飛行機ネタ 忘れてはいけないパイオニア、A300(11月30日 晴れ時々曇り 10℃)
11月もついに最終日。
「令和2年」もあと僅か1カ月になってしまった。
コロナ禍でさっぱり季節感を味わえないけれど、街では既に先週あたりからクリスマスムードが。
いくらなんでも早すぎるだろ・・と思っていたが、あっという間に「リアル」な時期を迎えるのだ。
今日は青空が広がったが気温は上がらず10℃とP、辛うじて二桁になっただけ。
1年で最も陽が短い季節だけあって、午後2時を過ぎた頃には気温が下がり始めて一桁台になった。
風はあまりなかったが、空気自体が完全に冷たい。
カレンダー上では、今日までは「秋」。
でも明日12月1日からは名実ともに「冬」の到来だ。
昨年は年末年始をどう過ごそうとか、買い物は早めに・・なんて浮足立っていたが、まさか今年はコロナに翻弄されるとは。
だが私は年末ぎりぎりに、国際ニュースで「中国南部で原因不明の肺炎が流行している」と言うのを見ていた。
確かクリスマスの頃だったように思う。
今思えばそれが新型コロナ「COVID-19」だった訳だが、私には何も出来ないけれど不安があった。
一時より勢いはなくなったが、日本へ来る外国人観光客の第一位は中国人。
年末年始はもちろん、旧暦正月の長期休暇で日本に旅行する人は多く、失礼ながら彼らがウィルスを持ちこみ拡散させるのではないか・・・と思ったのだ。
日本では2月の「クルーズ船」のクラスターが発端のようになってしまったが、日本人を含めた外国との行き来が制限されたのは春になってから。
でもまさか全世界に拡大し、ここまで長引くとは予想できなかった。
誰も信じてはくれないだろうが、実は「東京オリンピック」は何らかの原因で中止するのではないか・・と言う気がしていた。
それも数年前に私はそう感じており、母には話したことがある。
「あんたは変な所で予知能力があるからねえ」と言われた記憶があるが、その通りになってしまった。
最もコロナまでは予測できなかったし、まさかと言う思いではあったが。
オリンピックが中止など、現代ではよほどの事がなければ起こらない。
でも日本、東京と言う場所と季節的に、大雨や台風が東京に被害を及ぼすとか大地震が起きるとか・・・災害ならばあり得ない事でもないとは思ったが、さすがに「疫病」で延期になるとは思わなかった。
この12月は辛い1年だったからこそ、来年はきっとコロナも乗り越えてオリンピックも華やかに・・と言う願いを込めた1カ月を過ごしたいものだ。
飛行機ネタ。
パイオニア(先駆者)と言うのは歴史に名を留めるものだけど、それは普段忘れられやすいと言う一面を持つような気がする。
特に今や当たり前の事になっているものは、その「初め」の時を誰も知ろうとしなくなってしまう。
今こそ「ググる」ことで調べて知る事は簡単になったが、今ある生活や物は当然ながら突然湧いて出て来た訳ではなく、パイオニアの努力の積み重ねがあったからだと言う事を心に留めておかねばなるまい。
例えばかつて空港の「王者」のように君臨していた大型4発機のB747などは、不経済と言う理由で退役が続き、コロナ禍でそれは更に加速している。
日本では同機が退役して数年経つが、SNSなどを見ていると恐らくは10代・20代の若いファンだろうか、彼らには過去の「遺物」と思われているようだ。
B787、A350など21世紀型の最新鋭機が闊歩する時代、一世代前の機体は「古い」の一言で一蹴されてしまうのだろうかと思う。
旅客機は商売道具であり、時代の変化が著しい現代に於いてはメーカーもエアラインも「追いつき追い越せ」ばかりを強いられて、どんどん入れ替えしないと集客出来ない時代になってしまった。
軍用機などは一応平和な時代でもあるだけでなく、国家防衛に役立てれば良いから改修を重ねて長期間運用することは珍しくない。
今年度中に完全な退役が予定されている航空自衛隊の戦闘機「F-4EJファントム」など、最初の就役は71年のことで、なんと半世紀に渡って現役にあった。
現時点で主力であるF-15J戦闘機も、就役したのは80年でありもう40年も前の事だ。
仮に旅客機で例えると、B747の初期型である100/200シリーズや3発機のB727が現役バリバリと言うのと同じことで、エアライン業界ではあまり考えられない事である。
今から48年前の72年、フランス南部のトゥールーズで、1機の旅客機が初飛行した。
主にフランスと旧西ドイツが出資して設立した国際合弁企業「エアバス・インダストリー」社が初めて開発した、「A300」である。
ジェット機時代を迎えた戦後のヨーロッパは、イギリスとフランスが独自で旅客機開発を進めていた。
世界初の実用ジェット旅客機デ・ハビランド「コメット」、事実上最初に成功した小型ジェット旅客機「カラヴェル」などである。
しかし莫大な資金と生産力を誇るアメリカには対抗できず、独自の開発を諦め「ヨーロッパ製」としての道を模索した結果がエアバス社でありA300だった。
原形機は意外にも大きな問題を起こすことなくテスト飛行を続け、74年地元のエール・フランスが初の営業飛行を開始した。
ここで詳細は割愛するが、A300の就航までは実に10年以上に渡る時間と手間がかかっていた。
「ヨーロッパ製」を標榜することで、フランスと西ドイツの他、イギリス・イタリア・スペインも出資し、生産を分担して利益も分配する計画だったが、各国の経済事情や思惑で足並みが揃わず、特に資金・技術と言う面で大きな期待を持たれていたイギリスが途中で計画から降板するなど紆余曲折があったのである。
既に旅客機の開発は経験済みとはいえ、A300はいきなりのワイドボディ機であった。
そのコンセプトは「バスのように気軽に使える旅客機」で、ヨーロッパ域内の運用を想定し、「短距離用ワイドボディ機」と言う前代未聞のカテゴリーだったのだ。
当時アメリカではB747が登場し、同機では大きすぎることから中型ワイドボディ機としてDC-10とL-1011が開発途上にあったが、両機は3発機であった。
まだジェットエンジンの信頼性が低い時代に於いて、大型機であるワイドボディは多発機であることが常識だった。
そこにたった2発のエンジンだけで飛ばそうと言うA300に、アメリカを始め世界は懐疑的、と言うよりも鼻で笑う部分もあった。
「双発ワイドボディ機などあり得ない」
ワイドボディ機は長距離向けであり、多発機であることが正しいと言う認識の時代だったのだ。
エアバス社はそれを敢えて無視するかのように、「短距離用ならば双発で充分であり、経済的だ」と割り切っての開発だった。
A300の名称は、Aはエアバスの頭文字、300は標準座席数と言う単純な名前である。
キャビンはオールエコノミーを基本としての300席。短距離運用だからギャレーやトイレ、エンターティメント設備はオプションとして機体価格を抑えることに成功した。
最初こそ懐疑的な雰囲気に売れ行きは伸びなかったが、エール・フランスやルフトハンザなど大手が運用し、業績を出し始めると徐々に受注が増え始めた。
大量輸送時代を迎え、同機の利益率は高いものであった。
エンジンは開発されたばかりの高バイパスターボファンエンジンの「CF-6」を採用し、それまでのエンジンに比べて低燃費だったことで、座席数の多さと相まって1便当たりの利益幅が増加することになったのである。
日本では1980年(昭和55年)秋、当時の東亜国内航空(後の日本エアシステム)が日本で初めてヨーロッパ製ジェット機としてA300を導入し、81年初頭から営業運航を開始した。
当時私は既に飛行機好き少年で、プラモデルばかり作っていた少年。
でも対象は軍用機ばかりで、旅客機にはあまり興味がなかった。
しかしA300の就航は全国ニュースで大きく取り上げられ、さすがの私も興味を持ったのである。
それまで日本のエアラインでは、プロペラ機こそヨーロッパ製の機体は多数導入されていたが、ジェット機はなかった。
数年前には全日空が初めてのワイドボディ機として導入したL-1011トライスターが、「ロッキード事件」として騒がれた記憶が残っていた。
この時代の東亜国内航空は、政府の「46・47体制」の航空規制が緩和されつつある時代だったが、社名の通り国内専門のエアラインで、特にローカル線専門のエアラインであった。
機材もジェット機はDC-9-41だけ、数的な主力はYS-11の地味なエアラインであった。
規制緩和で躍進しようとした同社は、初めてのワイドボディ機としてA300を選択したのだった。
しかも納入されたA300は、従来の同社の塗装(レッド&グリーン)とは一線を画すような明るいレインボーカラーだった。
これは元々エアバス社のコーポレートカラーで、無理を言って「譲ってもらった」塗装と言うエピソードがある。
当時日本航空は「レッド&ブルー」。全日空は「モヒカンルック」の時代で、いわゆるチートラインデザインが全盛期。
東亜国内航空の「レッド&グリーン」もそうだったから、A300のレインボーカラーは斬新以外何ものでもなかった。
同社はA300導入に合わせて「CI」を実施し、この塗装を正式塗装に変更したのだった。
見た目も目立つ同機は、幹線だけでなく亜幹線にも積極的に投入され、トラブルも少なく同社の利用者は激増した。
88年に社名を「日本エアシステム」に変更する頃は、初期型のB2Kだけでなく航続力を伸ばしたB4も導入し、17機にまで増大した。
使い勝手の良さからB4の追加発注を行おうとしたが、エアバス社ではA310をベースとした改良型「A300-600」の受注に切り替えていたため、中古機を集めて機数を揃えた。
A300-600は83年に原形機が初飛行し、84年にサウジアラビア航空で就航した発展・改良型。
それまでのB4をベースに改良したので、正式には「A300B4-600」と言う。
より効率的な運用を出来るように、航続距離の延長や軽量化を目的とした機体で、外観上B2/B4特別が難しいが改良は多岐にわたっている。
エアバスではA300の唯一の弱点だった航続距離の短さに対応するため、胴体を短縮して重量を減らし、かつ新しいシステムを採用したA310を先に開発し、10,000キロに迫る航続距離を有して好評を得ていた。
そこでA310で使ったシステムを、A300に「移植」するような形で開発したのが600と言える。
最も目立つのはコクピットで、A310と同じブラウン管を使ったグラスコクピットに変更したこと。
これによって3人乗務から2人乗務に変更出来たが、エアバス社では従来型のA300でも2人乗務が可能にできるようにしていた。
計器盤や操作機器の配置やシステムを見直す事で、機関士なしでも運航できるようにしてあった。
採用したエアラインは少なかったようだが、それがデジタル化を容易にさせていた(計器はポルシェが担当した)。
すなわち将来デジタル化出来るように、最初から余裕を持たせていたと言う事だ。
加えて主翼の動翼をフライ・バイ・ワイヤ化して軽量化させ、空力性を向上させるために一部形状を変更した。
B2/B4のフラップはダブルスロテッド式で、B2の途中か主翼の付け根部分に「クルーガーフラップ」を追加して離着陸性能を向上させていて(装備機はB2Kと呼ばれる)、2,000メートル級の滑走路での運用が可能であった。
これがヨーロッパのエアラインや日本エアシステムのお気に入りだった訳だが、600のフラップは通常のシングルタイプに戻されている。
エンジンも同じCF-6ながら出力向上型に変更され、PW4000も選択できるようになっていて、軽量化もあって離着陸性能はB2/B4とほぼ同じであった。
また空力性を向上させるため、機体尾部をA310と同じものに変更したため、全長は従来型より僅かに延長されている。
生産数の大半を占めるのが「600R」で、これは水平尾翼にも燃料タンクを装備して航続距離の延伸を図ったモデル。
この為水平尾翼のバランストリムを自動化させ、主翼及び胴体の燃料タンクと移送できるシステムを追加した。
主翼端には整流のためのウィングフェンスがついており、主な識別点となる。
同機の全長は54.8メートルで、B767-300とほぼ同じである。
よくA310がB767のライバルだったと言われるが、座席数と言う点ではA310とB767-200が同クラスと言えるが、後者の方が若干多い。
航続距離はA310の方が上だが、200ERではほぼ同じである。
単純に胴体の長さと言う点で、A300とB767-300がライバル的存在となる訳だが、300ERでは航続距離が最大で12,000キロまで延長されたが、A300-600Rでは約8,000キロに留まり、これが両者の販売実績に結び付いたとも言える。
最もエアバス自身はそれを充分承知していて、90年代初頭にA300とA310を合わせたような「A330」を生み出す事になる。
A300は従来型が286機、600シリーズが317機生産され、この他にエアバス社専用の特殊輸送機「A300-600STベルーガ」が生産されている。
一方B767は各型合わせて1,200機以上、現在も生産続行中である。
こうして見ると軍配はB767に上がったかのように見えるが、果たしてそうだろうか?と私は思う。
実際にA300とB767が、熾烈な販売競争になった訳ではない。
ファンならご存知と思うが、B767は「セミワイドボディ」と言う独特の、一回り小さいワイドボディ機であり、そもそもA300とは設計思想が違っている。
むしろ開発時期からすれば、DC-10とL-1011が完全なライバルと言え、600シリーズの時代は他と「被らない」カテゴリーにあった。
航続距離が短いとされるが、元々同機は「短距離用ワイドボディ機」であり、600で「中距離機」に成長したに過ぎない。
当時は「短距離から長距離まで」と言う多目的型の機体はなく、特化されたものが主流であった。
加えて政治的な意味でアメリカ製を導入出来ない国にとって、A300は近代化の「救いの神」でもあった。
特に600シリーズは近代化され、価格も安いことから途上国のエアラインに人気だった。
5,000キロ前後の中距離路線ならば、座席数の少ないB767よりもA300の方が利益率が良く、東南アジア諸国や中東諸国では重宝されることになった。
日本では1社だけの採用で終わったが、日本エアシステムは600Rを最終的に22機も導入し、B2/B4合わせて40機近くを運用した。
日本航空との統合では、古く3人乗務機のB2/B4は引退したが、600Rは引き継がれ「JAL」のマーキングで運航した。
残念ながら経営破綻による機材整理で、唯一のエアバス機だった同機はいち早く退役に追い込まれてしまった。
だが日本エアシステム時代から、A300の実績は見事なもので、当然ながら事故は一度も起こしてない。
エアバス社からは定時就航率などを含めて「ベストユーザー」の称号を贈られており、同機の優秀さを実証している。
経営破綻がなければ、あと数年は現役に合った可能性もあるが、日本航空と言うブランドとしては初めてのエアバス機であった。
久し振りにA300の現状を調べてみると、現時点で約200機が残存している。
コロナ禍で実働しているかどうか不確実要素が大きいが、大半は貨物機であることから実際に運航されていると見て良いと思う。
A300の貨物機は、B2/B4では新造機がなく全て改造機だが、600シリーズでは改造機と新造機両方が存在する。
その為型式名がややこしく、「A300-600F」「A300-600RF」などと表記されることもあるが、正式には「A300F4-600」である。
加えて新造機と改造機の区別がなく、改造機の場合は「A300-600R(F)」と表記されることもある。
この他貨客両用型「C」型も少数ながら生産され、B2/B4でも存在する。
最多数保有するのは大手貨物エアラインのフェデックスとUPSで、それぞれ65機・51機。
全てA300-600RFだが、改造機と新造機が混在する。
その次がドイツ・ライプツィヒに本拠を置く「ヨーロピアン・トランスポート・ライプツィヒ」で、22機を運用中。
同社は独自の貨物便ではなく、大手宅配業者でドイツに本拠を多く「DHL」の貨物を受託輸送していて、機材は全てDHLフルカラー。
DHL便の受託便は各国に存在し、日本ではエア・ホンコンがA300-600RFで定期就航している。
エア・ホンコンも9機保有しており、日本では唯一定期便として飛来するA300である。
ヨーロピアン・エアトランスポート・ライプツィヒのA300-600RFは全て中古の改造機で、元日本航空の機体も改造されて今なお現役である。
A300の胴体は真円形で、床下貨物室にはワイドボディ機用航空コンテナ「LD-3」を並列で搭載できる為、B767Fよりも融通性は高くなっている。
この他中南米で数機のA300が登録されているが、定期便としての運航は見られないようだ。
同機の後継機はA330で、生産が停止して20年近い時間が経っており、エアバス社では貨物機もA330Fに移行しているが、中古機での人気はなおも高く、フェデックスでは老朽化が進むDC-10Fなどの後継機としてA300の増備を見込んでいる。
これだけで残存数の2/3以上を占めていて、「旅客機」として飛んでいるA300はごく少数だ。
それは面白いことにイランに集中している。
現時点ではフラッグキャリアのイラン航空が8機、同社の系列会社、イラン・エアツアーズが4機、マハーン航空が4機、メライ航空が2機、ケシェム航空が4機、合計22機のA300が現役にあり、驚くことに全て「旅客機」として運航されている。
ただしこの他に通常型であるB2/B4が首都テヘランの空港に留置されているのが目撃されており、グランド状態になっていて一時的に登録を外されている可能性がある。
イランは今なお核開発疑惑で厳しい経済制裁を受けており、機材の調達は困難な状況にある。
その為あの手この手で中古機と部品を調達していると思われるが、詳細は不明である。
実用機が限られているせいで、一部の機種は各エアラインで「使いまわし」している事は確実だ。
加えて空軍の輸送機部隊も、貨物輸送を中心に民間便として運航されている事も多く、整備状況などに合わせて各社で融通し合っているらしい。
いずれのA300も、国内線の他国際線での運航も確認されている。
イランの同機は、殆どビジネスクラスを含む2クラスで運航されており、画像を見る限りは非常に綺麗に保たれているようで大事に使っているのだろう。
今のところ「旅客機」として同機を運用するのはイランだけで、しかも5社も運用しているのは興味深い。
先に書いたように、日本では旧東亜国内航空が80年にB2Kを導入したが、B767が全日空でデビューする以前の事であることは注目に値する。
その差は2年未満であり、B767は最初からグラスコクピット・2人乗務機と一歩進んだ機体ではあったが「双発ワイドボディ機」の先鞭をつけたのはA300なのである。
日本だけでなく、A300が登場した時は関係者からある意味失笑を買った。
双発ワイドボディ機は「非現実的」と思われていたからで、それは単なる固定観念による誤りであったのだ。
今や双発機は当たり前、と言うよりもそれしかない時代になった。
B777やA350のように、多発機でなければ実現不可能と考えられていた大型機が双発機で飛ぶ時代。
そのきっかけを作ったのは、ほかならぬA300であり、まさに「パイオニア」であったのである。
日本航空では機材整理の対象にされてしまい、退役してから間もなく10年を迎えようとしている。
佐川急便が設立した貨物エアライン「ギャラクシー・エアラインズ」は、リース機ながら日本で唯一A300-600RFを運用したが、ごく短期間で運休してしまった。
日本航空の場合は、エアバス機と言う事でリストラしたが、今B777の後継機種としてA350を導入したことは、A300にとって皮肉と言えるかも知れない。
私見ではあるが、A300の跡継ぎであるA330は格好良い旅客機だと思うのだが、A300はそれ以上に見える時がある。
B767に比べてずんぐり感はあるのだけれど、決して不格好ではない。
全体的に丸みを帯びているので、むしろスマートに見えて来るのだ。
なお旧日本エアシステムのA300は、従来型・600R通して退役まで30年に渡って運用された。
初の国際線就航ではB4が使われ、600Rでは2クラス制でアジア線の主力機として運航されている。
夜は日ごと寒くなる。
つい先日までそれほど機にならなかったのに、11月下旬になって空気の冷たさが実感できるようになった。
明日から12月・・と思えば、要するに私の認識不足だけと言う事でもあるが、どうも季節と体感がシンクロしていない気がする。
でも朝起きると、しばし鼻水が出てグズグズするのは冬になった証拠。
身体が温まって来ると止まるのだが、起きた後はいつも鼻をかんでばかりいる。
そのせいかどうかわからないが、冬場は意外にも風邪を引かない。
油断しているつもりはないが、少なくともここ何年か冬場に風邪で寝込んだ事はないし、インフルエンザは20年以上縁がない。
かと言ってコロナに感染しない・・と言うつもりは一切ないが、すぐ調子を悪くするので人よりはいくらか予防しようと心がけて入ると思う。
もう1カ月足らずでクリスマス、年末年始を迎え、コロナ禍でどうなるのか不安に思う人は多いと思う。
感染者増加で医療がひっ迫の危機・・という懸念が広まる一方、「コロナ不況」も止まらず、経済をどうするのかという問題もある。
なんたらキャンペーンも、制限するのか続行するのかさっぱり要領を得ない。
でもなんでも行政の責任にするのはおかしいと思うし、まずは個人の意識だろう。
今のところそれしか手がないのだから。
コロナばかりに目を奪われてしまうが、普通の風邪やインフルエンザも流行しないとは限らないし、何かと冬は身体に厳しい季節。
せめて気持ちだけでも、冬を楽しめるようになりたい。
元気ですか?
今日は良い一日でしたか?
体調はどうですか?
風邪など引いてませんか?
寒さは大丈夫ですか?
時々君が体調を崩していないか、とても心配になることがあります。
大丈夫だと信じていますが、このご時世無理して体調を悪くしても得はありません。
あっという間に2020年の終焉が近づいて来て、君も何かと忙しくなると思いますが、体調管理にはくれぐれも気をつけて下さい。
暖かく過ごす事はもちろん、睡眠や食事もしっかり取って冬を楽しんで下さい。
明日もどうかお元気で。
君に笑顔がありますように。
お休みなさい。
雁がねは 使に来むと 騒くらむ 秋風さむみ その河のべに(万葉集巻十七 3953 大伴宿禰家持)
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