鉄道ネタ 開業40周年と200系(3月26日 曇り一時雨 12℃)

快晴だった昨日とは、真逆の空模様。

日本を南北から挟み込むように、2つの低気圧が通過。

仙台は午後から雨が降り出し、日差しが射す時間は一度もなかった。

市内の小中学校は、この週末から春休みとなったそうで、最初の週末は残念ながらパッとしないスタートだっただろう。

でも明日は一転して晴れるとの予想で、お出かけ日和になりそうだ。

そう言えば、時々使うバスが空いている気がしていたが、高校や大学はもう少し早くから春休みで、学生の数が少なかったのだ。

また卒業して、新たな土地で進学・就職する人、社会人でも転勤などで動く人も、この週末がピークではないか。

私の周辺でそう言う人はいないが、公務員の知人も異動だと言っていた。

最も市の職員だから、異動と言うよりも「移動」だと言っていたが。

大変なのは、16日に発生した地震による影響だ。

余震は日ごと少なくなっているが、極め付けである新幹線の不通が春休み中続きそうな事。

当のJRはもちろん、バス会社や航空会社などが臨時便を運航して対処しているようだが、輸送力・速達製と言う意味で新幹線に勝る物はなく、それこそ移動が必要な人は苦渋の春であろう。

車を使える人は影響ないが、多くの人は公共交通を使うだろうから、本当に大変だと思う。

JRによると、脱線した列車の移動が開始されたが、全ての車輛の撤去は4月始めになると公表している。

こうして見ると、新幹線と言う乗り物が、日本人にとっていかに生活の一部となっているかが窺える。

仙台からだと東京方面はもちろん、盛岡・青森方面へも8割以上の人が新幹線を使うと言う。

恥ずかしながら、私は新幹線を使う用事があまりないのだが、今や東北の人で乗った事がないと言う人は殆どいないだろう。

ふと考えてみたら、東北新幹線の開業は82年(昭和57年)6月で、なんと今年「開業40年」を迎える事に気付いた。

同年上越新幹線も開業しているが、こちらは11月だったから、東北新幹線の方が約5カ月早い。

40年・・・もうそんなに昔の事なのか、と、実に感慨深い。

1-1-1-50 SERIES200.jpg ↑今年開業40年を迎える東北新幹線。開業以来30年間現役で、東北地方の発展に大きく貢献した200系。当初は12輌編成が基本だった(ウィキペディアより)

当時私は高校生で、現役バリバリの「鉄オタ」(笑)。

開業当日は平日で、さすがに学校をさぼってまで駅に見に行くことは憚られ(まじめな高校生だった)、放課後に行った。

初列車を生で見ることは叶わなかったが、夕方でも仙台駅は見学する人、「初乗り」する人、そしてメディアでごった返していた。

私自身の「初乗り」は、少し経ってからの7月だったと思う。

夏休みだと混雑が予想されたので、初乗りは比較的空いていそうな仙台~盛岡間だった。

そう、開業当時の東北新幹線は大宮~盛岡間の「暫定開業」であった。

本来東京~盛岡間が予定されていたが、大宮~東京間が用地買収などで計画が大幅に遅延していた為である。

ならば開業自体遅らせても良かったように思えるが、この時はまだ「国鉄」時代。

しかも末期の事で、既にJRへの「分割・民営化」が具体化しつつあった時期だった。

60~70年代の労使抗争で、「国営鉄道」の信頼はガタ落ちしていた。

毎年のように莫大な赤字を累積させ、放漫経営とされて国会でも毎度のように与野党が争っていた。

「国営」であるから、経営資金は全て「税金」であり、労使抗争によるストライキの頻発、相次ぐ値上げ、サービスの低下は国民を怒りに導いていた。

70年代末には、少なくともサービスと言う点で襟を正し、その質はいくらか向上していた。

1-1-1-50 SERIES200_K31.jpg ↑90年代になると、新たに開業した山形新幹線の400系と並結運転されることで、下り方の先頭車両には連結器が追加された。2列車並結運転は、新幹線史上初めてのことだった(ウィキペディアより)

しかし常日頃国民の目は厳しく、当初の開業予定を変更することは難しかったのである。

最もそれ自体不評を買ったのだが、大宮~上野間は「新幹線リレー号」が接続した。

当時東北・上信越方面の玄関口だった上野駅に乗り入れたのは、開業から約3年後の85年。

東京乗り入れは更に6年後、91年だった。

「リレー号」は、専用の185系200番代が充当されたが、全車自由席だった。

グリーン車の乗客は、新幹線のグリーン料金に含まれていたのでそのままグリーン車を利用することが出来た。

上野~大宮間は約26分で、乗り換え時間を含めると上野~仙台間は約3時間強かかった。

それでも在来線時代の「ひばり」「やまびこ」「はつかり」などの特急列車だと、4時間15分だったから時短の効果は絶大であった。

ダイヤも、開業直後は「暫定ダイヤ」で、速達タイプの「やまびこ」と各停タイプの「青葉」が1時間当たり1本ずつだったと思う。

1-1-1-50 SERIES200_H6.jpg

1-1-1-50 SERIES_200-2000 13.jpg ↑(2枚)90年代には、100系と同じデザインを持つ先頭車両と、「ダブルデッカー(二階建て)」車両も登場した。下の画像は二階建て車輛の249型が連結されているが、後に2輌(248型)に増やされ、編成自体も東海道新幹線と同じ16両編成になった。二階建て車両はグリーン席と普通個室、カフェテリアが設けられていたが、構造上軽量のアルミボディではなく普通鋼製の上無動力だったので、編成の走行性能は低下した。また需要も見込み程増えず、カフェテリアは売店、末期には「マッサージサービス」と、良く分からない方向に向いてしまい、編成から外された。「シャークノーズ」と呼ばれた先頭車はその後も運用されたが、新形式とはならず「新番代」だった。新造された車輛と改造車輛が存在した(ウィキペディアより)

この時点で車輛の調達が間に合っておらず、共通運用となる上越新幹線の開業まで暫定ダイヤが続けられた。

その為従来の在来線特急も、便数を減らして存続した。

唯一列車名を新幹線に奪われた上野~盛岡間の「やまびこ」が廃止されたが、仙台発着の「ひばり」は半数が残されて利便性を保管していた。

いくら暫定開業だったとはいえ、並行する在来線特急が走っていたとは、今では考えられない設定だ。

最も新幹線は本数が少なく、料金も割高、大宮で乗り換えを強要されると言う理由で、全面廃止となった11月まで、在来線特急の需要は結構高かったと記憶している。

車輛は往年の名車「200系」で、当初は12輌編成。

「ザ・新幹線」の0系と同じデザイン意匠を持つが、寒冷地・積雪地帯を走ることから耐寒・耐雪設備が施されていた。

先頭車両のスノープラウ(雪よけ)や下部のカバーの他、客室窓も跳ねた雪や氷で破損しにくいよう小窓が採用されてので、先頭車両以外0系とはイメージが違った。

塗装は白(アイボリー)にグリーン帯で、新幹線と言えば「白と青」と言う固定観念のせいで、正直「ヘンな新幹線」に見えなくもなかった。

自然豊かな東北をイメージさせるためにグリーンが採用されたと言うが、一方で「田舎臭い」などと揶揄される事もままあった。

東海道・山陽新幹線のように、途中名古屋・京都・大阪・神戸、そして博多・福岡と、日本有数の大都市圏を貫いていないことも「田舎くさい」と言われてしまったのかも知れない。

車体は新幹線としては初めて(0系しかなかったのだから当然だが)、車体はアルミ合金で作られており軽量化が図られていた。

走行時間が短い事と、東海道よりも利用客が少ない事もあって、編成も短く、食堂車はなし、グリーン車も1輌だった。

食堂車の代わりに「ビュッフェ」が連結されていて、車両の半分が客室、半分がビュッフェ。

1-1-1-50 SERIES200_F17.jpg ↑原形とも言える12輌編成。前から2輌目・11号車がグリーン車、4輌目が「ビュッフェ・普通車」(ウィキペディアより)

飲食スペースに椅子はなく立ち席だけだったが、コーヒーなど飲み物の他、軽食も食べる事が出来た。

ただし火を使えないので、全て電子レンジ調理品で、当初は「激マズ」と言われていた。

食事メニューは少なく、「うな丼」「牛丼」「カレー」ぐらいで、要するにレトルト食品だったと言う事だ。

ご飯は炊飯器で炊いていたようだが、ビュッフェと言う性格上本格的な調理器具は搭載されておらず、40年前のクオリティでは仕方なかったかもしれない。

でも「うな丼」だけはまあまあ美味しい・・・と言う評判があり、私も食べた事がある。

1-1-1-50_200buffet.JPG ↑当初9号車に連結された237型は、半分が普通車、半分がビュッフェだった。椅子はなく「立ち席」だった。軽食や飲み物が提供された他、売店としても機能していた。利用者減で次第に営業自体が縮小され、休止されるようになったが、車両自体は暫く連結されていた(ウィキペディアより)

今こそ「嫌煙権」の跋扈で、列車内の禁煙は当たり前だが、座席では「喫煙車」と「禁煙車」に分かれており、ビュッフェでも喫煙できた。

コーヒーを飲みながら一服しながら、飛ぶような景色を地元沿線で体験できるようになった事は大きな喜びであった(もちろん喫煙は20歳過ぎてからです・笑)。

客室も0系とは一線を画していて、普通車の座席は2-3の5列は同じだったものの、最初からリクライニングシートであった。

0系はリクライニングしない「転換式シート」の時代で、リクライニングシートに変更されつつある時代。

ところが技術的な関係で、横幅のある3列座席は前後への方向転換が出来ず、車両中央部を境に前後方向に固定されていた。

2人座席の方は転換できたのだが、3人座席は列車の動く方向とは無関係で、半分は「後ろ向き」で座らなければならなかった。

これも当然評判悪く、混雑時以外の指定席はいつも空席であることが多かった。

1-1-1-50 SERIES200_F_interior.jpg ↑普通車の車内。画像はモケットやリクライニング機構を改良した後の姿だが、3人座席はまだ固定されたまま。見にくいが、奥の方の座席は反対方向を向いている(ウィキペディアより)

その後回転機構を工夫して、転換できる座席に変更されたが、今思えば全てに「半端」だった気がする。

インテリアデザインでは、壁や天井の配色が号車ごと違っていて、偶数号車がグリーン、奇数号車がオレンジだった(反対だったかも)。

最高速度は210キロ。

仙台~白石蔵王間は、新幹線の中で最も長い直線区間であり、故郷宮城の風景が210キロで見られる事は、やはり感慨深かった。

200系は20年近くに渡り、700輌も生産された為、多数の派生形が存在する。

改造された車両や、改修された車輛・編成も多い。

最高速度が240キロ、上越新幹線では275キロ運転も実施されたことから、先頭車両の空力特性改善やパンタグラフ及び周辺機器の改造を施された編成もある。

00年代になると、客室なども大幅にリニューアルされ、車体の塗装も変更された。

1-1-1-50 SERIES200_K47.jpg ↑最高速度を引き上げるために改修した車輛も登場した。運転席の窓が空気抵抗の少ない形に変更された他、パンタグラフの遮風板などが追加された(ウィキペディアより)

編成は当初は12輌だったが、柔軟な運用を目指すために10両・8輌編成になったり、90年代に開業した山形新幹線と並結できるように改修された編成も出た。

40年もの間に、国鉄は分割・民営化され消滅。

JR東日本になってからは、東京乗り入れ、八戸・新青森まで延伸。ついには北海道まで到達。

車輛も200系以後は、「ダブルデッカー」のE1系、E4系、ハイテク仕様のE2系、そしてE5系とどんどん進化・発展した。

最高速度も210キロから240キロ、そして320キロと比べ物にならない程早くなった。

開業時は仙台~東京間が3時間もかかっていたのに、今は最速で僅か1時間45分。

なるほど40年経った訳だ・・と、変な納得をしてしまう。

1-1-1-50-JR_East_Shinkansen_200(renewal).jpg ↑13年の引退まで運用されたリニューアル塗装(ウィキペディア英語版より)

200系が引退したのは13年のことで、開業後実に31年後の事である。

車輛の老朽化はもちろん、320キロ運転のE5・E6系が登場し、速度の遅い200系ではダイヤの均衡を保てなくなったことも大きかった。

車輛自体は比較的新しい物も多かったが、性能と言う点でもはや時代遅れになってしまったのはいたしかたない事であった。

最近「鉄道系」動画をよく見させてもらっているが、アップ主の多くは20代・30代の若い人が多い。

彼らにしてみれば近未来的なフォルムを持つ現行型が、物心付いた頃から「常識」であり、あの「卵型」の丸い形をした200系は単なる「レトロ」にしか見えないのだろう。

だが引退してから、まだ10年過ぎていないと言う事実がある。

確かに今の車輛は実に快適で、とても320キロで走行しているとは思えない程車内は静かだ。

そして東京まで2時間もかからない事は、もはや「当然」の域になっていて、進化とは便利でありがたいものである。

だがそれは最初の200系があったからこそ、今がある・・と思うのである。




夜になって雨は止んだが、前線に向かって暖かい空気が入って気温が上がっている。

12℃と言う最高気温は夜になってからで、買い物した後徒歩で帰宅したらうっすら汗をかいてしまった。

実は面倒で、まだ春物の上着を出しておらず、冬物を着ていたからだ。

さすがにもう限界だな・・と、明日は春物を出そうと思う。

天気も当分は良さそうだし、日中出歩く分にはもう充分だろう。

次の週末はもう4月。

コロナや地震、外国の戦争と嫌な事が続いたが、本当の春は気持ちよく楽しく迎えたいものだ。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

今日は雨でしたが、春を告げに来た雨だったかもしれません。

まだ寒さや雪の可能性も否定できませんが、日ごと春の近付きは実感できそうです。

君はこの春を、どう迎えるのでしょう。

何か変化がある春でしょうか、それともいつもと変わりなく迎える春になるのでしょうか?

いずれにしても、春は人間だけでなく、動物や植物も喜ぶ季節です。

君も、喜びの春を迎えられるよう心から願っています。

朝晩と日中の気温差が大きくなりますので、体調管理には充分注意して下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。




春雨に 萌えし柳か梅の花 ともに後れぬ 常の物かも(万葉集巻十七 3903 大伴宿禰書持)


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