飛行機ネタ 意外と先進的だったB737「オリジナル」(5月4日 晴れ 26℃)

※2日分の日記を掲載します。

◎5月1日 雨 14℃

今日から5月、GW3日目。

この連休、まだ始まったばかりではあるが、晴天率は33%。

初日となった一昨日は雨と低温で、県内では季節外れの雪。

まるで私の予感が的中したかのごとく(以前の日記で書いています)、仙台市内でも夜になって雪が観測された。

それでも観測史上「5番目」に遅い記録だそうで、珍しい事ではあるけれどあり得ない事でもないと言う事だ。

仙台市内は雪と言うよりも「みぞれ」だったが、山沿いでは完全な雪となり、山形県との県境である関山峠(国道48号)付近では10センチ近い積雪になった他、沿岸部の石巻市でも5センチの積雪を観測した。

そして4月末日となる昨日は一転して「快晴」に、絶好の行楽日和だった。

ところが今日は再び雨の一日で、当然気温も上がらず湿気寒さを感じずにはいられない。

連休後半は晴れて、気温も20℃以上になると言うが、これでは身体が悲鳴を上げて来そうだ。

せっかくの大型連休、くれぐれも体調管理にはご注意。

それにしても29日と言い、今日と言いとても「5月」を迎える瞬間とは思えない。

カレンダー上とは言え、5月と言うからには季節は春を過ぎ「初夏」である。

服装もより軽やかになり、1年で最も爽やかで過ごしやすい時期が5月だと言われる。

実際そうなのだけれど、今日に限って言えば初夏とはとても思えないし、気温も桜が咲くか咲かないかぐらいの時期の気温だ。

知り合いによれば、この連休は小学校で「運動会」が催される所が多いと言う。

昨年・一昨年はコロナ禍で自粛した学校が多かったようだが、今年はいわば感染対策を施しての開催だと言う。

確かに私の時代も「運動会」は今頃で、秋は「体育祭」とか「体育記録会」と言うイベントがあったと思う。

中学校では「運動会」はなかったが、代わりに「体育祭」が今頃にあった記憶がある。

通っていた中学校は市内随一の「マンモス校」で、生徒数は2,000人近くもあり、かつ校庭が狭く全校生徒が集まっての体育祭は出来なかった。

なので日取りを変えて「学年ごと」だった。

それでも1学年10クラス以上あったので、いろんな競技を行う事が出来ず体育祭とはイコール「球技大会」であった。

しかもやはり学校では出来なくて、市営の運動場を借り切っての開催。

更に「球技大会」と言っても、いろんな球技がある訳でもなく、男女全員全てバレーボールだけだった。

最近の運動会や体育祭の事情は知らないが、子供達にとっては大人になっても意外と忘れない楽しいイベント。

出来る事なら「オトナの事情」で中止や自粛は、もう二度とないように祈りたい。


◎5月4日

長い連休の中間地点。

天気も安定して、絶好の行楽日和とは今日の事を言うのだろう。

気温も一気に上昇して「夏日」を記録したが、空気が乾燥していたのでさほど暑さは感じなかっただろうか。

私もせっかくの大型連休、家から一歩も出ずテレビやネット動画を見たりゴロゴロと実に楽しく健康的な休暇を(笑)。

家にこもっていたから、暑さは全く感じなかった。

明後日辺りまでは良い天気が続くようだが、日差しが強いのと気温が高めで乾燥しているから、行楽に出かける人は要対策。

女性ならUVケア、もちろん水分補給も心がけて。

2日、コロナワクチン「3回目」の接種を受けて来た。

「副反応」を考えて、昨日・今日はどこへも行かず家でゴロゴロしていようと決めていた事もある。

1・2回目と同じく、駅東口ヨドバシビルの「大規模接種」会場で受けて来たのだが、思いのほか空いていた。

予約の段階でかなり空きがあることは分かっていたが、約・本人確認などのチェックは行列になっておらず、むしろトントン拍子過ぎてこっちがアタフタしてしまうほど。

接種後の経過観察時間を含めて、30分で会場を出て来てしまった。

夜19時過ぎで、混雑はしないものの入れ替わり立ち替わり人が来るぐらいのペースだ。

大規模会場はモデルナ製だが、3~8日までは12歳以上の子供も対象とするためファイザー製が使われるとのこと。

交互接種も可能とされているが、1・2回目がモデルナ製だったから同じ方が良いかなと思って済ませた次第。

気になる「副反応」は、当日夜注射痕周辺がやや筋肉痛で硬くなったが、発熱や寒気、倦怠感はいっさいなし。

注射痕も昨日には殆ど気にならない程度になっており、「副反応なし」であった。

実は1・2回目も殆ど異常は見られず、「本当に接種されたのだろうか」と思った程だ。

先に3回目を受けた30代の知り合いは、1・2回目と同様発熱と倦怠感が出て2日程仕事を休んだと言う。

副反応は個人差があり、一概には言えない訳だが、私は体が「雑」だと言う事だろうか。

一般的に言われている通り、若い世代ほど強く出る傾向があり、3回目は女性より男性の方が多く見られると言う。

少数ではあるものの重篤な症状が出た人もいるので軽々しく言うつもりはないが、このワクチンに限らず副反応はなんでも起こりうる。

最近はお世話になることが少なくなったが、普通の風邪を引いて病院で注射をされると、たいてい注射痕が「痛痒く」なることはよくある。

またインフルエンザの予防接種などでは、接種後発熱したり体調を崩す人が結構いて、そうした副反応は珍しくないはず。

確かに「健康被害」を心配する気持ちはわからなくもないが、ネットや街頭で「ワクチン反対」を叫ぶ輩の気持ちは理解しかねる。

そういう人たちは多分、普段から風邪を引いたり胃腸の調子が悪いなどがあっても一切病院にかからず、例え売薬でも「毒」だと言って一切飲まないのだろう。

もしかしたら大病を患っても、怪我をしても病院すら行かないのかも知れない。

そのぐらい徹底してからの反対であればわからなくもないが、恐らくは絶対そう言う事はあるまい。

もちろんワクチンは治療薬ではないし、絶対的効果が保障されている訳でもないので言いたい事は少しは理解できる。

だからこそ外国のように義務ではなく、あくまで個人の判断に任されているのだから、周囲に反対論をまき散らす行為はおかしい。

まして圧力的行動は犯罪に等しく、騒ぐ意味は全く支持出来ない。

そもそも反対論者の根拠は全くないに等しく、意味のない行為だ。

どうしても副反応が心配ならば、専門機関に相談する手段があるし、どんな注射・薬でも人によって副反応(副作用)は考えられるので、万が一に備える事を考えた方が得だと思う。

2年続いたコロナ禍による「自粛」から、一応解放された初めてのGW。

各地では観光客が増加していると言う。

経済効果と言う点からも歓迎すべき事なのだろうけれど、また感染者増加につながる事も充分予想される。



GWもあっという間の折り返し地点。

後半は好天が続きそうで、お出かけ日よりになりそう。

でも夜はまだ空気がひんやり感じられ、気温差を実感する。

日中は薄着でも良いと思うが、朝晩は上着があった方が良さそうで、外出での服装が悩ましくなるかもしれない。

買い物帰りに立ち寄ったコンビニでコーヒーを求め、近くにあったベンチに腰掛けて飲んだ。

三日月が綺麗に見える。

ついこの前までは、寒くてすぐに席を立ってしまったが、今夜はしばし月を眺めていた。

連休が終われば季節はすっかり「初夏」となり、春は夢のように過ぎ去った。

あと4日間の連休、私はどこへも行かないだろう。

普段と同じく、せいぜい買い物に出かけ、どこかでコーヒーを飲んで来るぐらい。

連休と言うよりも、普通の「休日」が続けてあるだけ・・のようだ。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

大型連休、君はどう過ごしていますか?

どこか旅行に出かけたり、家族や友人と買い物や食事に行ったり、それとも家でのんびりでしょうか。

もしかしたら掻き入れ時のように、仕事で忙しいと言うかも知れませんね。

その時君の連休は、「これから」となるでしょうか。

最初は天気が悪かったですが、後半は気温も上がって、初夏の日差しがまぶしく新緑が美しく見えます。

君なりの5月を楽しんで下さい。

日中は汗ばむ陽気ですが、朝晩は冷えますので体調管理には気を付けて下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。



恋しけば 形見にせむと わが屋戸に 植えし藤波 いま咲きにけり(万葉集巻八 1471 山部宿禰赤人)









飛行機ネタ。

ファンならばご存じかと思うが、世界で最も多く生産された旅客機はボーイング737である。

現在まで累計10,000機以上が生産され、それは劇的数字と言って良い程だ。

最もライバルであるA320シリーズに、どんどん追いつかれている感は否めないが。

同機の原形機の初飛行は、なんと67年。

今年でちょうど55年、生産ラインも55年間続いていて「最も長く生産されている旅客機」でもある。

半世紀で10,000機と言うと、年間で最低でも200機ぐらいが生産されている事になり、3日に2機程度のペースである。

ざっくりとした計算ではあるけれど、ジェット旅客機と言う「商品」として考えると驚異的な数値と言えるだろう。

もちろん55年もの長期の間には様々な改良が積み重ねられて「からの」、今がある訳だ。

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1-1-1-1C B737-200 Nolinor_Aviation_interior_cabin.jpg ↑(2枚)カナダ、ノリノール・アビエーションのB737-200C。同社はケベック州ミラベルに本拠を置くチャーターエアラインだが、極北地方への定期運航も行っている。同社は現在で9機のB737-200を保有し、現役にある。現時点で世界最大の200型を保有・運用するエアラインだ。貨客両用の「C型」の為、前方にカーゴドアを持つ。下は同機のキャビンで、座席は豪華な黒い革シートで、機体全体も良く整備され古さを感じさせない。コクピット上方にあった天測窓も埋められている(ウィキペディア英語版より)

B737の開発は60年代前半から開始され、既に成功を収めつつあった「B727」を小型化させるコンセプトであった。

当時ジェット旅客機は創世記であり、長距離向けが主流だった。

国内線や近距離路線の主役は、レシプロ・ターボプロップのプロペラ機が主体だった。

ジェット機はプロペラ機とは比べ物にならない程の高速性をもたらしたが、同時に燃費は極端に悪く、騒音・排気ガスなどの問題もあり、長距離機でないと採算が取れないと見られていたからである。

しかしボーイングは4発長距離機「B707」の成功を経て、「中距離機」としてB727を開発した。

外観は全く違うが、基本的に同機は707を小型化して3発機にしたような機体で、胴体の意匠は707の物を踏襲していた。

航続距離は4,000キロ程度で、プロペラ機よりも若干劣っていたが、座席数は初期の100型で150席、メインモデルの200型では180席と4発機並みとなり大ヒット作となった。

1-1-1-1C 1964_B737.png ↑64年にボーイングが発表したB737のコンセプト図。70~90席級を想定し、現在のリージョナル機と同じ規模で、エンジンを後部に装備するリアジェット式が考えられていた。もっともこのイラストでは、水平尾翼がエンジンより下側についており、実際だったら飛べない機体だっただろう。尾翼には「737」と書かれており、仕様が定まらないうちに「737」が正式名称が決まっていたことが分かる(ウィキペディア英語版より)

B727は少なくとも4発機よりもずっと経済的で、かつ高速であったことで、近距離路線でも利益が出る事が明白だったからだ。

事実メインの市場であった地元アメリカでは、まだジェット機の信頼性を疑問視するエアラインはプロペラ機に固執していたが、B727を導入したエアラインとの競争に勝てず倒産するエアラインが相次いだのである。

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1-1-1-1C B737-2A1-Adv,_VASP.jpg ↑(2枚)ブラジル2大エアラインだったVARIGとVASPのB737-200。中南米でも最大級の両エアラインだったが、現在は両社ともない(ウィキペディア英語版より)

しかしB727は座席数。機体規模と言う点からどちらかと言えば幹線向きであり、ジェット機の有効性は認めるものの、もう少し小型の方が良いと言う意見も出始めていた。

それにすぐ対応したのは、ボーイングの最大のライバルであるダグラスで、同社もまた成功を収めていた長距離用4発機「DC-8」の技術をフィードバックさせた「DC-9」を開発、市場に投入すると爆発的人気を得ることになった。

同機が人気を得たのは、「短距離専用機」として、ローカル路線でも運用しやすいよう考慮されていたからだ。

再初期のモデルは90席級と、現在のリージョナル機並みの大きさだったが、需要の高まりに合わせて胴体を延長し120席級まで発展させていた。

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1-1-1-1C DC-9-31,_Continental_Airlines.jpg ↑(2枚)B737より一足先にデビューしたDC-9。上はノースウエスト航空の10型、下はコンチネンタル航空の30型(ウィキペディア英語版より)

当然ライバルの成功を黙って見ている訳にも行かず、何よりもボーイングユーザーからも「DC-9の様な短距離機を」と言う要望が多く寄せられていた。

ボーイングは新しい機体として、コンセプトの時点で727に次ぐモデルとして「737」と命名しており、100~120席程度の機体を計画した。

しかし全く新しい設計となると、開発コストがかかり機体価格にも影響することから、胴体は707・727と同じ意匠を使う事にした。

開発コストを抑える事は最優先課題で、DC-9に対抗するには欠かせない要素だった。

とは言え安普請な機体では売れないから、機体のアウトラインが決定するまで時間を要した。

同時にエアライン側も、全くの新しい機体であるがゆえに興味を示すエアラインは予想以上に少なかった。

65年には機体の仕様がほぼ決定し、ルフトハンザが20機発注したことで「B737」は正式にローンチが決定した。

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1-1-1-1C B737-130,_Lufthansa_D-ABED.jpg ↑(2枚)半世紀以上に渡る歴史をスタートさせたB737-100。68年ルフトハンザが初就航させた。当初20機を発注したが、その後10機を追加した。100型の生産はこの30機だけで、胴体の長さは200型と比べて約1.5メートル短い(ウィキペディア英語版より)

最も当時新型機がローンチするには、少なくとも数十機以上の仮発注が必要とされており、僅か20機でのローンチは異例であった。

これはボーイングがDC-9を強く意識していた証であり、ルフトハンザも様々な事柄で深く関わっていたことを物語っている。

事実なかなか決まらなかったコンセプトも、ルフトハンザが同機への関心を示した事で決定されたフシがあり、一種の理想像が現実化した機体だったと思われる。

こうしてやっとスタートラインを切った737だったが、当時でも世界的に大手エアラインだったルフトハンザが発注した影響は大きく、他社もようやく目を向け始めたのだった。

記念すべきB737の原形機は67年に初飛行、翌年ルフトハンザに引き渡され就航した。

以後21世紀まで続く歴史的初就航の機体は「100型」で、標準座席数は110席だった。

1-1-1-1C B737-130 Continental_N77204.jpg ↑コンチネンタル航空の100型。ルフトハンザからの中古機で、200型と併用された(ウィキペディア英語版より)

当時ヨーロッパでは、イギリスとフランスが自主開発を行っており、域内用短距離機としてジェット旅客機を開発していた。

フランスは50年代末に「カラヴェル」を、イギリスはB727と同じ3発機の「トライデント」、DC-9と同格の双発機「BAC1-11」を開発していた。

しかしまだ「戦後」の体制を引きずっていた時代で、当時の「西ドイツ」は航空機の自主開発に制限がかけられていた他、冷戦の最前線として米英の強い影響下に置かれていた。

特に英仏はナチス・ドイツの侵略を受けた立場にあり、自国の飛行機を西ドイツへ売ることは難色を示していた。

それ以上に軍事的に多くの支援を行うアメリカへ依存する傾向が強く、旅客機は一貫してアメリカ製を購入していた。

1-1-1-1C B737-2H4(Adv),_Southwest_Airlines.jpg ↑今や500機以上のB737を保有し、「ビッグ3」に次ぐ規模を誇るサウスウエスト航空。大成功したLCCとして知られるが、創業当初の70年代は中古の200型をかき集めて、数十機と言う単位の規模だった。黄土色と言う独特の塗装は、本拠を置くテキサス州の砂漠をイメージしたと言われる(ウィキペディア英語版より)

その分域内用短距離機は英仏より遅れており、それらに対抗すべくB737が導入されたのであった。

ルフトハンザが意識したのは経済的な双発機、カラヴェルとBAC1-11と同格な機体だったのだ。

しかし他のエアラインは、B737の総合的な性能を鑑みると100型では小さすぎる事を指摘した。

ボーイング自身も当初からわかっており、100型がデビューする前に胴体を約1.5メートル延長し、標準座席数を125席程度にした「200型」を提示しており、こちらはすぐに複数のエアラインが発注を行いローンチしている。

ルフトハンザは100型の追加発注を行ったが、ほかのエアラインからの発注は殆どなく30機生産されただけで200型に切り替えられた。

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1-1-1-1C B737-230C,_Lufthansa_Cargo.jpg ↑(2枚)ルフトハンザの200型。下は改造した貨物仕様のC型。100型でB737を世界デビューさせたルフトハンザだったが、運用期間は短く200型と交替した。同機の運用は逆に長く、A320シリーズの導入後も続けられ00年代初頭まで使われていた(売り機PD亜英語版より)

ただ胴体の長さ以外のスペックは両社ともほぼ同じで、100型は独立したモデルと言うよりも「先行量産型」的な性格が強い。

現在生産される「MAX」まで、737はシリーズを区別していて、300~500型を「クラシック」、600~900型を「NG」と呼ぶが、100・200型はまとめて「オリジナル」と呼ばれる事が多い。

当のルフトハンザも、その後200型を導入し100型は中古機として放出したが、アメリカのコンチネンタル航空などが購入。

200型と混用しており、100型を独立したタイプと見る向きは少ない。

そして200型は歴史に残る、大ベストセラーとなっていくのである。

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1-1-1-1C B737-229C-Adv,_Sabena.jpg ↑(3枚)エール・フランスとイギリス、ブリタニア航空、サベナ・ベルギー航空のB737-200.サベナ機は「200C」(ウィキペディア英語版より)

先に書いたように、100・200型はDC-9を強く意識した「短距離機」であり、ローカル運用に特化した構造を持たせている。

設備が充足していないローカル空港でも運用しやすくするため、機体の地上高を限りなく低くさせ、乗客の乗降、荷物の上げ下ろしに大きな道具を必要としないようにした。

当時ボーディングブリッジは大空港にしかなく、それも限定的だった。

B737は前方乗降口の下に収納式のエアステア(タラップ)が装備され、空港側のタラップを必要としない。

尾部にはAPU(補助動力装置)が標準装備され、地上で自機の電源を確保できる。

今でこそジェット旅客機にAPUは当たり前だが、当時としては珍しい豪華装備でもあった。

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1-1-1-1C B737-236-Adv,_British_Airways_G-BGDO.jpg ↑(2枚)ヨーロッパでは最も多くの200型を運用したブリティッシュ・エアウエイズ。メインモデルとなった改良型「アドバンスド」を最初に受領したエアラインで、同社は「スーパー737」「737X」と言う独自の呼称を用いてアピールした。騒音規制の厳しいロンドン周辺の空港で運用するため、低騒音のエンジンナセルを最初に装備したのも同社だった。延べ50機以上の200型を運用したが、90年代に退役した(ウィキペディア英語版より)

更に200型の最大航続距離は約4,000キロもあり、機体規模としては燃料搭載量が大きかった。

これも未整備の空港では、燃料補給が出来ない事を考慮しての措置であった。

1-1-1-1C B737-200 Air_Nauru.jpg ↑南太平洋の島国、ナウル共和国、エア・ナウルの200型。90年代短期間であったが、同機で日本線を運航した事もある(ウィキペディア英語版より)

そして100・200型最大の特徴は、エンジンだろう。

同機のエンジンはP&W製の「JT-8D」ターボファンエンジンで、低バイパスエンジンの中では後期に開発されたエンジンだ.

60年代、効率と言う点で現代の様な高バイパスエンジンが有利だと言う事は理論上わかっていたが、技術の点でまだ実用化されておらず、その中にあってJT-8Dは優れたエンジンであった。

元となるのは創世記に量産化されたJT-3系であったが、耐久性・燃費・排気ガスや騒音は大幅に改善されており、軽量で大きな出力を出せた。

DC-9も同エンジンを搭載しているが、こちらは胴体後部に取り付け、その後流を避けるために水平尾翼を垂直尾翼の上に持ち上げた「T字尾翼」を採用しており、リアジェット機として標準的なデザインを持つ。

この構造は主翼がプレーンになることで、軽量化できるほか、機体の地上高を低く出来るメリットがある。

一方尾翼とエンジンが尾部に集中するので、どうしても重量が偏る「テールヘビー」状態になり、機体のバランスが微妙になることと、それが将来的に胴体を延長するなどの発展を阻害するデメリットを持っていた。

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1-1-1-1C B737-200_SAT_Airlines_(2).jpg ↑(3枚)サハリン航空の200型・上は初代塗装で、函館・新千歳線にも投入された事がある。下は後期の塗装で、世界で最も派手なB737-200だろう。機齢20年を超える中古の老朽機だったが、ピカピカに仕上げてあって美しい。尚同社はプーチン大統領の国有化政策によって、アエロフロートの子会社化され、機材も同社から移籍したA319と交替。組織も旧ウラジオストク航空と統合され「オーロラ航空」に変わった(ウィキペディア英語版より)

ボーイングはあくまでもDC-9と一線を画する機体を模索しており、エンジンは一般的な主翼に取り付ける方法を選んだ。

ところが地上高を低くする為には、パイロンを介してエンジンを吊り下げる方式だとクリアできなかった。

JT-8Dは低バイパスエンジンゆえ、現代の高バイパスエンジンと比べて直径はかなり小さく、推進ファンの直径は約1メートルしかない。

にもかかわらずパイロンに吊り下げる方式が使えず、主翼に「直接」取り付けるようなやり方で装備した。

正確には上下寸法が極めて短いパイロンを使っているのだが、それは取り付け部をガードする「フェアリング」であり、実質上直接主翼に取り付けているのと同じである。

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1-1-1-1C B737-200_reverser.jpg ↑(2枚)200型に装備されたP&W「JT-8D」エンジン。初期の機体はエンジンナセルがスマートだったが、70年代後半に低騒音用のハッシュキットが追加され、下部が膨らんだ形に変更された。下はスラストリバーサ(逆噴射装置)を展開した瞬間。テールカバーが分割して噴流を遮蔽・逆方向へ飛ばす(ウィキペディア英語版より)

最近の旅客機に見慣れていると、「737オリジナル」は正に主翼とエンジンが一体化させてあるように見え、悪く言えば「エンジンが主翼から生えている」ごとくの形状を持つ。

直径の小さいJT-8Dですらこの苦労だったのだから、高バイパスエンジンに換装した「クラシック」以降がいかに無理やりだったかがうががえるのである。

だがこの方式は思わぬ効果をももたらした。

スリムな形態と相まって、エンジンから生じる空気抵抗が予想以上に軽減され、それは燃費性能を向上させたのである。

1-1-1-1C B737-200_view.jpg ↑主翼と一体化させたようなエンジンは、優れた空力性を生み出した。格納しても剥き出しの主脚は、冷却効果を高める事と、機体の軽量化に効果をもたらした。この方式は「MAX」まで継承されている(ウィキペディア英語版より)

また「オリジナル」は、ボーイングのジェット旅客機で初めて「2人乗務機」となった機体である。

アメリカでは技術の向上を理由に、60年代半ばに基準の機体重量を満たした機種は航空機関士を乗せなくとも良いと言う規制緩和策を決定し、DC-9はその先峰であった。

737もその基準を満たすよう設計されていたが、エアライン側の反発も大きかった。

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1-1-1-1C B737-297(Adv),_Pan_Am.jpg ↑(3枚)規制緩和が進んだ70年代のアメリカでは、新興エアラインも安価なB737をこぞって導入した。上はウエスタン航空、中はピードモント航空の200型。下はパンナムの200型で、アメリカ国内の他、ヨーロッパ域内でコネクション便として運用された。特に冷戦時で「陸の孤島」だった西ベルリンへは、同社が優先的に運航権を持っており、ロンドンやパリ、ローマなど大都市から自社便の接続便として同機が使用されていた(ウィキペディア英語版より)

同機は727の「小型版」とも言える機体であり、エンジンを含めて共通部分が多く、飛行特性も似せて作られており、ライセンスは別途必要だったが、727のパイロットが比較的スムーズに移行できるようになっていて、人件費の削減に役立っていた。

同時に多くの航空機関士が職を失う可能性もあったため、労働組合などが中心となって反対運動が起きた。

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1-1-1-1C B737-275-Adv,_Canadian_Airlines.jpg ↑(2枚)世界最大級のLCC、ライアン・エアが急成長したのは200型を導入してからだった。当初は格安の中古機で機数を増やして路線網を拡大させた。下はカナディアン航空の200型で、同社は70機以上の同機を運用した(ウィキペディア英語版より)

大半のエアラインは、機関士をパイロットに転向させることで2人乗務が実現したのだが、発売当初はまだ抵抗が強く、それはアメリカの大手でその傾向が強かった。

最終的にはコストと言う点で、エアラインも組合も迎合して行くことになるのだが、それだけ当時はボーイングの影響力が大きかったと言う事だ。

1-1-1-1C B737-2V6_Advanced_Cockpit.jpg ↑完全なアナログ方式のコクピット。エンジン関係の計器を集約化したことで、ボーイングのジェット旅客機として初めて2人乗務機となった(ウィキペディア英語版より)

70年代後半には、エンジンの出力を上げ、キャビンの内装を改良、燃料タンクの増積を施した「アドバンスド」に生産が移行し、既存の機体も「アドバンス仕様」に改修するオプションが用意された。

並行して各地の騒音規制をクリアできるように、エンジンナセル(覆い)が改良されており、この「低音ナセル」もハッシュキットとして追加された。

200型の生産は、後継機の「クラシック」が生産開始された88年まで続けられ、1,114機に達した。

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1-1-1-1C B737-2B7-Adv,_USAir.jpg ↑(3枚)アメリカの大手は、2人乗務機への反発もあって意外にも同機の導入は遅く、機数も多くなかった。増加したのは70年代後半になってからだったが、国内線の主力はB727で、同機はシャトル便やコネクション便が主体だった。上からユナイテッド航空、デルタ航空、USエアウエイズの200型(ウィキペディア英語版より)

日本では69年に全日空が、78年に南西航空(現日本トランスオーシャン航空)が導入し、前者は22機、後者は8機、合計30機の200型が活躍した。

全日空は92年に系列子会社のエアー・ニッポンに移籍させたが、両社とも00年代まで運用された。

同機の登場で、地方空港のジェット化が進み、それまで鉄道が主体だった日本の公共交通に大きな変化をもたらした功労機となった。

80年代以降「クラシック」が登場した事で、メジャーエアラインは機材更新を加速させたが、200型の中古機も大量に出回る事になり、近代化が遅れていた途上国のエアラインがこぞって導入した。

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1-1-1-1C B737-281_Advanced_ANK(JA8415.jpg ↑(4枚)日本で初めてB737を採用した全日空は、22機導入して国内線専用機として運用した。92年以降は日本近距離航空(のちのエアー・ニッポン)に移籍し、ローカル線のジェット化に大きく貢献した(ウィキペディア英語版より)

これらの200型は近年まで現役にあった機体も多く、安全性はともかく機齢が30年以上の機体が飛んでいた。

単一モデルとして当時は最大の生産数だった為、部品も豊富に残されており、それが今世紀になっても残存する要因となっていた。

こうした背景から事故も多い機種であったが、機体構造そのものに起因する事故はそれほど多くない。

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1-1-1-1C B737-205_JTA_JA8366.jpg ↑78年に運航を開始した南西航空のB737-200。日本トランスオーシャン航空に社名変更、後継機である400型が導入された後まで活躍した。同機によって那覇~宮古・石垣線の高速化・輸送力の倍増が実現した他、天候による欠航率も一気に低下した。念願だった本土直行便も、同機によって実現した。晩年には「スカイシーサー」と言う愛称が付けられ、オリジナルのキャラクターも記入された8ウィキペディア英語版より)

初期には水平尾翼のエルロンが、一定の速度と角度を超えると逆方向に作動する「エルロンリバーサル」と言う欠陥が露呈したが、すぐに改善されている。

最も同機ならではの事故は、88年4月に発生したアロハ航空の事故で、巡航中突然胴体の「天井部」が吹き飛び、影響で側面まで破壊すると言う事故であった。

これはハワイという土地柄、非常に短距離・短時間のフライトを多数繰り返す運用が多く、機体が金属疲労を起こした為だった。

アロハ航空の安全管理体質が問われたものの、機体の履歴となる「飛行時間」と離発着回数を示す「フライトサイクル数」の基準が、メーカーや航空局で明確にされていなかった事も原因だった。

すなわち機体に大きな力がかかる離着陸回数が多いと、総飛行時間とは無関係に老朽化が進む可能性が明確になったのである。

1-1-1-1C B737-200-Aloha_Airlines_N819AL.jpg ↑アロハ航空のB737-200(ウィキペディア英語版より)

今こそ当然の理論と思えるが、「短距離機」として過酷な運用が多い737の特徴を示す事故だったと言えるかも知れない。

この事故では、客室乗務員1人が空中に放り出されて死亡したが、僅か30分程のフライトであったため、乗客はシートベルトを締めたままで、けが人は出たもののそれ以上の死亡者はでなかった。

日本でも点検基準が見直され、就航から退役まで大きな事故は一度も起こさなかった優秀な機体であった。

先に書いたように、200型の生産は88年で終了し、既に34年もの月日が経つ。

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1-1-1-1C B737-200M -Chrono_Aviation_(C-GTVO).jpg 

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1-1-1-1C B737-200M Canadian_North.jpg ↑(6枚)22年の時点で、最も多くの「現役」のB737-200が残るのがカナダ。およそ20機前後が旅客機として運用中。その多くは貨客混載型の「200M」や貨客両用型の「200C」だが、純粋な200型も残っている。1枚目がエア・イヌイットの200Mで、モントリオールをベースとするエアライン。2・3枚目はケベック・シティをベースとするクロノ・アビエーションの200M、4~6枚目は首都オタワの拠点を持つカナディアン・ノースの200C。3社は極北地方の生活路線を運航するため、貨物輸送も担う。いずれもチャーターエアラインとして登録されているが、これは極北地方の気候が厳しく、定期運航が困難な為で、実際には「不定期運航」に近い形態を持つ。極めて特殊な地方を運航するために、機体には特別装備が施されている。クロノ・アビエーション機は全体が黒、フラップのフェアリングが赤と言う、現代的で挑発的なデザイン。同社のコールサインは「マット・ブラック」(ウィキペディア英語版より)

すなわち「現存」している機体があるとすれば、最も新しい機体でも機齢は34年な訳で、さすがに現役機はない・・・と思うがさにあらず。

確かに「絶滅」には近いのだけれど、ごく少数がまだ生き残っている。

200型は1種類として紹介されることが多いが、実際にはバリエーションがあり、胴体前部に貨物用のカーゴドアを持つ貨客両用型の「C」型と、前部が貨物室、後部が客室のコンビ型、そして軍用型が存在する。

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1-1-1-1C B737-200_Gravel_Kit.jpg ↑(3枚)現役にあるカナダの200型が持つ特別装備。上は前脚に取り付けられたグレーベル・ディフレクター。中は改造されたディフレクター収納部。下はエンジン下部に取り付けられたグレーベル・ノズル。これらは未舗装の空港で離発着する場合、巻き上げる可能性のある異物(小石や氷、雪の塊)を避ける装置。ディフレクターは跳ね飛ばし、遮蔽するため、ノズルはエンジンから抽出したエアーを先端部から噴き出して、エンジンへの異物混入を防ぐ。上の機体写真でもこれらの装備品が確認できる(ウィキペディア英語版より)

ボーイング機は両用型を「C」型(Convertible)、コンビ型を「M」型(Mixed)として区別することが多いが、200型では公式に名称は加えられていなかった。

登録上はいずれも「B737-200」のままで、後に区別するため「C」「M」と付け加えた機体が大半だ。

またこれらの機体は純粋な旅客機から改造された機体も多く、完全な貨物型の「F」型(Freiter)も存在するが「200F」と言う形式は公式には存在しない。

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1-1-1-1C B737-219QC_Air_New_Zealand.jpg ↑(2枚)エルアル・イスラエル航空の200型とニュージーランド航空の200C(ウィキペディア英語版より)

ところがこれらの貨物搭載型は、現在も運用中の機体があり、意外にもカナダで活躍している。

確認出来るだけでも20機近い200型がカナダでは現役にあり、れっきとした定期便として貨物・乗客を運んでいると言うから驚きだ。

いずれも小さなエアラインだが、主に極北地方の路線を運航するエアラインで、道路や鉄道がなくかつ広大な地域の住民の生活を確保するための路線が主体。

純粋な旅客型も混じって運用されており、へき地の重要な交通手段として使われている。

1-1-1-1C B737-200 T-43A (USAF).jpg ↑アメリカ空軍が大型機の搭乗員訓練用として採用した200型。空軍ではT-43Aとして運用されたが00年代に退役した(ウィキペディア英語版より)

この他軍用型として、1~2機単位で保有する国もあり、100機近くの200型はまだ現役にあると思われる。

メカニズムとしてはもう3世代以上も前の物であるが、一方でシンプルな事が生き残っている原因なのかもしれない。

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1-1-1-1C B737-277-Adv,_Shaheen_Air_International.jpg ↑(3枚)殆ど存在の知られていないB737、カリノウ・エアラインズの200型(上)。同社は中央アフリカ共和国のエアラインで、登記上1機が現役になっている。しかし定期運航はしていないようで、詳細は不明。アフリカ象のマークが面白い。中は西アフリカ、マリ共和国のエア・マリ、下はパキスタンのシャヒーン・エア(ウィキペディア英語版より)

「オリジナル」は半世紀以上に渡るB737の「ルーツ」であることはもちろんだが、ナローボディ旅客機のスタイルを確立した機体であった。

特に空力的には、後の世代より遥かに優れた機体であり、短距離機ながらも長い航続距離を持つマルチ性を持ち合わせていた最初の旅客機でもあった。

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1-1-1-1C B737-200F -Aerosucre.jpg ↑カナダと同じく未だ現役機が残るのが中南米。上からベネズエラのアビオールとベネゾラーナ航空の200型、コロンビアのエアロ・スクレの200「F」。殆どのエアラインが貨物機で、保有数も5機以下。ベネズエラの2社は旅客型で国内線で運航しているが、経済が破綻している状態なので動静は流動的だ(ウィキペディア英語版より)

今やただ古いだけの、昔の旅客機にしか見られていないが、現在B737は「MAX」に発展を遂げてなおも生産され続けている(やや問題があるが)。

これはいかに「オリジナル」が卓越した機体だったかを物語る事で、当時の開発者もまさか2020年代まで続くとは思ってもみなかったであろう。

1-1-1-1C B737-200 -Iranian_Government.jpg ↑これも現役にあるイラン政府専用機の200型。運航は民間エアラインのメライ航空が担当している。塗装は元イラン国営航空の物で、首都テヘランのメハラバード国際空港では数機のB737-200が保管されている。今のところ稼働中なのはこの1機だけと見られる。尚前脚にはグレーベル・ディフレクターが付いており、元がカナダで使われていた機体だと推察できる。事実この機体はカナディアン・ノースで使われていた機体だ(ウィキペディア英語版より)

そう言う意味で「737オリジナル」は、「奇跡の旅客機」だったと言えるのではないだろうか。

「主翼から生えたようなエンジン」も、苦肉の策だったとはいえ、今見れば実に流麗に見えるのである。


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