飛行機ネタ 働き者だったB737-500(3月6日 曇りのち晴れ 5℃)

※2日分の日記を掲載します。

◎3月4日 曇りのち晴れ 11℃

3月に入ると、気持ち的に春を感じて来るから不思議だ。

今日の仙台は変わりやすい天気で、午前中雨や雪が降った時間帯もあったが、午後からは晴れ。

気温もここ数日10℃前後で推移していて、日中は大分過ごしやすくなった。

同時に空気の乾きが顕著で、喉・鼻の弱い私はちょっと辛い。

仙台ではまだ花粉の飛散は確認されていないそうだが、症状持ちの人は不安な時期なのだろう。

また「三寒四温」の時期でもあり、明日は前線と低気圧の影響で12℃の予想が出ているが、その後は一気に冬に「逆戻り」だと言う。

低気圧が急速に発達し、北海道や日本海側では再び大雪・暴風雪の可能性があるらしい。

県内も午後以降、雪・暴風の予報が出されており、JRでは遅延もしくは運休するかもしれないと言う告知を出していた。

関東以西では春の兆しが日ごと感じられるようになるだろうが、「北国の春」はまだ先。

気象台が出す「桜の開花予想」が、平年より早めと言いながら日を追うごとに1日1日ずつずれて行くのを知っている。

なので気分だけ「春」は良いのだけれど、実生活では油断大敵。

寒暖差が大きくなり、体調管理に注意が必要だ。

3月は学生さんたちの卒業、入試、そして入学や就職で街を離れ、新しい街での生活を始めようとする人も多いだろう。

コロナ禍の「第6波」は収束する様子がなく、新規感染者数は高止まり状態。

これまでと違って人数に比べて、重症者や死亡者数の割合が小さいようだが、「0」でもないのでそれこそ油断は出来ない。

今はワクチン未接種の子供や、高齢者施設のクラスターが多い他、子供達の親世代が多い。

そして相変わらず若者の数も多い。

季節的に「風邪」と混同されているのでは?と言う気がしないでもないが、毎年流行していたインフルエンザの行方も気になる。

コロナ禍が始まった途端、全く聞えなくなったインフルエンザだが実際はどうなのだろう。

あまりにコロナ禍に染まり過ぎて、見落としがちだったら困る。


◎3月6日

この冬は週末と言うと、荒天が多い気がする。

発達した低気圧と前線。仙台は昨日午後から天気が悪くなり、深夜から早朝にかけては雪が降った。

次の週末は逆に春の陽気になると予報が出ていたが、今年の雪は「最後」になるだろうか。

雪自体は大したことなく、うっすら白くなる程度で日中には消えてしまった。

しかし最高気温は5℃と、体感的にも完全な冬だ。

強風は午後以降収まったが、せっかくの週末は寒さと強風に翻弄されるようだった。

このところ鼻の調子が悪く、つい気になってしまう。

花粉症ではなく、乾燥アレルギーみたいなもので、空気が乾燥していくらか暖かい春先はいつもこう。

くしゃみが出ることもあるが、ずっとグズグズしていて詰まった様な不快感。

噛んで出る分には良いのだけれど、そうでない場合も多く時々いらいらしてしまう。

喉も痰が絡みやすく、寝ている時に息苦しくて目を覚ましてしまう。

起きて少しすると「通り」が良くなるが、寝ていると身体の水分が失われるからかより不快になる。

子供の時から続いていて、過去には何度も耳鼻科に診てもらったが、解決できず「体質」なのだと割り切っている。

水分不足も原因のようだが、どうもこの時期は積極的に摂る事が出来ないので困ってしまう。

その代わり・・・と言う訳ではないだろうが、花粉症とは縁がない。

季節の変わり目と言う事でもあろうが、誰でも体調を崩しがち。

コロナ禍も収まる様子がないし、単なる風邪やアレルギーなのか、それともコロナなのかわからない世相だ。

花粉症を持つ人も、これから大変だろう。

正にこのご時世、周りに人がいる場所でうっかりくしゃみをしようものなら、冷たい視線に絡まれてしまう。

先日カフェに行ったら、私と同世代と思われる男性が何度も「咳払い」をしていた。

この男性、以前から時々顔を見る人で、コロナ前からよく咳払いや咳をしていた。

多分既往症と言うか、それこそ体質であろうと思われ、つい無意識に咳払いをしてしまうらしい。

コロナ禍になってからは「ウォッホン!」とするたびに、店内にいる客の何人かは必ず彼の方を振り向くのが分かる。

本人も充分承知の上と思うし、長時間滞在する様な場所でもなくトラブルになるとは思わない。

だが世間は過剰反応を通り越して「常識」になってしまい、あらぬ偏見や差別にならないか心配になる。

事実私も、彼には「意識して控えて欲しい」と思ってしまう。

くしゃみも咳も、誰でも風邪でなくとも突然出るものだ。

とは言え、私も鼻を噛む事さえ、周囲を気にしてやってしまう。

一日も早く、こうした「余計な気遣い」が必要なくなることを願いたいものだ。



寒かったからかも知れないが、週末と言うのに街は何処かひっそりしていた。

夜は殊更で、早めの時間帯でも車も人も数が少ない。

来週末の11日は「3.11」で、閑散とした夜の街を見るとふと当時の事を思い出した。

テレビも震災関係の番組が増え始め、否応なしにその事を意識する。

昨年は10年めだったにもかかわらず、コロナ禍で追悼行事などが中止。

今年は感染対策を充分講じた上で、各地で行われる見込みだと言う。

人が少ないのは、コロナ禍にすっかり慣れて、無駄に出歩く人が少なくなったと言う事もあるだろう。

駅前近くの飲食店街も、「まん防」がなくとも週末はいつもひっそりしている。

おかずを買おうと近所のスーパーに行ったが、閉店時間近くだったこともあってお客さんは誰もいなかった。

おかげで値下げしたお惣菜などをゲットできたが、店を出ると雪。

しかも風が強く、殆ど吹雪。

出かけた時は降っていなかったから、傘は持っていない。

家まで歩いて10分程なのだが、向かい風に大粒の雪は視界を遮り、体中真っ白になってしまった。

雪は深夜2時頃まで続いたようで、2センチくらい積ったようだ。



元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

春を目の前にして、真冬に戻った様な寒さでしたが大丈夫でしたか?

3月になりました。

少しずつ春めく日々が来そうですが、同時に寒暖差も大きくなる時期です。

特に体調を崩しやすい季節到来ですので、充分注意して下さい。

そしてまた始まった新しい1カ月が、君にとって幸せな時間でありますように。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。


今更に 雪ふらめやも かきろひの もゆる春べと なりにしものを(万葉集巻八 1835 春雑歌)



飛行機ネタ。

前々回「B737-400」の事で、同機が元々「短距離機」と言うコンセプトながらもそれ以上のパフォーマンスを実証した旅客機であると書いたが、同じ「737クラシック」でも、100・200型「737オリジナル」の意思を受け継いだようなモデル「500型」のついても触れてみたい。

「737クラシック」と呼ばれるシリーズは、基本型である300型から500型まで3つのバリエーションモデルを指す。

過去にはコンセプトこそ「オリジナル」を継承しているが、大幅に刷新されたことで「新世代737」とも言われていた。

そして現在最も多くの機体が現役にある600~900型までの4つが「737ネクスト・ジェネレーション(次世代737)」と区別されている。

筆者が使う「737NG」シリーズだ、

屁理屈的であるのだけれど、「新世代737」も英語で表すと「New Generation」で、同じ「737NG」になってしまう。

しかし「新世代737」と「次世代737」は、メーカーであるボーイングが言いだしたものであると同時に「No Good」の意味にもなってしまう事から「NG」と略せず、いちいち「新世代」「次世代」と呼んでいた。

そのうち更に進化した「737MAX」シリーズが加わったことでより混乱することから、今ではボーイング側でも「737クラシック」と「次世代737」に変更しているようだ。

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1-1-1-47 B737-500_ANK JA8504.jpg ↑(2枚)95年にデビューしたエアー・ニッポンのB737-500。同社初の自社発注機材で、日本初の500型でもある。系列である全日空と同じ塗装ながら、ロゴは独自の物が記入されていた。機体の形状から「スーパードルフィン」と命名され、エンジンナセルにはオリジナルのイルカのキャラクターが描き入れられた(ウィキペディア英語版より)

因みに初期の100・200型は「オリジナル」と呼ばれるようになっており、一応見分けが付きやすくなっている。

「新世代737」最初の生産型となった300型は84年に初就航したが、500型は5年後の89年に原形機が初飛行、その後初就航を果たしている。

最も大きく双発ナローボディ機としては異例となった「400型」の初就航が88年だから、本来「新世代737」はバリエーション展開が考えられていなかったという事でもある。

もちろん案としては考えられていたものの、当時として同時販売のバリエーション展開は商業的にリスクが高いと判断されていたのである。

その為300型は、経済性に優れかつ「オリジナル」より遥かに高出力を誇る高バイパスエンジンを搭載したことで、200型よりやや大きい機体で設計された。

200型と比べると、胴体は約3メートル長く、座席数は200型の標準が120席だったのに対し、300型では140席前後、最大で150席が設定されていた。

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1-1-1-47 B737-5H4_SOUTHWEST N526SW.jpg (2枚)500型を最初に就航させたサウスウエスト航空(ウィキペディア英語版より)

300型を採用した多くのエアラインは、モノクラスで130~140席、2クラスで120席前後で運航していた。

需要の増加が見込める時代にあって、少し大きめの方が良いと考えられた訳で、エアライン側もそう考えていた。

老朽化した200型の代替え機種でもあったので、300型はベストセラーとなり「737クラシック」の中では最大の生産数を誇る。

84年の生産開始から、00年まで同シリーズは1,988機生産されたが、このうち300型は1,113機、400型は486機、そして500型が389機だった。

でもこの数字にはトリックがあり、先に述べたように胴体を伸ばした400型の登場までは4年以上の時間を擁していると言うことだ。

年別受注数を見ると、300型では最も多かった年で約140機を受注しているが、400型は最大で70機、500型では90機である。

単純に計算比較はできないものの、生産期間が最も短かった500型は意外と健闘している事もわかるのである。

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1-1-1-47 B737-522,_United_Airlines.jpg ↑(3枚)コンチネンタル航空とユナイテッド航空のB737-500。ユナイテッド航空も独自に500型を運用していたが、コンチネンタル航空と統合後同社の機材も併用した。コンチネンタル航空機はウイングレットを取り付けた機体が継承された(ウィキペディア英語版より)

500型はシリーズで最も小さいモデルで、全長は約31メートル。

300型よりも約2メートル短く、200型とほぼ同じ大きさである。

「次世代737」やA320シリーズでは、数字が大きいほど胴体が長く大きくなっているのでわかりやすいが、500型だけ何故か「逆ストレッチ」されて小型化されているのが異質である。

これはボーイングのライバルであったマクドネル・ダグラスの「MD-80」シリーズでも見られる現象で、開発ナンバー順の数字と胴体の長さが一定していない、ボーイング機では現在まで唯一の例でもある。

1-1-1-47 B737-500,_Lufthansa.jpg ↑500型を前方から見る。主翼や尾翼は300・400型と共通で、200型に比べてエンジンの出力が大幅に増えたことから尾翼が大型化されている。胴体の短い500型では、奇異と思えるほど垂直尾翼が高い事が分かる。強いエンジントルクを安定させるための措置だが、一定の速度域を超えるとラダー(方向舵)とエルロン(補助翼)の効果が相反し「ラダーリバーサル」(方向舵が逆転すること)を起こす癖を持っており、初期にはそれに起因する重大事故も引き起こしている(ウィキペディア英語版より)

ある意味「後退」とも思えるように、胴体を「短縮」してしまったのか。

一つは新たなライバルとなるエアバスの新型機、A320を意識したであろうこと。

この時点でA320はデビューしたてで、基本型となるA320を中心に、胴体を短くしたA319、逆に長くしたA321がラインナップされており、受注も開始していた(最小モデルの318はやや遅れてデビューしている)。

エアバス初のナローボディ機であったことから、その実力は未知数だったが、完全なデジタル式フライ・バイ・ワイヤシステムの採用、737より太く余裕のある胴体、そして「ヨーロッパ製」であることは、販売競争でも強敵になることが予想されていた。

ちょうど冷戦が終結した頃であるが、途上国を中心に「反米親ソ」国家はなおも多く、政治的にアメリカ機を導入できない国が存在していた。

そこへ「ヨーロッパ製」のエアバスが付けいることは明白であり、売れ筋である737が新顔であるA320に負ける訳には行かなかったのである。

その為には対抗するべくバリエーション展開をすることで、300型を基本として、大きい400型、そして最も小さい500型をラインナップさせようとしたのである。

1-1-1-47 B737-5K5,_Hapag-Lloyd.jpg ↑ドイツの大手チャーターエアライン、ハパグ・ロイドのB737-500。ツアー需要の多いヨーロッパでは空港制限のない同機は重宝された。同社の500型は「世界一周ツアー」で日本への飛来歴もある、貴重なヨーロッパの500型である(ウィキペディア英語版より)

もう一つは、せっかくの経済性を活かして、さらに効果的な機体を望むエアラインが増えていた事である。

300型では座席数が多く、本当の意味で120席前後の短距離用機を求めるエアラインが意外と多かったのである。

既に300型で充分200型をカバーしていたのだが、ユーザーの声を無視するもまた出来ない時代になっていた。

先に書いたように、「737クラシック」では最後のモデルとなった500型だが、最小モデルと言うだけでなく副次的な効果ももたらしていた。

「新世代」最大の特徴は何と言っても、大口径高バイパスエンジン「CFM-56」だろう。

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1-1-1-47 B737-505_-SAS.JPG ↑(3枚)人口が少なく、地方での航空需要が高い北欧では、コンパクトで経済性に優れた500型は人気があった。上はデンマークのマースク・エア、中はスウェーデンのリンネフルグ、下はお馴染みSASスカンジナビア航空の500型。マースク・エアは元々世界的な海運業者で、日本でも「MAERSK」と書かれたコンテナを良く目にするだろう。同社の500型は、一部エアー・ニッポンが購入した。画像の塗装は最後期の塗装で、どこか全日空と似ている。下のSAS機は現行塗装だが、登録はノルウェーで、胴体後部には本来デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの国旗が描かれているはずだが、この機体はノルウェー国旗だけ。これは元々ノルウェーで国内線専門のエアラインだったブラーセンス航空が保有していた機体で、SASと統合したためマーキングが暫く残されていた(ウィキペディア英語版より)

このエンジンと同機の曰くについては、これまで何度も書いて来たので割愛するが、古い初期の低バイパスエンジンだった200型と比べて、経済性は比較にならない程向上した。

最小モデルと言う事は、機体重量も軽いと言う事であり、500型の最大航続距離は約4,300キロとシリーズ最長となった。

もちろんこれは「最大」であるから、営業ベースとしては現実的な数値と言えないのだが、1席当たりの運航コストも安くなることを意味する。

300・400型と同じエンジンであるから、軽量小型の500型は離着陸性能が最も優れており、短距離運用では思わぬ威力を発揮することになる。

満席でも相対的な重量が軽いから、最も燃料を消費する離陸・上昇が早く行えるので経済的なのだ。

短距離であれば、燃料搭載量も少なくて済むことになる。

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1-1-1-47 B737-500 Garuda_Indonesia_PK-GGF.jpg ↑(2枚)日本以外のアジアでは、500型の採用例は意外と少ない。ガルーダ・インドネシア航空は300・400型と、新世代737全バリエーションを運用し近年まで現役にあった(ウィキペディア英語版より)

アメリカでは「シャトル便」として、短距離の大都市間輸送が盛んだったが、フライトタイムは長くて1時間程度。

座席数は少ないから乗客の乗降に時間がかからず、ターンアラウンド(折り返す時間)を短縮できる。

そう、今で言うLCCの様な運用に500型は最適だったのだ。

シャトル便は国際線や幹線と接続するための運航だが、予約なしでも空席があればその場で搭乗できる。

料金も安く、短距離短時間なので機内サービスはなしかペットボトル1本ぐらい。

1-1-1-48 B737-500 Chilean_Air_Force.jpg ↑チリ空軍所属のB737-500。現役(ウィキペディア英語版より)

それでいてプロペラ機よりも早く、便数も多く設定されるから「薄利多売」で利益を上げる事が出来た。

80年代以降、世界では大都市の空港は環境基準が厳しくなり、航空大国アメリカでも同様だった。

空港によっては、騒音が大きく古いエンジンを持つ200型などの乗り入れを規制する動きも出始めていて、それをクリアできる「新世代737」はうってつけの機体だったし、500型は一番経済的なモデルでもあったのである。

日本では95年に「エアー・ニッポン」が、500型を初めて導入した。

同社は全日空系列、国内線専門のエアラインで、80年代までは「日本近距離航空」と名乗っていた。

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1-1-1-47 B737-500_ANK JA8500.jpg ↑(3枚)現行塗装になった「JA8404」と「JA8419」は、1・2号機。下の「JA8500」は3号機として導入された。JA8404は95年7月、福岡~鹿児島線でデビューした(ウィキペディア英語版より)

名前の通り、国内線の中でもローカル線を専門としたエアラインで、北海道や九州・沖縄をメインに運航していた。

全日空とコードシェアすることで、運航が全国に拡大することで「エアー・ニッポン」に改名。

全日空からB737-200をリースし、同社初のジェット機として運航を開始した。

だが機体自体は老朽化しており、同社自身が使い続けて来たターボプロップ機「YS-11」も老朽化していたことから、後継機種としてB7337-500を発注・導入した。

それまでは殆どの機材が全日空からのリースで賄っており、同社として初めての自社発注機として500型が採用された。

デビュー前年には、日本航空と系列の日本トランスオーシャン航空が400型の運航を開始。

古い200型しかなかった日本の空に、新しい「新世代737」が一気に拡大することになったのである。

機数が揃うまでは200型と併用され、当初は福岡をベースに運航された。

デビューフライトは福岡~鹿児島・宮崎線で、どちらも1時間に満たない短距離路線であった。

全日空ではA320を採用していたので、グループ初の「新世代737」であり、エアー・ニッポンは同機を「スーパードルフィン」と言う愛称を付け、エンジンカウリングにオリジナルのイラストを描いた。

1-1-1-47 B737-500_ANA JA_8596.jpg ↑CFM-56エンジンに描かれた「スーパードルフィン」。エアー・ニッポンが整理されて全機がANA塗装に変更され、消されてしまうのでは・・?とファンから心配の声が上がったが、退役までの四半世紀に渡って日本の空を「泳ぎ」続けてくれた(ウィキペディア英語版より)

国内航空需要が増加した時期でもあり、同機の活躍範囲は全国に及んだ。

それは滑走路の短い地方空港での運用が拡大し、需要に大きく応える事が出来た。

これまではプロペラ機か200型でしか運用できなかった空港でも、余裕を持って運用が可能だった。

200型と同規模ながら、新しいエンジンのおかげで離着陸性能が向上したことで長距離運用も出来るようになったのである。

北海道や沖縄では、特にその実力を発揮することになった。

1-1-1-47 B737-54K_ANK JA304K.jpg ↑良好な離着陸性能、ローカル空港での取り回しの良さも手伝って、同機は全国を飛び回った。乗降口には200型以来伝統の収納式エアステア(タラップ)を装備していたが、新世代737ではオプション。エアー・ニッポンが運用した500型は全て装備していた(ウィキペディア英語版より)

また経済性に優れている事で、大都市圏から新しい地方路線の開設にも貢献した。

だがボーイングは既に「737NG」の開発を決めており、00年に500型を含む「新世代737」の生産を中止した。

500型のデビュー後約10年足らず、エアー・ニッポンのデビューからは僅か5年後のことであった。

しかし同機は大きなトラブルもなく、成績は良好だったことから、同社は中古機での増備に動いた。

導入後数年では「737NG」に切り替える訳にもいかず、自社発注の新造機16機に加えて9機が中古機で増備され、最盛期には25機が出揃った。

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1-1-1-47 B737-5Y0,_Rio-Sul_PY-SLS.jpg ↑(4枚)自社発注機16機を導入後、300~500型の受注・生産が停止されたため、エアー・ニッポンではリースで中古機を9機も増備した。最初の3機となった「JA351K」から[JA353K」までは、ブラジルのリオ・スール航空が運用していた機体で、中2枚の「JA353K」は元「PT-SLS」(下)の機体だ(ウィキペディア英語版より)  

最も現場では意外と苦労があったようで、自社発注機と中古機では細かい違いがあった。

自社発注機の座席は126席だったが、中古機は133席が多かった。

座席自体は同社の物に置き換えていたが、治具はそのままだったので133席仕様であった。

座席のピッチは同じだったが、ラバトリーやギャレーの位置や数が違っていた。

コクピットでは一部の計器に違いがあり、現場では常にこれらの違いを意識する必要があったと言う。

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1-1-1-47 B737-500 MAERSK AIR-OY-MAF JA359K.jpg ↑(2枚)エアー・ニッポンのB737-500最終号機となった「JA359K」と、元デンマーク、マースク・エアの「OY-MAF」。同社にとって25機目の500型であるとともに、リース機の最終号機でもある。コクピットやキャビンの仕様がやや異なっていたために、リース期間は延長されず自社発注機よりも先に退役した(ウィキペディア英語版より)

00年代になると全日空グループは再編され、エアー・ニッポンは「本体」に吸収と言う形で清算され、自社運航がなくなった。

代わりに「運航会社」として、福岡ベースの「エアー・ネクスト」と「エアー・ニッポン」に変更。

更に再編・統合されて「ANAウイングス」になって、エアー・ニッポンは完全に姿を消した。

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1-1-1-47 B737-500 ANA AIR NEXT(JA8419).jpg ↑(2枚)再編後機体のロゴはANAに統一され、運航会社としてエアー・ニッポンと新しく設立された福岡ベースのエアー・ネクストが担当した。機体にはそれぞれ小さく社名ロゴが記入されたが、全て全日空便として運航された。尾翼のANAロゴは、500型では初めて記入された(ウィキペディア英語版より)

その後経営不振に陥った新興エアライン「北海道国際航空」(現エア・ドゥ)と業務提携関係になると、一部の機体は同社にリースされた。

同時にコードシェア運航と言う形で、全日空及び旧エアー・ニッポンの路線を運航するようになっていった。

この間に、全日空は「737NG」である700・800型の導入を開始。両機種合わせて50機近くを保有するに至ったが、意外なことに500型は共存するようになった。

当初737NGは500型と後継機種として、やや大きめの700型だけを発注していたが、柔軟性を考慮して受注していた700型の一部を800型に変更。その上同機を追加発注した。

その結果700型は近距離国際線用に転用、800型は老朽化したA320の代替え機として宛がわれた為、130席級の500型の交替は一旦退けられたのだった。

また700型が半端な形となって余剰化し始めた為、エア・ドゥにリースし、500型は再び全日空に「出戻り」するという、日本のエアラインし十では珍しい現象を引き起こした。

現実の運航も、北は北海道・稚内から、南は沖縄・石垣島までとにかく全国をくまなく飛びまわる「働き者」だったが、所属先も何度も変わると言う忙しい機種であった。

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1-1-1-47 B737-500 AIR DO JA301K.jpg ↑(2枚)全日空と業務提携したことで、B737-500はエア・ドゥにリースされ、独自路線の他、全日空の路線も委譲されて運航した。その後同社は700型をリースすることになり、500型は「古巣」に戻って退役まで活躍を続けた。画像の「JA301K」は現在、実機教材として飛行可能な状態で保存され、機体の登録も残されている。

10年代になると、500型の後継機種は初の国産ジェット旅客機「三菱スペースジェット」に決定された。

ところが同機の開発は予想以上に進まず、何度も予定が変更され、そのうちコロナ禍が始まるとついに開発中止になってしまった。

フライトサイクルが多い中古機は退役せざるを得なかったが、スペースジェットの度重なる遅延に、ある意味500型は生きながらえたと言える。

同機が退役したのは20年夏のことで、ちょうどデビューしてから25年目を迎えた時であった。

この間には、何度か改修を受けており、コクピットの上部にあったアイブロウ・ウインドウ(天測窓)が塞がれるなど、外観上の違いも見られた。

1-1-1-47 B737-54K ANA JA8500.jpg ↑エアー・ニッポン、エアー・ネクスト、全日空、そしてANAウイングスと担当が変わるほど長期間運用され続けたB737-500。00年代後半になるとコクピット上方にあったアイブロウ・ウインドウを塞ぐなどの改修が行われた。胴体は200型と同じ意匠を受けついているが、気象レーダーなど航法機器が新しくなったため、機首がやや伸ばされ尖った形状になった。乗降口の下方に見える長方形は収納式エアステア(ウィキペディア英語版より)

海外のエアラインでは、翼端にウィングレットを付ける改修を行った機体もあるが、日本では行われていない。

日本の「新世代737」は、全日空系列が500型、日本航空系列が400型と綺麗に分かれていて、300型は1機もなかった。

海外では最初に作られた300型が圧倒的なシェアを占めているが、意外にもヨーロッパでは人気だった。

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1-1-1-47 B737-500 Airzena_-_Georgian_Airways.jpg ↑(2枚)ロシア・サハリンをベースとするオーロラ航空と、ジョージアのエア・ゼナ・ジョージア航空の500型。前者はサハリン航空が中古で導入した機体で、オーロラ航空になってからも日本線に投入されていた。現在はアエロフロート傘下になったことで、A319と交替した。定期便として日本に就航した唯一の500型だった(ウィキペディア英語版より)

飛行区間が相対的に短く、競争が激しいヨーロッパでは効率の良い小型機が必要とされる事が多く、500型はうってつけであった。

当時からヨーロッパは騒音や排気ガスなどの環境基準が厳しい所が多く、古いエンジンを持つ機体は就航出来ない空港・空域が増加していた。

その為就航できる空港が限られており、その他ではプロペラ機などコミューター機が中心だった。

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1-1-1-47 B737-530,_Lufthansa_D-ABIM.jpg ↑(3枚)域内路線用として、500型はヨーロッパ大手でも多数運用された。しかし90年代初頭にA320シリーズが登場したため、それらと交替することで運用期間は比較的短く終わった(ウィキペディア英語版より)

しかし新世代737は、エンジンがその基準をクリアできるようになった事で、最小サイズの500型は歓迎されたのである。

日本のファンの間ではあまり話題にならなかったが、ルフトハンザ、エール・フランス、ブリティッシュ・エアウエイズなどの大手が比較的まとまった数の500型を運用した。

130席前後と言う適度な座席数に加え、低公害制と離着陸性能の良さが狭い域内での運航に向いていたし、速達化も実現した。

残念ながら90年代初頭にA320がデビューし、「地元産」であることから座席数がほぼ同じA319に入れ替わるのは必然で、活躍した期間は短かった。

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1-1-1-47 B737-500 British_Airways_G-GFFH.jpg ↑(2枚)BMIベビーとブリティッシュ・エアウエイズの500型。BMIベビーは、ブリティッシュ・ミッドランド航空のLCC部門。00年代、ブリティッシュ・エアウエイズと統合された為、機材は同社に移籍した。尾翼に書かれた赤ちゃんのイラストが可愛い(ウィキペディア英語版より)

それで放出された500型の多くは、民主化・自由化された直後の旧ソ連構成国、東欧諸国に流れた。

特に東欧諸国は先に自由化が進んだ事、それこそ「脱ソ」路線を優先させたせいか、殆どの国が500型を中古機で導入している。

中古で安価だったことが一番の理由だが、いわゆる「西欧化」するのに最も適した機材でもあったからだ。

旧ソ連圏では、航空管制を始めとする運航システムも西欧とは違っていた他、飛行機自体も計器などはそれに合わせられていた。

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1-1-1-48 B737-500-LOT_Polish_Airlines_SP-LKE.jpg ↑(2枚)民主化・自由化で最も早く機材更新を始めたLOTポーランド航空のB737-500。中古での導入だったが、新世代737を全て運用した。下は「スターアライアンス」塗装の500型で、日本では最後まで登場しなかったのが惜しまれる(ウィキペディア英語版より)

例えば管制は高度はフィート、速度はノットで統一されていたが、旧ソ連圏ではメートル、キロが用いられており計器もそれに倣っていた。

また旧ソ連製の旅客機は西欧の環境基準に適合しない物が多く、経済効率と言う点でも劣っており、B737-500はうってつけの機体であった。

システム慣れするためにも、同機はシンプルであったし、ソ連機と比べるべくもない進化した機体だった。

加えて東欧諸国に関しては、アメリカも支援を惜しまない政策に変更したため稼働率も良かった。

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1-1-1-47 B737-522,_Air_Baltic.jpg ↑(3枚)ソ連崩壊のきっかけを作った「バルト3国」も、すぐさま西側製機体へ更新を行った。上はエストニア航空、中はリトアニアのフライラル、下はラトビアのエア・バルティックの500型。ただし市場規模が小さく、エストニア航空とリトアニア航空は運航を停止。リトアニアはLCCに方針転換してフライラルを設立したが長続きしなかった。結果両国の航空輸送はラトビアのエア・バルティックが担当することになった。現在同社の500型は退役し、A220に切り替わった(ウィキペディア英語版より)

現在現役にある500型は、世界で150機前後と思われる。

「737NG」が急速に増加した事、A320シリーズの躍進で500型だけでなく「新世代737」は「737クラシック」として交替が進んだ。

300・400型では、貨物機に改造された機体も存在し、今も現役の機体が多いが、小型の500型で貨物機に改造された機体はない。

退役速度が速かった為、中古のまた中古・・と言う感じで世界中に離散する傾向にあり、現存する機体の多くは途上国にある。

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1-1-1-47 B737-500 Air_Peace,_5N-BQQ.jpg ↑(2枚)日本では殆ど知られていないB737-500。上は東アフリカ・マラウィ、エア・マラウィ、下はスーダンのエア・ピース。どちらも登録上は現役になっているが、実際稼働しているかどうかは不明(ウィキペディア英語版より)

ただ政治的に不安定だったり、資金不足で整備がままならないと言う事も多く、稼働率は高くないようだ。

その為現役数は極めて流動的であり、減少傾向は加速すると思われる。

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1-1-1-47 B737-500 BAHAMASAIR C6-BFE.jpg ↑(3枚)東欧アルバニア、アルバウイングスと、中央アジア、カザフスタンのSCAT、カリブ諸国バハマ、バハマス・エアの500型。アルバウイングスは運航を停止したが、SCATとバハマス・エアの500型は現役にある(ウィキペディア英語版より)

その中で日本の500型は、異色の存在だったと言える。

先に書いたように737NGが後継機とならず、「別枠」のカテゴリーとして扱われたためだ。

後継機とされた「スペースジェット」がとん挫したことが、同機の寿命を延ばしたのは怪我の功名と言えるかもしれないが、運用を続けた全日空も丁寧に大事に使った事も大きいだろう。

なお20年に退役した全日空の500型であるが、1機だけ「整備教材用」として保存されて話題になった。

この機体は「JA301K」、97年にエアー・ニッポンが自社導入した10機目の機体。

機体登録番号の規定がそれまでの「JA」に数字4桁から、自由化された直後の機体で、「K」はエアー・ニッポンのカスタマーコードだ(正確には4K)。

1-1-1-47 B737-54K-AirDo JA301K.jpg ↑全体的にコロッとした印象を持つ500型だが、この角度から見ると短い胴体には合わない程、垂直尾翼が大きい事が分かる(ウィキペディア英語版より)

日本では初めて実機教材としてパイロット・整備士の養成に使われるが、登録自体抹消されておらず飛行可能な状態が継続される。

全日空では未定ながらも、展示飛行やチャーターフライトと言った「動態保存」の計画も持っていて、再び空を飛ぶ可能性も残されているのは喜ばしいことだ。

旅客機として現役は退いたが、まさに「第二の人生」が始まった500型である。

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