飛行機ネタ それはB737-400から始まった(2022年2月22日 曇り時々雪 1℃)

※2日分の日記を掲載します。

◎2月19日 曇り 7℃

日中雨は降らずに済んだが、曇り空。

雲自体は薄いのか、時々薄日も射す時間があったが、なんだかパッとしない天気ではある。

もう慣れた・・と言いたくないけれど、長引くコロナ禍のせいで「週末」と言う言葉に胸が躍るような事がなくなってしまった気がする。

県内でも連日数百人の新規患者が確認されているが、いわゆる「第6波」は若者や子供が中心。

最近ではその家族だろうか、30~40代の人も増えていると言う。

一方死亡者の数も増加傾向にあり、そのほとんどは既往症を持つ人や高齢者だと言う。

でも情報があやふやな感じになっていて、行政もどこか熱心さを失っているように思える。

確かにコロナがなくとも、通常この時期は「普通の風邪」やインフルエンザが流行して多くの人が感染するし、それが引き金となって亡くなる方も多い。

そう言えばインフルエンザはどこへいってしまったのだろう。

「COVID-19」がインフルエンザウィルスを撃退、消滅させてしまったのだろうか。

少なくともコロナが認識された20年始め以降、昨年冬もインフルエンザの事は全く聞かなかった。

もしかして「第6波」は、インフルエンザが混在しているのではないだろうか、と一瞬思ってしまう。

そんなことはないだろうけれど、インフルエンザはすっかり忘れ去られてしまったようだ。

専門家もそれについて言及する人がいないようで、何気に流行していてコロナ患者と一緒にされたりしないのだろうか。

症状や抗体検査で分かるのだろうが、最近では詳しい検査をせずともコロナ感染と判断される場合もあると聞く。

逆に感染したことで「差別」される人も増加しており、何が正しく何が誤りなのか、それを見極める事がしづらい。

仙台では、日が暮れた辺りから雨が降り出した。

予報で出ていたけれど、20時頃には雪が混じりみぞれに変わった。

市内中心部では暫く雨だったらしいが、同じ市内ながらも「山沿い」の我が泉区は早々と雪に代わった。

外出中だった私は、傘を持っていたので良かったが、22時過ぎになると殆ど雪になった。

それは充分予測出来た事だけれど、その雪の「粒」の大きさがハンパない。

いわゆる「ボタ雪」と言うヤツか、一粒がどう見ても7~8センチくらいある。

何よりも傘に落ちると、「ポトン」と音がするくらいなのだ。

比較的気温が高く、湿度も高くて粒同士が幾つかくっついて降ってきたのだろうか。

こんなに大きな「雪粒」(と言うのだろうか)を見たのは久し振りである。

当然道路もどんどん白くなり、自宅に着く頃には真っ白になっていた。

全く時期外れだけど、「雨は夜更けすぎに・・雪へと変わるだろう・・」を事で行く様な天気である。

最もそんなロマンチックなものではないのだが、明日朝までは結構積るかも知れない。

だいたい天気予報がアバウトすぎで、仙台市は東西に広いため「東部平野・沿岸部」と「西部山沿い」の予報がある。

「東部」は中心部青葉区を含めた、宮城野区全域、若林区全域が該当するが、青葉区と太白区は同じ区なのに予報域が「平野部」と「山沿い」で2分されている。

5区のうち全域が唯一「山沿い」にあるのが、我が泉区となる訳だが、当初は2分されていた。

宮城県の東部と西部は、東北道をおよその境界と見ていたためだが、おおざっぱ過ぎて細かく分類されるようになった。

青葉区と太白区が2分されているのは、青葉区は仙台市に合併される前の旧宮城町、太白区は旧秋保町が「山沿い」になっているためだ。

東北道を境界にすると、泉区は1/4ほどが「東部」及び「平野・沿岸部」となってしまい、現実味がないことから、全域が「山沿い」と言う認識が浸透している。

事実中心部や他の区都は、気候が明らかに違い、特に冬場はその違いが顕著だ。

雨か雪以前に、泉区は雪が積もっているのに中心部や宮城野区辺りでは積っていない以前に道路は完全に乾いている・・なんて日常茶飯事だ。

地下鉄に乗って中心部に行き、地上に出たら雪は影も形もない・・こう言う経験を区民は殆どしているはずで「泉区あるある」だ。

私も以前、今とは別の泉区内に住んでいて、標高が高く雪雲や風がまともに来る場所だった。

雪が降るとあっという間に10センチくらい積ってしまう所で、車で出かけたら職場の周辺は雪の「ゆ」の字も見当たらない。

出かける時、ガレージの前から雪かきしてやっと出て来れた状態で、車の上には雪がどっかり積ったまま。

それを見た同僚は、「何だ、昨夜スキーにでも行って来たのか?」と真顔で言うありさまだった。

雪が降るたびこのことを思い出すのだが、ここ数年大雪は降っていないのでこの話は信用されないだろうか。


◎2月22日

どうでも良い事だけれど、今日は「2並び」の日。

そんなの毎年じゃないか・・・と思うけれど、今年は「2022年」。

こじつけではあるけれど「22年2月22日」で、2時22分、22時22分22秒を時計で見た人もいるのでは?

秒まで数えると、「2」ばかり11ケタも並ぶ。

かく言う私も、この日記その時間に書いてみました(ヒマ人)。

でも見事な「2」並びではないか。

「令和」で見れば、4月には「令和4年4月4日4時44分」があるけれど、並び数では今日が最も多い。

それを言ったら200年後の「2222年2月22日22時22分」が、11ケタになるし、過去ならば「1111年11月11日11時11分」が12ケタの「1並び」だ(この時の日本は平安時代末期)。

先日スーパーで買った食品の袋に、賞味期限が「22.2.22」と書いてあって、記念に取っておこうかと思った(笑)。

そんなくだらない事はさておき、強い冬型気圧配置で大荒れ天気が続く。

北海道や日本海側では大雪が昨日から続いており、大きな影響が出ている。

札幌市では、僅か2週間前に大雪で公共交通機関が数日間マヒしたばかりなのに、昨日・今日もJR線はほぼ全面運休。

道路も除雪・排雪が追い付かず、バスも大半が運休や路線変更を余儀なくされていると言う。

新千歳空港も除雪が間に合わず、多くの便が欠航した。

札幌近郊と空港を結ぶJRが動かないため、移動には高速バスしかなく、バス自体も高速道路が通行止めになっている上、一般道も大渋滞して数時間かかる便も出たと言うから大変だ。

暴風も加わって、各地では視界が閉ざされる「ホワイトアウト」が発生し、自動車事故が多発している。

荒天は明日も続きそうで、市民生活に甚大な影響を及ぼしそうだ。

仙台は昨日に引き続き、奥羽山脈から雪雲が断続的に流れ込んで変わりやすい空模様だった。

晴れ間のある時間もあったのだが、気付くと雪が降っている・・の繰り返し。

積雪は大したことなかったけれど、1日中雪と言う感じだ。

気温も公式には1℃との事だが、ほとんどの時間が氷点下であり、実質的に「真冬日」だったと言える。

予報では週末気温が上がって暖かくなると言うが、ちょっと信じられない。

この冬の仙台は、積雪こそ少ないが雪の回数は久し振りに多い気がする。

昨年は-8℃まで冷え込んだ日があり、今年はそこまで寒くないのだが、そこそこの寒さが長続きしていると思う。

週末を含め「三寒四温」を繰り返して春を迎えるのだろうが、まだ油断は出来ない。

過去には桜が満開で積雪した事もあるから、北国の「本当」の春はしばらく先ではないか。


23時少し前に帰宅したが、雪ははらりはらりと降っている。

道路は凍結。

交差点では、車がシュルシュルとスリップさせる。

人も車も最悪のコンディション。

明日は休日だから、通勤・通学の影響は避けられそうだが、今日と同じような寒さが続くとのことだから、外では細心の注意が必要。

転倒して尻もちつくぐらいなら笑い話で済むけれど、一歩間違えれば大けがするし、命に関わる事もある。

私も歳のせいか、体幹バランスが悪くなってきて、すたすたと歩くことが出来なくなった。

傘を差したり、重い荷物を持っていればなおさらのことだ。

幸い転倒した事はないが、うっかりズルッと滑ることは良くある。

家に着く直前、雪で真白な通路をひょいと黒い影が横切った。

ウチの住宅に住みつく猫だ。

暗くてよく見えなかったが、寒くないのかなあと思う。

そう言えば今日は「2」並びで、「猫の日」だとか。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

雪と寒さ、大丈夫でしたか?

君は寒さは平気と言っていましたが、今はどうですか?

毎日のように雪が降って、それはそれで大変だと思います。

寒い夜は、熱いココアを飲むのが好きだと言ってましたが、今日のような日はぴったりですね。

明日も厳しい寒さとなるようなので、暖かくして過ごして下さい。

外出の際には、道路が凍っているので足元に、そして体調管理に注意して下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。




白雪の 降りしく山を 越え行かむ 君をぞもとな 気の緒に思ふ(万葉集巻十九 4281 大伴宿禰家持)







飛行機ネタ。

歯止めのかからぬコロナ禍で「旅行」することが、まさか憚られる時代になるとは思わなかった。

私はコロナ前から諸事情で旅行から遠ざかってしまったが、最近ふと地元仙台空港の発着スケジュールを見て違和感を覚えた。

なるほどコロナ禍の影響で、各路線・各エアラインは減便が恒常化しているが、それは仕方のない事だ。

それでも大分戻ったようだが、使用機材を見たら同空港発着便からB767がいつの間にか消えていた。

コロナ禍前までは、全日空が大阪・伊丹線や沖縄線で運用していたのだが、今はB737やコードシェア運航するIBEXエアラインズのCRJに代わっている。

それにしても国内線ではかなり上位に位置する沖縄線が、B737で運航されるとは時代を感じざるを得ない。

全日空が公表する同路線の「マイル」は1,130マイルで、約1,800キロ。

もちろん同機のパフォーマンスからすれば、全く問題ない距離であり世界的に見てもこの程度の距離を飛ぶB737は珍しくない。

だがほんの30年前まで、B737クラスの機体が数千キロを何時間もかけて運航すると言う事は考えられなかった。

B737が開発されたのは60年代末の事で、その直前にボーイングのライバルであったダグラスは「DC-9」を開発して大ヒットさせていた。

DC-9は双発小型のナローボディ機で、ごく初期生産型である「10」型の座席数は僅か90席だった。

現在で言えばCRJやEシリーズに当たる「リージョナル機」で、当時このカテゴリーは存在しなかった。

ローカル線の主役はターボプロップ機を含むプロペラ機が主役で、座席数は50席以下。

地域間輸送を担う種別として「コミューター機」と呼ばれていたが、ジェット機はまだ創世記に近く大型で長距離用と考えられていた。

ジェット旅客機が実用化された50年代は、エンジンがまだ純粋なジェットエンジン「ターボジェット」が主流。

ターボジェットは高速こそ出せるが、燃費が悪く騒音も大きく、時には真っ黒な煙を吐いた。

概念としては低燃費で効率の良い「ターボファンジェット」が確立していたが、推進ファンの材質などで技術的に未熟だったため実用化が遅れていた。

しかし60年代にはようやく実用化され、燃費・騒音なども大幅に低減された。

とは言え、まだ大型の推進ファンは実用化が困難であり、「低バイパスエンジン」が精いっぱいだった。

それでも実用化は画期的なことで、DC-9を始め、ヨーロッパでも独自に開発した低バイパスエンジンを使った小型旅客機が開発されていた。

エンジンのおかげで性能は向上したが、この時点ではまだ「短距離旅客機」の域を出ていなかった。

その殻を破ったと言えるのが、「新世代」と呼ばれるB737の開発だった。

小型ナローボディ機にあまり興味を持っていなかったボーイングは、B737の成功で将来性を見出したと言う事だったのだろう。

それまでの200型をベースに、より進化させた新型の開発に着手したのが70年代末で、83年に完成したのが300型であった。

1-1-1-45 B737-300 Southwest_Airlines_N331SW.jpg ↑84年に就航したサウスウエスト航空の「新世代737」、B737-300(ウィキペディア英語版より)

更にボーイングのナローボディ機としては初めて、同一機種ながらも胴体の長さのバリエーション展開を行い、88年に400型、89年に500型がデビューしている。

従来の200型から発展させるには、胴体を延長させて座席数を増やす事、同時に燃費の良いエンジンに換装し、航続距離を延長する事が目的とされた。

この「新世代737」に搭載されるのは、言わずと知れたCFMインターナショナル製の「CFM56-3」ターボファンエンジンである。

このエンジンは改良が重ねられ、後に最大のライバルとなるエアバスのA320シリーズの他、4発機のA340、「新世代737」の後を受け継いだ「737NG」シリーズにも搭載される傑作エンジン。

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1-1-1-45 B737-400 US_Airways_N438US.jpg ↑(2枚)300型のローンチユーザーでもあったアメリカのメジャー、USエアウェイズのB737-400。北米系エアラインで400型の採用例は少ない。アメリカン航空と統合後も同機は引き継がれた。アメリカン航空の近距離機材はMD-80シリーズが主力で、同社が本格的にB737を運用したのは300・400型が初めてだった(ウィキペディア英語版より)

開発は70年代初頭から始められたエンジンで、アメリカのエンジンメーカーGE社とフランスのスネクマ社が出資して設立した合弁企業がCFMインターナショナル社である。

同エンジンは、当時アメリカで開発された最新鋭の戦略爆撃機B-1が搭載した「F110」をベースに民生用として開発したエンジンで、主に小型機用のエンジンだった。

ただ完成までは多くの難問を抱えていて、元となるF110は軍用であることから、アメリカは例え民生用としても海外に技術が漏えいする事に強い難色を示していたと言われる。

1-1-1-45 B737-400_Pan_Am_N407KW.jpg ↑激レア画像とも言えるパンナムの400型。大都市からの乗り継ぎ便用として200型やB727の更新用として導入されたが、既に経営不振に陥っており同機の運用は短期間だった(ウィキペディア英語版より)

GE社は、すでにワイドボディ機用の高バイパスエンジン「CF-6」を成功させていたが、このエンジンはエアバスの処女作「A300」にも採用されていて、ヨーロッパに輸出されていた。

当時ヨーロッパは冷戦の真っただ中で、民生用とはいえ「東側」に技術が流れることをアメリカは極端に恐れていた時代でもあった。

紆余曲折を得て誕生したCFM56エンジンだったが、小型ながらも低燃費・低公害の高バイパスエンジンとして成功した初めてのエンジンでもある。

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1-1-1-45 B737-400-SAS.jpg ↑(2枚)意外とレアなSAS現行塗装のB737-400。同社はDC-9/MD-80シリーズのヘビーユーザーで、200~500型まで自社発注したことはない。同機は買収したノルウェーの「ブラーゼンス航空」の機体で、登録もノルウェー籍。SASはその後737NGのユーザーになったが、最近A320シリーズへの変更を開始している(ウィキペディア英語版より)

最初の生産型である300型は、アメリカの大手USエアウエイズとサウスウエスト航空が大量に発注し、200型の後継機として84年に就航を開始した。

300型は、200型よりも胴体を約2メートル延長し、最大座席数は150席と、当時最大のライバルだったDC-9/MD-80シリーズに迫った。

それでも座席数と言う点では僅かながら劣っていたことから、さらに胴体を延長させた400型を開発した。

400型は全長36.4メートルで、300型よりも3メートル延長し最大座席数を188席としたモデルである。

これはB737の「1ランク上」で、「中距離機」であったB727とほぼ同数であり、単純に数だけ比べるならば4発機のB707ともほぼ同格であった。

これだけ「大型化」できたのは、やはり高い出力を持つCFM56エンジンの功績が大きかった。

1-1-1-45 B737-401,_Piedmont_Airlines.jpg ↑300型の胴体を約3メートル延長し、最大で189席設ける事が出来るB747-400。初就航は88年、アメリカのピードモント航空(ウィキペディア英語版より)

だがこの新シリーズを開発するにあたって、最も設計陣を悩ませたのはその搭載方法だった。

ベストセラーとなった200型は、DC-9に触発されての開発だった事もあり短距離用として未整備の地方空港での運用が考慮されていた。

結果としてそれまで小型プロペラ機でしか運航出来なかった空港に、ジェット機の運用が可能となった訳で、その為に出来るだけ脚を短くして地上高を低く、キャビンの出入り口には収納式のエアステア(タラップ)を装備していた。

DC-9はそれを見越して、エンジンを尾部に装備させたリアジェット式を採用したが、B737は通常の方式を取った為エンジンは主翼に取りつけていた。

1-1-1-45 B737_Classic_(Lufthansa).jpg ↑正面から見た「新世代737」(737クラシック)。大型化するにあたり、主翼や尾翼も改修された。垂直尾翼は高さが上げられ付け根部分にはフィレット(延長部分)が付け加えられた他、水平尾翼も面積が拡大された(ウィキペディア英語版より)

200型は低バイパスエンジンで細長いJT-8Dを採用したが、それでも地上とのクリアランスはギリギリでエンジンは主翼に「直接」取り付けるようにして何とかクリアランスを取っていた。

しかしファン径の大きなCFM56エンジンでは、当然「つっかえて」しまう。

単純な方法は脚を伸ばす事だが、それだと胴体やその収容部を大きく設計変更する必要があり、機体構造自体が変わってしまう可能性があった。

加えて200型と出来るだけ共通構造を持たせることで、開発費を抑え価格を下げることで中小エアラインへのセールスが期待されていた事もあり、脚の延長は見送られた。

最終的にエンジン全体を前方にせり出させ、かつ上向きに持ちあげるように取り付けることで何とか地上とのクリアランスを確保したのである。

1-1-1-45 B737-500_turbine.jpg ↑300~500型が装備するCFM56-3ターボファンエンジン。エンジンは大きく前方にせり出し,持ちあげたように取り付けられており、カウリングの上部は主翼面とほぼ同じ高さにある(ウィキペディア英語版より)

それでもやや足りず、エンジンのカウリング(覆い」の下部を平面にして、正面から見ると「おむすび」のような実に奇妙な形が出来上がった。

B737の後になるが、同じCFM56エンジンを持つエアバスのA320シリーズは脚が長い為こうした工夫はされていない。

更にA320のエンジンに比べて、B737のそれは推進ファンの直径が小さい。

1A6-B737-524.jpg ↑地上とのクリアランスを取るため、下部を平面にしたカウリング(覆い)。異常とも言えるいびつな形で、日本のファンは「おむすび形」と呼ぶ(ウィキペディア英語版より)

コクピットは、B767で実用化された「グラスコクピット」が採用され、システムの自動化も進んだ。

意外なことだが、最初にデビューした300型のごく初期生産型では、200型と同じアナログ計器だけの計器板が搭載されていた。

これは一部の計器だけデジタル化された「アドバンス型」と呼ばれるタイプで、200型の最終生産型で採用された。

ローンチユーザーだったUSエアウェイズやサウスウエスト航空は、大量の200型を運用しており、パイロットが新しい300型とライセンスが共通である事を望んだからだ。

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1-1-1-45 B737-505,_COCKPIT.jpg ↑(2枚)B737-200のアナログコクピットと、4枚のCRTが採用された「新世代737」のコクピット。画像の200型のコクピットは「アドバンスド」と呼ばれる後期の改良型で、一部の計器がデジタル化されている。新世代737では、86年まで生産された300型はこの「200アドバンスド」と同じコクピットを装備していた(サウスウエスト航空などでは、後に標準型に変更している)

「新世代737」のグラスコクピットは、今で言えば完全なデジタル化はされておらず、CRTはB767の6枚と違って4枚だけだ。

CRTには主に航法が表示され、エンジン関係はアナログ計器である。

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1-1-1-45 B737-400SF-Atran,_VP-BCK.jpg

1-1-1-45 B737-400SF_Atran_(Volga-Dnepr_Group).jpg ↑(6枚)現在も現役で運用中のB737-400は、改造された貨物機が多い。上からトルコ、ブルーバード・カーゴの400BDSFとブラジル、シデラル・カーゴ、メキシコのエスタフェタ航空、ドイツのカーゴ・ロジック・ジャーマニー、ロシアのATRANの400SF。カーゴロジックとATRANは塗装で分かる通り、ロシアの大手貨物エアライン「ボルガ・ドニエプル航空」グループのエアライン。既に「古い飛行機」となってしまったB737-400だが、こうした小口貨物輸送に適しているとして活躍が続いている。横から見ると300・500型に比べてバランスの取れたスタイルであることが、改めてわかる(ウィキペディア英語版より)

日本での「新世代737」は、かなり遅かった。

80年代から90年代初頭は、長らく続いた航空規制緩和が進んだ時期だったが、国内での航空需要はまだ限られていた。

航空運賃が高く設定されていた時代で、ようやく「包括運賃」の「バラ売り」が認められ始めた頃である。

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1-1-1-45 B737-4Q3_JTA_Japan_JA8940.jpg ↑(2枚)日本のエアラインに改革をもたらしたB737-400。日本トランスオーシャン航空が最初に発注し、94年初就航させた。導入に合わせて「スカイマンタ」の愛称を与え、イラストが記入された(ウィキペディア英語版より)

季節割引などの設定はあったが、今ほど割引率は高くなく、飛行機は高根の花。旅行の主役は鉄道だった。

航空利用は東京・大阪を中心とする幹線か、北海道や沖縄など陸上交通が不便な地域に限られていた。

だが規制緩和で各エアラインの競争が激化し始め、同時に機材不足や老朽化、性能不足も生じていたのである。

規制緩和後でも、国際線は「半官半民」の日本航空が比重の多くを占め、国内線は全日空と東亜国内航空、小規模のコミューターエアラインが主力だった。

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1-1-1-45 B737-446_JAL_Japan_Airlines_JA8998.jpg ↑(2枚)日本トランスオーシャン航空に続いてB737-400を導入した日本航空。規制緩和による国内線の競争激化に備え、ローカル線の充実を図った。同社としては60年代の4発機DC-8、3発機B727以来のナローボディ機導入であり、87年DC-8が退役して以来の事でもあった。「フラワージェット」と命名され、控えめながら1機ずつ花の愛称とイラストが描き入れられていた。大型機だけだった同社に、大きな変換点を与えることになった(ウィキペディア英語版より)

競争激化で運賃も各エアライン同士での競争となり、利用率は向上したが、ローカル線向けの機材が不足していた。

当時全日空と南西航空は、ローカル線向けに200型を運用していたが、完全な短距離用機材として運用していた。

200型の航続距離は2,000キロ弱で、運用ベースとしては最大で1,000キロ、時間にして2時間弱が限界であり、国内線でこの距離はワイドボディ機の独壇場だった。

小型ナローボディ機は、あくまで短距離用であり、多様化する需要に対応できる訳ではなかった。

全日空や日本航空は、中間クラスとしてB767を導入したが、ローカル線主体の路線では大きすぎる場合が多かったのである。

そして92年に南西航空が、200型の後継機として400型を日本で初めて発注した。

1-1-1-45 B747-400 JTA JA8999.jpg ↑レトロ塗装として南西航空塗装が施された日本トランスオーシャン航空のB737-400。発注時は南西航空だったが、導入時には日本トランスオーシャン航空になっていたため、旧塗装の400型は幻となったが企画として「復刻」された。地元沖縄では大変好評で、期間を延長して運航された(ウィキペディア英語版より)

沖縄に拠点を置く同社は、離島路線を多く持ち重要な公共交通の使命を持っていたが、最大の機材はB737-200で、離島路線は運航できても遠く本土への運航は難しかった。

結果沖縄と本土は日本航空や全日空と言った大手に頼らざるを得ず、航続距離の長い機材は悲願でもあった。

同時にこれまで同様、県内の離島路線も運航できる機体として400型が選ばれたのだった。

初号機は94年に受領したが、その直前に社名を南西航空から「日本トランスオーシャン航空」と変更しており、当初公表されていたオレンジ色ベースで「南西航空・SWAL」のロゴが入れられたB737-400は幻となった。

同社は日本航空の子会社でもあり、社名変更に際し塗装も日本航空に準じたデザインに変更することになったからだ。

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1-1-1-45 B737-476,_Qantas_.jpg ↑(2枚)カンタス航空は20機以上の400型を導入し、国内線の主力機として運用した。後継機種はB737-800(ウィキペディア英語版より)

400型が出揃うまで運用が続いた200型は、順次旧塗装から「新塗装」に変更したが、400型では初号機から新塗装で導入されている。

同機は大きく宣伝され、「スカイマンタ」と言う独自の愛称がつけられた。

200型に比べて20席以上輸送力が増加した事に加え、離着陸性能の向上、そして航続距離の延伸を備えた同機に寄って、柔軟な運用が可能になった。

特に一大観光地ながら、滑走路が短かった石垣空港では同機に寄って念願の本土線も実現した。

その後日本航空でも400型の導入が始まり、同社にとってはDC-8・B727以来のナローボディ機として大きな話題になった。

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1-1-1-45 B737-400 -VIRGIN BLUE VH-VGA.jpg ↑(2枚)イギリスのヴァージングループが設立したLCC、ヴァージン・エクスプレスとヴァージンブルー。キャビンはハイデンシティ(高密度)仕様180席で格安運航したが、大手メジャーや他のLCCに阻まれ成功しなかった。前者はベルギー、後者はオーストラリアに本拠を置いた。ヴァージンオーストラリアは、現在「Vオーストラリア航空」になった(ウィキペディア英語版より)

94年は関空が開港した年で、便数枠が拡大されて一種の航空ブームが起こった。

日本航空は大型ワイドボディ機しか保有しておらず、需要に見合った機材が不足していたのでB737-400の導入に踏み切り、ローカル線の新規開設を開始した。

全日空は子会社であるエアー・ニッポンが、95年に初の自社発注機材としてB737-500を導入したが、東京~八丈島線専用機として2機の400型を中古で導入している。

00年代になって、新興エアラインとして設立されたスカイネット・アジア航空(現ソラシード・エア)が初めて同機で統一して運航を始めたほか、エアー・ニッポンの2機はエア・ドゥにリースされ、同社初のナローボディ機として新規路線に投入されている。

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1-1-1-45 B737-400 AIR DO-JA391K.JPG ↑(3枚)全日空系列のエアー・ニッポンは、B737-500を導入したが、東京~八丈島線専用機として400型を2機導入した。いずれも中古機で座席数も167席と高密度仕様のままで運用された。機体は特別塗装が施され500型に付けられた「スーパードルフィン」に対して「アイランドドルフィン」と名付けられた。その後同路線は一般の500型に変更され、エア・ドゥにリース。新規路線だった東京~旭川線、函館線、女満別線に投入された。リース期間終了後は、さらにスカイネット・アジア航空へリースされている(ウィキペディア英語版より)

日本のエアラインでは300型を導入したエアラインはなかったが、400型は50機近くが運用されている。

00年代にはすでに新造機の生産ラインは「737NG」に代わってしまったが、日本トランスオーシャン航空は海外から中古機を導入して機材を入れ替えしつつ運用を続けた。

同社が新造機として発注したのは15機だったが、最終的には中古機を含めて23機も導入している。

日本航空は同社ブランドでの運用は短期間に終わったが、98年に子会社としてローカル線を担当する「JALエクスプレス」を設立し移籍させた。

更にグループ内での共通運用機材になり、北海道から沖縄まで文字通り全国を飛ぶ唯一の機体として活躍した。

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1-1-1-45 B737-446_JEX JAL_Express_JA8999.jpg ↑(2枚)日本航空は、ローカル線部門として「JALエクスプレス」を設立し、B737-400を移籍。その後機材も拡充した。その為「鶴丸」塗装の時代は約4年と短かったが、JALエクスプレスの塗装は鮮烈で現代的なデザインで話題を呼んだ。私的には日本のエアラインの中で最も秀逸なデザインだと思う(ウィキペディア英語版より)

旧日本エアシステムと統合後は、「クラスJ」を設定した2クラス制に変更し、亜幹線でも同機の運用が拡大した。

日本の400型は150席が多かったが、海外から導入した中古機では167席仕様もあった他、日本トランスオーシャン航空ではクラスJを設定する機体とモノクラスの機体があり、後者は主に沖縄県内路線で使われた。

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1-1-1-45 B737-400C_Alaska_Airlines_N762AS.jpg ↑(4枚)北米で比較的多数の400型を使ったアラスカ航空。旧塗装では名物の「オジサン」も良く似合っていた。下2枚は激レア機「400C」。同社がオリジナルで改造した「貨客混載型」のB737で、胴体前部がメインデッキも貨物室で、サイドカーゴドアが増設されコンテナを搭載できる。後部は客室で約70席が設けられており、乗客は左側後部ドアから乗降する。ある意味「魔改造B737-400」だ(ウィキペディア英語版より)

「737クラシック」は、約1,900機が生産され、最も多かったのは300型だった。

400型は486機と、300型の約半分以下に過ぎなかったが、運用したエアラインは300型と同じく200社近くに上る。

これは新造機で導入したエアラインの他、中古機で導入したエアラインが多いためだ。

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1-1-1-45 B737-400(JA392K)_SOLASEED AIR.jpg ↑(2枚)宮崎をベースに設立されたスカイネット・アジア航空は、初めてB737-400だけで統一されたエアライン。機材は全て中古機で賄われた。南国をイメージした派手な塗装は、当時話題になったが若干ごちゃごちゃしていて、逆に印象が薄かった。またデザインに比べて社名ロゴが見えない程小さく、賛否両論があった。その後同社は「ソラシード・エア」に社名を変更し、塗装も変更。後継機種B737-800が出揃うまで運用が続いた(ウィキペディア英語版より)

90年代後半に「737NG」に切り替わると、メジャーを中心に更新を行うエアラインが増え、中古機が多く出回るようになった。

それは300型や500型も同じだったが、座席数の多い400型は中古機市場では一番人気だった。

特に途上国や、自由化直後の東欧諸国などでは最新鋭は叶わないものの、そこそこ「新しい」新世代737は安価で魅力的な機材であった。

中には貨物機に改造される機体も現れ、宅配貨物輸送などに適した機材として運航するエアラインもあった。

400型の航続距離は最大で約4,000キロと、「737NG」に比べれば短く短距離機的な性能に見える。

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1-1-1-45 B737-400_JTA JA8938.jpg ↑(2枚)00年代に「アーク」塗装に変更したJALエクスプレスと日本トランスオーシャン航空のB737-400。共通事業機として運用される機体は「クラスJ」が設定され、JEX便にJTA機が運用に入る事も多く、同社が運航しない北海道や東北の空港でJTA機を見ることも出来た(ウィキペディア英語版より)

しかし出現当時は驚異的な性能であり、運航コストを抑えられる画期的な機体であった。

日本のエアラインは国内線専用だったが、海外では国際線機材として運用したエアラインも多い。

もちろんそれは近距離国際線に限られたが、それでも2~3時間前後の路線ならば充分だった。

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1-1-1-45 B737-46M,_UTair_Aviation.jpg ↑(2枚)旧ソ連解体後、機材の更新が急務だったロシアは、リース機でB737-400を導入した。上はアエロフロート機で、ソ連時代のデザインを受け継ぎつつブラッシュウイングを取り入れた現代的な塗装。この塗装は同機とB777-200ERだけ採用された。下はUTアビエーションの400型で、現役にある(ウィキペディア英語版より)

200型の時代では、この距離になるとワイドボディ機か3・4発機しか運用できず需要に見合わない機材を使うしかなかった。

「新世代737」を見たエアバス社は、より経済的なA320シリーズを開発することになるのだが、それは「短距離用」と言う概念を新世代737が打ち破ったからだと言えよう。

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1-1-1-45 B737-400_ASIANA HL7593.jpg ↑(2枚)80年代末に韓国第二で、初の純民間エアラインとして設立されたアシアナ航空。当初はB737-400/500で就航を開始。同社初の国際線として、日本の地方空港に定期就航した。機材は400型が使われモノクラスでの運航だった(のちにビジネスクラスが追加された)。新千歳・仙台・広島・福岡などにほぼ同時期に就航させ、仙台空港は初の国際線定期便が同機だった。独特の「アシアナグレー」を纏った400型は、例え近距離でも外国から来た機体であり、同機の優秀性を感じさせた。尚400型で日本へ国際定期便として運航したのはアシアナ航空だけである(ウィキペディア英語版より)

エアライン同士の過当競争が、運航コストの安い機材で少しでも多く、遠くを求める時代をB737-400が良くも悪くも切り拓いたと考える。

航続距離と言う点では、機体重量の軽い300型や500型の方が長いが、400型でも大きさからすれば長い方であった。

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1-1-1-45 B737-45D,_LOT_Polish_Airlines SP-LLC.jpg ↑(3枚)LOTポーランド航空のB737-400。上は導入当時の旧塗装、中は現行塗装。下は特別塗装で全体が金色と言う、恐らく400型では最も豪華で派手な塗装だ。全日空が700型で「ゴールドジェット」を施した事があるが、こちらの方が正真正銘の「ゴールドジェット」だ(ウィキペディア英語版より)

また短距離・短時間運航の代わりに、座席数を目いっぱい増やすLCCの火付け役でもあるし、ヨーロッパでは盛んだったツアー客向けのチャーターエアラインでも、同機は重宝された。

始めて400型を見た時、正直違和感だらけだった事を思い出す。

やはりB737は「短距離旅客機」で、200型のように小型機と言うイメージが強かった。

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1-1-1-45 B737-430,_Lufthansa_Express.jpg ↑(4枚)ギリシアのオリンピック航空と、ブリティッシュ・エアウエイズ、ターキッシュ・エアラインズ、ルフトハンザのB737-400。いずれも国内線・域内路線の主力として活躍したが、前2社とルフトハンザは後継機に737NGではなくA320シリーズを選択した。ターキッシュ・エアラインズは双方を運用している(オリンピック航空はエーゲ航空に移行した)(ウィキペディア英語版より)

200型と比べると、400型の胴体は約5メートルも長い。

これがワイドボディ機なら、あまり目立たないがナローボディ機では印象がかなり違った。

今でこそ更に大きくなった800型や900型を見慣れてしまったが、当時は「これ737か?」と思ったほど長い機体に見えた。

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1-1-1-45 B737-400 AVIOR YV2928.jpg ↑(2枚)現在も現役にあるギリシアのチャーターエアライン、エア・メデタレニアンと南米ベネズエラ、アビオールのB737-400。後者はLCCの様な現代的で明るい塗装が美しい(ウィキペディア英語版より)

しかもこの「新世代737」は、300~500型まで主翼は共通である。

いずれも胴体より翼幅の方が短いが、400型ではそのバランスが顕著だ。

長い胴体に短い主翼、大丈夫か・・・?とさえ思ってしまう。

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1-1-1-45 B747-400 HS-TDD_Nok_Air_(Purple-Pink_.jpg ↑(2枚)国内線・近距離国際線で活躍したタイ国際航空の400型。00年代後半に同社が設立したLCC「Nok」に移籍した。アジアではありがちな非常に目立つど派手な塗装が特徴で、同機を「鳥」に見立てた塗装で1機ずつベースカラーが違う(ウィキペディア英語版より)

最近の旅客機では、複合材の多用でしなやかに作られていて、その効果を発揮させるためにかなり翼幅が広く取られている。

主翼に風が当たると、軽量で柔らかい為揚力効果で翼端が持ち上がる。

それは機体の浮力も支える訳で、経済性をもたらす効果も大きい。

1-1-1-45 B737-400_DOWNVIEW.jpg ↑B737-400を下から見る(ウィキペディア英語版より)

だがそれ以前の新世代737は、真逆で硬い主翼を持つ。

短い分空気抵抗が少なく、がちっとした主翼は乱気流に強い。

故に見てくれとは裏腹に、非常に安定した飛行特性を持ち、飛行時間の短い路線では降下タイミングが難しい事もあったそうだ。

またエンジンが出力、物理的にも大きくなったことで尾翼が大型化され、水平安定版にはSTC(スタビライザー・トリム・コントロール)で自動制御される。

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1-1-1-45 B737-400SF SF AIRLINES B-2506 JA8993.jpg ↑(3枚)フェデックスと中国郵政航空のB737-400BDSF、中国のSFエアラインズの400SF。「新世代737」で新造機としての貨物機はなく、全て旅客型からの中古改造機である。フェデックスが同機を保有しているのは珍しいが、機体はベルギーに本拠を置くASLエアラインズの所有機。フェデックスに運航委託と言う形で、ヨーロッパ域内の宅配貨物を輸送している。画像の機体はオーストリア籍で、このほかフランス籍の機体もある。中国では300・500型は多数運用されたが、400型を運用するエアラインは殆どなかった。両社が運用する400BDSF/SFはいずれも海外で活躍していた機体の改造機。下SFエアラインズの400SFは、元JALエクスプレス・日本トランスオーシャン航空のJA8993。この3社の400型は現役である(ウィキペディア英語版より)

特徴的なエンジンによって、同機は「機首上げ」しやすい特性を持っており、仰角センサーとコンピューターが連動して水平安定版の調節を行う(この装置を発展させたのが、737MAXで問題となったMCASである)。

離着陸性能は200型とは全く異なり、大口径エンジンの恩恵を受けていた。

現在、世界では約100機前後が現役にあると見られる。

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1-1-1-45 B737-400_Ariana_Afghan_Airlines.jpg ↑(3枚)イタリアのチャーターエアライン、ブルーパノラマ航空、アフリカ・ナイジェリアのメッド・ビュー航空、アフガニスタン、アリアナ・アフガン航空のB737-400。これらも現役にある400型。ナイジェリアは経済状態が悪く、エアラインの多くは休止状態にあり、定期運航とは程遠い状態にあって稼働しているかどうか不明だ。画像は首都アブジャの空港で撮影されたとキャプションにあるが、首都のわりにローカル感が凄い。混乱続くアフガニスタンも、一部を覗いて稼働状況になく、アリアナ航空自体運航状況は全く不明である(ウィキペディア英語版より)

ただし後継機の「737NG」が大量に生産されたことで、中古機市場でもこちらがメインになりつつあり、「737クラシック」と呼ばれる新世代737は数を減らしている。

貨物機に改造された機体も多いが、途上国を中心に旅客機として現役に留まっている機体も多い。

日本では「737NG」の時代になって久しいが、ファンならご存知のように最後の400型が退役したのは19年の事だ(日本トランスオーシャン航空)。

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1-1-1-45 B737-400_JTA JA8996.jpg ↑(2枚)10年代の塗装変更で「鶴丸」が復活した日本トランスオーシャン航空の400型。日本航空やJALエクスプレスで800型の導入が始まったため、400型は移籍して同社に集約された。「フラワージェット」以来10年以上経ての「鶴丸」復活であった(ウィキペディア英語版より)

500型では全日空機が20年に退役したばかりで、400・500型とも実に25年・四半世紀もの長期間日本の空を飛び続けた。

両社とも737NGを導入して10年以上経ってからの全面退役で、交替ではなく「併用」されて来たのは、古くはなったけれど使い勝手の良い機体だったからだ。

デビュー当時は尾翼に不具合が出たりしたが、日本では大きなトラブルを起こした事はなかった。

東京~宮古島線など長距離路線を飛んでいたかと思うと、那覇~久米島線のように僅か100キロ、20分程度の路線を往復したり、実に「働き者」であった。

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1-1-1-45 B737-4Q3,_JTA_JA8939.jpg ↑(2枚)ジンベエザメを描いた日本トランスオーシャン航空の「ジンベエジェット」(ウィキペディア英語版より)

それまでの小型ナローボディ機の概念を変えるには充分過ぎる働きぶりで、世界でも同様の潮流が生まれた。

乗客にとっては、やや窮屈なキャビンで長時間飛行は決して歓迎すべき事ではないかも知れないが、経済性や環境性を重視すれば当然の流れだったとも言える。

1,000キロ以下の路線で、B747やB777と言った大型ワイドボディ機がバンバン飛ぶ日本の事情が異質だったのだ。

300・500型は、座席数から短距離機の色が濃かったが、400型は中距離までこなす「多目的型」であり、その先鞭をつけた機体なのである。

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