飛行機ネタ 日系アメリカエアライン?ノースウエスト航空の功績(5月31日 晴れ 26℃)

少し霞みがかった感じがするが、概ね良好な天気。

その分日差しが強く、外では暑いけれど日陰や家の中は涼しい。

空気が乾燥しているから、過ごしやすい暑さと言える。

洗濯や布団干しには最適だろうし、週末と言う事で何処か行きたくなる陽気だ。

南風が強く、窓を開けていると風通しで気持ち良いのだが、時々強く吹きこんできて家の中で埃が飛んでしまう(笑)。

西日本は低気圧の影響で雨が降ったが、気象庁は九州南部と四国の「梅雨入り」を発表。

いよいよ本土にも鬱陶しい季節の到来だ。

緊急事態宣言が全面解除になって最初の週末であり、全国でも街や観光地は人出が増えたと言う。

もちろん皆「ソーシャル・ディスタンス」を意識しての事だろうが、同じことを考えたいるから「密」になってしまいそう。

事実東京はまだ日々感染者が出ているし、3週間以上「0」だった北九州市の例もあり、油断できない。

完全に収束するまでは要請や規制を・・と思う人も多いと思う。

制限がなくなるのはありがたいが、個人レベルでどこまで対応できるのか・・という不安が残る。

来週からは学校も基本的に再開するが、手放しで喜べない気がする。

3カ月近くも休みだった小中高は、自治体にも夜が授業の遅れを取り戻すために、当面「土曜日」も授業を行い、夏休みも半分以上短縮することが予定されていると言う。

天気が良いこともあって、近所では子供たちが走り回っていた。

我が家は「団地」なので、敷地内に住民専用の公園があり、「昭和」を思わせる子供たちの姿が残っている。

学校も歩いて数分圏内にあるし、小中学校は一緒だから子供たちの殆どは「幼馴染」だ。

だから同級生だけでなく、兄弟や近所の歳の違う子供同士も仲が良い事が多く、学校が変わる高校生や大学生ぐらいになっても仲が良い事が多い。

昨日今日は特に天気が良かったからか、正直騒々しい程歓声を上げて行ったり来たりしていた。

不思議なことに、外で遊んでいるのは女子が多く、男子の姿が少ない。

暑いとはいえ、まだ夏前なのに子供たちはもう完全な夏服。

中にはタンクトップにショートパンツ姿の子もいて、時代は変われど子供の基本は今も「元気」なのだなと思う。

むしろ情報過多・物が溢れすぎ、教育の判断を上手く下せない大人の方が過剰反応が多い様な気がする。

親御さんは大変だと思うが、子供たちは考えている以上にしっかりしているし、考えている。

大人に対する尊敬や遠慮も、私の時代よりずっとわかっているようにも思える。

何処かでは、子供たちが外で遊んでいるだけでコロナがどうと「言いがかり」をつける馬鹿者がいたそうだが、ウチの団地でそういう事を言う人はいない。





飛行機ネタ。

中学生の頃、私は洋楽や洋画に大きな興味を持っていた。

学校で「英語」を習い始めたからだろうか、自発的な意識が芽生え始めたからかは分からないが、とにかく「FMラジオ」やテレビの洋楽番組を聞き、当時活発だった海外ドラマに夢中になり、休日ともなると映画館通いしてばかりいた。

それは20歳台まで「趣味」として続き、教科書の英語よりも良い「先生」だったように思う。

今こそ忘れてしまったが、一定の会話力は身についていたと思うし、音楽や字幕スーパーの映画は原語で何となくわかるまでにはなっていたと思う。

夢中になったのは、何よりも「アメリカ」であった。

同じ英語圏の国でも、イギリスやカナダにはあまり興味が向かなかったのは、アメリカ自体に憧れのような感を抱いていたからだと思う。

今こそ私は日本の歴史学を研究するようになって、改めて「日本人」であることに喜びと誇りを持っているが、子供のころは外国に憧れを持つことは普通だっただろう。

今から3~40年も前の事だから、一介の中高生が手にできる外国の情報羽限られていた。

最も有効だったのは「本」で、これは今も変わらないと思うが、簡単でインパクトの強い「ビジュアル」の情報と言えば、テレビや映画、音楽しかなかったのだ。

当時のアメリカは「なんでもありの超先進国」と言う、根拠の乏しい概念がどこかしらあった。

実際第二次大戦でアメリカに敗戦した日本は、「冷戦」のさなかに例えアメリカの「衛星国」的な扱いだったにせよ、「赤化」させないためにアメリカが復興の大きな力を注いだ。

戦中までの独裁的封建的な社会が、敗戦によって自由と共に「アメリカ文化」も大量に持ち込まれたのである。

今思えばアメリカ文化がなんでも進んでいて格好良い・・と言うのは誤解であり、自国文化を卑下する愚行だと思うのだけど、当時はそこまで難しく考えていなかったように思う。

だがエンターティメント、と言う点では、日本にはない独自の面白さが、私には「憧れ」に変化させていたように思う。

テレビや映画の中に映るアメリカの風景にさえ、強い憧れを抱いていた。

しかもストーリや演出も、日本では考えられない大胆さや面白さがあり、アメリカ以外では絶対不可能な場面も多かった。

私はアクション物が大好きで、ポリスアクション・カーアクションは当時のアメリカ映画・テレビの「定番」だった。

非現実的と分かっていても、それを実写化できるアメリカはやはりすごいと思った。

カーチェイスシーンでは、高級車を「惜しげなく」何台も壊し、時には飛行機までも墜落させてしまう。

なんてもったいない・・と思いつつ、さすがアメリカ・・と唸るしかなかったものだ。

アメリカでは、車でも何でも、一度使ったら即座に「使い捨て」で、いつも新しいものばかり使う贅沢すぎる国なのだと勘違いしていたほどだ。

現代文明の多くは、確かにアメリカ発祥の物が数多くあり、今やそれを意識せずとも世界に浸透していることは数え切れないだろう。

ハンバーガーだって、コーラだって、コンビニだって、アメリカが発祥である。

そして「飛行機」もまた、1903年の「ライト兄弟」が最初に動力で飛ばしたことだ。

エアラインも戦後を中心に見れば、飛行機社会を世界に構築したのは「パンナム」を筆頭としたアメリカのエアラインである。

ボーイング・ダグラス・ロッキードと言った航空産業が盛んなアメリカでは当然のことであったが、エアラインもまた他国では真似できない程の資金と規模を持っていたのである。

とにかく何でも必要な物は、バンバン作って買う・・と言う雰囲気を、私は感じていたのである。

ところが一見そう見えて、実はそうでないエアラインがかつてあった。

日本人には最も縁が深かった「ノースウエスト航空」である。

同社は2000年代まで、規模と言う点では全米5位につける大手メジャーであった。

アメリカのエアラインは70年代まで、大きな規制がかけられており、特に国際線に関しては細かい規定があった。

1Z_DC-10-30,_Northwest_Airlines_AN0561955.jpg

1Z NORTHWEST_DC-10-30_JP485124.jpg ←(2枚)ノースウエスト航空のDC-10-30(ウィキペディア英語版より)

今こそ世界最大級のエアラインであるアメリカン・デルタ・ユナイテッドは、保有機数や従業員数と言う点では大きかったものの、国際線の運航は規制によって中南米など、ごく限られた地域に限定されていた。

逆にパンナムは国内線や近距離線を殆ど持たなかった代わりに、世界中に路線を持っていた。

ノースウエスト航空は、その中間にあたるポジションのエアラインだった。

創設は26年と古く、最初は小型機による郵便輸送を目的とするエアラインであった。

本拠を中西部ミネソタ州の州都ミネアポリス・セントポール郊外に置き、リージョナルエアラインとして細々と運航していた。

転機となったのは第二次大戦で、同社は軍と契約することで戦時輸送の任務を請け負う事になった。

それは41年に始まった日本との戦争で、同社はアラスカなどへ軍の物資や兵員を輸送した。

それが政府に認められ、戦後民間エアラインとして復帰した際に厚遇されることになった。

結果的にパンナムと並んで、広範囲の国際線運航を連邦政府に認められたエアラインだったのである。

日本へは終戦間もない47年に就航し、最初に定期便を運航した外国のエアラインとして知られる。

当初は駐留軍の輸送が目的だったが、すぐに羽田や大阪に民間運航を開始した。

1Z Northwest_Martin_202_(4589908153).jpg

1Z_DC-4_Northwest_Airlines_(4589814311).jpg ←(2枚)日本に初めて乗り入れたノースウェスト航空のマーチン202とDC-4(ウィキペディア英語版より)

同社は日本の民間航空復興にも大きく寄与し、日本航空設立時には機材と乗務員込みの「ウェットリース」で運航した。

最も当初日本はまだ「連合軍」の管理下にあって、日本人が「操縦」する事が認められていなかったからであった。

主権を回復したサンフランシスコ条約以降は、機体はそのままリースし、乗務員や整備士の教育も請け負った。

日本航空が最初に運航したマーチン202、DC-4、DC-7などは、同社が最初に運航していた機体を払い下げで導入したものである。

つまり現代に至る日本のエアラインの基礎を作ったのは、他ならぬノースウエスト航空だったと言う事だ。

日本側も同社の功績を鑑み、それは政治的な「忖度」も大きかったのだが、日本からアジア方面への大幅な「以遠権」を与えていた。

日本航空はまだ成長の過程にあったため、日本~アジア間の運航を同社に任せることで空路を確保したのである。

1Z NORTHWEST_L-188C_Electra_(4590513500).jpg

1Z NORTHWEST-Boeing_377_Stratocruiser_(Northwest_AL)_on_ramp.jpg

1Z_DC-7C_Seven_Seas,_Northwest_Airlines_JP7675846.jpg ←(3枚)国内幹線に投入されたロッキードL-188エレクトラと太平洋路線に投入したボーイング377ストラトクルーザー、DC-7C。ストラトクルーザーは女優マリリン・モンローとメジャーリーガー、ジョー・ディマジオが日本への新婚旅行で利用した(ウィキペディア英語版より)

また大西洋方面でも、戦中。戦後の軍用輸送が功を奏して国際線の運航が認められていた。

70年代まで、両方の長距離路線を運航したのは同社とパンナムだけで、TWAなどが僅かに大西洋路線を許可されていただけである。

同社は日本を拠点の一つにし、アジア諸国の他ミクロネシア線など次々と路線を拡大した。

このためジェット化も積極的で、60年に最初のジェット旅客機であるDC-8を導入し、61年にはB720,63年にはB707を導入した。

すなわち60年代に入手できる長距離機の全てを持っていたことになるが、それも必然であったのである。

1Z NORTHWEST_B720-051B_A-l_JFK_09JUL70_(6054317398).jpg

1Z-B707-351B_N377US_NWAL_SFO_19.09.70_edited-2.jpg ←(2枚9本格的な長距離機材となったB720とB707-320B(ウィキペディア英語版より)

盤石となったのは70年に導入したB747からで、特に太平洋路線が充実した。

折しも航空需要が増加し始めたころで、日本航空もこのころには一流エアラインの仲間入りを果たしており、北米線は過酷な競争であった。

最もノースウエストと日本航空の関係は、ライバルながら切磋琢磨の関係にあり、本当のライバルはパンナムであった。

特に有名なのは東京~ニューヨーク線で、それまでは3社ともDC-8やB707でアンカレッジを経由していた。

1Z-Northwest_Orient_Airlines_B747-151;_N604US_(6084154942).jpg ←ノースウエストはB747を最初に導入したエアラインの一つ。初期導入の100型(ウィキペディア英語版より)

747のデビューで、同じ行程ながら座席数は倍増し、観光・ビジネス双方とも需要が激増していた。

しかし初期の747は航続距離が足りなかったことから、パンナムは多少座席数が減っても直行できる機体を希望し「B747SP」を導入した。

同機は胴体を短縮して機体重量を軽くし、航続距離を飛躍的に伸ばしたタイプである。

これによりパンナムの東京~ニューヨーク線は、世界で初めてノンストップ運航となり、アンカレッジ経由よりも3時間近くも短縮された。

またアジアの大都市とアメリカ最大の都市ニューヨークをダイレクトに結んだのも、この時が最初であった。

当然のことながらノースウエストと日本航空は大打撃を受けることになったが、両社は「タッグ」を組んで対抗した。

747SPの航続力は認めるものの、747本来の特徴である座席数が半減するのは本末転倒であるとして、ボーイングに従来型の改良を迫ったのである。

当時747に搭載されていたエンジンは、初期の高バイパスファンエンジンP&W製の「JT-9D」だったが、高出力することで機体重量を引き上げれば燃料を増加させられると主張したのである。

当初ボーイングもエンジンメーカーのP&Wも難色を示したと言うが、まずは離陸時にエンジン内で「水噴射」装置をつけることで圧縮空気の密度を上げ、一時的に出力を高められるようにした。

その後基本的なスペックを向上させた「JT-9D-7R4G2」が実用化され、通常型の747でも直行できるスペックを確立させた。

1Z-Northwest_Airlines_B747-251B_(N637US_644_23548)_(8276880142).jpg

1Z NORTHWEST B747-200B-N623US_(2767178267).jpg ←(2枚)性能を向上させた200型のおかげで、ノースウェスト航空はアメリカ最大の747ユーザーに成長した(ウィキペディア英語版より)

それでも航続距離はギリギリで、特に東京行きの場合風向きによって積載量を減らしたり、シアトルなどで給油を余儀なくされたが、それでも400席をキープしてのノンストップ便の効果は絶大で、パンナムに流れた顧客を取り戻す事ができた。

72年にはDC-10の導入を開始し、大陸横断便の他、大西洋路線の主力機として投入する。

DC-10に至っても、日本航空と再び共同戦線を張って、ラインナップになかったJT-9D仕様の「40」型をマクドネル・ダグラスに作らせている。

これは747と同じエンジンにすることで、整備や部品供給の安定化とコストを削減するのが目的であった。

最初に提案したのは日本航空で、ノースウエストが追随した形だったが、このころ大手エアラインでこうしたコストセーブの発想を持つエアラインは珍しかった。

1Z-Northwest_Orient_DC-10-40_(6142354648).jpg

1Z_ NORTHWEST DC-10-40_AN0613187.jpg ←(2枚)ノースウェスト航空と日本航空だけが導入したDC-10-40(ウィキペディア英語版より)

ノースウエストはアメリカのエアラインでは唯一、東京をアジアの拠点としていて、羽田時代から専用のハンガーを持っていたが、成田に移動するとより拡大させた。

専用のターミナルも持つことになり、整備上は本国と同規模の大規模な物が建設された。

1Z_Northwest_Airlines_B747-200B AN0217703.jpg ←2000年代初頭まで、成田空港は本国以外では同社のB747が最も集中する空港で、時間帯によっては「レッドテイル」が連続した(ウィキペディア英語版より)

特に太平洋路線専用でもあった747の整備拠点として整備され、晩年に至るまで同社の重要整備拠点として機能した。

同社の「成田デポ」は業界でも有名で、常に747用のエンジンが4基常備されていた。

専門の整備士も日本人を含めて、常時100~200人が配置されており、同機の解体整備も可能であった。

その為本国からわざわざ回送してまで整備することもしばしば行われていたし、他社への融通や協力も常時行われていた。

羽田時代から事務所を含め、普段から「省エネ」が徹底されており、事務用品や制服、作業用の服や手袋まで、大事に使う事が奨励されていたと言う。

ボールペン1本も、最後まで使い切ってからでないと支給されず、きちんと管理することが命じられていたと言う。

今だとハラスメントと誤解されそうだが、社員一丸となって「無駄遣い」を止めることが常日頃言われていたそうである。

それは日本支社だけでなく、本国のオフィスや工場でも徹底されていたと言う。

1Z NORTHWEST-B747-451_AN0205144.jpg

1Z-Northwest_B747-400_Spijkers.jpg ←(2枚)B747-400のローンチカスタマーだったノースウェスト航空(ウィキペディア英語版より)

羽田時代には、ライバルであるパンナムが駐機場で隣接していた時、地上整備士はパンナムの社員が羨ましかったと言う。

世界最大のエアラインだけあって、飛行機はいつもピカピカ、乗務員はもちろん汚れる仕事の多い地上職員でさえ、いつも新しく綺麗にクリーニングされた服を着ていたと言う。

一方ノースウエストは、油で薄汚れよれよれの服で、みすぼらしく感じたと言う。

当時の社員は会社が貧乏だからと嘆いたそうだが、実は同社は日本人の習慣に習ったものであった。

先に書いたように、戦後最初に日本に進出したノースウエストは、復興途中の貧しい日本人の暮らしを目の当たりにしていた。

朝鮮戦争の「特需」によって、あの奇跡的な高度経済成長を遂げたのであるが、同社の幹部はそれ以前に日本人が元来受け継いできた質素な生活館に感銘を受けたと言う。

我々が常日頃考える「もったいない」精神が、同社の経営に反映されたのであった。

1Z NORTHWEST-B727-251-Adv,_Northwest_Airlines_AN0200768.jpg ←国内線の他、以遠権を行使した海外路線でも運用されたB727-200。日本でも数機が常駐してアジア線を運航していた(ウィキペディア英語版より)

なんでもお金で新しいものに取り換えると言う「アメリカン」な感覚では、この先過当競争時代に突入した時、余力を得られないと感じたのだ。

会社の運営コストをできる限り減らす事で、その分飛行機をより多く飛ばすと言う考え方であった。

同社の興味深い点は、そうした「隠れた」経営理念が機材に見ることができると言う事だ。

たとえば80年代末に登場したB747-400やB757-300は、同社がローンチカスタマーであり、前者は初号機を受領・初就航させている。

新しい機材を積極的に導入するかと思いきや、古いDC-9やDC-10を21世紀になるまで使い続けてもいる。

DC-9は初期からのヘビーユーザーで、10~50シリーズまで全て運用した唯一のエアラインでもある(20型は特殊型で生産型ではない)。

1Z_DC-9-14_Northwest_IAH_26APR00_(5592642501).jpg

1Z DC-9-32 NORTHWEST_(293090062).jpg

1Z Northwest_Airlines_DC-9-41 N759NW_(1570303814).jpg

1Z Northwest_Airlines_DC-9-51;_N767NC@MIA;31.01.1998_(5531614361).jpg ←(4枚)DC-9-10~50。30型と50型は提携先だった東亜国内航空にリースされた事がある(ウィキペディア英語版より)

80年代にはB727の代替えとしてB757を大量に導入したが、アメリカのエアラインでは大ウケしたB767には一切興味を示さなかった。

アメリカのメジャーでは、唯一767を1機も運用した事がないエアラインなのだ。

何故なら300席級はDC-10があったからで、例え3発機3人乗務で効率が悪いと言われようとも、新しい機材の導入費用をかけるより安価で済むと言う考え方だった。

しかもDC-10ならば国内線の幹線から長距離路線まで幅広くこなせる機体であり、オリジナルの40型では足らず、90年代以降は各地から引退したDC-10-30型をかき集めてまで体制を維持した。

提携していた日本エアシステムが持てあまして放出したDC-10-30も、同社が引き取り、最後の退役まで運用させたのはファンには有名な話だ。

1Z DC-10-30_Northwest_Airlines_(2243943673).jpg

1Z_DC-10-30,_Northwest_Airlines_AN0554879.jpg

1Z_DC-10-30_Northwest_Airlines(JA8550)_AMS_24MAR04_(11098307944).jpg ←(3枚)90年代になるとDC-10-30の中古機を世界中から集めて機数を維持し、国内線から太平洋温暖路線までオールマイティに運用した。3枚目の機体は元日本エアシステム、ハーレクインエアで運用されたJA8550(ウィキペディア英語版より)

747も最新の400型が導入されても、200型が併用された。

同社のB747-200とDC-10はオリジナルの改修が加えられていて、コクピットの計器盤などは独特のオリジナルタイプに変更されていた。

90年代後半になるとB777を始めとする21世紀型の機体が次々登場し始めたが、ノースウエストは潮流には乗らないエアラインだった。

国内線用として100機以上保有していたDC-9シリーズのうち、古い10~30型については後継機が必要よなったが、同社が選んだのは「国産機」のMD-80やB737ではなく、ヨーロッパ製のA320シリーズだった。

アメリカでは最も初期にエアバス機を導入したエアラインの一つで、ユナイテッドと共にボーイング・マクドネルダグラスの牙城を最初に崩したことで知られている。

1Z-Northwest_Airlines_A319_(552711537).jpg

1Z NORTHWEST_A319-114_YYC_20JUN07_(5805833262).jpg

1Y-Northwest_Airlines_A-320_(292518383).jpg

1Y NORTHWEST A320-N362NW-2008-09-13-YVR.jpg ←(4枚)DC-9の後継機種として導入されたA319・320は、デルタ航空にも引き継がれている(ウィキペディア英語版より)

最もこの話には裏があって、エアバス社北米市場開拓のためなりふり構わない「ダンピング」を行っていたと言う。

特にユナイテッドとノースウエストに対しては、大量発注と引き換えに最大で40%ものダンピングで契約したと言われている。

もちろん機体に沿うような性能だったからの話なのだが、排他的なアメリカ市場に大きな楔を打ち込んだのである。

同社はDC-9の代替えとしてA319と320を導入したが、そのペースはゆっくりだった。

21世紀になると「9.11」から始まる航空不況で、同社も05年に連邦破産法11条「チャプター11」の申請に陥り、再建策が採られた。

翌年にはオランダのフラッグキャリアKLMと包括的提携関係を結び、両社の全ての便でコードシェア運航を開始した。

航空同盟とは別に、エアライン同士の包括的提携は珍しく注目を集めた。

同社は独自のマイレージサービスを持っていたが、KLMとは完全に共有することになった半面、会員は両社が就航する地域の人のみという限定がついていた。

1Z Northwest_Airlines-KLM_DC-10_hybrid_livery_KvW.jpg

1Z-Northwest_Airlines-KLM_DC-10_hybrid_livery_Spijkers.jpg ←(2枚)KLMとの提携を記念した特別塗装のDC-10-30。左をKLM塗装、右側がノースウエスト塗装だった(ウィキペディア英語版より)

08年、同社は突如デルタ航空との統合を発表し世界を驚かせた。

これについては独禁法違反ではないか、と言うクレームが多く寄せられたため、両社は「持ち株会社」の子会社化され、しばらく独自の運航を行っていたが、10年にノースウエスト航空は完全にデルタ航空に吸収され、消滅した。

機材と従業員はそのまま移籍することになり、路線も継承された。

統合直前にはDC-10の後継機としてA330を導入し、日本線にも投入していたが、晩年では東京~シアトル線などでDC-10が最後の活躍を見せてファンを喜ばせている。

同機は統合発表直前にB747-200とともに全機が退役したが、日本航空よりも長生きであった。

統合後、デルタ航空はそれまで運用実績がなかったB747-400・A330を入手したことで、日本を含むアジア広範囲の以遠権を含む営業権も手に入れたことになる。

1Z NORTHWEST_A330-223_N851NW,_AMS_Amsterda_PP1165934332.jpg

1Z NORTHWEST_A330-323X_N802NW,_AMS_PP1164914103.jpg

1Z NORTHWEST_A330-323X_JP485143.jpg ←(3枚)DC-10の後継機として導入したA330-200/300は、同社にとって初めてのエアバス製ワイドボディ機だった。晩年の導入だったため新塗装以外ない(ウィキペディア英語版より)

国内線でも、デルタはDC-9/MD-80シリーズを運用していたので、老朽機を除いてしばらく継続して運用した。

しかし10年代になると、デルタ航空は日本市場で利益が上がらないとの理由で日本線の縮小を開始。

アジアでの拠点を韓国ソウルのインチョン空港に移す事になり、長年運航して来た路線の整理が行われれた。

更に今年になって、デルタ航空は成田を撤退。東京線は全て羽田に集約させることになった。

1Z Northwest_Orient_Airlines_B757-251;_N519US,_May_1987_(5876319440).jpg

1Z NORTHWEST-B757-251,_Northwest_Airlines_AN0151667.jpg

1Z NORTHWEST B757-200_(7116032349).jpg

1Z NORTHWEST_B757-300_(385585503).jpg

1Z_Northwest_Airlines_B757-351;_N591NW@LAS;15.03.2005_(5237665579).jpg ←(4枚)B727の後継機として導入されたB757-200と国内幹線用に導入されたB757-300。200型は日本からのアジア線でも運航されていた。300型はデルタ航空に引き継がれ、現在も全機現役にある(ウィキペディア英語版より)

また日本では人気のあったミクロネシア線なども殆ど撤退し、ノースウエスト航空が築いて来た日本の基盤を、悪く言えば全て「ぶち壊し」にかかっている。

以遠権を使ったアジア・ミクロネシア線は日本人にも人気で、80年代には本土からわざわざB727を回送し、成田に2~4機を常駐して運航していた。

その後B757、A320が変わって日本に常駐していた。

デルタもミクロネシア線にB757を常駐させていたが、既に撤退させている。

ノースウエストの場合は、ミクロネシア線の他、ソウルや北京、香港線などもこれらの機材で運航していた。

建前上では「東京経由」の便として運航し、乗り換えるというやり方である。

もちろん東京からアジア・アメリカへ区間利用が可能で、と言うよりも利用客の殆どがそうだった。

アメリカのエアラインのサービスは、何かと問題が多く、今でもSNSで「炎上」する事が多いが、その中で同社は比較的クレームが少ない事でも知られていた。

「おもてなし」の日本のエアラインと比べると、やはり「アメリカン」なのだが、客室乗務員には古くから日本人を多く採用し、彼らの意見を反映させたサービスが行われていた。

ただ晩年では古い機材に対するクレームは多かったそうで、そこは「もったいない」「大事に使う」と言うポリシーへの反発だったのかも知れない。

それでも日本人だけでなく、韓国・中国・台湾、そして東南アジアでも同社の評判は相対的に良かった。

便数が多く、乗り継ぎも便利に設定されていたし、独自のマイレージサービスも人気があった。

同社の塗装も特徴的である。

初期は個性のないシンプルなものだったが、尾翼が赤く塗られていたのが大きな特徴だった。

これは諸説あるが、同社の本窮地ミネソタ州は冬の気候が非常に厳しい場所で、雪が多い地域。

万が一事故を起こしたりの他、視界が悪い時でも視認しやすいように赤い尾翼にした・・と言われている。

1Z _Northwest_Airlines_B747-400 NGO_08JUL01_(7026965685).jpg ←旧名古屋空港に乗り入れていたB747-400(ウィキペディア英語版より)

70年代B747から採用された塗装は胴体は白と紺、機体の「地肌」を利用した銀と、いささかまとまりのないデザインだったが、980年代になると胴体上部から尾翼までが赤になり、胴体側面はチャコールグレー、下部は白と大胆な塗装に変更された。

赤とグレーと言う、デザインとしては通常考え付かない色調であるが、赤が非常に目立つ色調でもあった。

恐らく赤をより目立たせるデザインとして採用したのだろう、なるほど遠くからでもノースウェスト機と分かる良くできたデザインであった。

見慣れて来ると実に格好良く見え、どの機体にも似合うデザインであった。

1Z DC-10-30 NORTHWEST N240NW_(20459282134).jpg

1Z-Northwest_B747-251B.jpg

1Z-B747-251B_Northwest_Airlines_PP1160900241.jpg

1Z NORTHWEST-N661US_B747-451_Northwest_Airlines_NRT_21MAY03_(8439823437).jpg ←(4枚)新塗装(最終塗装)のDC-10-30、B747-200、B747-400(ウィキペディア英語版より)

00年代には短期間であったが、再び全面的な変更を行い、胴体はシルバーと言うよりも「パールグレー」に近い光沢のあるグレーになった。

赤は尾翼だけに戻ったが、ロゴマークが胴体前部に大きく移され、それまでの「NOTHWEST」から略号の「nwa」に変わった。

マークは円の左上に楔形と言う妙な形だが、これは楔型が「ノースウエスト」つまり北西方向を指している。

なお70年代Kら80年代前半にかけて、機体のロゴには「NORTHWEST ORIENT」と記入した機体が多く見られたが、これは「ORIENT」、日本を含むアジアに強いエアラインを宣伝するためのものだった。

社名が変更された訳でなく「宣伝」のため、と言うのは当時としては非常に珍しい事例だったが、やはり社名変更と勘違いされることが多く、記入されたのは国際線機材のB747/DC-10の一部だけで、短期間で取りやめになった。

日本でも当時は「ノースウエスト・オリエント航空」と紹介された時期があったが、あくまで「ノースウエスト航空」が正式名称である。

だがこんなことまでするというのは、同社が日本を含むアジアに特別な思い入れがあったと言う事でもある。

古い機体を直しながら大事に使い、社員にもそれを意識させるのは、日本人の習慣を摂り入れた結果である。

1Z-B747-222B(SF),_Northwest_Cargo_JP333380.jpg ←旅客型を改造して貨物型で運用されたB747-200SF(ウィキペディア英語版より)

今こそコスト削減と言って、まだまだ使える機体をさっさと退役させてしまう事が多いが、同社はそういうやり方をしないエアラインであった。

乗客には「ボロいエアライン」と思われることもあっただろうが、決して汚ない状態で飛ばしていた訳ではない。

その反面80年代半ばには、国内で大きなシェアを持ってたリパブリック航空を買収するなど、お金をかけるところではかけているのである。

でたらめに拡大しようと投資するのではなく、普段はコストをセーブして「貯金」し、ここぞと言うところで・・と言うのは、まさに日本人の経済観念に共通するのではないか。

それでいながら大規模なエアラインだったのだから、方向としては間違っていなかったという事だ。

デルタと統合された時点で、保有機は365機、内外合わせて255都市に就航させていた。

最近SNSなどでは若いファンが「デルタのA350」がとか「成田撤退」などを話題にする事が多いが、残念ながらその歴史にノースウエストがあることを知らない世代が多いようである。

赤い尾翼が日本から消えて10年以上経つが、それほど昔ではないにせよ忘れ去られてしまった。

1Z NORTHWEST-N661US_1_B747-451_KIX_11JAN99_(6559458855).jpg

1Z NORTHWEST B747-400-N661US_LLBG.jpg ←(2枚)B747-400の初号機「N661US」は、デルタ航空でも使用された(ウィキペディア英語版より)

数年前には、デルタ航空がB747-400を引退させ、その初号機を博物館に保存・展示したことが大きな話題となったが、オールドファンにとっては、なぜデルタが「我々が遺す」みたいな顔をしてるのか・・と思ってしまう。

同機はノースウエストがローンチして世に送り出した記念すべき初号機であり、讃えられるのはノースウエストだと思うのだが・・・。

同社が消えて残念だと思う利用者は、実際に多かった。

時代の流れは仕方ないとして、デルタ航空はその功績を奪い去ってしまっているように思えてならないのは私だけだろうか。





昼間は暑くとも、夜は空気がひんやり感じる程で気持ち良い。

既に半袖など薄着になった人も多いだろうが、朝晩はまだ気温が低いので上着や長袖が必要だろう。

気温差が大きいので体調に注意が必要だけど、過ごしやすくもある。

仙台の梅雨入りの平年は6月12日。

今年は早くから梅雨前線がくっきり現れており、西日本では前半を中心に大雨の恐れもあると言う。

コロナは落ち着きを見せているが、単なる「引き潮」の可能性があり、規制緩和で油断したら大変だ。

そこに自然災害が重なったら、今度こそ本当の「国難」になるだろう。

歴史を見ても、疫病・災害は連続することがある。

特にこれから秋の初めにかけては、雨・台風の季節でもあり、昨年甚大な被害を出した台風は記憶に新しい。

私見だが、この1~2カ月、全国で地震が多いのも気になる。

緊急地震速報が出る地震も数回発生しているが、特定の地域ではなく、全国的だと言う事。

幸い被害が出やすい震度5以上の強い地震はないが、震度4は頻発している。

先日には岐阜県と長野県の県境付近で、群発地震が発生している。

それがどうとは言わないけれど、いつも言うように大地震は5~6月に何故か集中しやすい傾向がある。

コロナに気を取られて、防災意識が疎かにならないように。




元気ですか?

今日は良い一日でしたか?

体調はどうですか?

少し汗ばむ初夏の陽気が続いていますが、暑さは大丈夫ですか?

君もここ数日は、半袖姿で過ごしたかも知れません。

でも朝晩は冷え込むので、気をつけて下さい。

5月は今日で終わり、明日から6月です。

コロナの影響は、少しずつ解消しているように見えますが、今後も油断せず注意を続けて下さい。

飲食店が自粛でリラックスできませんが、明日以降再開や通常営業に戻る店も多いようです。

君も久し振りにティタイムを取ることも、できるようになるかも知れません。

新しい1カ月を、君が健康で幸せに過ごせますように。

明日もどうかお元気で。

君に笑顔がありますように。

お休みなさい。



紫草の 草と別く別く 伏する鹿の 野は異にして 心は同じ(万葉集巻十二 3099 物に寄せて思を陳ぶ)


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント