飛行機ネタ 地味過ぎた功労機、消えゆくA310(1月14日 曇り時々晴れ 8℃)
3連休明けは気が重いが、空模様も重くなりがち。
年末年始はずっと良い天気が続いただけに、ここ数日どうもパッとしない。
仙台は日中日差しの出た時間もあったが、雲も多くすっきりしない。
小さな低気圧が次々と発生し、日本の周辺にはいくつも発生しては消えを繰り返している。
今日は「鏡開き」で、正月の行事はおしまい。
宮城では恒例の「どんと祭」の日でもある。
今朝早く何処からかドーンドーンと言う花火の音が聞こえたが、どんと祭を行う何処かの神社が「予定通り開催」を合図したのだろう。
恐らくは賀茂神社だったのでは、と思う。
どんと祭は、正月の締め飾りや輪飾り、昨年のお守りなどを「神火」で焚きあげて、無病息災を願う。
更に宮城では「年男・年女」が「裸参り」する風習があり、市内の大崎八幡宮では企業や団体で裸参りに参加する人が多い。
季節の風物詩として、毎年全国ニュースで流されるが、最近は少なくなったように思う。
我が泉中央からも、大崎八幡宮へは臨時のシャトルバスが運航されるが、利用らしき人の姿は見かけなかった。
以前はどこの神社でも行われていたが、最近は煙の臭いや降灰にクレームをつける住民が出ることがあり、お焚き上げを中止する神社が増えた。
またお焚きあげには消防の人が管理する必要もあり、人手不足も影響しているのかも知れない。
それ以上に自宅に締め飾り・輪飾りをつける人自体が少なくなり、需要も低下しているようだ。
「寒」の時期に行われ、本来ならば厳しい寒さ、時には雪の中でのお焚きあげは風情万点なのだが、暖冬気味の今年はちょっと物足りないかも。
逆に裸参りした人は、少し楽だっただろう。
だが上記のような理由で、こうした伝統行事が消えて行くと言う事を、単に「時代の流れ」と考えるのはいかがなものか。
臭いの事など、個人の権利を主張したいのは分かるが、それだけで日本人が長年受け継いできた伝統を簡単に捨てることが正しいだろうか。
連日続くと言うのであれば、近所の人は確かに生活に影響するかも知れない。
しかし年一度きり、加えて窓を開ける季節でもないだろうに、わざわざクレームすることは絶対おかしい。
最近の日本人は「権利」と言う言葉を乱用し過ぎ。
個人の権利、自由とは社会的な自己責任を全うした上での事であり、個人の好き嫌いとは全く別次元のことだ。
犠牲的な我慢をしろと言うのではなく、伝統・文化と「共存」を探ることが大切で、このことを今の日本人はなぜ忘れているのか理解しかねる。
神社側も変に先を見越して遠慮するより、地域の人々と積極的に交流して相互理解を深めるべきだ。
下手すれば神社自身が伝統と文化を破壊している、とも見えてしまう。
時代に合わせつつ伝統・文化・風習を守り、後世に残す事が現代を生きる我々の「義務」であることを、今一度考えるべきではないだろうか。
飛行機ネタ。
正月明け間もなく、世界最大の貨物エアライン、アメリカの「フェデックス」から、ある機種が退役した。
同社は約450機も保有するメガエアラインだが、機種として完全退役するのはナローボディ機B727以来のことである。
退役したのはエアバス製のA310。昨年夏の時点で約10機を残すのみとなっていたが、老朽化を理由に最後の1機がフライトを終了した。
本拠地であるメンフィスでは、ささやかながら退役セレモニーが開催された。
「フェデックス」は、宅配貨物会社グループの総称で、エアライン部門は正確には「フェデラル・エクスプレス」として登録されている。
最もグループ全体でブランドが統一されているので、「フェデックス」で通っている。
日本にも成田・関空を始め、アメリカ本土だけでなくアジア各都市やそこを経由してヨーロッパや中近東方面への貨物コネクションが網羅されている。
アメリカ国内では、50州全域に航空便を貼り巡らせており、地方都市では小さな委託エアラインがフェデックスとして輸送している。
そうした地方の小型機を含めると、700機以上が稼働している。
その中での10機だったから、同社にとっては超少数派の「激レア機」だったのがA310である。
同社は現在機材更新を進めている最中だったが、増え続ける宅配貨物需要に対応して、中古機を世界中から買いあさり機数を増やし続けて来た。
旅客機としての使命はとうに終えた「DC-10」や「MD-11」を、現在も100機以上保有している。
特に古いDC-10は、コクピットを発展型であるMD-11と同じグラスコクピットに替え、3人乗務を2人乗務機に改造した「MD-10」に改修してまで使い続けている。
この他機材不足を補うために「A300-600R」も、20機以上運行しており、アメリカでは同機を唯一運航するエアラインである。
だが比較的順調な業績と、長期的な機材計画に迫られた結果、20年から25年にかけて一気に更新する計画を発表。
これらの機体を全て引退させ、ワイドボディ機は現在導入中のB777F/B767-300ERFに統一する見込みである。
その退役第一弾となったのが、最も機数の少ないA310からという訳だ。
A310はエアバス社の処女作「A300」をベースに作られた、長距離モデルである。
エアバス社は、70年代にフランス・ドイツを中心に出資して設立された国際共同企業で、アメリカの独占だった旅客機市場に参入した。
しかも処女作がいきなり大型ワイドボディ機であり、かつ世界初の「双発ワイドボディ機」だったから世界は驚いた。
最も「信用」と言う点でアメリカには遠く及ばず、初期のセールスには苦労が伴ったが、3発・4発機が「常識」だったワイドボディ機に、新たな可能性を吹き込んだ功労機になった。
A300を見たボーイングは、計画していたナローボディ機727の発展型の計画を急きょ変更し、B767で対抗した。
767は「セミワイドボディ」と言う、独特のサイズの中型機で、半端と取られることも多かったが、航続性能はA300よりも遥かに優れていた。
そもそもA300は、ヨーロッパ域内の近距離幹線を一度に多くの乗客を運ぶ目的で開発されており、長距離航続性能は求められていなかった。
しかしワイドボディ機ながら、若干小さめで開発されたばかりの複合材(当時はガラス繊維複合材が主流)を一部に使う事で大幅軽量化が実現しており、A300と同じ系列のエンジンを使いながら長距離性能を有していた。
最初の生産型であるB767-200は、最大で250席前後のキャパシティを持ち、A300の300席より少ないが、航続性能を差し引くと乗客単価は767の方が勝っていた。
そこでエアバス社も対抗して、A300の長距離型の開発に着手して完成したのがA310であった。
航続性能を伸ばすには機体の軽量化が最適だが、当時の技術と材料ではおのずと限界があった。
燃料タンクを増設すると言う手もあるが、同時に機体の総重量も重くなることになり、結果として燃費が悪くなってしまう。
同型機の航続性能を向上させるには、思い切って機体そのものを軽量化する必要があり、それは胴体を「短縮」することが近道であった。
これはボーイングが初期の747で証明した手段で、初期の747の胴体を短縮して軽量化し、航続性能を大幅に向上させた「747SP」の事例があった。
エアバス社はこれをヒントに、A300の胴体を短縮したモデルを開発する。
実はA300の長距離モデルは、先に計画されており「A300B10」と言うモデルの草案があった。
これはA300の床下貨物室の一部を燃料タンクに変更し、エンジンをパワーアップさせたモデルだった。
しかし計算された性能は、航続距離は従来型より1,000キロ程度伸びるに留まり、それ以上に機体価格が高騰することも分かっていた。
同社は「B10」計画を白紙にして、新たにA310に変更した。
A310は単に胴体を短縮したのではなく、燃費向上のために細かな点が改良されており、A300との共通項は胴体の意匠とエンジンだけである。
胴体そのものはエアバス独自の真円形だが、製造過程で多用されていたリベット工法を見直して、溶接部分を増やした。
主翼も再設計し、アスペクト比を増やし、翼面積を減少させて揚力の効率化と抵抗を減らしている。
また胴体後部の「絞り」をきつくすることで、胴体短縮による乱流の発生を抑えた。この辺りはB747SPと同じである。
こうして登場したA310の原形機は767に遅れること1年の82年に登場し、ローンチカスタマーであるドイツのルフトハンザとフランスのエール・フランスに納入され、就航した。
最初の生産型は200型で、最大座席数はモノクラスで230席。2クラスで180~200席。
航続距離は標準で約7,000キロと、B767-200とほぼ同じである。
今のレベルから見ると些か中途半端な性能だが、この時代はまだ双発機の長距離飛行が信頼されていなかった。
ルフトハンザもエール・フランスも、「中距離機」で良いと言う意見だった。
ところが同機に注目したのは、ヨーロッパだけでなくアフリカや中東、中南米と言った途上国のエアラインだった。
当時世界は米ソが対立する冷戦の真っただ中で、途上国は同盟を組まずとも東西両陣営に与していた国が多かった。
しかし当時長距離を飛べる旅客機はアメリカ製で、ソ連機には大型のイリューシン62しかなかった。
だが反米政策を採る途上国はアメリカ機の導入が出来ず、自国の発展を妨げていた。
エアバスの経営者であるフランスとドイツは、ともにNATO加盟国であり、ソ連と対立していたが、アメリカとは一線を画した外交政策を採っていた。
特にフランスはNATO自体を一定の距離を置く独自の外交スタンスを持っており、旧植民地を始めとする途上国とは友好関係を保っていた。
加えてそのしたたかな政策は、武器などもどんどん販売しており、エアバスは途上国への販売も喜んで受け付けていたのである。
そうした国々のエアラインは、先進国との直行便を運航したいため、200型では航続力・輸送力が若干不足気味であることを指摘していた。
エアバスも充分承知しており、デビュー前に既に性能向上型の計画も打ち出していた。
そうして出来たのが300型であり、同機がメインの機種になったのである。
200型と外観に大きな違いはないが、主翼端に整流用の「ウィングチップ」がエアバス機として初めてつけられた事と、床下貨物室の一部を燃料タンクに替え、更に水平尾翼内にも「インテグラルタンク」を設置した。
このタンクは機体のバランスを制御する働きを持たせており、全体の燃料消費量に応じて本体と尾翼の燃料を自動的に移動させる「トリムバランス」機構が追加された。
A310は200型も含め、エアバス機では最初に「グラスコクピット」を採用し、航空機関士を廃止した2人乗務機でもある。
これもライバルと位置付けたB767を大きく意識した結果で、カラーCRTの計器盤を装備したほか、スポイラー・スラット・フラップの作動は油圧ではなく、モーターを使う電気式とし「フライ・バイ・ワイヤ」方式を採用している。
これは767では採用されておらず、A310が一歩抜きん出た技術であり、軽量化に貢献している。
300型は航続距離が10,000キロ弱まで延長することに成功し、一気に100機以上の受注を集めたのである。
同機の大きな弾みとなったのは、世界最大のエアライン「パンナム」が発注した事であった。
70年代に規制緩和されたアメリカでは、競争が激しくなる一方、それまで国際線運航を制限されていたユナイテッドやデルタ、アメリカンが急速に拡大していた。
これらの会社は政治的にもコネクションが強く、ボーイングやマクドネル・ダグラスは緩和を理由に安価で販売していた。
これに反発したパンナムは、アメリカで初めてエアバス機の導入に踏み切り対抗した。
同社のA310は主に大西洋路線や中南米路線に投入されたが、同社は最後までB767を導入しなかった。
A310は200・300ともエンジンは選択制を採っていて、200型ではGE製「CF-6」とP&W製「JT-9D」、300型では「CF-6」か「PW4000」となっている。
300型のそれは、200型で使われた2種のパワーアップ改良版。当初地元ヨーロッパを意識してイギリス製の「ロールス・ロイスRB211」も計画されていたが、希望するエアラインが現れず、搭載した機体はなかった。
なお90年代には「300ET」と言うサブタイプが生産されているが、これはオプション装備の機体で正式な形式ではない。
ETは燃料タンクを若干大きくした形で、後半の生産機は殆どがこの仕様である。
80年代後半になると、A310の受注は更に増加した。
これは東欧諸国の自由化と、ソ連崩壊による冷戦の終結である。
長らくソ連の支配下に置かれていた東欧諸国は、旧式化した旧ソ連機材の更新が急務であった。
自由化直前には、見通しが立ったことで西欧からの輸出規制が緩和され、旧東ドイツの国営エアライン・インターフルグや旧チェコスロバキアのCSA、ルーマニアのタロムなどがA310をリースなどで発注し、導入して完全自由化に備えた。
またソ連と友好関係にあったアフリカや中東諸国も、同機で長距離路線を開設することが可能となり、冷戦終結後世界の空は大きく拡大した。
大きすぎず、それでいて長距離性能を有し、かつアメリカ製でない事は、絶妙のタイミングであった。
しかしエアバス社最初の「ハイテク機」であるが故か、事故も多かった。
初期の機体では、グラスコクピットで自動化された操縦システムに若干の不具合があり、これは直ぐに改修されたが、エアライン側がそれを充分把握できず事故に至った事例が多発した。
A310は初就航以来、少なくとも12件以上の重大事故を起こし、8件が乗員乗客全員死亡と言う重大事故である。
原因不明の事故もあったが、殆どが操縦ミスで、パイロットが緊急時の手順を踏まなかったことが大半だった。
機体の不具合と緊急時の操作手順も、エアバス社は認識していたにも関わらず、エアライン側に周知徹底していなかったことや、新しい機材の取り扱いに慣れていない国のエアラインが多かったなど、偶発的な不運が重なることが多く見られた。
特に失速予防のシステムと自動操縦のシンクロは、アメリカ機と違う手順だったことから、先進国のエアラインでも操作ミスが続出した。
また旧ソ連機を運用して来た国々では、計器盤の表示自体が全く違っており、読み違えや判断ミスが後を絶たなかった。
ソ連の国営エアラインアエロフロートは、解体後ロシア連邦となって地方支局が分割・民営化されたが、モスクワの本局は「アエロフロート・ロシア国際航空」としてフラッグキャリアに生まれ変わった。
これまで限定されていた旧西側諸国への就航が自由になったのは良いが、同社が保有する長距離機のイリューシン62などは既に時代遅れで、騒音や排気ガスなどの国際環境基準をクリアできなかった。
そこでリースと言う形で白羽の矢が立ったのが、A310であった。
日本線を含め、同社は一気に新型の機材で運航することになったのである。
94年3月、モスクワ発香港行きの593便も、リース機材のA310-300で運航されていた。
モスクワを出て数時間後の巡航中、機長は同乗していた家族をコクピットに呼び寄せて「見学」させた。
そして自動操縦中だったこともあって、10代の息子を機長席に座らせ、操縦かんを握らせた。
ところが息子が長い時間(恐らくは30秒以上)連続して操縦かんを動かしたことで、自動操縦装置の一部が解除されたのである。
それによって機体が少しずつ傾き始め、一同はそれ気付いたが、自動操縦が直ぐ「補正」するものと思って放置してしまった。
機体の傾きは修正されることなく、ついには限界角度を超えて高度が下がり、機能していた自動操縦装置が働いて機首上げ姿勢になって失速。
シベリアの森林に墜落・炎上。乗員乗客全員が死亡した。
パイロットが飛行中、家族とは言え公私混同さたこと、子供に機器を触らせた事はあるまじき行為で、アエロフロートの管理体質に世界中から強い批判を浴びた。
だがそれ以上に、自動操縦が一括的なシステムでなかったことに加え、緊急時の総合的なシラバスが組まれていなかった。
最初の傾きで自動操縦の一部が解除されたが、一部だったことでオフの警告音が鳴らない状態であった。
そのシステムを、パイロットが全く認識されていなかったことが、後に改修されたフライトレコーダーの音声や分析で明らかになっている。
最大の原因は同機のシステムが未熟であった事なのだが、それを認識していなかったパイロットの技量不足が輪をかけた事故であった。
その後システムは改修されたが、失速警報や自動操縦解除の警報システムは誤作動が続き、同機の技術をフィードバックした「A300-600」でも同様の事故が起きている。
90年代後半以降、大きな事故は減少したが、A310は「事故の多い機体」と言うイメージが強かったことは確かである。
94年関空が開港すると、日本の海外エアラインの発着枠が大幅に増えたことで、新規就航するエアラインが増大した。
かつて運航していたエアラインの復活や、全くの新規のエアラインもあったが、それらのエアラインはA310で飛来することが多かった。
トルコ航空やオーストリア航空のように、航続距離限界の遠い地域から飛来するエアラインの他、長距離路線の間合いで飛来するエアラインもA310を使う事が多かった。
だがエアバス社は早くも90年代初頭に、A310の後継機種の開発に着手していた。
同社初のナローボディ機、世界初の全面的フライ・バイ・ワイヤ旅客機「A320」の技術をフィードバックした「A330」である。
A330は座席数を最大400席と言う、大型ながら中距離から長距離までこなせるマルチ旅客機として設計されており、A300と310のカテゴリーを統合させた機体である。
出足こそ鈍かったA330だが、フランスのエール・アンテールが受注したことでローンチすることになり、A310の受注と生産の中止が決定された。
同機は各型合わせて255機が生産された。
ライバルだった767は、胴体を延長した300型の登場で受注が飛躍的に伸び、現在まで生産が続いていて、その数は1,200機以上を誇る。
それに比べるとA310は生産期間は10年に満たず、生産数も1/4程度と数値的には「惨敗」と見える。
しかしながら胴体の大きいA300もファミリーなので、それを合わせると900機近くになるし、A330への移行を考えると、決して惨敗だったとは言えないと思う。
200席前後と言うのはやや不足であり、先進国大手では短期間の運用に終わることが大半だったが、その分程度の良い中古機が出回ることになった。
バリエーションとしては、貨客混載型の「C」型と純貨物型の「F」があるが、新造機で作られたのはごく少数。
特に「C」型は、オランダのマーチン・エアが1機だけ新造機を発注しただけである。
どちらも中古機で改造して機体が多数存在し、先のフェデックスが運用した約20機も、全て中古の旅客機から改造した機体である。
付け加えると、同社のA310Fは200型と300型ベースがあり、どちらも旧パンナムが導入。倒産後デルタ航空が引き継いで運用していた機材だ。
日本では2015年まで、パキスタン国際航空が唯一A310で乗り入れていたことでファンには有名である。
20年近く日本線を同機で運用しており、2000年代まではこれも唯一「喫煙席」が残されていたし、末期には2クラス制が廃止されてエコノミーだけのモノクラスで運航されていた。
これは新機材であるB777の導入で、A310は国内線や近距離国際線用に格下げしたからであるが、777の導入が大幅に遅れたため、国内線用のA310を間合いで運用していなものである。
初期のごく短期間だが、ロシアのS7航空やモンゴルのMIATモンゴル航空も、A310を日本線に投入していた時期がある。
インドのフラッグキャリア、エア・インディアも成田線はB747やB777、関空線にA310を投入していた時期がある。
フェデックスから引退したことで、現時点で現役にあるA310は20機前後まで落ち込み「絶滅決定種」と言っても良い状態だ。
確認できるのは、カナダのチャーターエアライン「エア・トランザット」、イランの「マハーン・エア」、アフガニスタンの「アリアナ航空」、トルコの貨物エアライン「USL航空」、トルコ航空が貨物機2機を保有していると思われる。
この他中東イエメンのフラッグキャリア「イエメニア」と、スーダンの「スーダン航空」が登録を抹消していないようだが、イエメンは内戦中でエアラインそのものの運航が一切されていないし、スーダン航空もスケジュールには記載されていない。
年末年始に何かときな臭い状態になっているイランのマハーン航空は、同社の主力機材で、10機が登録されていて、ロシアや東南アジア線、東欧諸国へ長距離機材A340-600の補完的役割で現役中である。
エア・トランザットは、後継機種にA321neoLRを選び、既に納入が開始されており、今年中に退役が予定されている。
アフガニスタンのフラッグキャリア、アリアナ航空の2機は「虎の子」的存在で、国際線の主要機材。
しかしアフガニスタンの航空安全基準が満たされていないとして、EUから飛行禁止令が出されており、ロシアや近隣諸国へだけ運航していて、実態は不明である。もちろん更新による退役は予定されていないが、それ以上に運航自体保持できるか極めて流動的なエアラインである。
A310は軍用型も存在していて、ドイツ空軍・フランス空軍・スペイン空軍・カナダ空軍が輸送機及びVIP機として数機から10機程度運用中。
このうちドイツ空軍とスペイン空軍の一部は、空中給油キットをレトロフィットさせて「MRTT」に改造されている。
いずれも後継機として「A330MRTT」が決定しているが、具体的な退役計画は予定がない。
なおカナダ空軍(国防軍)のA310は「CC-150ポラリス」と言う独自名称を持っていて、日本にも共同演習などの目的手定期的に飛来している。
現在のエアバス機と比べると、A310は古い事から極めて地味な存在である。
しかしながら当時としては非常に革新的な機体であると同時に、「長距離双発機」と言う現在の常識を確立した功労者なのである。
ハイテク双発機と言うと、機数の関係からどうしてもB767を上げられてしまうが、部分的にはA310の方がハイテク機であった。
今のレベルではナローボディ機と座席数が被ってしまうが、真円形の胴体は余裕があり、座席配置は2-4-2の8列が標準だが、3-3-3の9列も可能であり、それならば最大300席近くを設けることも可能である。
最初のA300から4発機のA340まで、胴体意匠が共通なのが特徴だが、A310は最も小型な機体だ。
その分どこか格好悪く感じるが、私はむしろきりっとしていて一番格好良い様に思う。
短い胴体に対し、アスペクト比の高い細長く長い主翼が、隠れた才能を思わせるからだ。
A300を単純に小さくしたように言われることも多いけれど、上記のように空力的にかなりリファインされており離着陸性能はA300より良かった。
名称はA300に続くモデルを意味し、この方式は最新のA350まで受け継がれているが、A300の発展型である「600」は、A310のハイテクシステムを移植したモデルで、開発はA310よりも後である。
フェデックスは現在この「A300-600RF」を20機程運用していて、1~2年後には退役が予定されている。
世界的には改造貨物機を含めて、製造年度が新しいA300の方が残存数は多い。
コンセプトや性能はほぼ同格のB767は、数こそ減らしているもののまだ多くが現役にあるのに対し、A310は軍用機を含めても数十機と言うのは甚だ残念な思いである。
実際には2000年代までは、世界各地で見られた機体であり、採用国数としてはB767よりも多いのだ。
中古機がかなり往来したと言う事もあるのだが、政治的要素を含めて途上国や新興エアラインには手ごろで高性能の機体であった。
更に長距離洋上飛行制限「ETOPS」が90年代以降緩和されたおかげで、A310の存在価値はより高まったのである。
だが後継機であるA330の成功を見ると、A310は「過渡的」な機体であったことは否めない。
時代背景を考えると仕方ないのだが、初飛行以来40年近く経つ事を考えると、現況もまた仕方ないと言えるかも知れない。
雨や雪は降っていないが、今夜遅くから低気圧が接近し、明日は雨か雪の予報が出ている。
ここ数日あまり寒く感じなかったのだが、今夜はやけに寒い。
寒気が入っているから、明日は雪になるかも。
ここ数日足腰の痛みが断続的に出て、少々辛い。
本格的な雪と寒さはこれからの可能性もあり、油断できない。
そういえば泉中央には、駅からすぐの神社でどんと祭が行われたはずだが、煙の匂いを感じなかった。
風向きもあるだろうけど、まさか中止になったのでは?
連休中だったら良かったのに、明けの初日で忘れがちだ。
お焚き上げとは縁がないけれど、ちょっと覗いて見ても良かったかな、と思う。
でも今の私には、そうした季節の風物詩を一緒に楽しんでくれる人がいない。
やはり家族でも誰でもいいから、季節感を共有したい。
今の私の季節は、ただただ通り過ぎるのみ・・だ。
元気ですか?
今日は良い一日でしたか?
体調はどうですか?
風邪など引いてませんか?
寒くはないですか?
連休は楽しめましたか?
君の事だから、仕事だったかも知れませんが。
どんと祭は行きましたか?
君は季節を感じるのが上手で、それが優しさに繋がっている人でした。
今もその雰囲気は、変わっていないだろうと思います。
冬は特に君を思い出す季節。
もう10年以上にもなると思うと、とても不思議で驚きです。
明日朝は雪が降っているかも知れませんので、外出の際には気をつけて下さい。
気温も低くなりそうですので、暖かくして過ごしてください。
明日もどうかお元気で。
君に笑顔がありますように。
お休みなさい。
ふる雪の 腰になづみて 参り来し しるしもあるか 年の初めに(万葉集巻十九 4230 大伴宿禰家持)
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