日産自動車の危機(11月20日 晴れ時々曇り 13℃)

朝は眩しいほどの日差しだったのに、昼頃にわかに曇り出して小雨がパラついた。

気圧の谷が通過したからだが、夕方は雲は多めながら夕焼けが見えると言う変わり身の空だった。

今朝は放射冷却で冷え込んで、仙台の最低気温は5℃。

内陸部では0℃近くまで下がった所もあったようだ。

上空には北から冬の寒気が流れ込んでいて、今週いっぱい居座ると言う。

今朝早く、北海道札幌市では「初雪」が観測された。

史上稀に見る遅さで、観測史上1890年(明治23年)以来128年振りの「タイ」記録。

平年より1か月近く遅く、しかも今朝の初雪は実際には「霰と霙」だったと言う。

加えて霙が初雪として観測されたのは、朝4時頃の僅かな時間。

その後は再び雨に戻ったと言う。

先週稚内市、旭川市、網走市などが初雪を観測したが、今朝はこの他帯広市や釧路市でも観測史上最も遅い初雪を観測した。

しかし道内では比較的温暖な室蘭市や伊達市、函館市はまだ。

雪がないのはありがたいが…と言う戸惑いが伝わって来そうだ。

問題はこの冬がこのまま暖冬傾向なのか、「しわ寄せ」的に後からまとまって来るのか、と言う事。

気象庁の長期予報では「平年並みの冬」を予測しているが、その通りだと「後からまとまって」の可能性が高くなって来そうだ。

今朝は気温以上に寒く感じ、我が家の窓はびっしょりと結露しており、5℃以下だったと思う。

まだ秋ではあるが、毎日少しずつ冬の気配も顔を出し始めている。

昨日夜から今日のメディアは、日産自動車の会長カルロス・ゴーン氏の逮捕劇で持ちきり。

莫大な年収を過小申告し、会社の資金を私的に流用した事を内部告白で暴露されたと言う。

日産自動車が公表した内容によると、ゴーン氏はこの5年間で約100億円近い役員報酬を受け取っていたが、半分だけを申告していたと言う。

更に側近中の側近、日産自動車の代表取締役のグレゴリー・ケリー氏も不正に関わったとして逮捕され、日産自動車の最高権力者2名が逮捕された事になる。

ゴーン氏は約20年前、破綻も現実的だった日産自動車の、起死回生の切り札として社長に就任。

客観的な経営手腕で、日産自動車を立ち直させた功績を持つ。

ゴーン氏はフランス人と言う事もあり、フランス最大の自動車メーカー「ルノー」と日産自動車を提携し、近年不正疑惑で業績不振に陥った三菱自動車も日産自動車グループ傘下に引き入れ、それぞれの重役も務めている。

現在売り上げでは、ついにトヨタ自動車を抜いて、世界2位の自動車メーカーまで登りつめている。

「ルノー」は元々国営企業で、現在の筆頭株主はフランス政府。

マクロン大統領はルノーの再国営化を模索していると言われているが、ゴーン氏がそれを防いでいたとも言う。

もしルノーが国営化されると、日産自動車グループが崩壊する訳だから、防いで当然とも言える。

フランス政府相手にも物怖じしない姿勢は、まさに彼のカリスマ性の賜物と言えるだろうが、何時しか反感を持たれていたのも確かなようだ。

昨日は日産自動車の社長自ら会見を開き、ゴーン氏の不正疑惑は数年前から噂として広がっていて、数カ月前から慎重な内部調査を行っていたと露呈した。

ゴーン氏が有罪に当たる不正を行っていたかどうか、今の時点ではわからない。

だが私には伝統ある日本企業、日産自動車として外国人に牛耳られる事に、そろそろ見切りをつけたかった…のではないか、即ち一種の「クーデター」ではないか、と言うイメージを持った。

年間10億円と言う報酬が高額過ぎ、と言う批判がクローズアップされているが、世界の大手自動車メーカーでは意外にも普通の事であるそうだ。

会見で社長は「見過ごす事のできない、許し難い行為」と批判していたが、ゴーン氏とケリー氏の二大巨塔体制に、「下っ端」の日本人責任者グループは面白くなかったのだろう。

確かに不正を行っていたのかも知れないが、それを止められない会社の体制と責任もまた、避けられないだろうし、被害者面をすれば社会的信用は失墜する。

今回の騒ぎはどう見ても、ゴーン氏とケリー氏の「追い出し」に見えてならない。

逆にいくら実力と功績を築き上げても、足元を見なかったゴーン氏の「奢り」「自惚れ」もあったに違いない。

何故こうも、権力者は同じ末路を辿る人が多いのか。

功績を立てた途端、何時しか下から反感を買い、最後には命を奪われた権力者は数千年前から枚挙に暇がない。

むしろ「定番」にさえ思えるほどだ。

「リーダー」とは、功績の報酬として、やりたい放題の権力が貰えると、無意識に欲に押されて勘違いするのだ。

私の師は「リーダーがその立場に安穏を覚えたら終わり。リーダーとは下の者の人生や財産、命まで預かる責任がリーダーの役目。偉くなど一つもないのだ。」と仰った。

確かにリーダーとは、集団の牽引役であり、責任がある。ところが太古からその責任を、簡単に権力と入れ替える事で、「自分は偉く凄い才能で、リーダーになって当然」と勘違いしやすい。

師は言う。

「実力でリーダーにはなれない。リーダーとは信頼を得て、ならせて戴くものだ。」

最近日本では責任者の「謝罪」が善くも悪くも世間を騒がし、滑稽と見る向きもあるが、外国を含めそれは大きな間違いだ。

ゴーン氏が日産自動車の社長に就任した時、当時の経営陣の無責任さ、やる気のなさに呆れて叱咤したと言うのは有名なエピソード。

当時の日産自動車はトヨタやホンダにどんどん置いていかれ、販売する車に日産自動車らしさは全くなく、なんとなく流行を装飾しただけのハリボテばかり。

同じカテゴリーの車種を、やたら種類を増やす事ばかりしていて、何故こういう売り方をするのか、ゴーン氏が尋ねたところ、呆れるようなしょうもない言い訳だけが返って来たと言う。

素晴らしい歴史と技術を持っていながら、責任感のない経営陣のせいでムダばかり…と悟ったゴーン氏は、反発を恐れず大改革を実行した。

この時のゴーン氏は、権力や金に溺れることなく、実業家としてだけの責任感に燃えていたと思う。

そして見事にトヨタをも抜く、世界に冠たる自動車メーカーに返り咲いたのだ。

私が思うに、経営が安定した時点で、彼は身を引くべきであった。
名誉職に専念し、支える立場に回れば、カリスマ実業家としての立場は続いただろうし、人生自体は好き放題出来ただろうし、何よりリーダーとしての使命感が途切れる事もなかったと思う。

欲に任せて、ぬるま湯的に欲望と権力に身を委ねてしまったのではないか。

それが日産自動車を含む多数の社員に、「結局は独裁者」と言う不信感、反発を招き、それに気づくことさえないと言う愚行を招いたのではないか。

政治家・経営者だけでなく、社会に於いて「リーダー」は必須。

家族だって「お父さん」もしくは「お母さん」も、立派なリーダーだ。

家族単位で考えれば、リーダーの大変さはわかりやすいだろう。

家族を守ると言う使命は、時には厳しい事を言うことにもなるが、子供の将来の為に親が厳しく教育するのは当たり前だ。

同時に例え何があっても「子供、家族を守る」と言う重責を持つ。

社長のみならず、国の指導者(国王、大統領、首相)であっても、会社の社長、学校の校長や理事長も、根本的な責任と使命は全く同格なのに、いい歳こいたおっさん・おばはんに限ってそれを「権力」と思い込み、時にはそれを「公私混同」できる権利と履き違える輩が、太古から後を絶たない。

結果として「へつらう」連中に「利用」されてしまう場合もあるが、近年問題となるパワハラ・DVもその典型だ。

最近はスポーツ界の権力横暴が大きな問題となっているが、職場でのパワハラも後を絶たない。

だが人間の「魂」は必ず「平等」であって、それをやってしまった物は「報い」を受ける。

それを仏教用語では「罰が当たる」と言うが、別に仏様や神様が罰を下しているのではない。

魂の平等差が、自然とそうさせるのである。

ゴーン氏も、もしかしたら「利用」されていたのかもしれないが、以前離婚した妻には脅迫していたと言う噂も出始めている。

私はまさかと思いたいが、ゴーン氏と側近のケリー氏はヨーロッパ系白人特有の「差別主義者」だったのでは?と言う気がしないでもない。

日本人の勤勉さや忠誠心を利用して、公的財産を私的に考えていたのでは?と勘繰ってしまう。

経営改革、という点では凄腕だった彼も、リストラで恨まれ憎まれると言う事をわかっていつつ、涙を飲んで実行したと信じたいが、全ては「カネ」「地位と名誉」のためだとしたら、語るに落ちたと言わざるを得ない。

返す返すも、その程度の「薄っぺらい人間」だったと言う事なのだろうか。

やはりリーダーとは、複雑で難しい立場なのである。

私は18歳で自動車免許を取得し、最初に「自分の車」を手にしたのは他ならない日産車だった。

もう30年以上も前の事なのかと、改めて実感するが、今も「愛車」のことは鮮明に覚えている。

誰でもそうだと思うが、初めてハンドルを握って走った時は緊張と共に「大人」の仲間入りを実感したものだ。

その気持ちを提供し、共有してくれた「1号車」こそ、何よりも思い入れがあると言うもの。

初めて乗ったのは78年式(昭和53年)の4ドアセダン「セドリック」。

40代以降の人であれば、免許取り立ててずいぶん贅沢なと思われるだろうが、親せきが乗っていたポンコツである。

この時で既に「10年落ち」の古い車で、車体のあちこちは錆びていて、ところどころ穴があいていた。

「セドリック」は当時日産の大型高級乗用車のカテゴリーだったが、グレードが幅広く、街では良く見かけたせだんである。

愛車はディーゼルエンジン車で、ミッションは5速マニュアル。

軽自動車でさえATが主流の今と違い、当時は大型車でもマニュアルは普通だった。

オーディオはラジオの他「ステレオ」はついていたが、もちろん「カセットデッキ」で、しかももらった時すでに壊れていた。

画像
         ↑330型日産セドリック・せだん(ウィキペディアより)


上は愛車と同型・同年式車と思われるが、愛車は「ゴールド」。と言っても、今の様な美しい「マイカ」ではなく、「ライトブラウンメタリック」に近く、「ウ○コ」色にも見えたが(笑)。

この車は2年ほど乗っただろうか、エンジンはさすがディーゼルだけあって快調だったが、ボディの陳腐化が酷く、雨漏りまでしていたので、やむなく廃車した。

次に乗ったのはやはり日産車で、81年(昭和56年)型の910型「ブルーバード」。

中型セダンの代表格見たいな車で、79年からモデルチェンジした「910型」は、世代を越えて大ブレイクした型である。

特に「SSS」(スリーエス)と呼ばれたグレードは、スポーツモデルで人気があった。

最も私が乗ったのは人気のない普及モデルで、中古車屋で10万円で見つけた車。

これも既に10年落ちに近い車だったが、「SSS」は中古車でも人気が高く高価だった。

だがさすが激安車で、とにかく故障が多く悩まされた。

910型の初期型は「L18」型と言う古い1,800CC4気筒エンジンで、1シリンダーに点火プラグが2本と言う日産独特のハイパワーエンジンであった。

しかし当時の車にコンピューター制御は一切なく、1/1000秒以下と言われるプラグのタイミングは、全て機械式である。

それが2本あるのだから、タイミングがずれやすいエンジンとして有名だった。

いわゆる「当たり外れ」が大きく、全く問題なく快調なエンジンもあれば、新車の時点から故障するエンジンも多かった。

残念ながら私の「ブルーバード」は外れの車で、しょっちゅう整備工場行き。

クセみたいなもので、最後まで調子の悪い車であった。

点火タイミングが悪いので、「ミスファイア」が起こり、排気管に燃焼できなかった「生ガス」が流れ、後部のマフラーの熱で小さな発火を起こす「バックファイア」ばかりだった。

走っていると、ミスファイアでガクンガクンとなり、マフラーで「パン!」と破裂音。

懐かしいなあ・・と思う人は、恐らく50代以上(笑)。昔の車は不調もまた、つきものだった。

画像
     ↑真っ赤なボディが日産の人気。910型ブルーバードSSS(ウィキペディアより)


後期型では古く不評だった「L18」型エンジンから、シングルプラグタイプの「CA18」型に換装され、故障は少なくなった。

また910型はLPGエンジンの「タクシー」仕様が生産され、90年代初頭まで生産されており、古き良きセダンであった。

3代目も日産車で、これも知り合いから安く譲ってもらった81年式スカイライン2,000GT-EXターボ。

CMではアメリカの大スター「ポール・ニューマン」が起用され、「ニューマンスカイライン」と呼ばれたモデル。

2,000CCながら、直列6気筒ターボ付きエンジンで、もちろん私には初めての「高性能マシン」。

一定の回転数を越えると「ヒューン」と言う、ターボ独特のジェットエンジンみたいな音が聞こえ、ドンと背を押された様に加速する。

スポーツカー用の太めのタイヤ、4輪ディスクブレーキ、固めながらしっかりとしたサス・・・。

しかしミッションは3速ATで、当然燃費は最悪。

リッター当たり5~6キロしか走らなかった。

2,000CCで直列6気筒エンジンと言うのも、懐かしむ人は多いと思う。

免許取得後3台続けて日産車だったので、しっかりとファンだった訳だが、故障が多かったのも事実で、4台目からはトヨタ車に変更した。

今度は「ローン地獄」が待っていたが、中古車とは言え年式は新しく、走行距離も少ない車で、何より故障は「0」であった。

「マークⅡ」だったが、ローンは3年で完済。その後も乗り続けて都合8年も乗った。

総走行距離は約30万キロで、さすがに晩年は故障が増えて手放したが、日産車と違って安心できる車には違いなく、以降現在に至るまでトヨタ車である(今は車自体保有していませんが)。

90年代の日産は、売り上げが低迷し始めていた時代で、良い意味での「個性」はすっかり失われていた。

同じ車体を車名を変え、僅かにデザインを変えただけでやたら種類が多く、ユーザーには車名さえわからない様な車が増えていた。

「これとこれ、どこが違うのか?」と、就任当時のゴーン氏は聞いたと言うが、意味のない増殖ばかりで、売り上げは伸びていなかったのである。

当時日産自動車では4ドアセダンだけで「サニー」「パルサー」「ブルーバード」「プリメーラ」「ローレル〕「スカイライン」「セドリック」「グロリア」などがあったが、なぜ同じ排気量で何種類もあるのかと聞いたゴーン氏に、経営陣は「サラリーマンの昇進に合わせたラインナップ」と答えて、ゴーン氏は天を仰いだという。

つまり車を買い運転するのは「男」だけであって、日本人男子は全員「サラリーマン」、新卒サラリーマンは一番小型で安い「サニー」から始まり、係長・課長・部長と昇進に合わせて車を高級な車種に変えていく・・・。

これはその30年前に宣伝コピーとしていたトヨタの「いつかはクラウン」のまるパクリであり、一体いつの時代の話で、マーケティングリサーチなど全く興味のない経営陣に、ゴーン氏は「駄目だ、こりゃ」と思ったと言う。

これは「都市伝説」に近い逸話なのだが、なるほどと頷いてしまうほど、当時の日産は方向性を見失っていたのである。

技術を持ちながら、それを生かそうとする経営努力が皆無で、倒産寸前まで追い込まれていたのは当然だったと言われる。

それを強硬策で打開したのがゴーン氏はだったのだか、今になって方向性を見失ったのは彼自身になってしまったのは皮肉である。

追い出す日産も、今後が本番であろう。

今度は三菱自動車、ルノーと言う他企業への「責任」も背負う。

既に日産だけでなく、三菱自動車・ルノーとも大幅な株式下落が続いており、特にルノーの筆頭株主のフランス政府は政治問題にもなりかねないだけに、一気に国有化と日産・三菱の買収に動きかねない。

そうなれば両社とも「日本の自動車メーカー」リストから、永遠に消えてしまうこともあながち否定できず、なお一層の努力と立て直しが課題になるだろう。

年末を控えて、経済波乱が起きそうな気配になってきた。




今夜はあまり寒く感じない様な気がしたのだが、時間が立つにつれ寒くなってきた。

0時で5℃だから、早朝にはこの秋1番の冷え込みになる可能性あり。

本格的な「晩秋」を迎えたようで、暖房を使い始めた家庭も増えて来ただろうか。

汚い話で恐縮だが、気温が下がると寒冷・乾燥アレルギーで身体中が痒くなって眠れなくなるし、尿意は早く、便意は堅くなる一方で(笑)。

毎日往復3キロほどを歩いて、できるだけバスを使わないようにしているのだが、定期的に身体を動かしていても寒さに反応してしまう。

先日の風邪気味は回復したように感じるが、油断できない。

くしゃみと鼻水もアレルギーだと思っているので、体調不良と思わないが、寒さは年を追うごと厳しくなる。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

寒さは大丈夫ですか?

秋は深まり、冬の色が日ごと濃くなってきました。

冬が近づくと、嫌が応にも君の事を思い出します。

冬は君と過ごした時間が多かったから、と思います。

勝手ながら、君は「冬」のイメージが今も強く残っています。

一気に冷え込んでいますので、家でも外でも暖かくして過ごして下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。




思ひ遣る すべのたどきも 吾は無し あはずて敷多く(まねく) 月の経ねれば(万葉集巻十二 2892 正に心緒を述ぶ)



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