飛行機ネタ ルフトハンザ一色になるか、ドイツのエアライン(2月8日 晴れ時々曇り 7℃)

※2日分の日記を掲載します。

◎2月5日 晴れ時々曇り 2℃


一昨日は「節分」、昨日は「立春」。

そんな季節の言葉が、どこかへ吹き飛んでしまったかのよう。

強い寒気の流入で、日本海側では大雪。県内も深夜から雪が降り、今朝は各地でこの冬一番の冷え込みを観測した。

仙台の最低気温は-4.6℃で、最も冷え込んだ。

我が泉区は、それよりも確実に低いから-5℃を超えていただろう。

昨夜ちょうど帰宅する頃に、雪が降り始めていた。

暗闇に中では非常に見えにくい、細かい雪で、最初は大したことないかと思っていた。

しかしほんの10分ぐらいで、道路がうっすらと白くなってしまう降り。

傘を持っていなかったので焦ったが、帰宅後小一時間ほどしてから外を見たら真っ白で、4~5センチ積もっていたように思う。

日中は青空が広がったので、雪の大半は融けたが、早朝驚いた人は多かっただろう。

幸い土曜日だったし、風も吹かなかったので通勤・通学で影響を受ける事はなかっただろう。

それにコロナ禍で、週末だからと出かける気も削がれるというもの。

私も急拡大し始めた新年以降、努めて人混みを避けるようにしている。

今回の「第6波」は、30代以下の若い人に多く、特に10代以下の子供が多い事も特徴。

故に学校や塾、児童館などでクラスターが起こり、当然家族が感染してしまうと言うケースが多いようだ。

現在35都道府県が「蔓延防止」措置を行っているが、あまり効果はないようだ。

我が宮城県を含む措置の要請を行っていない自治体は、「飲食店の自粛効果は低い」事を理由に挙げており、なるほどそう言う見方もあるかと思う。

私見だが「まん防」だけでなく「緊急事態宣言」の時も、飲食店が営業できる日中は普段通り混雑していた。

コロナ禍が始まって2年、そろそろ考え方を大きく変えるべき時期なのかもしれない。

昨日から北京冬季オリンピックが始まった。

「東京オリンピック」が終わったばかりで、正直興味が薄れてしまう。

もちろん我が仙台市出身のフィギュアスケート、羽生結弦選手の活躍を大いに期待はしているが。

今回もメダル候補で、世界が注目している事は、地元民として嬉しいし誇りでもある。

だが、昨年のオリンピックは「カネまみれ、政治まみれ」がクローズアップされ、どうもシラケた感じで見てしまう。

メディアが全時間帯ぶち抜きで放映するのも、「放映権」然りと思うと、日本選手が出る時と結果報告だけで良いのでは?とさえ思ってしまう。


◎2月8日

少し雲が多めながら、仙台は典型的な冬晴れ。

気温もやや上がったが、体感的にはさほど感じず空気はピンと冷たい。

風がなかったので、その分楽だったかもしれない。

北海道では、まさに「災害級」の大雪が続く。

しかも札幌だけ狙い撃ちされたかのようで、昨日は24時間で60センチもの積雪を観測。

今日の時点で130センチ以上と言う、記録的な豪雪になっている。

JRは6日からほぼ全面運休と言う異常事態で、市内のバス路線も動いているのはごく一部だけだと言う。

唯一正常運行しているのは地下鉄で、通勤・通学に影響どころか一歩も動けないような状況だ。

とにかく雪が多すぎて、除雪・排雪が全く追い付かないと言う。

JRでは除雪車や機械自体、出せない・動かせない程で人の手で除雪するしかないまで追い込まれている。

今日の夜以降、徐々に運転が再開したと言うが、明日も運休が続く見込みと言う。

札幌市では、本来今週「さっぽろ雪まつり」が開催されていたはずだが、コロナ禍で先月末急遽中止が決定した。

会場では既に多くの雪像が作られていたが、中止を受けて取り壊されたと言う。

怪我の功名と言うつもりはないけれど、もし2年ぶりとして開催されていたらもっと大変な事になっていただろう。

多くの観光客が札幌に行けない、札幌から出られない・・と言う事態になっていたに違いない。

私は冬の札幌はそこそこ知っているつもりだが、ここまで大雪は確かに聞いたことがない。

例年だと多くても5~70センチぐらいだから、一気に倍以上も積っている事になる。

対策はどこよりも準備している街だが、さすがに限界を超えたと言う事らしい。

大雪のピークは過ぎたようだが、すぐに融ける訳もなくむしろこれからが正念場。

一方週後半は「南岸低気圧」の接近で、首都圏で「10センチ」程度の「大雪」が予想されている。

仙台も積雪が予想されているが、今のところ多くて数センチなので大雪にはならない見込み。

この冬はまだ大雪こそないが、雪自体は結構多い気がする。

家の周りも殆ど融けているが、日陰は年末以来ずっと雪が残っている。

立春は過ぎたけれど、冬はまだまだ続きそう。

最近の子供の事情は知らないが、子供のころは雪が降ると無条件で喜んだ。

「オトナの事情」は今も昔も変わらないと思うが、子供はただ嬉しかった。

いつから寒さ・雪が苦手になったのだろう、とつくづく思う。

時代が時代だったから、家の暖房は居間に石油ストーブとコタツ。

自室にはなく、昭和初期に建てられた古い建物だったから隙間風が入り、子供にとってもひたすら寒い。

居間で勉強すれば良いのだけれど、暖かくテレビもあるし誘惑に勝てなくなってしまう。

だから何とか気合いで勉強するのだけれど、手足の指先が冷たさで痛くなってしまい、結局居間に逃げ込むのである。

早い話寒さにかこつけて、勉強は疎かだった訳だ(笑)。

だから居間には自然と家族が集まり、決して大きくはないコタツに足を突っ込んで食事をテレビを観る。

この頃よくそんな夢を見て、懐かしくそして幸せな時間だったなあと思って目を覚ますのだ。

子供達にコロナ禍が拡大し、他の家族も感染し、会社や学校の同僚や友人に知らずのうちに移してしまう可能性に。

逆のパターンも然り。

冬こそ家族が一緒にいられる当たり前のことを、どれだけ幸せな事か改めて認識できる季節なのに、それすら出来ないとは何事か。

季節すら味わえない余裕のなさに、現代への憤りすら感じる。

そして今の私の家には石油ストーブもコタツも、一緒に暖まる家族もいない。





元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

寒さは大丈夫ですか?

雪を見ると、つい君の事を思い出します。

あの冬はとても寒く、雪が多かったように記憶していますが、それが君のイメージに繋がってしまっているようです。

そう言えば今頃、君は旅に出ました。

旅先から時々メールをもらった事、とても懐かしく思い出されるとともに、ついこの前のような気もします。

旅行が憚れるような世相になってしまいましたが、そう遠くない未来にまたあの夕陽を見たくて旅する事が出来るでしょう。

私は今も、いつかあの場所を君と歩いてみたい・・そう思う事があります。

でも写真や動画で見ることもできる時代、その日までは夢を膨らませて置くのも良いでしょう。

寒さは暫く続きそうですし、雪も降りそうです。

どうか体調管理には、くれぐれも気をつけて暖かくして過ごして下さい。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。



吾背子を 今か今かと 出でみれば 沫雪降れり 庭もほどろに(万葉集巻十 2323 冬雑歌)







飛行機ネタ。

日本人とドイツ人は、良く似ていると言われた事がある。

それは「勤勉、まじめ」と言う部分に共通点が多いとされ、例えば科学や医療、機械分野などの技術が高いのは「勤勉、まじめ」さから来るものだ、と見られているらしい。

最近あまり聞かなくなった気がするけれど、確かに共通点は多いかも知れない。

ドイツはヨーロッパ中央部にあり、正式国名は「ドイツ連邦共和国」。

ドイツ語では「ブンデスレプブリーク・ドイッチェランド」と言う。

「ドイッチェランド」とは諸説あるものの、ドイツ語で大衆とか住民、国民と言う意味を持つ。

その起源はローマ帝国時代まで遡るが、9世紀に西ローマ帝国が滅亡後ドイツの地域は分割割拠され、843年に「東フランク王国」が承認された事が、一応現ドイツの起源とされている。

日本の平安時代に当たる962年、国王オットー1世が「アウグストス」を名乗ると同時に「神聖ローマ帝国」となった。

16世紀の国王マクシミリアン1世の時に、「ドイツ・神聖ローマ帝国」と言うドイツの名前が登場したとされる。

面積は約36万平方キロで、日本よりやや小さい程度。人口は約8,400万。

首都はベルリンで、都市圏人口は約600万。ドイツ最大の都市でもある。

1-1-1-43 Bikinihaus_Berlin.jpg ↑ドイツ連邦共和国の首都ベルリン(ウィキペディア英語版より)

この他フランクフルト、ミュンヘン、ハンブルグと言った誰でも聞き覚えのある都市も多く存在する。

冷涼な気候ながら、国土は多面性を持ち、北はバルト海に面し南部はアルプス山脈の北端に接している。

農業・工業共に盛んで、豊かな鉱物資源にも恵まれている。

日本でドイツと言えば、メルセデス・ベンツ、BMW、フォルクス・ワーゲン、アウディなど自動車産業が有名だ。

また鎖国時代に来日し、長期滞在したドイツ人医師シーボルトも学校で習った記憶があるだろう。

彼は最初に現代西洋医学を日本に持ち込んだ人物で、現在も医療用語の多くがドイツ語であることは良く知られている。

例えばカルテとかメスはドイツ語が発端で、医師が書くカルテもまた、症状や薬剤などはドイツ語で書かれる事が多い。

1-1-1-43 Frankfurt_Am_Main.jpg ↑ドイツ経済の中心都市フランクフルトの夜景(ウィキペディア英語版より)

住民の主体はゲルマン系ドイツ人で、公用語はもちろんドイツ語。

ただ地域性、すなわち方言が多いのも特徴で、法律では元々北部を中心に使われていた言葉が「標準ドイツ語」にされて公用語とされている。

第二次大戦の敗戦で、ナチス・ドイツは米英仏ソの連合国の管理下に置かれたが、同時に米英仏とソ連が対立したことで「ドイツ連邦共和国」と「ドイツ民主共和国」に分断された。

前者は通称「西ドイツ」と呼ばれ、自由主義国家。後者「東ドイツ」は社会主義国家としてソ連の衛星国になっていた。

しかし80年代後半の東欧民主化とソ連の改革によって、89年にドイツは統一された。

建前上は「統一」とされるが、実際には西ドイツが東ドイツを「吸収」したものであり、国名も西ドイツの「ドイツ連邦共和国」が継承されている。

ドイツ最大のエアラインは、日本でもお馴染みの「ルフトハンザ」だ。

同社の創業は1926年、「ドイツ・エアロ・ロイド」と「ユンカース空輸」を統合し「ルフトハンザ」と命名したのが始まりだ。

「ハンザ」とは、中世ドイツで発展した都市同盟「ハンザ同盟」に由来し、「ルフト」は航空と言う意味だ。

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1-1-1-43 Lufthansa,_A350-900 D-AIXG.jpg ↑(2枚)ドイツのフラッグキャリア、ルフトハンザの最新鋭機材A350-900。下は旧塗装機(ウィキペディア英語版より)

当時のドイツは第一次大戦の敗北による「ヴェルサイユ条約」で、航空産業は厳しく制限されていた。

しかし民間機に関しては規制が緩和された事で、国産旅客機の開発も再開されていた。

その陰には権力を握ったヒトラーがあった訳だが、ルフトハンザはナチス・ドイツの重要な国策企業として重用された。

第二次大戦中も国内線の他、占領地域への「国際線」の運航を続けていた他、主力機であった3発機「ユンカース52」はヒトラーの愛用機でもあった。

1-1-1-43 Lufthansa_Junkers_Ju_52_3m.JPG ↑ルフトハンザの塗装を施した動態保存されているユンカースJu52/3m(ウィキペディア英語版より)

第二次大戦後当然運航は停止したが、53年に西ドイツの国営エアラインとして「ルフトハンザ・ドイツ航空」が再開した。

面白い事に、ほぼ同時期東ドイツでも「ドイッチェ・ルフトハンザ」と言う国営エアラインを立ちあげており、命名権で争う事になった。

数年後国際調停で東ドイツ側が負けてしまい、「インターフルグ」に変更したと言うエピソードがある。

東西ドイツは各連合国の援助で戦後復興を果たしたものの、両国は東西冷戦の「最前線」でもあった。

その為ルフトハンザも厚遇されており、アメリカから豊富な機材援助が行われた。

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1-1-1-43 DEUTSCHE LUFTHANZA IL-14.jpg ↑(2枚)50年代に復航した「東西」のルフトハンザ。上は西ドイツのルフトハンザが運用したコンベアCV340。下は東ドイツの「ドイッチェランド・ルフトハンザ」のイリューシン14。奇しくも機体規模・形状はそっくりの機体だった(ウィキペディア英語版より)

50年代後半にはロッキード・コンステレーションなどで、北米や中東などの長距離国際線の運航を開始した。

東西ドイツが統一されて30年以上経ち、「西ドイツ」の事を知る人は少なくなっているだろうが、当時の首都は西部の都市ボンにあった。

ボンは歴史のあるケルン近郊にある小さな都市だが、実は「暫定首都」でもあった。

1-1-1-43 Lufthansa_Lockheed_L-1049G.jpg ↑50年代後半に導入されたロッキードL-1049Gスーパーコンステレーション。ルフトハンザ初の本格的長距離旅客機として、北米線に投入された(ウィキペディア英語版より)

現在の首都はベルリンであるが、東西ドイツの時代までベルリンは「分割」されていた。

すなわち統合の象徴とされる「ベルリンの壁」が崩壊するまで、ベルリンは戦後の連合国統治が実質的に続けられており、東ドイツの首位とはベルリンでなく「東ベルリン」であった。

1-1-1-43 berlin.jpg ↑冷戦時代「ベルリンの壁」の基点で、分断の象徴でもあったブランデンブルグ門。もちろん現在は自由に行き来できる(ウィキペディア英語版より)

市内西部の「西ベルリン」だけ、米英仏の管理下にあり「飛び地」として西ドイツの領となっていたのである。

60年まで市民に限って東西の行き来が出来ていたが、「西側」に脱出する市民が激増したことから東ドイツ側があの壁を作ったのである。

西ベルリン市民は西ドイツ国籍を持っていたが、市外へ出るには決められたルート以外使用できなかった。

と言うよりも市外へ出ると言う事は「本国」へ行くことであり、東ドイツ領内には立ち入りできなかった。

「本国」と行き来するには鉄道か飛行機が使われたが、フラッグキャリアで国営エアラインでもあったルフトハンザは乗り入れが禁止されていた。

1-1-1-43 Berlin_Brandenburg_Airport_Terminal_1.jpg ↑20年に開港したベルリン、ブランデンブルグ国際空港。ベルリンには第二次大戦後からテンペルホーフ空港、シェーネフェルト空港、ティーゲル空港が存在したが、いずれも手狭で拡張しにくかったため新空港が建設された。ただ用地買収などで完成までには計画開始から30年近くを要した(ウィキペディア英語版より)

その為「西ベルリン」には、以遠権を行使した主にアメリカのエアラインが就航しており、建前上「ドイツ国内線」にも関わらずルフトハンザを始めとする西ドイツのエアラインは運航できなかった。

故に本社も西ベルリンには置かず、ルフトハンザは首都ボンに置いた。

現在運航拠点はフランクフルト、ベルリン、ミュンヘンなどにあるが、本社は現在もボンにある。

保有機数は約260機、就航都市は220を数えるヨーロッパ最大のエアラインに成長した。

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1-1-1-43 LUFTHANZA -B747-230B_D-ABYT.jpg ↑(2枚)60~70年代長距離線の主力機だったB707-320BとB747-200B(ウィキペディア英語版より)

21世紀を迎え、世界のエアライン事情は多様化して大手エアラインと言えども安泰な時代ではなくなった。

特に自国の市場が小さいヨーロッパでは、EU加盟国を中心に自前でのエアライン保持は難しい状況にある。

LCCの成長はより「メジャー」の立ち位置を脅かすようになり、エアラインのボーダーレス化を余儀なくされている。

世界的にも大手メジャーだったイギリスのブリティッシュ・エアウエイズとスペインのイベリア航空が、共同で「IAG」と言う持ち株会社を設立し経営を共通化させると、フランスのエール・フランスとオランダのKLMも「エール・フランス/KLM」と言うグループ企業に変更した。

イタリアのアリタリア航空は、経営不振で何度か倒産に追い込まれ、IAGやエール・フランス/KLMなどに売却する話も出たが折り合わず、結果事実上倒産し、国営化の上「ITAイタリア航空」として再建中である。

1-1-1-43 LUFTHANZA DC-10-30.jpg ↑70年代に導入されたDC-10-30。B747を補う中型機として域内幹線から長距離国際線まで幅広く使われた。長期間運用され00年代前半に退役した(ウィキペディア英語版より)

一方でEU圏内では、自国以外の路線を営業できる条件があることから、アイルランドのライアン・エア、ハンガリーのWIZZ、スペインのブエリングなどのLCCが自国以外の国同士路線の運航を増やしている。

メジャーは域内の近距離路線では対抗しにくくなり、長距離路線がメインになっている。

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1-1-1-43 LUFTHANZA_A310-304.jpg ↑(2枚)ルフトハンザのA300-600RとA310-300。自国ブランドでもあるエアバス機を率先して導入しており、エアバス機の中でこれまで導入したことがないのはA318だけだ(ウィキペディア英語版より)

こうした混とんとした状況で、ルフトハンザは比較的順調な経営を保持していると言う事は、やはり細かな経営戦略を取る「ドイツらしさ」があると言えるかも知れない。

例えばファンにはよく知られている事だが、今や風前の灯となった4発機を未だ多数保有していると言う点である。

事実現在「あり得る」4発ジェット旅客機を、「全て」保有し現役で運航するのは世界中で同社だけなのである。

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1-1-1-43 LUFTHANZA B747-8I Buijines.jpg ↑(4枚)ルフトハンザのB747-8Iと、先頭部分(Aコンパート)に位置するファーストクラス、アッパーデッキのビジネスクラスのキャビン。19機保有しており、その数は世界最大。ワイドボディ多発機が淘汰される中、同社のB747-8Iに退役計画はない。北米線やアジア線を中心に運航され、日本線にも投入されることがある(ウィキペディア英語版より)

世界は経済性や環境性を考慮して、ほとんどのエアラインがB787やA350、B737やA320シリーズなど最新鋭及びダウンサイジング化が進行している。

そしてコロナ禍が、そうした潮流に拍車をかけている。

環境性と言う点では、ドイツは70年代から社会全体で取り組んで来た「環境先進国」であるが、なぜか4発機を手放そうとしない。

現時点でルフトハンザはB747-8I、B747-400、A380、A340-300、A340-600と実に5機種物4発機を保有しているのだ。

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1-1-1-43 LUFTHANZA A340-300 D-AIGT.jpg ↑(2枚)17機が現役にあるA340-300も、世界最多の保有数。600型よりも多くが残されているのは、メンテナンスコストが安いから。4基のエンジンは「CFM-56」で、同社が多数保有するA320シリーズと同系列エンジンを持つ為である(ウィキペディア英語版より)

確かに退役計画は出ているものの、コロナ禍の影響でむしろそれは減退傾向にある。

運休が長期化して、これらの機体の多くは地上待機を余儀なくされたが、状況を見つつ僅かずつ復帰傾向にある。

昨年同社は22年夏スケジュールから、日本線へA340-600の運航を公表しファンを驚かせた。

コロナ前までは25機も導入していたが、後継機としてA350の導入が始まり退役が開始されており、コロナ禍で前倒しはした。

しかし全機が退役することにはならず、機齢の若い5機は「予備機」としてスペインで保管されていた。

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1-1-1-43 Lufthansa,_A340-600 D-AIHI.jpg ↑(2枚)コロナ禍で予定を前倒しして退役が続くA340-600。だが5機が予備機として保管され、22年夏スケジュールから現役復帰する。退役が決定しているにも関わらず、1機でも多くわざわざ新塗装に変更するのがルフトハンザ流だ(ウィキペディア英語版より)

上記のうちB747-8I以外は順次退役し、後継機種はA350の他、B787-9とB777-9Xが指定されているが、B787とB777Xに至ってはつい最近発注したばかりだ。

ルフトハンザクラスの大手ならば、どこよりも先にB787・B777は導入するかと思いきや、これまで1機も導入したことがないのである。

B777に至っては、デビュー後四半世紀も経ってからの発注である。

1-1-1-43 Lufthanza A380-D-AIMD.jpg ↑去就が注目されるA380。当初は5機程度残存する方針だったが、コロナ禍で同機の需要が見えなくなった事で全機退役の方向に向いている。ただ具体的な退役時期は公表されていない(ウィキペディア英語版より)

計画の前倒しは止むを得ないものの、現時点でこれだけ4発ワイドボディ機を保有しているエアラインはルフトハンザ以外ない。

しかも導入後まだ日の浅いB747-8Iに至っては、退役の計画は「なし」と言うのもまたすごい。

同機は19機も保有していて、主に北米線と需要の多いアジア線に運用されるが、時々日本線にも投入される。

長距離線に関しては、その時の需要・状況に応じて数カ月単位で機材をこまめに変更するのが同社の特徴でもある。

B747-8I以外は秒読み段階と言えるのだが、B787とB777Xは早くて23年「以降」からの導入となっており、コロナ禍・後の状況次第も考えられる。

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1-1-1-43 Lufthansa,_B747-400 D-ABVM.jpg ↑(2枚)かつては日本線のメイン機材でもあったB747-400。老朽化に伴い退役が進むが、現時点で7機が現役。長距離運用は少なく主に中東方面やアフリカ方面などで使われているが、臨時に北米・中南米路線にも投入されることがある(ウィキペディア英語版より)

なぜ今時こんなに4発機が残っているかと言えば、理由は簡単。「まだ使えるから」。

世間は「CO2」排出量がどうのと騒がしいが、企業全体の年間排出量が問われている訳で、同社の場合4発機を含めても全体として排出量基準はクリアしている・・と言う事なのである。

もちろん機種ごとと比べれば、最新機材の方が経済的にも優れているのは確かだが、無理やり機材を更新することで資金を余分に拠出する、新造機を作ること自体資源を消費する、退役した機体が中古機で活用で着れば良いが、スクラップすればそれなりの費用とエネルギーを消費する・・・など、細かい事にこだわるドイツらしい理由があるらしい。

屁理屈にも聴こえるが、なるほどそれもそうだ・・と納得してしまう部分も否定できない。

B747-400はかつてのフラッグシップで、延べ30機以上を運用し日本線でも長らくレギュラーであった。

コロナ禍で退役機が増えたが、現在も7機が現役にある。

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1-1-1-43 Lufthansa_B737-500.jpg ↑(5枚)意外と知られていないが、ルフトハンザはB737を100~500型まで全部使った唯一のエアラインである。上から順に100~500型。同社はB737のローンチカスタマーで、最初の生産型である100型は同社のみが新造機で導入した(退役後はパンナムなどで使われた)。だが「737NG」は1機も使っていない。理由は準国産機であるA320が登場したからだ(ウィキペディア英語版より)

本来の退役理由も「老朽化」であり、「不経済」「環境に悪い」ではなかった。

いずれも導入後20年経った経年機であることが、最大の理由だった。

それにしても「環境先進国」なのに?という疑問が湧くが、「運用方法次第では双発機との差は大きくない」と言うのがルフトハンザの言い分。

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1-1-1-43 LUFTHANZA B727-230(Adv).jpg ↑(3枚)B727-100(上)とB727-200。冷戦時代西ドイツは米英などから厚遇されていたため、ルフトハンザは新鋭機も優先的に導入することが出来た。B727もヨーロッパでは最も早く運航を開始したエアラインの一つだった(ウィキペディア英語版より)

特に長距離路線に関しては、その差の少なさは顕著になると言うのである。

また4発機の安全性も、未だ根強い様で、乗客からも「推し」の声が多いと言う。

一方大型機以外では、中型機がA330、ナローボディ機がA320シリーズに統一されている。

かつてはボーイングのヘビーユーザーだったが、A320シリーズは最小モデルのA318以外全てを導入し現役にある。

320と321は、「neo」の導入も進められている。

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1-1-1-43 Lufthansa,_A321-200 D-AISP.jpg ↑国内線から中距離路線まで幅広く運用されるA319、A320、A321。3枚目はレトロ塗装機。この機体はA321-100で、下のA321は200型である。A321はハンブルグのエアバス工場で最終組み立てとテスト飛行を行っており、戦後ドイツで生産された初めてのジェット旅客機となった。ドイツでは「国産機」として認識されており、輸出向けも「ドイツ機」として扱われている(ウィキペディア英語版より)

00年代に組織の大幅な刷新が行われ、現在傘下にリージョナル・コネクション部門の「ルフトハンザ・シティライン」、貨物部門の「ルフトハンザ・カーゴ」、LCC部門に「ユーロウイングス」を持つ。

「ユーロウイングス」は、かつてはLCC部門と言うよりもリージョナル部門で、LCCでは「ジャーマンウイングス」があった。

しかし15年に副操縦士の自殺が原因と思われる墜落事故を起こし、同社は「ユーロウイングス」に吸収される形で清算された。

さらに混迷するメジャーエアラインの買収も進め、スイスのスイス・インターナショナルと系列エアラインのエーデルワイス航空、オーストリア航空、ベルギーのSNブリュッセル航空、イタリアのリージョナルエアライン、エア・ドロミティがルフトハンザ・グループの傘下に収まった。

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1-1-1-43 LUFTHANZA Eurowings,_D-AXGG A330-203.jpg ↑(3枚)ジャーマンウイングスのA319とユーロウイングスのA320、A330-200(ウィキペディア英語版より)

傘下エアラインではないが、貨物エアライン「エアロ・ロジック」に50%出資している他、トルコのLCC「サン・エクスプレス」と共同出資した「サン・エクスプレス・ドイッチェランド」がある(同社は21年秋に運航停止した)。

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1-1-1-43 SunExpress_Deutschland_B737-8AS_D-ASXS.jpg ↑(2枚)日本にも定期運航しているエアロ・ロジックのB777Fと、サン・エクスプレス・ドイッチェランドのB737-800。後者は昨年運航を停止し、トルコの本社に統合された(ウィキペディア英語版より)

00年代初頭までは、ルフトハンザの他に長距離国際線を運航するドイツ第二のエアライン「LTUインターナショナル」や、大小多くのチャーターエアラインがドイツに存在した。

ドイツ初の本格的LCCとなった「エア・ベルリン」は、LTUやオーストリアのニキ航空などを買収してメジャーエアラインの仲間入りしドイツでは初めて航空同盟「ワンワールド」のメンバーキャリアとなり、ルフトハンザの次ぐエアライングループを構成させたが17年に破綻した。

90年代まで盛んだったチャーターエアラインも、LCCの台頭で殆どが経営不振に陥り姿を消した。

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1-1-1-43 AIR BERLIN -B737-86J_One_World_D-ABMF.jpg ↑(5枚)90年代ドイツ第2位の規模を持っていたLTUインターナショナルのトライスターと末期に新塗装になったA330-200、エア・ベルリンのA320、B737-800。エア・ベルリンは域内路線を中心としたLCCだったが、メジャー並みのサービスを提供し「準LCC」の様なエアラインだった。09年にLTUを買収して、本格的な長距離運航を開始した。ドイツのエアラインでは初めて「ワンワールド」に加盟したが、経営不振に陥りエティハド航空の傘下に入ったことでワンワールドを脱退。その後同社との提携が解消され、業績が回復せず17年に倒産した(ウィキペディア英語版より)

唯一世界的な船舶会社「ハパグ・ロイド」が所有するハパグ・ロイド航空が残っていたが、現在は同じくドイツの「TUI」グループに移籍した。

90年代初頭までルフトハンザ系列だったコンドル航空は、イギリスの大手旅行会社「トーマス・クック」に買収されたが、こちらも18年に本社が破綻。

コンドル航空は独立系エアラインとして運航を続けているが、ルフトハンザグループに「戻る」可能性が強い。

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1-1-1-43 Condor_B757-300_D-ABOK.JPG ↑(2枚)TUIフライのB737-800とコンドル航空のB757-300。コンドル航空は元々ルフトハンザ系列だったが、トーマス・クックグループに移籍。同社が倒産後現在は独立系エアラインになっている。貴重なB757-300を保有するエアラインとしても知られ、200型とともにヨーロッパでは最も多くのB757を運用するエアライン(ウィキペディア英語版より)

現在ドイツのエアラインは、メジャーがルフトハンザとコンドル航空、リージョナル・コネクションエアラインがルフトハンザ・シティライン、LCCがユーロウイングス、貨物専門がルフトハンザ・カーゴとカーゴ・ロジック、そして「ヨーロピアン・エアトランスポート・ライプツィヒ(EAT)、チャーターエアラインがTUIフライと言う事になっている。

このうちルフトハンザと直接関係ないのは、コンドル航空とEATだけであり、上記のようにコンドル航空がグループに入れば、EATとTUIフライだけになってしまう。

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1-1-1-43 LUFTHANZA CARGO B777F-D-ALFF.jpg ↑(3枚)ルフトハンザ・カーゴのMD-11FとB777F。MD-11Fは新造機だけでなく中古の改造機も含め延べ30機近くを30年に渡って運用して来たが、後継機B777Fが充足したことで21年末に退役した(ウィキペディア英語版より)

EATはドイツに本拠を置く世界的大手宅配貨物業者「DHL」の輸送を受託しており、拠点を東部のライプツィヒに置く。

域内宅配輸送なので長距離路線は持たないが、ドイツでは高いシェアを持つ。

TUIフライは、トーマス・クックと同じく、元々は旅行会社が設立したチャーターエアライン。

現在もリゾート路線に強く、シーズンには多数のチャーター便を運航する他、カリブ海諸国などの長距離定期便も運航している。

海外ではイギリスやベルギーにも現地法人を持っており、グループ全体では100機以上を保有している。

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1-1-1-43 A300-F4-600R EAT-DHL,_D-AZMO,_JA02GX.jpg ↑(2枚)ヨーロピアン・エア・トランスポート・ライプツィヒのA300-600RFとF4-600R。上の600RFは元日本エアシステム・日本航空のJA8573、下のF4-600Rは元ギャラクシーエアラインズのJA02GX(ウィキペディア英語版より)

イギリスがEUを離脱した事で、今やドイツはヨーロッパのリーダー的存在になりつつある。

経済的にも「ユーロ」を最も多く保有するのはドイツで、ルフトハンザもまたヨーロッパ最大のエアラインに成長した。

先に書いたように経営統合が進む中、同社は今も「ルフトハンザ」としてエアライン業界の中心になりつつある。

同時に国内では「独占」に近い状態に近付いており、将来的には事業を細分化しつつもルフトハンザ「一色」になる可能性が高い。

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1-1-1-43- ufthansa_Cityline,_CRJ900LR D-ACNL.jpg ↑(2枚)ルフトハンザ・シティラインのE190とCRJ900LR。全便がルフトハンザ便として運航するが、近年長距離便の運航も開始した。機材はルフトハンザ機でシティラインの乗務員が運航している(ウィキペディア英語版より)

同社も長引くコロナ禍で苦しんでいるが、大規模な機材リストラは行っていない。

ファンが気がかりな4発機群は、今後淘汰されていくことになるが、状況によっては「延命」の可能性もある。

同社もしくはドイツ的発想なのだろうか、「大事に使う」と言う考えが徹底されていて、それはコロナ禍でも変わっていない。

日本でも同じような発想を持つ事が多いが、最近はあらゆるものの変化が著しく、つい古いものを「罪」のように扱う傾向があるのではないだろうか。

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1-1-1-43 LUFTHANZA A330-300-D-AIKR.jpg ↑(3枚)ルフトハンザ新旧塗装のA330-300。同社は200型も保有していたが、既に退役した。中型機として中南米路線やアフリカ線の主力として運用される(ウィキペディア英語版より)

環境問題は大事だが、創世記の機体ならともかく、1世代前の機体ならばそれなりに経済性や環境性は考慮されており、全く使えないと言う事はないはずなのである。

新しいものは確かに良いだろうが、それは前の物を「使い切って」初めて価値があるのではないか。

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1-1-1-42 A321NEO LUFTHANZA -D-AIEB.jpg ↑(2枚)「ceo」の代替え機種として導入が進むA320neoと321neo。320neoはルフトハンザがローンチユーザー(ウィキペディア英語版より)

未曾有のパンデミックで、世界のエアラインは苦悩している。

維持コストの安い新型機は、買い替える資金がいる。

業務を縮小すれば、利益率が低下する。

将来を見通せない時代が訪れた今、ルフトハンザのように「流されず」己の道を信ずるようなエアラインが、今後生き残っていくのかも知れない。

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