結果論であるが誤っていた。

IL-86/80に関しては。

なおソ連・ロシア「お得意」の、改良型・派生型はIL-80以外存在しないのも特異なものとなっている。

幾つかの計画はあったが実現せず、IL-96として新たに開発された。




このごろ歩くのが、時々辛く感じる。

歳のせいと言われればそれまでだが、寒さも影響しているように思う。

足腰の関節が痛いと言うか、歩くと疲労感を覚えるのだ。

これでも体力不足予防に、ほぼ毎日最低でも2~3キロは歩いており、筋力が低下しているとは思えないのだが。

週末金曜日、昨日は公務員のボーナス支給日だから、街は混雑するかと思ったが、逆に空いていた。

県内では相変わらずコロナ感染者が連日2~30名ずつ出ており、それが不安なのかとも思う。

しかし感染は「クラスター」が多く、県内では40人以上が参加したパーティでのクラスターが確認されている。

結局意識の問題なのだと思うけれど、普段の生活で「密」になりやすい場所に行かねばならないこともあり、どこか「もういいや」みたいな気分になっていることも確か。

だが年末年始に、春のように「緊急事態宣言」が出されたり、そうでなくともどこもかしこも自粛・休業になるのも困る。

でもこの年末年始は「コロナ」に翻弄されそうな気配。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

寒さは大丈夫ですか?

すっかり冬らしい寒さになりましたが、本番はまだこれからです。

家でも外でも、暖かくして過ごして下さい。

コロナ禍でクリスマスや年末年始の予定は立てにくいですが、君なりに楽しめる12月であると良いです。

コロナだけでなく、寒さで何かと負担になることも多いので、体調管理には気をつけて下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。



ぬばたまの 今夜の雪に いざぬれな 明けむ朝に 消なば惜しけむ(万葉集巻八 1646 小治田朝臣東麻呂)




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