飛行機ネタ 今に続く功績、B747SPを忘れない(5月22日 曇り一時雨 14℃)

季節外れの肌寒さが続く。

日中雨はなかったが、朝と夜は小雨・霧雨が断続的に降り、陰鬱な空模様だ。

気温も昨日よりは上がったとは言え、全く実感なし。

私を含め、街行く人々は殆ど上着着用だ。

コロナが少し落ち着いて、子供たちの姿も見かけるようになったが、さすがの彼らも春の服装だ。

少なくとも明日まではこのような低温傾向が続き、来週は一転気温が上昇すると言う。

だが好天が長続きせず、来週末には再び曇天・雨天に戻る予想だ。

梅雨前線はまだ南に停滞しているが、どう見てもこの天気は「梅雨」そのものだ。

上下差が大きいのはこの時期の特徴かも知れないが、こんなに極端ではないはず。

そういえば今月初めには31℃と言う日があったのに、とても同じ月とは思えない。

今年もまた、異常気象の季節が近づきつつあるのだろうか。

冬も記録的な暖冬だったし、その後コロナ騒ぎ。

オリンピックの延期、高校野球の中止、各種祭りやイベントの中止、学校の延期・・・まるで人間に対する「忠告」のように、営みを阻害されている。

もう良いだろう・・と思いたいけれど、自己中心的な人間が悔い改めない限り、天の「お仕置き」は続くのだろうか。

コロナでは自粛のストレスや恐怖心から、感染者だけでなく、医療従事者への露骨な差別や嫌がらせも見られると言う。

自粛中はSNS上で「自粛警察」などと言って、感染者の素性を全く根拠なく拡散させたり(これは立派な犯罪行為)、営業中の店舗に嫌がらせする「バカ者」もいたと言う(これも器物破損や威力妨害の罪)。

単なる恐怖心だけでなく、それに乗じて「面白がる」バカ者が後を絶たないことに、情けなさと怒りを覚える。

最近は医療従事者に対する差別が見られ、酷いところではその家族まで偏見を受けると言う。

コロナに対する恐怖心は理解できるが、果たしで何を根拠に恐怖と感じるのか、気をつけていれば感染は予防できるし、万が一であってもに尾本では重症化・死亡者は少ないと言う事を頭に入れておかねばならない。

政府やメディアが「責任回避」を含んで、やたら慌てふためいて騒いだことに大きな責任があると思う。

何度か書いたけれど、日本では毎年「風邪」やインフルエンザに罹患する人は「10万」単位いて、多い時には1万人が死亡している。

それも「毎年」である。

にもかかわらず「新型」と言うだけで、感染したら最後みたいに捉えられてしまい、要するにコロナに対して最初に「恐怖心」が植え付けられてしまった。

これは太古からある独裁政治の「洗脳」と同じだ。最初に恐怖心を与えることで、従えばそれから逃れられると言う錯覚を覚えさせるのだ。

コロナがそうだとは言わないけれど、どこか似た「集団心理」があるように思う。

でも一定の収まりを感じることで、ようやく冷静に今と今後を見られるようになるのかも知れない。

でも私の周辺では、さほどコロナに対する過剰な恐怖や偏見・差別は耳にしたことはないが。

地域差があるのだろうか。

語弊があるけれど、我々が自然の営み・季節に寄り添って生きているように、コロナも「共存」していくことになるのだろう。

日本では分かりやすく「新型コロナウィルス」と呼んでいるが、本来「コロナウィルス」とは、その形状からつけられた名前で「風邪」のウィルスの総称だ。

これまで基本型として認定されているのは6つあり、このうち2つはかつて世界を騒然とさせた「SARS」「MARS」のウィルス。

他の4つが、誰でも罹りうる「風邪」のウィルスで、今回の「COVID-19」も訴状が完全に解明されれば「5つ目」の風邪ウィルスになると言う。

なおインフルエンザは形が違うので、「インフルエンザウィルス」として別扱いされている。

なので「COVID-19」は、今後「消滅」する可能性は低いのである。

逆に解明されれば、これまでの「風邪」と同じに格下げされることになり、治療薬・治療法も確立されるはずなのだ。

そもそも「風邪」に特効薬は存在せず、ワクチンも存在しない。

「風邪」の治療法は対処療法であり、風邪薬とは単なる対処療法の一つに過ぎない。

ただ今回は新型である以上、免疫がないことから騒ぎに発展したと言う事だ。






飛行機ネタ。

現代のエアライン事情は,とにかく「経済性」「低公害」重視である。

世界にエアラインは、数千社以上あると言われる。

一般的には「公共交通機関」として扱われるが、経営は国営・公営・民営と多様である。

しかし「企業」である以上、商売として成立させなければ経営は成り立たないので、それを追求して行く義務がある。

単純に言えば「儲かる」運航が大前提となるが、国情によって極めて流動的だ。

暴論なのだけど、地球上を移動するのに飛行機は必ずしも「必要」とは言えない。

あくまで非現実的な話ではあるけれど、例え飛行機がなくとも陸上・水上交通があれば人とモノの行き来は事実上可能である。

現代ではそれを念頭に社会が成り立っているので、あり得ない事かも知れないが、エアラインの経営は常に不安定と言える。

国営や公営エアラインの場合、国民を含む国の経済基盤を支える交通機関と見做されるので、多少赤字でも存続させる必要がある。

最も国内に民営エアラインがあれば、その必然性は低下するが、そういうコンセプトのエアラインもたくさんある。

一方民営は「自助努力」が基本だから、景気や経営方針で左右されることも少なくない。

故にメインとなる商売道具の飛行機は、「稼いで」くれるものでなければならない。

どの世界も共通だが、道具は少しでも安く入手し、少しでも多く顧客の信頼に応じ、少しでも多く利益を生み出す事が基本である。

それは多数のファクターが、複雑に絡んでの答えなのだが、例えば同じ区間を同じ乗客数で運航する旅客機の場合、経費のかからない機体が有利なのは言うまでもない。

21世紀になると、機体に求められる性能は正にそれである。

航空需要の多角化で、エアラインは胡坐をかいて乗客を待っている時代は終わり、セールス以上に運航そのもののコストを差G出ることが最優先になっている。

1人でも多くの乗客を運んだ方が良いに決まっているが、その分機体・機体重量が大きくなれば、乗客あたりの利益率は低下する可能性がある。

その時の燃料代や会社の経費はもちろん、行き先の空港事情も細かに計算しなければならない。

外国に行く場合、目的地の事情が突然変化し、空港使用料が跳ね上がったり、現地での燃料代が高騰したり、保険料が上下磨ることもあるから、自身のコストは1円でも安い方がリスクは減る・・と言うのが現代エアラインの経営概念と言えるかもしれない。

航空需要が一気に高まりを見せたのは、70年代からである。

ジェット機が出現したのは50年代後半だったが、当初は信頼性が低く、かつ機体も維持費も高価だった。

初期のジェットエンジンは速度こそ出るが、燃費・騒音とも今と比較にならない程悪く、運賃も割高であった。

故に航空旅行は、先進国でもまだ特別なものだったが、技術の向上は急激に進み、飛行機の利用は大衆化した。

その一因となったのはエンジンの進化で、燃費・静粛性に優れた「ターボファンエンジン」の実用化だった。

同時に機体が大きいことも要求されることにもなって、機体は徐々に大型化した。

その頂点に立ったのが60年代末に開発された「B747」で、それまでの旅客機の常識を全て覆す事になった。

少しでも遠く、一人でも多く乗客を乗せることが、例え高価な機体であっても「元」が取れることが分かったのだ。

それまでは航続距離の関係で、何十時間もかかった航路が、技術の発達で半分以下、そして直行できる可能性をもたらしたのである。

航続距離を求めれば、それだけ燃料も多く搭載することであり、必然的に大型化する。

そうすると相対的な燃費は悪くなるが、その分多くの乗客を乗せれば「儲け」になる訳だ。

当初はあまりの大きさに多くの疑問を持たれたB747だったが、いざ飛ばしてみると革命的な機体と分かったのである。

最も同機を運用できるエアラインは限られていたが、新しい航空時代の幕開けになったことは確かであった。

初期のB747-100は、標準座席数が350席前後で、航続距離は最大で9,500キロ程度。

当時としては驚くべき数値と言えたが、現実的と分かると、それはすぐ力不足になった。

座席数が多く、これまでの機体のどれよりも遠く飛べる747は、エアラインの考え方を一新し「儲かる」機体であること以上に、ありとあらゆる事の可能性を秘めていた。

最初に747を就航させたパンナムは、文字通り世界最大のエアラインで「世界一周」の路線を747によって構築させていた。

冷戦時代ゆえ、旧ソ連を含む東側諸国への路線こそ持っていなかったが、それ以外の国々にはほぼ網羅するほどだった。

それは冷戦時における、アメリカの影響力の代弁者でもあり、路線は端に乗客や貨物を運搬するだけが目的ではなくアメリカ「そのもの」であった。

747の有効性をいち早く認めたパンナムだったが、就航と同時にボーイングへもっと航続距離を求めていた。

当時パンナムではニューヨーク~テヘランと言う長距離路線を運航しており、定期便としては最も長い路線の一つだった。」

B707時代はもちろん、B747であっても直行するのは難しく、ヨーロッパを給油地として経由便で運航していた。

両都市間は約11,000キロあって、当時直行便はとても考えられない距離であった。

だがボーイングも747の航続距離延伸は需要があると考えており、パンナムの要求に乗ることになった。

しかし当時の技術では、3,000キロにも及ぶ延伸は難しいと考えたボーイングは一つの案を提示し、パンナムの同意を得た。

それが「B747SP」である。

「SP」とは「スペシャルパフォーマンス」を意味し、旅客型747では現在に至るまで数字の形式名はつかない唯一の型である。

1V_B747SP-86 IRAN AIR.jpg ←00年代初頭まで日本線に投入されていたイラン国営航空のB747SP(ウィキペディア英語版より)

747は100型を基本形とし、性能向上型の200型、アッパーデッキを延長した300型、全くの新型の400型、そして現行の「8」と続いて来たが、その他に「SR」「SUD」「F」などのサブタイプが存在する。

だが「SP」は、構造上100型を踏襲はしているが、サブタイプではない独立した唯一の型式である。

ボーイングが考案し、パンナムが頷いた航続距離の延伸策は、機体の大幅な軽量化である。

とはいっても当時今のような軽量化できる素材はなく、可能なのは「物理的」に軽量化すること、すなわち機体全体の「小型化」しかなかった。

ボーイングは様々な案を検討し、中には747最大の特徴であるアッパーデッキを廃止し、通常の胴体形にする事も検討したと言うが、それだと全面的な設計変更となってしまい、断念せざるを得なかった。

1V B747SP_Official_colors.jpg ←75年に初飛行したB747SP(ウィキペディア英語版より)

最も現実的なのは胴体を「縮小」することで、パンナムも同意した。

そうして完成した「747SP」の原形機は75年に初飛行し、翌年パンナムに初号機が引き渡された。

完成した同機は一見通常の747となんら変わりないが、横から見ると実に奇異であった。

軽量化のため、747の最大の武器である70メートルもの胴体を、実に14メートルも短縮していたのである。

にもかかわらず前部は完全な747であり、アッパーデッキもそのままであるから、目の錯覚と思えるほど「寸詰まり」な747であった。

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1V-Iran_Air_B747-100_Lofting-1.jpg ←(2枚)イラン国営航空のB747SPとB747-100B。胴体の長さや主翼・フラップ・尾翼の違いが良く分かる(ウィキペディア英語版より)

胴体を短縮したことで安定性が失われるため、水平尾翼と垂直尾翼が大型化された他、主翼が若干延長された。

またフラップも100型と違い、単純なシングルスロテッド型に変更された。

燃料タンクはそのままで、航続距離は実に12,000キロに達した。

また上記の改修は同機の空力性を向上させることになり、最高速度はマッハ0.92、巡航速度はマッハ0.88と時速にすると100型より時速にすると7~80キロも向上した。

これはボーイング社自身予測できなかったことで、数値的には僅かに見えるが10,000キロ以上の行程では到達時間が1時間以上短縮できることになり、それはより燃費の向上を意味した。

エンジンは100型と同じ系列ながら、出力を向上させたP&W社製の「JT-9D-7R4W」ターボファンエンジンと、「トライスター」用に開発されたばかりのイギリス、ロールス・ロイス社製の「RB211-524」が用意されることになった。

初号機を受け取ったパンナムは即座に習熟訓練を開始して、ニューヨーク~東京線に就航させた。

「City of Tokyo」と名付けられた同機は、約11,000キロの行程を世界で初めてノンストップで飛んだのである。

1V B747SP-N347SP_Pan_American_World_Airways_inflight.jpg ←76年3月ニューヨーク~東京のノンストップ便に就航したパンナムのB747SP(ウィキペディア英語版より)

2か月後には、同機のキャンペーンを銘打ってニューヨーク~ニューデリー~東京~ニューヨークと言う世界一周航路を46時間ちょうどで飛行し、世界記録を樹立した。

当時ニューヨーク~東京間は世界が注目する長距離路線で、パンナムの他ノースウエスト航空と日本航空がB747-100で運航して凌ぎを削っていた。

航続距離が足りなかったため、いずれもアンカレッジを経由しての飛行であったが、パンナムがB747SPによって直行便を開設すると、3社との飛行時間さは数時間に広がり、利用客は一斉にパンナムへ流れた。

両者の利用率は激減し、赤字に追い込まれると言う事態間で発生した。

これを見た他のエアラインも、同機の性能の魅力を見出し発注するエアラインが増えた。

主に地理的に孤立しているオセアニアやアフリカ、南米のエアラインが発注した。

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1V-B747SP-21,_Pan_Am_JP50533.jpg ←(2枚)パフォーマンスを充分活かし、世界中にB747SPを飛ばしたパンナム(ウィキペディア英語版より)

しかし叩かれたノースウエスト航空と日本航空は、同機を発注しようとしなかった。 

SPは胴体が大幅に短縮しているため、座席機数は最大で300席程度、当時標準の2クラスでは250席前後が標準であった。

2社は747の最大の特徴である座席数を犠牲にする事に、異を唱えるとともにボーイング社に100型の改良を迫った。

それは両者が運用していた「JT-9D」エンジンの出力増強と、燃料タンクの増設で可能だと主張したのである。

実はボーイングも以前からそれを認めてはいたが、「巨人機」である747にそこまでの需要があるとは考えられなかったからだ。

結果的にボーイングは両者の主張を受けることになり、100型のエンジンと燃料を増量した「200B」を開発した。

エンジンは「JT-9D-7R4G2」で、同じエンジンではあったが髙出力型で、機体重量を大きく引き上げることができた。

両社は、この改良型を使って東京~ニューヨーク線を運航した。

1V B747SP-Aerolineas_Argentinas_B747SP-27_(LV-OHV)_landing_at_Zurich.jpg ←アルゼンチン航空のB747SP(ウィキペディア英語版より)

それでもSPには若干及ばず、特に東京行きでは冬場など西風が強い時には貨物を減らすもしくはシアトルなどで臨時の給油が必要だったが、ニューヨーク行きはほぼ直行することに成功した。

これにより最大で400席確保しても、11,000キロ程度の直行が可能と言う事を証明したことで、SPの存在い意義は急に薄れてしまった。

同じ距離を飛べるのであれば、座席数が多い200Bの方が利益率が高いことは明白である。

加えてSPは座席数だけでなく、貨物室の容量も少ないから、機体自体の売り上げは当然低くなった。

1V-B747SP-31,_Trans_World_Airlines_-_TWA_AN0616578.jpg ←TWAのB747SP(ウィキペディア英語版より)

以後747は「200B」が標準型となり、それまで大きすぎると考えていた世界中のエアラインが発注に動き出したのである。

ボーイングも自明の理ではあったが、通常型の747では途上国のエアラインなどは大きすぎると考えられる事から、SPの生産ラインは閉じず、受注も継続した。

部品などは100・200と共通のため、受注があれば生産可能だったためだ。

だがアメリカではパンナム以外では、TWAが新規発注した以外運用するエアラインはなかった。

1V B747SP-Braniff_747SP_(7491681708).jpg ←ブラニフ・インターナショナルのB747SP(ウィキペディア英語版より)

厳しい規制が緩和されたのは70年代末のことだったが、国際線はパンナムが完全に牛耳っており、世界からの信用度も格別であった。

他の大手TWAを始め、アメリカン・ユナイテッド・デルタ・ノースウェスト・イースタンなどは太平洋及び大西洋路線は限られており、何とか対を張れるのはノースウエストぐらいで、他社は経験そのものがなかった。

初期の100型では大陸横断用として、アメリカン・ユナイテッド・デルタが運用したが、思いのほか利益が上昇せず、短期間で747を手放している。

しかし規制緩和が慣れて来ると、新たな競争が生まれ、80年代末ついにパンナムが破綻する。

破綻前、同社はリストラ策として長距離国際線の権利を機体ごと各社に売却した。

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1V_B747SP-31 AMERICAN (N602AA)_AN0201764.jpg ←(2枚)パンナムから譲り受けたユナイテッド航空とアメリカン航空のB747SP(ウィキペディア英語版より)

アメリカンとユナイテッドも、太平洋・大西洋路線の権利を譲りうけると同時に747SPも導入し、パンナムに変わり長距離路線の運航を開始した。

主に太平洋路線がメインで、ユナイテッドは初の日本線となる東京線やソウル線、台湾線、そして自由化された中国線用として元パンナムのSPで運航した。

アメリカンも東京線用に同機を投入したが、コストの面でどうしても折り合わず短期間で同機は手放している。

世界ではオーストラリアのカンタス航空、南アフリカ共和国の南アフリカ航空、台湾のチャイナ・エアラインズ、組織改編前の中国民航、そしてイラン国営航空などが発注した。

中国では80年代後半、極端な閉鎖的社会主義政策「文化大革命」が失敗・否定され、開放政策に転じたことで、アメリカを始めとする西側諸国との関係が前進し、唯一の国営エアラインだった「中国民航」は、国際線専用機としてSPを導入した。

1V-B747SP-J6,_CAAC_AN1046783.jpg ←中国民航時代のB747SP(ウィキペディア英語版より)

実際には200型も多数導入しているが、最初に運航したのはSPであり、同国が初めて正式に運航したアメリカ機である。

その背景には、アメリカの中枢部である首都ワシントンD.Cやニューヨークへダイレクトで飛べる事が重要視されたからである。

旅客機の他、共産党指導部の専用機、すなわち政府専用機としても使用され、旅客機が引退した後もしばらく現役に残っていた。

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1V_B747SP-J6;_AIR CHINA B-2438@ZRH;09.03.1997_(8370095356).jpg ←(3枚)民営化された後も旅客機の他VIP機として運用した中国国際航空(ウィキペディア英語版より)

日本にも90年代まで、長距離線の間合い運用で何度か飛来している他、首脳部の訪日でも同機は常連だった。

チャイナ・エアラインズや大韓航空も、北米直行便のために同機を導入しているが、貨物搭載量が小さい事がネックになることから、路線は限定されず、通常型747と同じ様に運用された。

晩年にはアジア線など中距離運用や、通常型747の予備機的に運用されており、両社も間合い運用で日本に飛来していた。

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1V-B747SP-09,_Mandarin_Airlines_AN0193867.jpg ←(2枚)羽田にも頻繁に飛来したチャイナ・エアラインズとマンダリン航空のB747SP(ウィキペディア英語版より)

大韓航空機は90年代、成田~ソウル線の一部で同機をレギュラーで運航しており、ファンには人気だった。

カンタス航空も主に北米線用に導入し、300・400型の導入後は中距離線に転用された。

90年代には、台湾線用に別ブランド化させた「オーストラリア・アジア航空」のロゴに変更して飛んでいたが、カンタス便として日本にも飛来している。

チャイナ・エアラインズは、香港線などを運航するのに子会社「マンダリン航空」を立ち上げ、SPを移籍させている。

中国との関係から、成田空港には就航せず、唯一羽田発着を認められていた同社もよく同機を飛来させていたが、マンダリン塗装機も多かった。

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1V B747SP-Australia_Asia_Airlines_Wheatley.jpg ←(4枚)大韓航空とカンタス航空、オーストラリア・アジア航空のB747SP。カンタス機はRB211エンジンを装備した(ウィキペディア英語版より)

日本で最も人気があったのはイラン国営航空で、パンナムに続いて同機を導入した。

当時のイランはパーレビ国王の王政で、有り余るオイルダラーで飛行機を買い集めていた時代。

アメリカでも最新鋭で高価な「F-14Aトムキャット」戦闘機を80機も購入するなど、まるで今どこかのIT企業社長みたいな買い方であった。

その「買い物リスト」の中に最新鋭旅客機の「B747SP」が入っていた訳で、同社がどうしても必要としていた訳ではなかったとも言われる。

パンナムがテヘラン直行便に同機を飛ばしていたので、「ウチも」と言う事だったらしく、導入されたSPは北米線に投入された。

1V-B747SP-86,_Iran_Air_AN0127623.jpg ←王政時代に導入されたイラン国営航空のB747SP(ウィキペディア英語版より)

しかし僅か3年後、イランではパーレビ国王の外遊中を狙って「イスラム革命」が起り、国王はそのまま亡命を余儀なくされた。

更にテヘラン米大使館占拠事件で、両国は断絶。80年には隣国イラクと9年間にも及ぶ戦争でイランは疲弊した。

パーレビの遺産はちゃっかり流用していたイランだが、それがないと正に亡国の危機に瀕した訳で、どこかの国みたいにその国の製品を排除・不買運動などは起こさなかった。

イラクとの戦争中も、イラン国営航空は国際線を中心に細々と運航し、終結後は国際舞台に再起した。

しかしアメリカの制裁が続いたことで、同社のみならず国内のエアラインの機材は不足し、70~80年代の機体を直しながら運用を続けた。

SPも正にその一つで、90~00年代には残存した200B型と並んで唯一の長距離機材であり、日本線には11年まで定期便として飛来した。

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1V-B747SP-86,_Iran_Air_JP6762340.jpg ←(3枚)11年まで日本線に投入されていたイラン国営航空のB747SP(ウィキペディア英語版より)

老朽化を理由に、その後は200型に変更されたが、路線の需要が落ち込んだこともあって、運休になったが、10年代まで同機を営業便で運航したのはイラン国営航空だけであった。

東京線は週2便の北京経由で、日本人よりもイラン人の利用が多かったようだが、晩年にはファンも多く体験搭乗していた。

同社のSPはビジネスクラスを含む2クラス制で、アッパーデッキは乗務員の休憩室として使われていた。

同社便は乗務員の宿泊交替がなかったため、往復分の2組以上が乗り込んでおり、やたら客室乗務員が多いという特徴を持っていた。

1V-Iran_Air_B747SP_cockpit.jpg ←イラン国営航空のB747SPのコクピット(ウィキペディア英語版より)

こうした事情から747である必要はなく、ただ使える機材がSPしかなかった・・と言う事でもあるのだが、ファンの人気は絶大だった。

現在イラン国営航空のB747は通常型を含めて退役したことになっているが、殆どが「保管状態」に置かれている。

一℃経済制裁が緩和されて、エアバス機の導入を開始したが、トランプ政権が再び締め付けを始めたため、機材更新は停滞している。

その為SPも「復活」する可能性は捨てきれない状態にあるが、少なくとも長距離線の運用はないと思われる。

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1V B747SP-South_African_Airways_ZS-SPE@ZRH;_January_2003_(5637170695).jpg ←(3枚)南アフリカ航空新旧塗装のB747SP。長距離運航を余儀なくされる同社は重宝した(ウィキペディア英語版より)

たった45機の生産で、旅客機として使われたのは30機台だけであるが、中古機としての価値は高かった。

座席数よりも長距離性能・・という途上国エアラインが多かったためで、90~00年代には中古価格は100・200型より高く取引されていた。

最初から長距離機として使われたので、機齢の割にはフライトサイクルが小さく、程度の良い機体が殆どだったからだ。

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1V_B747SP_Air_Mauritius_(4352358140).jpg ←(2枚)アライアンス・エアとエア・モーリシャスのB747SP(ウィキペディア英語版より)

現時点で、現役で確認できるB747SPは8機。

残念ながら旅客機として運航する機体はないが、サウジアラビア政府・王室専用機2機は「サウディア」と同じ塗装で運用されている。

この他オマーン政府・王室専用が1機現役。

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1V-B747SP-27_OMAN AMILI(A4O-SO)_02.jpg ←(3枚)現役にあるサウジアラビアとオマーン王室のB747SP(ウィキペディア英語版より)

面白いところでは、アメリカ・ネバダ州ラスベガスのマッカラン空港をベースとする「ラスベガス・サンズ」が保有する2機。

同社の経営は、ラスベガスのカジノ。

同社はカジノの常連客や、大当たりした人の「送迎」を行うプライベートジェットエアライン。

形態としてはチャーターエアラインに近いが、2機のB747SPのキャビンは非公表ながら超豪華だそうで、カジノ利用者だけでなく、基本的にお金を出せば誰でもチャーターできる。

セレブが直行するために、あえて同機を選んだ訳で、世界中どこへでも送迎してくれるとか。

旅客機として乗れるチャンスはなくなったが、同社のSPなら乗れるチャンスあり?

この他エンジンメーカーであるP&Wカナダ社が、エンジンテスト用に2機のSPを保有している。

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1V-B747SP-J6_Pratt_&_Whitney_AN2732961.jpg ←(2枚)ラスベガス・サンズとP&WカナダのB747SP。後者の第二エンジン(左翼内側)にはA320neoなどに使われる「PW1100G」エンジンが吊り下げてテストしている(ウィキペディア英語版より)

NASAが保有する「空中赤外線望遠鏡」機「SOFIA」は、元を辿るとパンナムとユナイテッドで使われていたSP。

胴体後部の一角に直系2.5メートルの赤外線望遠鏡を設置し、赤外線が湿度で阻害されにくい高度12,000メートルの成層圏で観測を行う。

機内には望遠鏡を設置するため新たな与圧隔壁を施し、空中ではシャッター式の扉が開閉する。

更にコクピットの計器盤は近年液晶パネルに置きかえられ、グラスコクピットに変更されたが、航空機関士も乗務する3人乗務機のままだ。

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1V B747SP-SOFIA_ED10-0182-01_full_(cropped).jpg ←(3枚)空中赤外線望遠鏡(SOFIA)。1枚目は改造前のSOFIAで元ユナイテッド機だとわかる(NASA提供)

07年から稼働し年間で数十日以上の観測飛行を実施しているが、維持費の高さが悩みだと言う。

だが世界で唯一の空中望遠鏡であり、資金面さえクリアすれば当分の間現役の予定である。

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1V B747SP SOFIA-Dr_Dava_Newman,_NASA_Deputy_Administrator_.jpg ←(4枚)(SOFIA)の内部とコクピット(NASA提供)

意外と知られていないが、B747SPの生産は89年まで続けられている。

200B型の登場で、SPの意味がなくなってしまったのは事実だが、長距離性能は色あせた訳でなく、政府専用機などの発注が続いたためだ。

最も生産は1年で1~2機と言うもので、最終的には僅か45機の生産に留まったことは事実である。

だが通常型程の座席数・貨物搭載量は必要としないが、地理的情勢から長距離機が欲しい・・と言う国・エアラインが同機を支持していた。

今ならば、B787のコンセプトと全く同じである。

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1V B747SP-Kazakhstan_Airlines_Maiwald.jpg ←(3枚)アブダビ・カタール政府、カザフスタン航空で使用されたB747SP(ウィキペディア英語版より)

何よりも今から45年も前に、12,000キロもの航続力を実現した実用機と言うのは驚きに値する。

今のように軽量で強靭な複合材がなかった時代、軽量化と言えば機体自体を「減量化」させるしかなかったのだが、それでもこれだけのパフォーマンスを持った意義は大きい。

直後に多少妥協させた200Bの出現で、SPは過渡的で半ば失敗作のように扱われている。

時代背景から、同機の性能は高すぎたと言うのが本来の理由であり、大量輸送時代が直後現実化したと言うタイミングもあっただろう。

だがそれはセールス上の「都合」であって、同機の性能とは直接関係ない。

事実空力特性が思わぬ結果を生み出し、300型そして400型に繋がった功績を残した。

たった45機の生産で、残存機は8機。

生存率50%以上と言うのは、数値的ではあるが驚異的と言えるのである。

先に書いたようにフライトサイクルが少ない機体が多かった、と言うのが理由だろう。

だがそれ以上に、単なる「レア機」と言うだけではなく、残した功績を改めて見直すべきであろう。

この他シリア航空とイエメンの「イエメニア」が2機ずつ保有している事が分かっているが、両国とも内戦中であり、アメリカの資料では退役したことになっている。

イエメニアの2機は、同社の長距離機材として虎の子的な存在だった。

1機は政府専用機として使われていたが、15年に首都サヌアの空港で反政府軍の攻撃に遭って大破したとされているが、もう1機の消息は不明。

1V-B747SP-27,_Yemenia_-_Yemen_Airways.jpg ←イエメニアのB747SP(ウィキペディア英語版より)

シリア航空は80年代に導入し、旅客便として運航していたが、その後1機は政府専用機に転用されている。

長年ダマスカスの空港に滞留していたことが分かっているが、現在の状況は不明だ。

1機は10年代初頭まで、ヨーロッパ線で営業便として現役にあったが、所在は不明である。

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1V B747SP_SYRIAN YK-AHA_(3104110707).jpg ←(3枚)シリア航空の新旧塗装のB747SP(ウィキペディア英語版より)




夜も霧雨が断続的で、何とも冴えない週末の夜。

時々雨粒が大きくなったり、雨自体が安定しない。

まる1週間この調子で、こんなに雨天・低温が続くのは珍しい。

明日までは同じ天気だそうだが、日曜日はやっと青空が見れそう。

コロナ自粛は緩和されたが、街では店舗の時短営業が続いている。

何となくだが、今後それがスタンダードになってしまいそうな気もする。

夜が早くなるのは仕方ないかも知れないが、定着すると経済が回らなくなるのも事実。

元通りになって、再び感染拡大しては本末転倒だし、国民総出で考えるのはこれからが本番かも知れない。

でも5月下旬で、この寒さは身体に堪える。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

ずっと雨が続いていますが、大丈夫ですか?

寒いと感じていると思いますが、来週は本来の気温に戻りそうです。

そうなると体調が続いて行かないかも知れませんので、充分気をつけて下さい。

服装も、君にとっては悩ましい事と思いますが、身体を優先に考えて下さい。

コロナはいくらか落ち着きを見せていますが、世間は当分脅威と感じることでしょう。

震災を体験した我々は、事情は違えど良くも悪くもあの時を思い出すはずです。

恐怖に怯えてばかりいても、何の解決にもならないこと、そして皆と力を合わせようとする気持ちが大切です。

君もコロナに大きな影響を受けたかも知れませんが、心が疲れないよう、深呼吸して下さい。

どうしよう・・と困り果てるより、どうすれば良いか、一つ一つずつできることからで充分です。

私はいつも、君を応援しています。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。



あじさいの 八重咲くごとく やつ世にを いませ吾背子 見つつしのはむ(万葉集巻二十 4448 左大臣橘諸兄)




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