月命日 7月28日 晴れ時々曇り 30℃
※2日分の日記を掲載します。
※7月24日 晴れ時々曇り 29℃
7月は、もう下旬なのである。
子供達の「夏休み」も先週から始まったようで、それさえ知らなかった私はいかに世俗から離れていることか。
道理でスーパーなどで家族連れが多かったし、いつもはシンとしているご近所が、終日どたばたしている訳である。
夏休みが始まって最初の週末と言う事になるが、それに合わせてイベントが開催され、子供達で賑わったようだ。
しかしどうも「夏本番到来!」と言う気分にはなれない。
真夏を思わせる猛暑は、「異常気象」と言われるほど早く到来し、ちょうど1カ月が経つ。
記録的な短い梅雨だと言って、先日は正に梅雨らしい雨が続き、我が宮城県では大雨の被害も出た。
ようやく雨が降らなくなったものの、もう季節感がぐちゃぐちゃに思えてしまう。
6月末の猛暑に比べれば、暑さはやや落ち着いたと言えるが、今後どう推移するのか分からない。
気象庁は「9月まで残暑が厳しい」と予測しているが、今年に限らず毎年の事だ。
加えて急に拡大するコロナ禍も、なるべき気にしない・・と思っても、どこか引っかかってしまう。
本来東北地方南部は、今頃梅雨明けが普通。
夏休み開始と梅雨明けが近く、まさに「夏本番」を感じられたものだが、今年の季節感はさっぱりだ。
ふと思いついて、過去の気象データを調べてみた。
1978年(昭和53年)、今から44年も前の夏。
私はまだ小学生で、この年は6月12日に「宮城県沖地震」が発生している。
気象庁のデータでは、78年は梅雨が記録的に短く、平年より3週間以上早く梅雨明けしたと言う。
最も早かった地域では、1カ月以上も早く、以降晴天・猛暑が続いたとある。
同時に雨が少なく、特に西日本では秋にかけて農作物の被害も多かったそうだ。
台風も3個程接近したが、被害が出るようなものではなく、より少雨傾向が続いたと言う。
このことを受けて、本棚をかき回して見ると、小学校の卒業アルバムが出て来た。
この年の私は6年生で、アルバムに載せる写真の多くがこの時期に撮影されており、懐かしさとともに記憶が蘇った。
写真の幾つかは、夏休み直前、まさに今頃の撮影。
教室の黒板には、かすかに「7月12日」などの文字が見える。
宮城県沖地震からちょうど1カ月後と言う事になるが、大きな余震などはあまり記憶にない。
私の学区は殆ど被害はなく、このころには何の影響もなかったのだろう。
子供にとっては、夏休み目前でそれどころではなく、写真を撮った頃にはそのことでワクワクしていたに違いない。
今は温暖化がどうのと騒いでいるが、暑さの「質」は今と何ら変わりはない。
災害だって、地震、台風、大雨、猛暑、大雪、厳寒は何度もあったし、被害だってたくさん出た。
それでもこの時代の人間は、今と比べてたくましかったと思う。
例えばエアコン。
今や我が家でさえあるけれど、当時家庭用エアコンなどほんの一部の「お金持ち」の家にあるかないか。
正確に言えば「エアコン」ではなく、「冷房装置」だ(要するに暖房機能はない)。
車だって、普段は「窓全開」が基本。
自家用車のエアコンが標準装備になったのは、この2~30年間の事。
私が運転免許を取った大学生の頃でさえ、自家用車のエアコン率は半分以下で、多くはまだ「オプション」の時代である。
家にある「冷房装置」は扇風機。
しかも各部屋に1個なんてとんでもない。せいぜい家族が集まる居間に1つが普通だった。
古い戸建て住まいの住民が多かったから、涼を取るには家中の窓や戸を明け放つ事。
そうすればどこかしらから風が入るので、暑いながらもなんとか凌げるのだ。
夜も窓なんて閉められないから、寝室には蚊取り線香を焚いて、それでも足りない時は「蚊帳」を張る。
こうしておけば寝ている隙に、蚊に刺される心配は皆無だ。
我が家では、扇風機の風に当たったまま寝ると「体に悪い」とか言っていたから、さすがに寝苦しい夜もあったけれど、私を含めて家族の誰かが暑さで体調を崩したという記憶はない。
祖父母も母も、基本的に冷房なしで元気に夏を過ごしていたのだ。
むしろ子供の私の方が恵まれていたのであって、昼間は毎日プール通いだ。
夏休み前半は、学校のプールが解放される。
確か地区の子供会ごとだったと思うが、毎日2時間程度は使えたと思う。
ただし8月初旬までだったので、後半は「市民プール」だ。
そう言えば・・と思いだす方もいると思うが、仙台市営のプールが西公園の近くにあった。
実際には10年ほど前まで存在していて、地下鉄東西線のルート上にあったため、工事開始とともに廃止されてしまった。
家からだと自転車を飛ばせば30分程度の距離だったし、学校のプールと違って時間制限はない。
料金はかかるが、これも時間制限はなく一度入場すれば外に出ない限り有効だった。
良く覚えていないが、小学生料金で100円か150円程度だったように思う。
朝祖母に昼食としておにぎりを作ってもらい、水筒には「麦茶」を入れて出かけるのだ。
確か「冷蔵ロッカー」みたいなものがあって、弁当は保存出来たのだ。
後は「死ぬほど」プールで遊んでいれば良く、身体が水でふやけてしまうのではないかと思うほどであった。
中学生になると、思春期を迎えたのか、何となくプールに行かなくなってしまったが、今思えば夏・夏・夏を目いっぱい楽しんでいた時代であった。
プールに行かなくとも、友人と日が暮れるまであちこち吹っ飛んでいたから、よく熱中症にならなかったなと思う。
思えば時々遊び過ぎて疲れて、頭痛を感じる事があったが、これが熱中症だったのだろうか。
でも友人やその家族も同様に、そもそも「熱中症」と言う言葉自体がなく「日射病」と言っていた。
確かに外では必ず帽子を被っていたが、それはギンギンの日差しによる障害であり、屋内で罹るものだとは誰も思わない。
最近では熱中症患者の多くが屋内、すなわち自宅で罹ることが多く、故にエアコンや扇風機の使用、水分補給を促されている訳だが、当時高齢者でさえ罹る人は少なかったように思う。
時代とともにライフスタイルも変化し、特に都市部ではおおらかな暮らしが出来なくなった事も原因だと思うが、いつから夏が苦しいものと感じるようになったのだろう。
エアコンはありがたいものだが、高騰する電気代の事を考えると快適感が削がれるこの時代である。
◎7月28日
朝から暑く、寝苦しい日々が続く。
午前中こそ雲が多かったが、午後からは夏空が広がった。
強い日差しに気温はグングン上昇したが、同時に風も吹いていていくらか凌ぎやすい暑さでもあった。
ここ数日、猛暑ではないものの、湿度が非常に高く、無風に近い事が多く、何とも不快な暑さだった。
月末とは言え、まだ7月。
常識的に考えれば、少なくとも8月いっぱいは暑いと仮定して、1カ月以上もある。
いい加減体は慣れて来たように思うけれど、気にならない程慣れてはいない。
暑いものは暑いのだ。
今は「在宅」が主流の為、ある意味エアコンなり扇風機を使えば快適なのだが、一方で高騰する電気代を気にせずにはいられない。
必要以外、できるだけエアコンを止めるようには心がけているが、それこそ身体の事を考えるとどうしても使わざるを得ない。
これならば外に出かけていた方が・・とも思うが、そうもいくまい。
あくまで根拠のない予測なのだけれど、今年は夏が異常に早かった分、秋と冬も早い様な気がする。
少なくとも、宮城県では7月中旬は正に「戻り梅雨」で、大雨の被害も出た。
またここ数日も、全国的に「大気が不安定」な状態が続いていて、各地で「ゲリラ豪雨」が発生している。
天気図を見ると、実はまだ「梅雨前線」がうろうろしている事に気付く。
今週は太平洋高気圧が勢力を戻して晴れ間が出ているが、一方で冷たい空気を持つオホーツク海高気圧も勢力を保っている他、大陸には北からの高気圧も顔を見せ始めた。
今すぐ秋になることはないだろうが、どうも消えたようで消えない梅雨前線が、このまま「秋雨前線」になるような気配を感じる。
事実大気が不安定なのは、暖かい空気と冷たい空気がせめぎ合っているからで、太平洋高気圧自体が安定していない証拠。
逆に異常に暑くなった6月下旬は、「梅雨明け」した通りドンと安定していたからだ。
今年はどうも「夏本番」がいつなのか、さっぱりわからない夏になってしまっているのは事実だ。
28日、今日は母5年4カ月の「月命日」。
以前ほど「28日」と言う響きに辛さを感じる事はなくなったけれど、今も特別な想いの日であることに変わりはない。
毎月やってくるのだから、それほど気にしなくて良いとはわかっているけれど、そうなりたくもないのだ。
月命日だからと言って、特別何かする訳でもなく、せいぜい新しい花を供えるぐらいだ。
花は毎週買い換えているし、毎日手を合わせて、その日あったことを報告しているから、母はまあ満足している事だろう。
明後日7月30日は、母の誕生日でもある。
今となっては「生誕日」と言った方が相応しいかも知れないが、ちょっとだけ祝ってあげようとも思う。
亡くなった人の年齢は数えるものではない、と聞いた事があるが、私は構わないと思っている。
最も、母自身がそれを望んでいない可能性もあるが。
↑7月30日の誕生花、ニチニチソウ(ウィキペディアより)
お祝と言っても、それこそ何もできないが、何か小物のプレゼントを仏前に供えておこうとも思う。
母はハンカチが好きで、それこそ何十枚も持っていた。
高級品などはないが、市中では数百円程度でも充分使えるものが多く、いわゆる「ブランド品」でも安価で入手できるのが良いらしい。
恐らく今でも、母のタンスや衣服の段ボールなどに詰め込んであると思われるが、あえて確認しようとは思っていない。
私などとびきり不精な人間なのだが、母には最後までいつもハンカチを1枚持たせられていた。
まるで小さな子供だが、「普段使わずとも、持ち歩いていれば何かと役に立つ」と言うのが母の言い分であった。
かばんに入れておいているが、それこそ普段は忘れている事が多い。
しかし例えば、今頃の季節であれば、汗をかいた時、雨や雪でちょっと顔や頭がが濡れた時など、無意識にハンカチを使っている自分がいる。
母の知恵とは、本当に役立つありがたいものだと、今頃感じるのだ。
さすがに洗う事を忘れて入れっぱなしにしてしまう事もあるけれど、今もカバンに持ち歩いている。
変な所で、母の血筋を受け継いでいるなあ、と、この頃思うのである。
なので久し振りに、母にハンカチを1枚プレゼントして上げよう。
ふと母と同じ7月30日生まれの有名人、を調べてみたら、東条英機、ヘンリー・フォード、アーノルド・シュワルツェネガー、ジャン・レノと錚々たる名前が並んでいて、今更ながら驚いた。
元気ですか?
今日は良い一日でしたか?
体調はどうですか?
風邪など引いてませんか?
暑い日が続いていますが、大丈夫ですか?
水分補給はもちろん、決して無理せず涼しい環境で過ごすようにして下さい。
一方でコロナの再拡大も気になります。
君はワクチンを接種したかどうかわかりませんが、仮に感染したとしても無症状・軽症で済む・・などとは考えないで下さい。
過敏に反応する必要もないと思いますが、感染しない事に越した事はありません。
この暑さでマスク着用は苦痛ですが、人込みでは我慢してこれまで通り予防対策を続けましょう。
お仕事に支障をきたさないと良いのですが、君の健康が何よりです。
せっかくの夏休み、期待とは裏腹になるかも知れませんが、できる範囲で君なりの夏を楽しんで下さい。
今日は母の月命日です。
君はもう、母の顔を覚えていないでしょうが、よろしければ心の中で手を合わせてやって下さい。
必ず母に伝わるでしょうし、喜ぶと思います。
明日もどうかお元気で。
君に笑顔がありますように。
お休みなさい。
水底に しづく白玉 誰ゆえに 心つくして わが思はなくに(万葉集巻七 1320 比喩歌)
※7月24日 晴れ時々曇り 29℃
7月は、もう下旬なのである。
子供達の「夏休み」も先週から始まったようで、それさえ知らなかった私はいかに世俗から離れていることか。
道理でスーパーなどで家族連れが多かったし、いつもはシンとしているご近所が、終日どたばたしている訳である。
夏休みが始まって最初の週末と言う事になるが、それに合わせてイベントが開催され、子供達で賑わったようだ。
しかしどうも「夏本番到来!」と言う気分にはなれない。
真夏を思わせる猛暑は、「異常気象」と言われるほど早く到来し、ちょうど1カ月が経つ。
記録的な短い梅雨だと言って、先日は正に梅雨らしい雨が続き、我が宮城県では大雨の被害も出た。
ようやく雨が降らなくなったものの、もう季節感がぐちゃぐちゃに思えてしまう。
6月末の猛暑に比べれば、暑さはやや落ち着いたと言えるが、今後どう推移するのか分からない。
気象庁は「9月まで残暑が厳しい」と予測しているが、今年に限らず毎年の事だ。
加えて急に拡大するコロナ禍も、なるべき気にしない・・と思っても、どこか引っかかってしまう。
本来東北地方南部は、今頃梅雨明けが普通。
夏休み開始と梅雨明けが近く、まさに「夏本番」を感じられたものだが、今年の季節感はさっぱりだ。
ふと思いついて、過去の気象データを調べてみた。
1978年(昭和53年)、今から44年も前の夏。
私はまだ小学生で、この年は6月12日に「宮城県沖地震」が発生している。
気象庁のデータでは、78年は梅雨が記録的に短く、平年より3週間以上早く梅雨明けしたと言う。
最も早かった地域では、1カ月以上も早く、以降晴天・猛暑が続いたとある。
同時に雨が少なく、特に西日本では秋にかけて農作物の被害も多かったそうだ。
台風も3個程接近したが、被害が出るようなものではなく、より少雨傾向が続いたと言う。
このことを受けて、本棚をかき回して見ると、小学校の卒業アルバムが出て来た。
この年の私は6年生で、アルバムに載せる写真の多くがこの時期に撮影されており、懐かしさとともに記憶が蘇った。
写真の幾つかは、夏休み直前、まさに今頃の撮影。
教室の黒板には、かすかに「7月12日」などの文字が見える。
宮城県沖地震からちょうど1カ月後と言う事になるが、大きな余震などはあまり記憶にない。
私の学区は殆ど被害はなく、このころには何の影響もなかったのだろう。
子供にとっては、夏休み目前でそれどころではなく、写真を撮った頃にはそのことでワクワクしていたに違いない。
今は温暖化がどうのと騒いでいるが、暑さの「質」は今と何ら変わりはない。
災害だって、地震、台風、大雨、猛暑、大雪、厳寒は何度もあったし、被害だってたくさん出た。
それでもこの時代の人間は、今と比べてたくましかったと思う。
例えばエアコン。
今や我が家でさえあるけれど、当時家庭用エアコンなどほんの一部の「お金持ち」の家にあるかないか。
正確に言えば「エアコン」ではなく、「冷房装置」だ(要するに暖房機能はない)。
車だって、普段は「窓全開」が基本。
自家用車のエアコンが標準装備になったのは、この2~30年間の事。
私が運転免許を取った大学生の頃でさえ、自家用車のエアコン率は半分以下で、多くはまだ「オプション」の時代である。
家にある「冷房装置」は扇風機。
しかも各部屋に1個なんてとんでもない。せいぜい家族が集まる居間に1つが普通だった。
古い戸建て住まいの住民が多かったから、涼を取るには家中の窓や戸を明け放つ事。
そうすればどこかしらから風が入るので、暑いながらもなんとか凌げるのだ。
夜も窓なんて閉められないから、寝室には蚊取り線香を焚いて、それでも足りない時は「蚊帳」を張る。
こうしておけば寝ている隙に、蚊に刺される心配は皆無だ。
我が家では、扇風機の風に当たったまま寝ると「体に悪い」とか言っていたから、さすがに寝苦しい夜もあったけれど、私を含めて家族の誰かが暑さで体調を崩したという記憶はない。
祖父母も母も、基本的に冷房なしで元気に夏を過ごしていたのだ。
むしろ子供の私の方が恵まれていたのであって、昼間は毎日プール通いだ。
夏休み前半は、学校のプールが解放される。
確か地区の子供会ごとだったと思うが、毎日2時間程度は使えたと思う。
ただし8月初旬までだったので、後半は「市民プール」だ。
そう言えば・・と思いだす方もいると思うが、仙台市営のプールが西公園の近くにあった。
実際には10年ほど前まで存在していて、地下鉄東西線のルート上にあったため、工事開始とともに廃止されてしまった。
家からだと自転車を飛ばせば30分程度の距離だったし、学校のプールと違って時間制限はない。
料金はかかるが、これも時間制限はなく一度入場すれば外に出ない限り有効だった。
良く覚えていないが、小学生料金で100円か150円程度だったように思う。
朝祖母に昼食としておにぎりを作ってもらい、水筒には「麦茶」を入れて出かけるのだ。
確か「冷蔵ロッカー」みたいなものがあって、弁当は保存出来たのだ。
後は「死ぬほど」プールで遊んでいれば良く、身体が水でふやけてしまうのではないかと思うほどであった。
中学生になると、思春期を迎えたのか、何となくプールに行かなくなってしまったが、今思えば夏・夏・夏を目いっぱい楽しんでいた時代であった。
プールに行かなくとも、友人と日が暮れるまであちこち吹っ飛んでいたから、よく熱中症にならなかったなと思う。
思えば時々遊び過ぎて疲れて、頭痛を感じる事があったが、これが熱中症だったのだろうか。
でも友人やその家族も同様に、そもそも「熱中症」と言う言葉自体がなく「日射病」と言っていた。
確かに外では必ず帽子を被っていたが、それはギンギンの日差しによる障害であり、屋内で罹るものだとは誰も思わない。
最近では熱中症患者の多くが屋内、すなわち自宅で罹ることが多く、故にエアコンや扇風機の使用、水分補給を促されている訳だが、当時高齢者でさえ罹る人は少なかったように思う。
時代とともにライフスタイルも変化し、特に都市部ではおおらかな暮らしが出来なくなった事も原因だと思うが、いつから夏が苦しいものと感じるようになったのだろう。
エアコンはありがたいものだが、高騰する電気代の事を考えると快適感が削がれるこの時代である。
◎7月28日
朝から暑く、寝苦しい日々が続く。
午前中こそ雲が多かったが、午後からは夏空が広がった。
強い日差しに気温はグングン上昇したが、同時に風も吹いていていくらか凌ぎやすい暑さでもあった。
ここ数日、猛暑ではないものの、湿度が非常に高く、無風に近い事が多く、何とも不快な暑さだった。
月末とは言え、まだ7月。
常識的に考えれば、少なくとも8月いっぱいは暑いと仮定して、1カ月以上もある。
いい加減体は慣れて来たように思うけれど、気にならない程慣れてはいない。
暑いものは暑いのだ。
今は「在宅」が主流の為、ある意味エアコンなり扇風機を使えば快適なのだが、一方で高騰する電気代を気にせずにはいられない。
必要以外、できるだけエアコンを止めるようには心がけているが、それこそ身体の事を考えるとどうしても使わざるを得ない。
これならば外に出かけていた方が・・とも思うが、そうもいくまい。
あくまで根拠のない予測なのだけれど、今年は夏が異常に早かった分、秋と冬も早い様な気がする。
少なくとも、宮城県では7月中旬は正に「戻り梅雨」で、大雨の被害も出た。
またここ数日も、全国的に「大気が不安定」な状態が続いていて、各地で「ゲリラ豪雨」が発生している。
天気図を見ると、実はまだ「梅雨前線」がうろうろしている事に気付く。
今週は太平洋高気圧が勢力を戻して晴れ間が出ているが、一方で冷たい空気を持つオホーツク海高気圧も勢力を保っている他、大陸には北からの高気圧も顔を見せ始めた。
今すぐ秋になることはないだろうが、どうも消えたようで消えない梅雨前線が、このまま「秋雨前線」になるような気配を感じる。
事実大気が不安定なのは、暖かい空気と冷たい空気がせめぎ合っているからで、太平洋高気圧自体が安定していない証拠。
逆に異常に暑くなった6月下旬は、「梅雨明け」した通りドンと安定していたからだ。
今年はどうも「夏本番」がいつなのか、さっぱりわからない夏になってしまっているのは事実だ。
28日、今日は母5年4カ月の「月命日」。
以前ほど「28日」と言う響きに辛さを感じる事はなくなったけれど、今も特別な想いの日であることに変わりはない。
毎月やってくるのだから、それほど気にしなくて良いとはわかっているけれど、そうなりたくもないのだ。
月命日だからと言って、特別何かする訳でもなく、せいぜい新しい花を供えるぐらいだ。
花は毎週買い換えているし、毎日手を合わせて、その日あったことを報告しているから、母はまあ満足している事だろう。
明後日7月30日は、母の誕生日でもある。
今となっては「生誕日」と言った方が相応しいかも知れないが、ちょっとだけ祝ってあげようとも思う。
亡くなった人の年齢は数えるものではない、と聞いた事があるが、私は構わないと思っている。
最も、母自身がそれを望んでいない可能性もあるが。

お祝と言っても、それこそ何もできないが、何か小物のプレゼントを仏前に供えておこうとも思う。
母はハンカチが好きで、それこそ何十枚も持っていた。
高級品などはないが、市中では数百円程度でも充分使えるものが多く、いわゆる「ブランド品」でも安価で入手できるのが良いらしい。
恐らく今でも、母のタンスや衣服の段ボールなどに詰め込んであると思われるが、あえて確認しようとは思っていない。
私などとびきり不精な人間なのだが、母には最後までいつもハンカチを1枚持たせられていた。
まるで小さな子供だが、「普段使わずとも、持ち歩いていれば何かと役に立つ」と言うのが母の言い分であった。
かばんに入れておいているが、それこそ普段は忘れている事が多い。
しかし例えば、今頃の季節であれば、汗をかいた時、雨や雪でちょっと顔や頭がが濡れた時など、無意識にハンカチを使っている自分がいる。
母の知恵とは、本当に役立つありがたいものだと、今頃感じるのだ。
さすがに洗う事を忘れて入れっぱなしにしてしまう事もあるけれど、今もカバンに持ち歩いている。
変な所で、母の血筋を受け継いでいるなあ、と、この頃思うのである。
なので久し振りに、母にハンカチを1枚プレゼントして上げよう。
ふと母と同じ7月30日生まれの有名人、を調べてみたら、東条英機、ヘンリー・フォード、アーノルド・シュワルツェネガー、ジャン・レノと錚々たる名前が並んでいて、今更ながら驚いた。
元気ですか?
今日は良い一日でしたか?
体調はどうですか?
風邪など引いてませんか?
暑い日が続いていますが、大丈夫ですか?
水分補給はもちろん、決して無理せず涼しい環境で過ごすようにして下さい。
一方でコロナの再拡大も気になります。
君はワクチンを接種したかどうかわかりませんが、仮に感染したとしても無症状・軽症で済む・・などとは考えないで下さい。
過敏に反応する必要もないと思いますが、感染しない事に越した事はありません。
この暑さでマスク着用は苦痛ですが、人込みでは我慢してこれまで通り予防対策を続けましょう。
お仕事に支障をきたさないと良いのですが、君の健康が何よりです。
せっかくの夏休み、期待とは裏腹になるかも知れませんが、できる範囲で君なりの夏を楽しんで下さい。
今日は母の月命日です。
君はもう、母の顔を覚えていないでしょうが、よろしければ心の中で手を合わせてやって下さい。
必ず母に伝わるでしょうし、喜ぶと思います。
明日もどうかお元気で。
君に笑顔がありますように。
お休みなさい。
水底に しづく白玉 誰ゆえに 心つくして わが思はなくに(万葉集巻七 1320 比喩歌)