飛行機ネタ 「最後の3発機」ツポレフ154の退役(12月15日 雪のち曇り 1℃)

◎12月13日 曇りのち晴れ 7℃

仙台は、今朝「初雪」を観測した。

朝7時頃に、チラチラと雪が降ったと言うより「舞った」らしい。

平年より19日も遅く、昨年よりも22日遅い初雪だと言う。

だとすると、いつもは11月中だった訳だ。

来週は前半を中心に寒気が流入し、日本海側では大雪の恐れ、太平洋側でも山沿いを中心に積雪の恐れがあると言う。

今朝の雪?すみません、寝ていて全く知りませんでした。

予報では1日中曇りで、雪の可能性もあると言っていたが、私が起きた時間には綺麗な青空が出ていた。

でも気温は上がらず、冬らしい寒さではあった。

ニュースを聞いて、慌てて車のタイヤを交換したと言うドライバーもいたのでは?

雪は初めてでも、既に濡れた路面が凍結し、それで事故が多発している。

大半のドライバーは交換済みだと思うが、それで安心しないように。

1年近く雪道運転をしていないから、感覚をつい忘れがち。

スタッドレスタイヤは年々性能が上がってはいるが、「滑らない」のではなく「滑りにくい」と言う事を忘れないように。

要はドライバー自身が慎重な運転をすることで、初めてスタッドレスの効力が生まれると言うものだ。

行こうと思っていながら、なかなか行けなくて、重い腰を上げて久し振りに「床屋」に行った。

これまで何度か書いて来たけれど、もう40年以上通っている床屋さん。

当然場所も私が生まれ育った地区で、地下鉄とバスを乗り継ぐ必要がある。

最も乗り換えとなる仙台駅からは、約2キロ程度なので時間があれば歩けない距離ではない。

既に日が暮れかかった時間だったが、地下鉄を降りた後子供時代を思い出したくて歩くことにした。

駅東口からだと、昔は20分とかからず着いたような気がしていたが、今はどう歩いても30分もかかる。

歳で歩みが遅くなったのかなあ・・と思うが、当時もそのくらいかかっていたかも知れない。

「東口」と呼ばれる地区は、今こそ高層ビルが立ち並び、駅自体も瀟洒なホテルやお店が軒を連ね、大都市仙台らしい様相を見せている。

「東口」一帯は、30年ほど前から区画整理・再開発が進み、子供の頃の風景とは全く違う。

藩制時代から残った通りが保たれて来たが、再開発で道路だった所にタワーマンションやオフィスビルが建ち、住宅があった場所に道路が出来た。

当時を偲ばせる建物は一つもなく、道路が全く変わっているので方向感覚が狂う。

辛うじて住所が残されているが、当時は東西の道路を機軸に南北の小路が何本も貫いていた。

いずれも藩政時代の職人町の名残で、道は「○○通り」、「○○丁」と呼ばれていた。

私の子供時代に、現在の新住所に変更されていたが、住民の殆どは上記のような旧町名で呼んでいたし、私も自然に覚えていた。

今ではその様子すらなくなって、通りの名前すら出てこない。

幸い、私の生家辺りは近くの国道を境に再開発区域ではなかったため、当時の面影が残っている。

残念ながら生家はとうに解体され、土地も人手に渡ってしまったのでやはり形跡は留めていないし、住民も殆ど入れ替わって家は新しくなり、アパートやマンションになってしまった所も多いが、逆に当時のまま、と言う家もたくさんある。

今どんな人が住んでいるのかと思うが、まるでタイムマシーンが実現したかのような錯覚に陥ってしまう部分もあった。

懐かしい・・だけでなく、どこか不思議な体験のように思えた。

夜に行ったのは本当に久し振りで、昼間よりも記憶が甦りやすくも思えた。

道自体が変わっていないので、暗い分変わってしまった家々を見なくて済んだからかも知れない。

幼馴染の家も、実は半分以上当時と殆ど変らず残っていた。

彼らよりも親が住んでいるのだと思うが、毎日町内を一緒に走り回った彼らは、今どんな大人になっただろう。

中学校までは皆一緒だったが、高校以降はそれぞれの学校に進み、私自身高校卒業後この土地を離れた。

しばらくは祖母と叔父が暮らしていたので、ちょくちょく顔を出していたが、今年祖母と叔父は30回忌を迎えている。

子供の時の記憶は、どうして鮮明なのだろうと思う事がある。

場合によってはその瞬間の感触や、自分自身の考えや感覚まで覚えていたりするし、感情も覚えている。

大人になって、歳を取って、昨夜のおかずをすぐに思いだせない事すらあるのに(笑)。

今は年に1~2回しか「故郷」に行くことはなくなった。

故郷と言っても、自宅から1時間もあれば充分だから、本来行こうと思えばいつでも行けるはず。

普段この地区には殆ど縁がないので、思いつかない部分が強い。

床屋も開業時からのお付き合いで、一昨年前には40周年を迎えた。

当時大将は30歳前後だったはずで、まだ新婚だったと記憶している。

その後2人の子供に恵まれ、息子さんの一人は父親の職を受け継いだ。

今のところこのお店を継ぐかどうかはわからないようだが、理容師として働いていると言う。

店内は街並み以上に、そして驚くほど変わっていない。

インテリアは当時若者だった大将らしく、「今風」の物を採用して格好良い店内だった。

特に収納式のシャンプー台は当時としては最新の珍しいもので、子供心に惹かれたものだ。

客は椅子に座ったまま、ちょっと前かがみになるだけでシャンプーが可能なもので、今も現役である。

一方お店で使っている電話は今も固定電話で、しかも「ダイヤル電話機」だ。

これなどレトロマニアが見たら、垂涎モノだろう。

家から徒歩5分の場所で、近くに新しい床屋ができたから・・と母に連れて行かれた小学生は、今や白髪の混じる「ジジイ」に(笑)。

大将もついに70代に突入したが、確かに歳取ったけれどあの時の「床屋のお兄さん」のままである。

夜だったし寒いので、帰りは近くのバス停からバスで中心部に戻ったが、「故郷」は懐かしさだけでなく元気をもらえる気がする。

因みに生まれ育った家は1920年代に作られた古い家で、母も生まれ育ち、私にとって母は小中学校の「先輩」でもある。


◎12月15日

予想通り、真冬並みの寒気が流入し東北・北海道は「冬将軍」の到来。

仙台は一昨日の初雪以来、今日で3日連続の「降雪」となり、「初積雪」になった。

3週間も遅い初雪だったからだろうか、今度はまとめて降った様な感じで、仙台の公式記録は4センチだった。

実際には昨日の日中から降り始め、深夜にはうっすら白く積り始めていた。

だが24時間続けて降った割には積雪は増えず、道路は殆ど濡れたままかシャーベット状。

朝3時半頃、我が家前の道路では早速融雪剤散布のトラックが走って言った。

県内では県北を中心に積雪し、数十センチになった所も。

気温も今シーズン最低で、仙台では初めて氷点下を記録し、最高気温も1℃と正に真冬並み。

積もらなかった道路も、明日朝にかけて凍結の可能性がありそう。

県内では朝を中心にスリップ事故が相次ぎ、死者も出たと言う。

車だけでなく、徒歩の人も雪道に慣れるまでは要注意。

今朝は足元に気を取られた人は多かっただろう。

それでも市内の積雪は平年より5日遅く、昨年より25日も早いとか。

一昨日初雪を「見逃した」私だが、昨日はこの冬初めて見たし「触れた」。

数日前にやっと冬ものの上着を出しておいたが、冬はまだ始まったばかり。

前回は暖冬だった故に、今度の冬は寒いと言う予想も出ている。

寒いのは仕方ないが、問題は雪。

今の私には、積雪はさほど影響がないけれど、できればない方が良い。

雪景色を見ながら、ふと友人とアホなことをやって喜んでいた子供時代を思い出した。

中学生の時、仲の良い友人二人と「競争」していて、ちょうど今頃のころだった。

秋の終り頃に、体育授業で着替えた体操服でそのまま下校時間まで過ごし始めた。

今と違って服装にうるさい時代で、制服・体操服とも夏冬服の着用は教師が明確に指示していた。

体操服に関しては授業の時だけのことで、多くの生徒はそれ以外ではいちいち着替えていた。

最も体操服の場合は、春先に「今日から夏服」と言う指示があるだけで、秋は「衣替え」の10月以降は生徒の判断に任せられていた。

秋と言っても10月の前半まではまだ暖かいから、約1時間の授業は夏服の生徒も多かった。

当時男子の夏用体操服は「半袖半ズボン」で、半袖は袖が短く二の腕まで露出するようなタイプだったし、半ズボンも太ももまで全開のタイプだった。

故に夏冬用が用意されていた訳で、最近の「ジャージ」みたいに半袖は「五分袖」、下はハーフパンツなど、当時と比べたら「長袖長ズボン」みたいなものだ。

最初は特に意識せず、三人とも夏服で授業に出ていたが、いつしか他の同級生は冬服になり「お前たち寒くないの?」なんて言われて、ようやく意識するようになった。

要するに「お前らバカか?」と思われていたらしいが、アホ少年は褒められたと勘違いしたらしい。

でも教師には「元気があってよろしい」なんて言われたから、余計調子に乗ったのだろう。

わざわざ競争するような発言はなかったのだけれど、お互いそう思い込んだようで、そのうち授業が終わっても着替えず、しまいには朝家を出る時から帰宅するまで一日中「半袖半ズボン」姿になってしまった。

そして11月、ついに12月になって雪が降っても止められず、半ば意地になっていた訳だが、ちょうど今頃だったように思う。

それまで積もらなかった雪が、今日のように初めて積ったら急にアホらしく思えて、次の日から冬用の「制服」に戻してしまった。

別に勝敗何たるかを決めていた訳でもなし、ただ他の二人も続けているから・・みたいな気持だったから、いやいやながらでもなかった。

すると一人の友人は雪を見て同じ事を考えたらしく、制服で登校して来たが、もう一人は相変わらず半袖半ズボンのまま。

あれ?お前たち制服にしちゃったの?みたいに見ていて、本当は「そっちこそもう止めたら」と言ってやりたかったのに、急に悔しくなった。

以降体育授業の時も冬用体操服に変えてしまったが、残った一人は冬休みが終わってもずっと平気な顔で半袖半ズボンのまま登校し、いつしか校内で有名人になってしまった。

不思議なもので、手足はさすがに冷たく時には痛くなるほどだったが、身体全体は寒いとは感じなかった。

事実風邪を引いた記憶はないし、成長期の体力が大きかったのだろうか。

当時子供はそれこそ「風の子」なんて言われ、鍛えれば冬に薄着でもよし・・なんて雰囲気があったが、確かに無意識に鍛えられていたのかも知れない。

それに温暖化が疑われる現代と比べて、明らかに寒く雪も多かった。

にも関わらず、よくあんな格好が出来たものだ。

今はもちろんだけれど、20代には既に「冷え性傾向」になって寒さが苦手な大人になってしまった。

歳を経た現在は当然寒がりで、今日のような日は指先が冷たくて結構辛い。

あまり風邪は引かない方ではあるが、朝起きた後はいつも鼻水とくしゃみが出る。

乾燥・寒冷アレルギーと言うのか、冬場はいつも鼻がぐずぐずしている。

そしてこの冬はコロナがあるから、普通の風邪すら引きにくい世相に、戦々恐々としているのである。




飛行機ネタ。

10月の末、ロシア/シベリア、サハ共和国の地方空港でささやかなセレモニーが行われた。

同国南西部に位置する「ミールヌイ」空港に拠点を置く民営エアライン、「アルロサ航空」で運航されていた「ツポレフ154(TU154)」が退役の為、ミールヌイ~ノボシビルスクをラストフライトしたからだ。

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1-1A27-Alrosa,_RA-85684,_Tupolev_Tu-154M_(30182367401)_(3).jpg ←(2枚)10月末に退役したロシア・アルロサ航空のTU154M(ウィキペディア英語版より)

ミールヌイは旧ソ連時代、広大なタイガ地帯に拓かれた人口約4万人の小さな町である。

ここは「ミールヌイ鉱山」と言う、ロシア最大のダイヤモンド鉱山があり、街はその為に拓かれた。

深さ数百メートルの露天堀跡が有名で、今は地下坑道による採掘が続けられている。

住民の大半が、鉱山関係に従事しており、中心となるのが「アルロサ・エンタープライズ」と言う鉱山会社。

TU154のラストフライトは、両空港で多くのファンが見送り、ラストフライトのチケット140席は発売直後すぐ売り切れたと言う。

1-1A27 Aerial_view_of_Mirny_city,_Mir_mine_and_Mirny_Airport.jpg ←ミールヌイ。巨大な露天堀鉱山跡と、すぐ横には町とミールヌイ空港が見える(ウィキペディア英語版より)

アルロサ航空は00年に、上記の鉱山会社が設立したエアライン。

元々は、ダイヤモンド鉱山関係の人員・物資を輸送するチャーターエアラインとして設立された。

その後一般の旅客輸送を開始し、鉱山関係は「アルロサ・アヴィア」として分社化し、一般旅客部門を「アルロサ航空」として運航を続けている。

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1-1A27 ALROSA-Ilyushin_IL-76_(37707911566).jpg  ←(3枚)アルロサ航空新塗装では、尾翼のマークが光り輝くダイヤモンド。下は貨物・チャーター部門の貨物機イリューシン76TD(ウィキペディア英語版より)

本社はモスクワに移動しているが、ミールヌイも拠点になっており、季節運航を含めると国内10都市以上に運航している。

ファンに人気があったのは、エアバス機やボーイング機を使わず旧ソ連機の運用が多かったこと。

昨年まではTU134も現役にあり、今回TU154が退役した。

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1-1A27-Alrosa_Mirny_Air_Enterprise_Tupolev_Tu-134_Osokin.jpg ←(2枚)最近退役したばかりのTU134(ウィキペディア英語版より)

さすがにロシアでは、古い旧ソ連機は淘汰され続けており、同社のTU154が「最後」の旧ソ連製旅客機であった。

私は旧ソ連機好きで、これまで何度か書き綴って来たけれど、ついに退役したことでまた書いておきたい。

今後も書くかも知れないが。

私が「ツポレフ」と言うブランドを知ったのは、小学生頃だったように思う。

当時世界は米ソを頂点とするイデオロギー闘争、東西冷戦の真っただ中。

日本を含めた自由主義国「西側」にとって、ソビエト連邦・ソ連と言う国は何となく不気味な存在だった。

「鉄のカーテン」と呼ばれ、対外的だけでなく国民をも徹底的に統制して、内情は詳しく分からなかった。

軍用機はもちろん、民間機も情報は限られていた時代だった。

それでも日本はソ連と外交関係を結んでおり、国営アエロフロートは60年代から日本へ定期運航を行っていたし、一時は日本航空とコードシェア運航をしていた時代もある。

その中で「ツポレフ」と言う独特の響きは、不気味という以前に興味も惹かれたのだろうと思う。

同機の原形機は68年に初飛行し、72年からアエロフロートで営業飛行を始めたとされるから、私とほぼ同世代の飛行機である。

ただしその開発経緯は、たとえ旅客機でも秘匿の対象とされ、ソ連解体後におおよそのあらましが分かったに過ぎない。

1-1A27_Tu-154A,_Aeroflot_AN1625078.jpg ←72年に国営アエロフロートで就航したTU154A(ウィキペディア英語版より)

初飛行から就航まで4年もかかっているのも、詳しい理由は分かっていない。

ただツポレフ設計局は、60年代に短距離用旅客機「TU134」を開発・成功させており、TU154は基本的にTU134の発展・拡大版として開発された。

西側ではジェット化が一気に進んだ時代で、ソ連も負けていられないと言う意地があったようだ。

ちょうどボーイング727、イギリスのトライデントと言った中距離用3発機が登場したころでもあり、双発だったTU134をベースにしようとしても当然の成り行きと言えるだろう。

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1-1A27 TU154M-Belavia_Tupolev_Tu-154M_Lebeda-1.jpg ←(2枚)ベラルーシ、ベラヴィアのTU154M(ウィキペディア英語版より)

TU154のバリエーションは、大きく分けて4つある。

ミリタリーファンならご存知かと思うが、旧ソ連・ロシアの軍用機はバリエーションが非常に多い。

社会主義のなせる技かとも思うが、現在でもその傾向が強く、同じ機体ながらどんどん発展・改良型を作る。

それだけならば世界共通なのだが、「とにかく作ってみる」ような雰囲気があり、改良型が実用化され利かどうかは別問題なのだ。

現在も機密性の高い軍用機は、電子装置などの中身の他、ちょっと翼や尾翼の形を変えてみたり、フェアリングや安定版を追加させつつ、大した効果がないと元に戻されたり、そのまま運用されたりもする。

特に旧ソ連時代は、自身が把握できていないような「カスタマイズ」が数多く存在した。

その点旅客機は少ないのだが、どこがバリエーションなのか分かりにくい一面はある。

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1-1A27 TU154M_Bashkirian_Airlines_Faerberg.jpg ←(2枚)S7航空、バシルコスタン航空のTU154M(ウィキペディア英語版より)

最初の生産型は「TU154」で、エンジンは初期の低バイパスターボファンエンジンの「クズネツォフNK-8-2」である。

続いて生産されたのが「TU154A」で、エンジンは同じ系統ながら出力を上げた「NK-8-2U」に変更した。

この初期型の生産数は不明とされ、先行量産型となった「TU154」は数機だけで、すぐに「TU154A」に改修されたと思われる。

72年に初就航したアエロフロート機は、TU154Aだった。

同機は当時ソ連では軍用機に搭載された最新の航法機器を採用し、世界標準の「カテゴリーⅡ」の自動着陸が可能であった。

その後キャビン内装を見直し、僅かに胴体を延長したのが「TU154B」で、機体重量も増加したことからエンジンは同じながら出力をひきあげた。

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1-1A27 TU154M-_Aeroflot_1600_(8223500732).jpg ←(2枚)A型を改良して事実上の大量生産型となったTU154Bと主力生産型となった改良型のTU154M(ウィキペディア英語版より)

更に冷戦の緊張緩和時に、航法装置をアメリカから輸入・換装したのが「TU154B-2」と呼ばれている。

「B」はその装置の違いで「1」「2」と後から区別され、機体そのものに違いはない。

加えて後から航法装置を交換した機体が多く、最初から装備して生産された機体が「B-2」となっており、初期の機体は「TU154B」になっている。

そして最多生産型となったのは、B-2を更に発展させた「M」である。

「TU154M」は胴体こそB型と同じだが、エンジンを「ソロビヨフD-30KU」ターボファンに換装し、主翼も形状・面積を変更。

更に前縁スラットを小型化し、スポイラーを増大、尾翼も僅かながら面積を拡大した。

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1-1A27 TU154B-2-Cubana_Rioux.jpg  ←(4枚)近代的で手頃な大きさとして衛星諸国や同盟国のエアラインでも多数導入された。チェコのCSA、東ドイツ・インターフルグ、シリア航空のTU154Mとキューバ・クバーナ航空のTU154B-2(ウィキペディア英語版より)

D-30KUエンジンは低バイパスながら、NK-8よりも高出力かつ低燃費を実現させた最新のターボファンエンジンで、アフターバーナー付きでは超音速戦闘機にも搭載されていた。

西側の同格エンジンと比べると、燃費や環境性は劣っていたが、広大な国土と自給できるほどの資源を持つソ連ではあまり考慮する必要がなかった。

主翼自体はきつい後退角がつけられており、巡航速度はマッハ0.86と現在のレベルで見てもかなり早い方である。

同じ3発機であるB727も、後退角の強い主翼のおかげで巡航速度が高く、導入直後の日本航空と全日空が東京~大阪間で競ったのは有名な話だ。

TU154も、それを参考にしたのであろう。

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1-1A27 TU154M AEROFLOT_RP2914.jpg ←(2枚)現行塗装になったアエロフロートのTU154M(ウィキペディア英語版より)

前作で小型双発機であるTU134も、きつい後退角主翼で高速だったが、154でもそれが継承された事になる。

エンジン自体が大型化したことで、尾部の第三エンジンのエアインテークも面積が拡げられていて、B型との識別点の一つとなっている。

キャビンは西側のナローボディ機と同じく、幅は3メートルクラスで3-3の6列配置が標準。

キャビンのオーバーヘッドストウェッジやINSが標準化された、ソ連で最初の機体となった。

生産は83年ごろと思われるが、80年代後半には再びアメリカ製の電子機器や航法装置の輸入が可能となったため、既存の機体は一部が交換され、以後の生産機は全て新しい機器が搭載された。

また西側諸国では騒音や排気ガスの規制が強化されたので、TU154Mのエンジンは3基とも帰順をクリアできるナセル(覆い)が装備された。

1-1A27 ALROSA-TU154M_RP8862.jpg ←西側の環境基準をクリアできるようM型では排気口が改良された(ウィキペディア英語版より)

航続距離もB型までは最大で約4,000キロだったが、M型では燃料タンクも大型化されて約5,000キロまで延長した。

同機の生産数は、1,015機もしくは1,026機と言う説がある。

同格のB727が80年代半ばまでで約1,800機だったから、ソ連機と言う事を考えると相当多い生産数と言える。

機数が諸説あるのは、冷戦時代までは軍用輸送機として生産・納入された機体が複数あり、機密保持と言う点で当時は公表されなかったためだ。

この為各型の正確な生産数も不明であるが、半数以上が後期型となるM型と見られている。

先に書いたように、ソ連崩壊後も機密データが消去されたり、行方不明になっている事が未だ多くあるためである。

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1-1A27_Tu-154M,_UTair_Aviation_AN1590148.jpg

1-1A27_Tu-154M,_Pulkovo_Airlines_AN0489933.jpg ←(3枚)ソ連崩壊後、TU154は各地で設立された民営エアラインで活躍した・キルギスタンのアルトゥン・エア、UTエア、プルコヴォ航空のM型(ウィキペディア英語版より)

TU154は、実に魅力的な旅客機だ。

オールドファンに絶大な人気を誇るのは、同じナローボディ3発機のB727だ。

なるほどB727は、まだ旅客機が未熟な時代にあって、3発機と言う独特のスタイルは流麗とも言える美しいラインを持っている。

一方TU154は、3発ナローボディそしてT字尾翼と言う点で共通しているにもかかわらず、B727とは似て非なるスタイルである。

一言で言えば「ごつい」。

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1-1A27 TU154M ATOLANYSOYUZ_RP28092.jpg ←(3枚)迫力あるフォルムを持つTU154。現行塗装のアエロフロートは09年まで国内線で運用した。下は2年前まで現役にあったアトラント・ソユーズのTU154M(ウィキペディア英語版より)

流れるようなラインを持つB727に比べ、TU154は一目で武骨と分かる。

胴体断面は727が下部が細い「逆卵型」であるのに対し、TU154はほぼ真円形である。

その為比較すると、いくらかぽっちゃり感を感じる。

最大の特徴は、主翼とその周辺だ。

これは旧ソ連機共通の特徴とも言えるが、正面から見ると主脚の幅がやたら広く「ガニマタ」である。

よく見ると、TU154の主脚は通常の旅客機のように主翼付け根部分に取り付けられ、胴体側に収納するタイプではない。

主翼のほぼ中央部に取り付けられており、「収納庫」は流線型のバルジになっている。

1-1A27 ALROSA-Tupolev_Tu-154M,_Alrosa-Avia_JP6183979.jpg ←強烈な個性を見せるTU154の正面(ウィキペディア英語版より)

これでは主翼そのものの構造が複雑になるばかりか、重量がかさむことは明白だ。

にもかかわらず敢えてそうしたのは、未整備の空港でも運用できるようにしたためである。

ソ連時代、設備の整っている空港はモスクワなどの主要都市に限られており、粗雑な滑走路だけの地方空港は珍しくなかった。

また冬季は-30~50℃に達する厳寒地も多く、かつ除雪や融雪機能が乏しい空港も多かったので、幅広の主脚はそれに対応させていた。

タイヤも現在のB777やA350と言った大型ワイドボディ機のように、なんと3軸6輪ボギーを採用した。

B727は一般的な1軸2輪だから、いかに同機が「ごつい」かわかると言うものだ。

1-1A27_Tu-154M,_S7_-_Siberia_Airlines_AN1640031.jpg ←TU154Mの主脚とフラップ。6輪主脚のナローボディ機は同機だけだ(ウィキペディア英語版より)

ソ連時代、国営アエロフロートは有事になると空軍に緊急編入され、兵員や物資を輸送する義務を担っていた。

軍用となると空港どころか、単なる平坦な草っ原の「飛行場」で離着陸する場合もありうる。

そう、TU134も同じコンセプトだったが、同機は「原っぱ」から離着陸できるのである。

あくまで有事の時であるが、リアジェット方式で3発機にしたことで胴体の地上高も低くできるから、地方空港での運用はしやすく、もちろん戦地でもその能力が発揮できるように設計されていた。

1-1A27-Tu-154m_Aeroflot_(3188333955).jpg ←正面下方から見るTU154(ウィキペディア英語版より)

M型では主翼を改良したが、上面には初期型と同じく(教会「境界層板」と呼ばれる2枚の金属板が立てられている。

これは主脚バルジなどによって主翼の表面に発生する、乱流を抑える整流版の役目を果たす。

故に同機の主翼は「下半角」をつけて取り付けられており、揚力の発生で大きく上半角でしなるB787などとは間逆だ。

上半角で効率的な揚力を得ることは分かるが、TU154を見ると下半角でも飛行機はちゃんと飛べるのだ・・と変に感心してしまう。

1-1A27 TU154M_93A973_RP12463.jpg ←境界層板をつけた主翼(ウィキペディア英語版より)

フラップはシンプルな物だが、分厚い鉄板を折り曲げただけのようで乱雑に見える。

しかも最大で30度以上に下ろす事も可能で、ワイドボディ機並みの高揚力能力を持つ。

それを動かす油圧アクチェーターもむき出しで、やはり太くごつい。

このごつさは、先に書いたように必然的に重量増を伴い、燃費の低下を招くが、ソ連ではタフさが優先されたのである。

タフさに加え、特に低速域では操縦性が良く安定した機体だったと言う。

ソ連時代の国内線は、社会主義国としての「平等」があったため、クラス制は取られなかったが、国際線仕様ではファーストクラスが設けられた機体も存在した。

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1-1A27_Tu-154B-2,_Ural_Airlines_AN1561561.jpg ←(2枚)クラス・エアとウラル航空のTU154M(ウィキペディア英語版より)

TU154の側面を見ると、乗降用の大型ドアは前部に2か所ある。

ナローボディ機では、後世のB757くらいしか見られないもので、これは2番目のドアは乗降用ではなくミールサービスなどのケータリング搬入用だった。

すなわちこの「第二ドア」の中には「中央ギャレー」が設置され、前後に分割されたキャビンのサービス基地になるのだ。

その分フロア面積が減るデメリットがあるが、客室乗務員の動線は1か所に集中することで「平等」なサービスが可能と言う訳だ。

ただしソ連崩壊後や、海外のエアラインでは単なる乗降口もしくは非常口としてギャレーをキャビン前後に分散させる機体も多く見られた。

この他エコノミークラスの座席は、背もたれが前に倒す事が出来、座布団部分は映画館の座席のように上に跳ね上げる事が出来る。

1-1A27_Tu-154M_(OM-BYR).JPG ←TU154Mのコクピット。一部がデジタル計器に変更されているが、乗務員用の座席が5つもあることに注目(ウィキペディア英語版より)

これは先の「有事」の際、兵士がライフルなどの小火器を置く為・・とする説もよく見られたが、実際には一般の乗客用だった。

地方空港では荷物の預託システムがなく、空席がある場合は大きな荷物でも機内持ち込みがおおよそ認められていて、生活必需品などの輸送でもキャビンに直接搭載してしまう事も通常だった。

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1-1A27 TU154M SRUGUT_90A863 RP19037.jpg ←(2枚)自由化後のファーストクラスの座席とエコノミークラスのキャビン。倒れた座席に注意(ウィキペディア英語版より)

満席だと出来ないが、空席であれば座席を倒し畳むことで大きな荷物を載せていたのだ。

近年ではセキュリティの関係でそうしたことはなくなったようだが、乗客が飛行中空席を倒して足を載せることぐらいは出来たようである。

どうだろうか、こうして見ると運用面を細かく考慮された実に良く出来た旅客機と言えるのではないか。

最近ではB777や787が、ソフト面で最新技術で快適性を増しているが、TU154は半世紀も前に考えうる使い勝手の良さを追求していたのである。

優秀性が認められたからこそ、衛星諸国の他途上国のエアラインにも多くが輸出された。

ソ連崩壊・東欧民主化後、各国の国営エアラインは民営化されたが、経済が安定するまで旧ソ連機の運用が続けられた。

同機は長期間に渡って生産・運用が続けられてきた事で、保守が容易な機体であり、M型では環境基準もクリアできた。

最も90年代後半以降、世界の環境基準はさらに厳しくなったため同機は急激に減勢するようになってしまった。

ロシア以外では、部品の調達が難しくなったことで21世紀を迎えるころには殆ど退役している。

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1-1A27_Tu-154B-1,_Palair_Macedonian_AN0198445.jpg ←(2枚)中国西北航空のTU154Mとマケドニアのパルエア・マケドニアンのTU154B。自由化後他国で使われたB型は珍しい(ウィキペディア英語版より)

一方ロシアを含む旧ソ連構成国では、資金などの面から比較的長期間運用が続けられた。

特に数十社以上に分割・民営化されたアエロフロートの他、ビジネスとして新しく設立された新興エアラインの格好の機材であった。

ソ連崩壊の時点で、数百機が残存しており、殆ど無償で入手することができたと言う。

しかし初めて資本主義に移行したのだから、システムはもちろん経済自体が安定するまでは時間を要し、新興エアラインの多くが数年以内に倒産や運航停止に追い込まれた他、旧アエロフロート支局や構成国のエアラインも同様の状態に陥った。

アエロフロートも資金不足に悩まされ、00年代初期まで重大事故が多発している。

TU154の重大事故は、ソ連時代から少なくとも20件以上が確認されていて、それは70年代と90~00年代に集中している。

またソ連国内での事故は、やはり今でも原因や被害が公表されていない物もあり実態は不明である。

だが原因が分かっている事故の多くは、同機の欠陥によるものではなく操縦及び整備ミスであった。

中には管制の誘導ミスによる墜落や空中衝突事故も起きており、70年代のソ連の体制、そして自由化後の混乱が主な原因と言えよう。

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1-1A27_Tu-154M,_Mahan_Air_AN0953100.jpg

1-1A27_Tu-154M,_Taban_Air_AN1619906.jpg ←(4枚)経済制裁でTU154Mを導入したイランのエアライン。上からイラン・エアツアーズ、キッシュ航空、マハーン航空、ターバン航空。運用期間は短かった(ウィキペディア英語版より)

00年代には、世界から経済制裁を受けたイランが少なくとも数十機のTU154をロシアから購入し機材不足に対応させた。

これらはイランの原油など「物々交換」のように取引されたと言うが、部品供給などが滞り、事故も発生したことから数年間の運用で退役している。

今世紀になってからは、ロシア以外では殆どの機体が退役し、軍用及び政府専用機などで残存する程度になっていた。

一方ロシアでも淘汰は進んだものの、アエロフロートは09年に最後のTU154が退役したほか、新たに設立された民間エアラインなどが格安で購入して運用された。

同機の生産は93年ごろまで続けられたが、その後も断続的に継続されている。

1-1A27 TU154B-2 RUSSIA VVO_6474_(14950202754).jpg ←ロシア国防省所属のTU154B-2。M型を含めて20機以上のTU154がロシア政府・国防省・空軍・海軍に所属している(ウィキペディア英語版より)

アルロサ航空からの退役で、旅客機として残存するTU154は「登録上」として北朝鮮の高麗航空(エア・コリョ)だけである。

同社は2機のB-2と2機のM型を保有しているとされているが、機体が確認されているのはB-2ノ2機だけ。

同社が唯一運航する定期路線の北京線は、新しいTU204が使われているので、154がどういう扱いになっているのか不明である。

1-1A27_Tu-154B-2,_Air_Koryo_AN0208147.jpg ←登録上は唯一の現役にあると思われる高麗航空のTU154B-2(ウィキペディア英語版より)

ロシアでは政府・国防省・空軍が人員輸送機として同機を多数保有しており、少なくとも20機以上が現役にあると思われる。

中国でも民間機はとうに退役しているが、空軍が電子偵察機「ELINT」機として複数の同機を改造の上保有しており、胴体の下にアンテナを収容する大型のフェアリングが追加されている。

この機体は日本近海に良く姿を現しており、航空自衛隊戦闘機のスクランブルをかけられている。

これらの機体が、どうやら21世紀になっても生産された機体のようで、驚くことに最後の機体は13年に製造されたと言う。

旅客用ではないとはいえ、「3発ナローボディ機」がつい最近まで生産されていたのである。

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1-1A27_Tu-154M_spyplane_on_finals_at_Beijing_Capital.jpg ←日本近海上空に飛来する中国空軍の「スパイ機」の電子偵察機。元はTU154M(航空自衛隊提供)

ロシア政府や空軍に所属する機体は、頻繁に目撃されており、今のところ退役の予定はない様だ。

アルロサ航空からの退役に辺り、地元メディアも「政府や軍属のTU154は今後も現役に留まる」と報じたと言う。

なお同社はTU154の後継機種として、B737-700/800の導入を開始している。

いずれもロシアのヤクーティア航空から中古で購入した機体で、乗務員の訓練なども委託している。

その体制が整うまでは、ヤクーティア航空のパイロットや整備士が出向と言う形でアルロサ航空便の運航に携わっている。

B737の導入に合わせて、機体の塗装も変更し、TU154も退役まで短期間ながらも変更された。

同機に対する愛着が感じられるようだ。

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1-1A27 Alrosa_Avia B737-86N_(25745832642).jpg ←(4枚)TU134/154の後継機として導入が進むB737-700/800.淡いブルーの塗装が美しい(ウィキペディア英語版より)

ラストフライトを迎えたTU154Mは、そのままノボシビルスク空港に留め置かれているそうだが、ソ連時代から半世紀以上も飛び続けて来た歴史的機種として飛行可能な保存も考えられていると言う。

多発機が「否定」されるようになって久しく、コロナ禍による航空不況の再来に世界のエアラインは再編を余儀なくされつつある。

最新鋭機の経済性を、コロナは凌駕する勢いだ。

1-1A27 ALROSA-RA-85757_T154(M)_Alrosa_DME_UUDD_(41859335455).jpg ←ラストフライトを行った登録番号「RA85757」のTU154M(ウィキペディア英語版より)

その激変続く現状の中、本当に細々ながらも生き残って来た「3発機」TU154。

B727やDC-10などの旅客型は、引退して何十年も経っているのに、ソ連・ロシア機の長寿さは良い意味で「異常」である。

経営や経済の問題はあれど、「大事に使う」と言う精神もまた根底にあるのだろう。

作った時も長持ちするように考えられ、「かつて」の日本人に通ずるものがあるように思う。

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1-1A27-Alrosa_Mirny_Air_Enterprise_Tupolev_Tu-154M.jpg ←アルロサ航空旧塗装のTU154M(ウィキペディア英語版より)

日本でも90年代に新潟~ハバロフスク線にアエロフロート、それを受け継いだウラジオストク航空(現オーロラ航空)やダリダビア航空のTU154が定期便の他、各地にチャーター便として頻繁に飛来していた。

東京や大阪よりも、地方空港にその姿を見せることが多かった。

低バイパスエンジンらしい「キーン」と言う高い金属音を出しながら滑走し始めるTU154は、いかにも「ジェット機」らしく見えた。

そのごつく重々しい姿のせいか、さっぱり速度が上がっているように見えず、見ているこちらがドキリとしてしまうほど滑走距離が長い。

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1-1A22_Dalavia_-TU154M_Far_East_Airways_AN1520790.jpg ←(2枚)日本にTU154Mで定期就航していたウラジオストク航空とダリダビア航空(ウィキペディア英語版より)

地方空港の短い滑走路を、本当に目いっぱい使ってようやく浮き上がったかと思うと、実に浅い角度でゆるゆると上昇して行く。

3基のエンジンからは薄いながらも、黒い煙を吐いていた。

国際線だから機体が重すぎ・・・?と思うが、ロシア極東までは2,000キロ程度だから、同機の航続距離の半分以下。

要するにエンジンの出力上昇が遅いのだ。

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1-1A27 TU154M GAPROMAVIA_RP6943.jpg ←ロシア最大のエネルギー会社でもあるガスプロムアヴィアのTU154M(ウィキペディア英語版より)

現在の機体を見慣れていると、何とも心細く古臭く見えてしまうが、「それで良いのだ」のである。

広大なロシアで、思い切りエンジンをふかして急発進する必要はない。

むしろ省エネと考えていたのかも知れず、それがより不思議な魅力でもあった。

なおTU154のコクピットは、一部デジタル計器に変更した機体も見られるが、基本はアナログ式である。

故に運航乗務員は機関士を含めた3人乗務で、アルロサ航空では悪天候時に備えて、ソ連時代のように航法士を乗務させることも多かったそうである。

2020年に、3人乗務機が現役だったと言うのも何処か愉快ではないか。




雪は降り続く。

風はなくふわふわと降る雪。

急な積雪で、交通は混乱しているようで、日中も県内各地でスリップ事故が相次いだらしい。

バスに乗ろうと、ロケーションシステムで調べたら殆どのバスが遅延していて、中には30分近くも遅れている便もあった。

多くのドライバーは、雪道運転に慣れていないので各地で渋滞が発生しているようだ。

鉄道や飛行機も遅延や運休が出ており、雪は明日も続く見込み。

帰宅するときは雲が薄れたのか、雪は止んでおり星が見えていた。

仙台特有の、そして典型的な雪の降り方。

日中断続的に降って、うっすらと積もるか路面は濡れた状態のまま止む。

たいてい夜の20~22時頃に止んで、いつの間にか星が出ている。

それは放射冷却を起こし、道は瞬く間に凍結する。

融雪剤が薄くなる交差点では既にツルツルで、車も歩行者も最大限の注意が必要だ。

明日朝までは再び融雪剤散布・除雪が行われるだろうが、市内全域となるとタイムラグが出るので通勤・通学は要注意だ。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

風邪など引いてませんか?

寒さは大丈夫ですか?

一気に真冬を迎えたようになって、街も雪景色になりました。

帰り道は大丈夫でしたか?

明日も雪・寒さは続くようですので、外出は足元にくれぐれも注意して下さい。

もちろん寒さ対策も万全に。

君は雪国生まれだから、雪道を歩くことは慣れていると思いますが、油断しないように気をつけて下さい。

でも久し振りの雪に、君の姿を思い浮かべました。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。



沫雪の 庭にふりしき 寒き夜を 手まくらまかず 一人かも宿む(万葉集巻八 1663 大伴宿禰家持)

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