飛行機ネタ 適材適所は難しいDC-9(12月22日 晴れ時々曇り 12℃)

今日は「冬至」。にもかかわらず、それを全く意識させないようなポカポカ陽気。

ある意味全く相応しくない言葉なのだが、日差しに温かみを感じる。

とても年末とは思えない陽気だ。

午後から少し雲は出たものの、お出かけ日和だっただろう。

昼前に泉中央に行くと、買い物客でいっぱい。

クリスマス用品が目的と思われ、隣のセルバの食料品売り場にスイーツ店を中心に行列していた。

明日も街は多くの人で賑わうのだろう。

暖かいとは言え、それは条件つきだから油断は禁物。

冬には違いないし、インフルエンザがかなり流行しているとも。

その根本となる学校は今日から冬休みだから、いくらか勢いは衰えるだろうが、逆に不特定多数の人混みがあちこちで出来るので、大人も注意が必要だろう。

噂だが、今年はワクチンで「風邪をひく」人も多いと言う。

そもそもワクチンとは、免疫力をつけるために、発症しない程度の「ウイルス」を身体に植え付ける事。

インフルエンザそのものは発症しないが、体調不良だったりして体力が落ちていると、風邪のような症状が出る事もある。

ワクチン接種前には問診されるはずだが、知らず知らず体調不良と言う事はある。

特に今の時期は忙しくて寝不足や栄養不足、身体の水分不足気味に気づかず、体調不良になっている事も。

予防ワクチン接種で、体調不良になったら、それこそ本末転倒。

今日は冬至で、昔から「冬至かぼちゃ」を食べると、その冬は風邪を引かないと言われて来た。

もちろん医学的根拠には乏しいが、栄養価の高いかぼちゃを甘く煮たものだからだろう。

地方によって差があるようだが、基本的にはかぼちゃを小豆と一緒に煮込む。

最近では簡単に出来合いの「あんこ」をまぶして食べる事が多く、スーパーのお惣菜コーナーで売っているのも大半がこれ。

甘い物苦手の人には顔をしかめられそうだが、作り方にもよるし、かぼちゃの善し悪しが左右するが、下手なスイーツより美味。

あんこを甘さ控え目で、上質な物を使えば完璧な「和菓子」だと思う。

要は栄養価の高い、しかも自然甘味料の甘さで基礎体力をつけよう、と言う事だろうか。

これを書いている時点で「冬至」は過ぎてしまうが、一年で最も日の短い日は冬至の前後数日は続くので、この連休中にいかが?

冬至中でないと効力なし、と言う訳ではないので。

実際寒い冬は、無意識にカロリーを消費するので、身体は自然と甘い物を欲するのだ。

各種スイーツはもちろん、意外にもアイスクリームの需要が増えるのも冬。

夏は「涼」を求めて氷菓が売れるが、いわゆるアイスクリームは冬の方が売れるのだそうだ。

この連休中、ご先祖さまに感謝する気持ちも含めて、食後のデザートに「冬至かぼちゃ」はどうでしょう?



飛行機ネタ。

どんな場合にあっても、得て不得手や出来る出来ないが存在する。

それはポジティブ、ネガティブと決めつけるのは大きな間違いで、その場において適するかしないか、つまり「適材適所」と言う事。

職場や学校、社会においての人間と同じで、たまたま何かを苦手とする人を劣っていると批判する事は、言い訳無用のイジメ、差別、強要、敷いては罪である。

神様や仏様に100%完璧を求める事が間違いである事がわかっているように、人も物も必ず「適材適所」があるものだ。

旅客機もまた、そうした適材適所があり、いかに「高性能」だとしても、それを生かすチャンスがなかったら、意味のない「失敗作」になってしまう。

特に旅客機の世界は、世相すなわち歴史に翻弄されやすい「商品」である為、メーカーが自信を持って世に送り出しても、見向きもされなかった…と言う機体はたくさんある。

技術的に明らかな失敗作も多数あるが、ライバルに決して勝るとも劣らない性能を持ちながら、世相に背を向けられてしまった優秀な機体もまた、多い。

その典型と言える一つが、60年代末にアメリカの名門航空機メーカー「ダグラス」が開発したDC-9である。

今でこそ、旅客機は技術の向上でナローボディ機が主流となりつつあるが、60年代まではそれが「全て」であった。

長距離機であったボーイング707やだクラスDC-8さえも、4発エンジンでナローボディ機だった。

しかしジェット化以降、旅客機の進歩は急激で、より早く・より遠く、そしてより多くの乗客を運べることが大前提となり、ワイドボディ機の時代を迎える。

その常識を一気に覆したのが「ジャンボ」と呼ばれるボーイング747であり、60年代末から「エアバス構想」で出来たダグラスDC-10、ロッキード・トライスターなど次々とワイドボディ機が開発された。

同時にナローボディ機を無理やり長距離飛ばす必要がなくなり、今度は国内線を中心とした「近距離旅客機」の時代か来ることは明白でもあった。

ボーイングは60年代半ばに「727」を開発し、わずか数年で爆発的な人気を得ていた。

長距離機707と同じ胴体を用いながら、いわば「小型化」をコンセプトに開発したもので、エンジンを1基少ない「3発機」とし、にもかかわらず座席数は180席を確保していた。

これは10,000キロ近い航続力を持つ707が、機体重量の関係で最大230席程度だったことを考えると、727の輸送力は驚異的であった。

すなわち燃料を含む機体重量を小型化で軽減し、航続力は707の半分以下、4,000キロ前後にする事で座席数を増やし、代わりに国内線向けの「中距離機」としたためである。

727以前の国内線向けのジェット旅客機と言えば、アメリカでは1つもなく、座席数でいえばコンベア社の「CV880/990」が相当するが、これは4発の長距離機である。

つまり60年代前半まで、アメリカ製旅客機で「近距離用」ジェット機はなかったのだ。

むしろ移動距離の短いヨーロッパの方が進んでいて、それは技術的な問題もあったけれどフランスの「シュド・カラベル」など、航続距離は2,000キロ程度、座席数100席級の小型機が開発されていた。

しかし広大な北米大陸ではパフォーマンスが低く、大陸横断とは行かないまでも2/3ぐらいは横断できる727は大いに歓迎された。

ボーイングのライバルであるダグラス社は、707で先を越され、更に727の成功で悔しい思いは隠せなかった。

だが天は同社を憐れんでくれたのか、開発チームはある1点に注目する。

ヨーロッパ機のような、小型の近距離旅客機である。

小型にすれば機体価格は安くなり、中小エアラインでも簡単にジェット化ができる。

輸出も見込めると踏んだダグラス社は、新しい機体「DC-9」を開発した。

以外にも計画に真っ先に興味を示したのは、727を運航していた国内線専門だった大手の「デルタ航空」だった。

デルタ航空は727より小型で運航経費が安く、ローカル線をこまめに飛びまわれる機体を望んでいたのであった。

同社が「ローンチカスタマー」となって、DC-9の計画はスタートし、65年にデルタ航空でデビューを果たした。

後に本当のライバルとなる「ボーイング737」より約3年も早く、発表と同時に受注が殺到した。

当初のDC-9のコンセプトは本当に小型機で、最初の生産型である「10」は、最大で90席しかない。

技術的には、ちょうど低燃費・低騒音のターボファンエンジンが開発されたこともあって、運行コストは相当低くなった機体であった。

DC-9-10の全長は約31メートルで、現在のリージョナル機とほぼ同じ大きさである。

ダグラスは出来るだけ機体はシンプルにすることで機体価格を下げるとともに、中小エアラインでも維持できることを主眼においていた。

エンジンは双発で、P&W社の「JT-8D」ターボファン。

低バイパスエンジンであったが、それまでのターボジェットと比べて比較にならないほど低燃費で騒音も低かった。

エンジンは胴体後部に取り付けられ、水平尾翼は垂直尾翼の上部につける「T字尾翼」とした。

そのおかげで主翼構造はシンブルかつ堅牢な構造を持たせることができ、揚力効率も良い。

軽量小型なので、フラップや前縁スラットは単純なタイプで充分高い性能を持つ。

727は3発で若干大型だったため、特徴的で複雑なスロテッド・フラップを採用し、離着陸性能を向上させていたが、DC-9ではその必要はなく、その分機体価格に反映されていた。

同機は長距離機DC-8と同じ胴体構造を持つが、幅は狭くされ機内の座席は2-3の5列が標準である。

当初727のように幅もDC-8と同じにする予定だったが、専用の小型機として幅も縮小されたのだ。

当時アメリカではエアラインのディレギュレーション(規制緩和9の時代を迎え、多数のエアラインが誕生していた。

大手だけでなく、小型で安価なDC-9は新興エアラインにも人気を呼んだ。

リアジェット方式では、当然のことながら機内ではエンジンから遠い先頭は騒音が低いが、後部座席でもエンジンの「前」に位置することになり、主翼にエンジンを持つより機内は全体的に静香にできる利点を持つ。

またダグラス社は、将来エアラインから大型化を要望されることも予想しており、胴体を伸ばす「ストレッチ」もリアジェット機はゆうりであった。

極論だが、ストレッチは文字通り「胴体を伸ばす」だけでよく、後の737やA320のように重心を鑑みつつ、主翼部の前後を伸ばす必要がない。

伸ばした胴体の釣り合う重心に主翼を持ってくれば良いのであって、事実DC-9は直ぐに胴体延長モデル「30」が生産される。

間には「15」「20」と言うモデルが存在するが、前者は高温・高地での運用を考えてエンジンをパワーアップしたタイプ、後者は航続距離を若干伸ばしたタイプである。

いずれも「10」として生産された機体を改修したもので、エンジンを「15」規格に換装した機体もある。

「30」型がヒットモデルで、全長は10~20を一気に5メートル延長し、120席級にした。

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       ↑ノースウェスト航空のDC-9-41(ウィキペディア英語版より)

「30」は軍用機としても採用され、アメリカ空軍・海軍が輸送機「C-9」として運用し、一部は医療設備を持つ「病院機」として改造された。

庫Fれらを含め「30」は585機が生産され、ヨーロッパでも採用するエアラインが多かった。

特にレシプロ時代からダグラス機を好むKLMオランダ航空や、北欧のSASが大量に発注。

路線イコール国際線のKLMは、最適なキャパシティの機材として、それまで国産のプロペラ機「フレンドシップ」まで駆逐してしまった程であった。

DC-9は1時間に満たない路線でも、燃費が良くエアラインに「利益」をもたらす最初の小型ジェット機でもあった。

それまでのターボジェットエンジンや、3発機ではプロペラ機より遥かに燃料を消費し、短距離路線には向かないとされていたのが、同機はそれこそ常識を覆す画期的な機体であったのである。


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     ↑(2枚)SASの20型とKLMの30型。胴体の長さに注意(ウィキペディア英語版より)

68年にはDC-9の好成績を気にいったSASが、もう一回り大きな期待を要求し、30型を更に2メートル延長し、全長36メートルの「40」型が生産された。

この型からエンジンは「JT-8D」だけではあるが、エアラインの運用に合わせた出力の増強・減格型が選べるようになった。

10型が就航後僅か2年のうちに、胴体のバリエーションは3種類、サブタイプを含めると5種類まで増えていたことになる。

これを見たボーイングは、ようやく腰を上げて傑作機となる「737」を開発するが、DC-9より3年遅れでのスタートであり、長距離機では707に後塵を拝したダグラスは、ようやくボーイングに対して商業上優位に立てた・・と思われた。

しかし社内の事情はDC-9の成功とは裏腹に、危機的な状況を迎えてでのDC-9だった。

DC-8は数字としては売れた機体だったが、707ほどではなく、完全な「赤字」であった。

既にDC-9と同じく、胴体を延長し続け、エンジンの換装などで長距離能力を持つに至っていたが、開発経費は全く償却出来ていない状態にあった。

起死回生の意味を込めてのDC-9だったが、成功は同社の首を余計締めると言う皮肉な事態を引き起こしていた。

何が何でもボーイング・・という意識が強すぎて、正直DC-9は「たたき売り」に近い、出血大サービス的な機体であった。

DC-8の開発経費が全く消化できていないうちに、さらに莫大な開発費用をつぎ込んでおり、2機種の開発費用を取り戻すには少なくとも2,500機以上売れないと元が取れない機体であった。

せめてDC-8が黒字とは行かないまでも、プラスマイナス0であったなら、DC-9はダグラスに利益をもたらすはずであった。

そうでなくとも機体価格を安く設定することで受注を集めた訳で、これが銀行の融資を渋らせることになる。

同時に不況で、部品や資材の価格は値上がりしつつあり、1機その物が生産した時点で赤字になりつつあり、ダグラス社は63年ごろから買収先を探していたのである。

また50年代に開発した軍用機も、性能的に失敗作が続いていたのだ。

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     ↑始めて営業運航を開始した65年12月8日当時のデルタ航空のDC-9-10(ウィキペディア英語版より)


ダグラスは高い技術を持つ「マクドネル社」に買収の入札参加を要請し、68年マクドネル社が買収・吸収することで事実上両社の統合となり、社名も「マクドネル・ダグラス」に変更された。

この時ダグラスを買収しようとする会社や投資家はほとんどおらず、倒産の確率が高いと予想されていたほど累積債務が増えていたのである。

DC-9が売れれば売れるほど「豊漁貧乏」に陥り、銀行はますます融資を渋っていた。

マクドネル社は、当時としてはまだ規模の小さいメーカーだったが、高い技術力を持っていて、軍にも評価が高かった。

買収後、「ダグラス」部門は全て権利を失うと見られていたが、同じ航空機メーカーであると同時に、ダグラスの伝統と信用を重んじたマクドネルは敢えて「マクドネル・ダグラス」として、名前を残したのである。

この間にもDC-9は売れていたが、こうした内輪のゴタゴタにもたついている間に「737」が完成し、猛追が始まってしまった。

737は707と同じ胴体構造を使うことで開発コストを下げており、機内は3-3の6列と言う長距離機と共通の幅を持っていた。

これがDC-9の決定的に違うことで、同カテゴリーの機体ながら、座席数が多いというメリットを持っていた。

最初の生産型の200型は、いきなり120席級から始まっており、手間暇をかけて「成長」していたDC-9とは生まれつきの体格が違っていたのである。

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     ↑アナログ計器だけのDC-9のコクピット(ウィキペディア英語版より


75年には更に胴体を延長し約40メートルにした「50」型も生産されたが、売り上げは落ち始めていた。

30型の標準座席数は115席、40型では128席、50型では135席。

胴体延長の割に、座席数の増加がかなりマクロに見える。

横5列だから、2列分が増加しただけだ。

これが737に追い抜かれる原因の一つで、DC-9はリアジェット機であり、国際基準に定められた緊急脱出口の規定数に限界があったのだ。

DC-9には通常乗客が乗り降りする前部のドアの他、中央部に2か所の非常口、そして斎後部には727の様な収納式のステアが装備されており、反対側を含めて7か所のドアがある。

旅客機では緊急時、乗員乗客全員が90秒以内に機体から脱出できるだけのドア数が決められており、エンジンが横たわる後部側面にドアをつけられない同機は、どうしても座席数が限定されてしまうのである。

一方737はエンジンを主翼に吊り下げているので、後部に乗降用のドアが設置されている。

本来全長40メートルもあれば、そして737の様に6列座席であれば150席以上が可能である。

結果DC-9シリーズは、息切れし始め、マクドネル・ダグラスは「フルモデルチェンジ」を計画する。

同時に名称も「ダグラス・コマーシャル」のDCから、「マクドネル・ダグラス」の「MD」に変更。

80年代を迎えたことから「MD-80」シリーズとして、外観は継承しつつ、さらに胴体を延長して後部ドアをつけられるように変更。

エンジンも同じ「JT-8D」ながら、より高性能の改良型に換装し、操縦システムも時代に合わせた新型に変更された。

しかし見ため変わらないまでも、中身は「別物」の機体。

「MD-80」シリーズは、ようやく起死回生を図るかのようにDC-9以上の売り上げを見せたが、それは「マクドネル・ダグラス」の功績である。

DC-9は10~50型、軍用型を含めて976機生産されたが、MD-80シリーズは1,500機近くを販売した。

日本では旧東亜国内航空が、初めてのジェット機として「40」型を76年に導入し、地方空港のジェット化に大きく貢献した。

当初機体の納入が遅れたために、本当の意味で最初のジェット機はアメリカからリースした30型と50型であった。

しかし同社の40型は大きな故障などの問題もなく、80年代末社名を「日本エアシステム」に変更、後継機種のMD-81が導入された後も使われ続けた。

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       ↑日本エアシステムのDC-9-41(ウィキペディア英語版より)

アメリカは70年代に新興エアラインがこぞってDC-9を採用し、大富豪ハワード・ヒューズが経営する「ヒューズ・エアウェスト航空」では全体を鮮やかな黄色に塗装したことで大きな話題を呼んだ。

70年代のアメリカは「ブラニフ」の様に、旅客機自体を広告媒体として宣伝する事が流行しており、派手な塗装が流行していた。

同社のDC-9は「フライング・バナナ」と呼ばれて、親しまれた。

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     ↑「フライング・バナナ」と呼ばれた、ヒューズ・エアウェスト航空のDC-9-30(ウィキペディア英語版より)

大手ではデルタ航空のほか、ノースウェスト航空、USエアウェイズなどが多数運用し、特にノースウェスト航空はDC-9の生産が終了した後、倒産したり合併吸収した新興エアラインの同機をかき集め、30~50型を実に2000年代まで運用し続けた。

それだけこのシリーズが好きだったにもかかわらず、MD-80シリーズは一度も使ったことがない。

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     ↑ノースウェスト航空のDC-9-30(ウィキペディア英語版より)

その後ノースウェスト航空はデルタ航空と合併したが、同社はDC9からMD-90/B717まで、ほぼ全シリーズを運用した唯一のエアラインで、ノースウェスト航空機も塗装を変更して運用した。

最期のDC-9は50型で、元ノースウェスト機。なんと退役したのは08年のことである。

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     ↑現行塗装のデルタ航空のDC-9-50。元ノースウェスト航空機(ウィキペディア英語版より)


ヨーロッパではKLM、SASの他フィンランド航空がMD-80シリーズまで運用したが、面白い所では80年代まで社会主義国の旧ユーゴスラビアのフラッグキャリア「JAT」が長らくDC-9-30を運用したことだ。

社会主義国ながら、ソ連とは一定の距離を置き、ワルシャワ条約機構にも加盟していなかった同国は、比較的西側諸国へ門戸を開いていた。

DC-9は旧西ドイツやフランス、イギリス、イタリア方面の国際線に投入され、当時としては唯一西側の機体や技術を使う社会主義国であった。

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     ↑(2枚)フィンランド航空の50型とJATユーゴスラビア航空の30型(ウィキペディア英語版より)


南米では機体価格の安さで、737が登場後もDC-9の方が人気があり、21世紀になっても中古の同機を集めて使うエアラインが多い。

中古機としては、貨物型に改造して運用したアメリカの「エアボーン・エクスプレス」やドイツの「DHL」が2000年代まで同機を運用していたが、727などの改造機と違い、貨物用のカ―ゴドアは増設されていない。

つまり搭載する貨物は乗降用のドアから搬出入するだけで、当然大きな物の出し入れは出来ない。

両社とも「宅配便」の会社なので、わり切って運用したようだが、効率は悪く、現在では退役している。

ファンに有名なのは前者で、旧日本エアシステムで運用していたDC-9-40を全て買い取って貨物機として運用した。

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     ↑元日本エアシステムの40型を改造したエアボーン・エクスプレス機(ウィキペディア英語版より)


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     ↑現在も現役にあると思われるUSAジェットの33F型(ウィキペディア英語版より)


現在「DC-9」は30機程度が現役にあると思われるが、最も新しい機体でも82年製造なので、既に36年が経過している。

アメリカでは「USAジェット」と言う、小口貨物エアラインが6機のDC-9-30Fを使っていることが確認されているが、他社からの受託荷物を運送しているようである。

名門ダグラスの経営不振、ライバルへの意識過剰がDC-9にとっては不運であった。

旅客機としては非常に優れた機体に違いなかったが、DC-8の手法だけを継承し、短距離機なのだから小さくて良い・・と言う、リサーチ不足が足かせであった。

後発の737が有利な位置にあったとも言えるが、最初から幅を広く取って、さまざまな分野での発展性を残していた。

一方DC-9は胴体の延長と、システムなど中身が変化しただけで細い胴体が致命傷の一つになってしまった。

経営の躓きがなければ、ナローボディ機の「標準」になったかもしれない。

その証拠に現在売り上げを伸ばしているボンバルディア社の「C」シリーズ・エアバスA220は、DC-9と同じ2-3の5列配置の座席を持つ。

それでいて全長はDC-9-50より長く、座席数も多い。

DC-9は時を越えて「リージョナル機」とお手本になった訳で、当時誰が予想できたであろうか。

こうして機数はまあまあ売れたと言えるが、最後まで「適材適所」には叶わず、リージョナル機が後継機になるという皮肉な週末を迎えたのである。

ある意味、DC-9は「運が悪かった」機体だったと言えよう。






年末年始の臨時職、始まりました。

2週間ほどだけだけど、そこそこの収入にはなるし。

1年ぶりなので、帰り駅まで道に迷ってしまい、暗い事もあって地下鉄を1本逃がしてしまった。

地下鉄は予想通り混んでいて、年末年始は毎日遅くまで混雑する。

腰が痛くて・・・仕事中は気にならないのに、終わった途端に痛むのは何故だろう。

時間が推してしまったが、いつものカフェでコーヒーを飲んだら、こちらも混んでいた。

明日も遅くまで賑わいそうだ。

地下鉄からはその後もたくさんの人が降りて来て、大きな旅行カバンを持つ人も。

まだ1週間あるけれど、クリスマスより年末を強く感じる。







元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

今日は暖かく感じる1日で、君も思わず日差しを仰いだ事でしょう。

年末にはまた寒くなりそうですが、穏やかな連休の始まりです。

クリスマスは何か予定がありますか?

私は明日休みですが、クリスマスは夜まで仕事になってしまいました。

最も一人きりなので関係ないのですが。

君には楽しいクリスマスを過ごして欲しいと思います。

風邪が流行っていますので、体調管理には気をつけて下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。





生者(いけるもの) つひにも死ぬる ものにあらば 今ある間は 楽しくをあらな(万葉集巻三 349 大伴宿禰旅人卿)


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