飛行機ネタ 忘れないで、B737クラシック(4月19日 曇り時々晴れ 13℃)
昨日は台風のような低気圧で、大荒れだった。
特に夜は風雨が強まり、県内では暴風・大雨洪水警報が出たほか、一時「土砂災害警報」も出た。
ウィルスの「緊急事態宣言」の初めての週末となったが、出かけたくとも出かけられる天気ではなかった。
私は止むを得ず、22時頃近所のコンビニまで買い物に行ったが、まさに風のピークで、何年かぶりに傘を壊されてしまった。
雨は未明に止んだが、強風は今日午前中まで吹き荒れた。
雲もすっきり取れず、寒々とした日曜日である。
緊急事態宣言を受け、市内も自粛ムードが一層強まった。
それは仕方ない事だと思うが、買い物や用事を済ませるには、極めて不都合だ。
行政もこのあたりはもう少し気を使って欲しいと思うのだが、今日になって突然休業や時短営業となる店が多く、生活に支障をきたす。
せめて数日前から「予告」してもらえば、こちらも合わせる事が出来るが、突然は非常に困る。
我が泉中央では、「セルバ」がこの週末からGWまで、一部店舗を除いて休業となったが、唯一営業していた「アリオ泉」も、昨日から時短営業に踏み切った。
一昨日の時点では、飲食店を含むテナントが休業する旨がウェブ等で伝えられていたが、「イトーヨーカドー」も1時間時短営業になってしまった。
恐らく本社の方針と思われるが、駅に隣接した中核店舗だけに、この自粛は疑問を感じざるを得ない。
土日祝日の時短営業は理解できるが、平日もと言うのはおかしい。
地下鉄・バスを使う人々の「買い物難民」を誘発することになるし、時短の分買い物客が別の時間に集中することになる。
世の中、早い時間帯に買い物に行ける人ばかりではないはず。
しかも昼間も、自粛で平常より人では少ないとはいえ、相当数の買い物客は出ており、こうしたやり方が果たして拡大予防に繋がるかと思う。
むしろ平常営業の方が、お客さんが「分散」するのでは・・?とまで思ってしまう。
東京では繁華街こそ人出は減ったが、郊外の商店街は逆に人出が増えたと言う話もある。
手間はかかるだろうが、店舗では頻繁に除菌する、レジなどでは間隔を取って並ぶように誘導する、等お客さんが「密着」しないようにすれば良いのではないか。
営業中の飲食店では、座席数を減らしてお客さん同士が隣り合わせにならないようにするなど配慮しており、それを優先させるべきだ。
結局「世相に合わせてウチも」みたいな、特に大手企業は「責任回避」に見えなくもない。
行政の自粛要請も、そろそろ「バカの一つ覚え」さえ聞こえてくる。
いま必要なのは、すぐにでも治療薬や治療法を許可することで、いつまでも自粛だけで問題は解決しない。
給付金も1度ばらまいたからとて、一時しのぎで、時短や休業で給与の減った人には効果は薄い。
国は企業や店に補償金を出すと言うが、従業員に還元するのはあくまで会社。
会社が知らんふりすればそれまでで、対策は「同時進行」させなければならない。
国会では首相夫人が、先月末に遊んでいたとか野党が糾弾しているが、バカバカしさにも程がある。
その暇があったら、独自にマスクを確保して配布するとか、国民の生活をどうにか守ることを考え行動する気にはなれないのだろうか。
政府の対応を遅いと批判する国民が多いそうだが、ならば何のために野党がいるのだろうか。
だがこの期に及んで、現野党がいかに「役立たず」かが垣間見えるような気がする。
飛行機ネタ。
先月全日空系列の「ANAウィングス」が運航を担当している、B737-500の1機が大阪から西日本を中心に「ラストフライト」を行った。
全日空は3機の同機を保有していたが、新型コロナウィルスの影響で国内線は大幅な減便になっており、同機は事実上の「退役」を迎えたと見做しても良い様に思う。
同社ではB737-500の退役に合わせ、最後まで引退セレモニーやファンのためのチャーター運航などを計画していたが、極めて流動的になって来た。
ファンだけでなく、長年運用して来た同社にとっても、こういう形でフェードアウトしてしまうのは何ともやりきれない想いであろう。
だが同機は20年前半までに退役・・とアナウンスされており、仮に残った機体を飛ばすにしても、果たしてそれまで世間が落ち着くかどうか見妙としか言いようがない。
乗客を乗せず「内輪」だけでささやかな引退セレモニー・・にしても、空港やその周辺に引退を惜しむファンが押し寄せる可能性も否定できず、全日空としては悩ましいだろう。
←3月末に退役したANAウィングスのB737-500「JA305K」(ウィキペディア英語版より)
先月末引退した「JA305K」は、ギリギリ自粛対象前だった事はラッキーだったかも知れない。
同機は95年に、ANAグループエアラインだった「エアーニッポン」が、初めて自社導入したジェット旅客機である。
同社は70年代までは「日本近距離航空」として、主にローカル線専門のエアラインだったが、全日空との業務提携が拡大したことで社名を変更した。


←(3枚)旧エアー・ニッポンが初めて自社導入したB737-500。カウリングにイルカのイラストが描かれ「スーパードルフィン」と命名された(ウィキペディア英語版より)
それまでは機体は全日空からリースもしくは移籍と言う形で保有していたが、路線拡大に合わせてB737-500が導入された。
前年には日本トランスオーシャン航空が、日本で初めてB747-400を導入し、直後に日本航空も導入。

←(2枚)日本で最初に「737新世代」を導入した日本トランスオーシャン航空と日本航空のB737-400(ウィキペディア英語版より)
94・95年は日本のエアライン事情が、大きく変化・成長した時期である。
関空開港もあって、国内線の需要が急激に伸び始めた時であり、各社はローカル線の拡充に全力を注ぐ事になった。
それまでは飛行機はまだ贅沢な交通機関で、大都市圏同士の幹線もしくは大都市圏と地方を結ぶ路線、すなわち放射状の利用が主体だった。
しかし運賃などの規制が緩和され、「包括運賃」と呼ばれる格安料金が一般販売できるようになり、地方同士の飛行機利用も増えていた。
国の方針で、地方空港が整備された事もあり、需要は増えたのである。
「包括運賃」とは、いわゆる「団体運賃」の事。
本来は旅行会社が企画・募集したツアーに適用される運賃だが、各旅行会社に分配された「団体枠」を個人客に切り売りすることが可能となったのがこの時代である。
←最も秀逸なデザインだと思う、JALエクスプレスのB737-400。この機種だけに施された(ウィキペディア英語版より)
表向きは企画募集型の「ツアー」だが、航空券とホテルを組み合わせた「個人ツアー」と言う形で包括運賃を適用した。
当時は「早割」などの割引はあったものの、割引率は低く、「個人ツアー」だとかなり割安であった。
ホテルの料金を考えると、運賃は半額以下の事も多く、旅行だけでなく出張族にも大いに活用された。
当日申し込みは不可、キャンセル料は高めと言う条件はあったものの、前日まで空きさえあれば申し込み可だった。
こうした状況で地方~地方を飛行機利用する人が激増し、各エアラインはローカル線の充実が必須であった。
それにピタリの機材が、B737だったのである。
それまでは日本トランスオーシャン航空の前身である南西航空と、全日空がB737-200を運用していたが、あくまで短距離ローカル線向きだった。
亜幹線や地方中核都市間では、B727が主役だったが、退役しており、新しい小型機が必要であった。
それがB737-400/500だった・・と言う訳だ。
この時点で同機は最新鋭・・と言う訳ではなかった。
「737クラシック」と呼ばれる300~500型は、200型を発展・改良したシリーズで、最初の300型は84年にアメリカの大手USエアウェイズとサウスウェスト航空でデビューした。
アメリカでは、エアラインに対する大規模な規制緩和が70年代末に実施され、運航が自由になったのと同時に競争も激しくなった。
特に国内と近距離国際線は、新規参入が拡大し、エアラインはより効率の良い機体が求めた。
それまでは180席級で3発機のB727と双発のB737-200、DC-9だけで、需要にきめ細かく対応するには古くなっていた。
ボーイングは、200型をベースに経済性に優れた大口径ターボファンエンジンに換装し、小型機ながら低燃費・低騒音の新型機として開発した。
最初の300型は、200型より全長が約2.7メートル延長されたが、標準座席数は130席と、200型僅かに大きい機体だった。
続く400型はアメリカの旧ピードモント航空で88年にデビュー、胴体を延長し150席級としたモデル、そして200型とほぼ同じ大きさ・座席数にした代わりに航続距離を伸ばした500型は、90年に300型と同じくサウスウエスト航空でデビューした。


←(3枚)最初に300型を就航させたUSエアウェイズとサウスウエスト航空の新旧塗装。
足掛け6年の月日を費やしたが、これで同じB737でも、エアラインの事情に合わせて座席数を選べるという利点が生まれたのである。
ライバルとなっていたダグラスDC-9及びMD-80シリーズでは、需要の増加に伴って胴体を延長して行ったが、バリエーションを同時販売することはなかった。
80年代後半にようやく胴体を「逆ストレッチ」させたMD-87を販売したが、ほかのバリエーションは全てエンジンや航続距離の違いで、胴体は共通だった。
そこにB737は3つのバリエーションを「同時」に生産・販売すると言う手法を取り、これは旅客機では初めてのことであった。
それだけ世界のエアライン事情はシビアになっていた、と言う事だが、選択肢が増えたことはセールスを伸ばす最大のファクターにもなったのである。

←(2枚)400型を最初に就航させたピードモント航空と500型を就航させたサウスウエスト航空(ウィキペディア英語版より)
同機が魅力的だったのは、それまで小型ナローボディ機だったB737の「短距離線用機」と言う概念を、自ら打ち砕いたことだった。
200型は初期の低バイパスエンジンの中では傑作となった「P&W JT-8D」エンジンを装備していたが、「737クラシック」で採用した「CFM-56」エンジンは、現在まで使われる高バイパスターボファンエンジンで、同機が初めて実用化した。
同エンジンは、世界的に供給する目的で、アメリカのGE社とフランスのスネクマ社が共同で立ち上げた合弁企業「CFMインターナショナル」で開発したエンジンである。
現在までA320シリーズの他、4発機のA340、リノベーションしたDC-8など多発機でも使われる優秀なターボファンエンジン。

←(2枚)シャトル・バイ・ユナイテッドの300型とアラスカ航空の400型(ウィキペディア英語版より)
しかし「737クラシック」では、このエンジンの取り付けに苦労した。
元々B737は、地上機材が乏しいローカル空港でも運用できるように設計されていて、そのために脚を短くし地上高を出来る限り低く抑えた。
出入り口には収納式のエアステア(タラップ)を備えていたが、その分エンジンの取り付けに限界が生じた。
初期の100・200型のJT-8Dエンジンは、低バイパスエンジンでほっそりとスマートな形をしていたが、それでも737には無理があった。
通常主翼のエンジンは「パイロン」に吊り下げるが、737では地上高のせいでパイロンを使えず、止む無くエンジンを主翼に「直接」取り付けることで解決した。
737クラシックでは、できる限り開発コストを抑えるため、200型から大きく変更点がないようにしたため、CFM-56エンジンの取り付けは困難を通り越して「不可能」に近かった。

←(2枚)100・200型のJT-8Dエンジンと300~500型のCFM-56-3Bエンジン(ウィキペディア英語版より)
しかし737クラスに使用できる高バイパスエンジンはCFM-56しかなく、考えに考えた末パイロンを用いつつエンジン本体を大きく前方に突き出させ、かつ「上向き」に、それでもまだ足りないので予定よりファンの直径を小さくした。
ところがそれでも地上とのクリアランスが取れず、最終的にカウリングの下部を「平面」にすることで何とかクリアさせたのである。
正面から見るとカウリングは「おむすび型」になっているのが737クラシック最大の特徴だが、カウリング上部は主翼上面とほぼ同じ高さになると言う、素人が見ても無理やり感が否めない格好になってしまった。
それは機体全体のバランスも、大きく変化することを意味した。
CFM-56はJT-8Dよりも50%近くも出力が向上し、かつ機軸に対して3度上向きについていることからバランスを取る事が必要であった。
そこで水平尾翼と垂直尾翼、および昇降舵と方向舵の面積を増やしたことに加え、コンピューターによる姿勢制御装置が搭載された。
「STS」(スピードトリムシステム)と呼ばれるこの装置は、主に自動操縦をしない離着陸時に使用し、特に離陸時に有効であった。
機首上げで上昇する時に、エンジントルクと機体重量で速度と仰角のバランスが取れるように、コンピューターがセンサーと速度を計算し、安定版(昇降舵以外の水平尾翼)の基本角度を自動的に調整する装置である。
最も現在の機体のように、二重三重のフューエルセイフ機能はなく、万が一の時にはパイロットが手動で解除する。
当時1系統だけの装置に不安があると言う意見が出たが、ボーイングは充分だと説明している。
生産停止中の「B737MAX」の事故原因となった「MCAS」は、この新世代737「737クラシック」で採用されたSTSを発展させたシステムであるが、単純なシステムだったことから継続されている。
だが古く非力な初期型に比べて、操縦性自体は格段に向上していた。
各型の全長は300が33.4メートル、標準座席数は130席、最も大きな400は全長36.4メートル、標準座席数150席、最も小さい500は全長31.1メートル、標準座席数は120席で、航続距離は最大で4,500~5,000キロにも達した。
初期型では3,000キロ程度、DC-9/MD-80シリーズでも最大3,500キロ程度なので、当時としては常識破りの航続性能であった。
←300~500型共通のコクピット(ウィキペディア英語版より)
コクピットは全面デジタル計器のグラスコクピットではないが、主計器はブラウン管ディスプレイに置きかえられ、管制航法装置と相まって制度が格段に向上していた。
なおレイアウトは共通なので、パイロットのライセンスも300~500型は共通で操縦できる。
このことは需要に応じて各型を使い分けようとするエアラインには朗報で、運航コストは更に低下した。
更に航続距離の長さは、短距離運用だけでなく中距離の運用も可能となることから、当時流行していたチャーターエアラインにも大人気であった。


←(3枚)ブリティッシュ・エアウェイズの300型、エア・ヨーロッパの400型、エール・フランスの500型8ウィキペディア英語版より)
機体価格も安く、途上国のエアラインでも導入しやすい事で、新世代737は大ヒット作の初期型を凌ぐ勢いで受注を集めたのである。
冷戦時代が終わると、自由化された旧東欧諸国や民営化・自由化された旧ソ連構成国のエアラインもこぞって発注した。
本国アメリカでは、同一区間を多数運航する「シャトル便」が流行し、300型を最初に運航したサウスウエスト航空は500型も大量に発注し、最終的に数百機と言う途方もない機数を運航するまでに至った。
メジャーではUSエアウェイズの他、ユナイテッド航空、アラスカ航空、コンチネンタル航空が採用したが、デルタ航空やノースウェスト航空のようにDC-9/MD-80シリーズにこだわったエアラインも多かった。
少なくともデビューしたてのA320シリーズが、アメリカを席巻するとは予想だにできない時代であった。
300型と500型は99年まで生産され、400型は00年まで生産が続けられた。
90年代後半には600~900型の「737NG」に受注が切り替えられたが、「737クラシック」のバックオーダーも多数残っていて、数年間は双方が並行生産された。
日本では最初に400型を導入した日本トランスオーシャン航空が、25年感に渡り運用し、後継機種となる800型と完全に交替して退役したのは昨年の事である。
日本航空がDC-8以来のナローボディ機として導入した機体は、全機が新たに設立された子会社「JALエクスプレス」に移籍。
大阪伊丹空港を拠点に、北海道から九州までJAL便としてローカル線網を拡大させた。
←「アーク」塗装のJALエクスプレス(ウィキペディア英語版より)
2000年代になると日本トランスオーシャン機と「共同事業機」になり、双方の便に分け隔てなく運用されて、北海道から沖縄・八重山諸島まで全国制覇を成し遂げた。
95年に500型を導入したエアー・ニッポンは、08年に受託運航として独自の運航を取りやめ、全便が全日空便として運航し、12年にはANAグループ再編につき、会社清算された。
同社は新造機発注だけに留まらず、海外から中古機をリースまでして最終的に25機を運用した。
会社清算後は、機体は全日空及び系列のリース会社に登録され、運航は新しく立ちあげた「エアー・ネクスト」も加わったが、その後再び再編され「ANAウィングス」によって運航された。

←(2枚)エア・ドゥにリースされ、その後全日空に戻ったB737-500(ウィキペディア英語版より)
また需要増加のため、羽田~八丈島線専用機として、中古機ながら初めて400型を2機導入し、マスコットキャラクター「スーパードルフィン」を全体に描いた「アイランドドルフィン」として運航した。
この他経営不振で業務提携になった北海道国際航空(現エア・ドゥ)に400型と500型の一部がリースされ、その後400型は新興エアラインの「スカイネット・アジア航空」(現ソラシード・エア)に売却。


←(3枚)エアー・ニッポン、エア・ドゥ、スカイネット・アジア航空と渡り歩いたB737-400(ウィキペディア英語版より)
500型は全日空の700型とバーターする形で返却され、現在に至っている。
エアー・ニッポン、全日空とも、やはり北海道から八重山諸島まで制覇している。
日本トランスオーシャン航空は、初期の自社導入機が老朽化で退役すると、JALエクスプレス機が移籍した。
JALエクスプレスは統合した旧日本エアシステムのMD-81や、日本航空が導入したB737-800に切り替え、余剰となった400は全て日本トランスオーシャン航空で運用された。




←(5枚)通常塗装の他、様々な特別塗装が施された日本トランスオーシャン航空のB737-4008ウィキペディア英語版より)
上記のように新世代737、「737クラシック」は日本のジェット旅客機で最初に「全国制覇」した機種でもあるのだ。
そして「737NG」が大量に出回った後も、現役で居続けたという事実は、同機の優秀性を如実に物語っている。
もちろんオールデジタルのフライ・バイ・ワイヤ機ではないし、コンピューター化は一部に過ぎない。
計器のCRTは、液晶ディスプレイにエアライン独自で交換したり、パイロットがEMBやi-PADなどを持ちこむことでデジタル運航を可能にした。

←(2枚)最後の300型を導入したニュージーランド航空と、最後の400型が納入されたチェコ航空(ウィキペディア英語版より)
日本ではのべ50機以上の「737クラシック」が運用され、ほぼ退役とは言え2020年の時点で「現役」であったという事実がある。
737NGは、同じCFM-56エンジンながら改良型で、デジタル制御システム「FADEC」を装備しているが、「クラシック」にはない。
だが機械式が多く残るシンプルさが、整備を容易にし、頑丈な機体だったと言う。
737クラシックの主翼は、全て同じで幅員は28.9メートル。
なので胴体の短い500型では長く、400型では逆に短く見える。
特に400型では、外観上何とも頼りなく見えてしまうのだが、主翼は固く、直進性に非常に優れていると言う。

←(2枚)国内線の主力として活躍したカンタス航空の400型(ウィキペディア英語版より)
逆に言うと、巡航中は固い主翼のおかげで、機体の規模の割に乱気流に強い半面、先に飛ぼうとする性質も強いと言う事。
そのため降下する時には、管制から支持された高度に降下が間に合わない場合もあるそうだ。
その場合は飛行中使用できるスポイラーを使って、あらかじめ支持される前から準備することも多くある。
なるほど、私は400・500とも数十回程度搭乗しているが、短距離区間のフライトだと、よくスポイラーを立てる事を見かけた。
後退角は25度で、これはA320より強く、直進性が良い事を意味している。

←(2枚)ウクライナ国際航空の「スーパー300」とマケドニア航空の500型。どちらも現役(ウィキペディア英語版より)
また200型にはなかった特徴として、主脚が左右に僅か3度程度だが動く。
これは操縦席でコントロールできないが、横風用にチルト出来るようにしてあるのだ。
飛行機に取って最も不安定で危険が伴う離着陸時、横風は天敵である。
場合によっては離陸中止、着陸復航を行う必要もある。
だが737クラシックは、あくまで主脚が地上にある時に限られるが、自然に機首が風上を向くようになっているのだ。
最も心持程度なのだけれど、パイロットにとっては大きな安心材料だったそうだ。
同シリーズを多数運航したヨーロッパでも、地中海や大西洋岸のリゾート地などでは通年強風が吹く空港が数多くあり、同機の就航で定時運航率が上昇した。


←(3枚)ブラジル・VARIGの300型、ギリシア・オリンピック航空の400型、ドイツのチャーターエアライン、ハパグ・ロイド航空の500型(ウィキペディア英語版より)
主翼の安定性と相まって、日本を含め悪天候時の欠航率が低かったのも同シリーズの大きな特徴であった。
今こそコンピューターがパイロットよりも早く、乱気流や横風に対処するが、この時代の旅客機としては良く考えられた機体であった。
それはメーカーの主観によるものだけでなく、エアライン側に立って考えられたシステムを持っていたからだ。
ボーイングでは直前に、最初のハイテク機となったB767を開発していたが、737でもその新しい技術がフィードバックされていた。
今と比べれば、かなりの「アナログ機」であろうが、現代の旅客機に一筋を確立させたとも言える功労機なのである。
99~00年の生産中止まで、300型が1,113機、400型が486機、500型が389機、合計1,988機が生産された。
737NGと比べると遥かに少ないが、時代を考えれば大量生産には違いない。
←貨物機に改造されたTNTの300SF(ウィキペディア英語版より)
さすがにNGと世代交代が進み、足止めされてはいるが「737MAX」も出現したことで数はグッと減ったが、それでも半数近くが現役にある。
数が多い分、中古機としての動きが活発で、何社も渡り歩く機体も珍しくない。
中には貨物機に改造されて運航される機体も多くあるが、小さい500型では貨物機に改造された機体はない。
それでも中南米や中東、アフリカと言った途上国や、ロシアや東欧諸国でもまだまだ現役で運用される機体が多い。

←(2枚)アエロフロート・ノルドの400型とS7航空の500型(ウィキペディア英語版より)
特に機齢が若く、フライトサイクルの低い500型が相対的に多いと言う、逆転現象が特徴的だ。
日本では300型を使ったエアラインはなく、日本籍で登録された機体は1機もない。
飛来した海外エアラインも少なく、90年代初頭に韓国のアシアナ航空が全国の地方空港に就航させた事と、中国国際航空や中国南方航空が同じく地方線に就航させたが、いずれも飛来した期間は短い。
近年ではロシア・サハリンに本拠を置いた「サハリン航空」と、その後再編された「オーロラ航空」が200型と500型で就航していたが、現在はプロペラ機のDHC-8-400やA319に変更されている。
中でも中国国際航空の300型は、日本に定期就航した唯一の300型である。


←(3枚)中国国際航空の300型とサハリン航空・オーロラ航空の500型(ウィキペディア英語版より)
振り返ってみると、未熟ながら1時間未満の短距離線から数時間の中距離千まで使える融通性を持っており、それが現在のナローボディ機全盛時代に繋がっている。
当時はそこまで考えられておらず、キャビンに国際線仕様する余裕があまり考えられていなかったが、NGではキャビンアレンジに改良がくわえられ、国際線運用は全く珍しくなくなった。
登場はA320シリーズよりも前だから、同機は30年後を見越した「先進的」な旅客機だった・・と言えるのである。
今回全日空機が退役するに当たり、ネット上では「全日空で最も古い機種」「まだ飛んでたのか」と言った呟きが見られたが、間違いではないにせよ、もうちょっと敬意が欲しい。
多少無理やり感はあるのだけど、CFM-56エンジンをつけたおかげで現在の737があると言っても過言ではないのだ。
日本のエアラインではなかったが、ボーイングでは翼端に後付けのウィングレットを追加できる「スーパー」への改修を請け負っていて、アメリカのエアラインを始め、各国のエアラインでレトロフィットさせた機体がある。


←(3枚)ウィングレットをレトロフィットさせたサウスウエスト航空とエア・キルギスタンの「スーパー300」。後者は現役にある(ウィキペディア英語版より)
また737伝統の「天窓」を埋めた機体も多く存在し、全日空の500型も改造されたが、ウィングレットは装備されなかった。
出来れば1機だけでもその姿を見てみたかったが、どうだろうか。
就航後四半世紀と言うのは、凄いことだ。
大型ワイドボディ機ならまだしも、737で25年と言うのは日本では珍しい。
それだけ愛着と信頼性を持てた機体と言う証拠で、ウィルス騒ぎでフェードアウトさせず、きちんとした形で有終の美を飾らせてあげたいと思うのは、私だけではあるまい。


←(3枚)現役にあるパキスタン国際航空とボリビアーナ・デ・アヴィアシオンの300型とアフガニスタン、カム・エアの500型(ウィキペディア英語版より)
さすがに夜はひっそりしている。
ただでさえ日曜夜は人も車も少ないが、自粛が追い打ちをかけているようだ。
怒られそうだが、食事の買い物があるので近所のスーパーまで出かけた。
アリオが急に時短営業になったから、こちらも・・と不安だったが、通常営業だった。
21時を過ぎていたが、ポツリポツリお客さんが入れ替わり出入りする。
自粛と言っても、特に一人暮らしの人はまとめ買い出来ないことも多く、コンビニは相対的に高い。
繰り返しになるが、せめてスーパーは通常営業で良いと思う。
帰りにまだ夜桜を・・と思ったが、案の定昨日の風雨で殆ど花は散っていた。
それでも20日位満開だったのは凄いし、騒ぎで疲れた精神を癒してくれた。
来年こそ、ゆっくりと見れることを願う。
元気ですか?
今日は良い一日でしたか?
体調はどうですか?
昨日の暴風雨、君は大丈夫でしたか?
街はどんどん自粛され、まるで震災の時を思い出してしまうほどやりにくい状況になってしまいました。
いずれ戻って行くでしょうが、どこまで馴染めるかちょっと心配です。
君の仕事も、影響が出ているかも知れません。
家にいることも、決して悪い事でもないので、気持ち次第でしょうか。
誰とも会えない寂しさもあるかも知れませんが、少しだけの辛抱だと思います。
私はカフェに行けなくなったことくらいで、実はあまり影響されていません。
普段から人と会う事も会話することも殆どないので、いつもと同じです。
もし君が不安や寂しさに襲われていたら、つまらない話でもして和ませてあげたいのですが、それが出来ないことが残念です。
予防は大切ですが、変に神経質になり過ぎると判断に迷う事にもなるので、気をつけて下さい。
明日もどうかお元気で。
君に笑顔がありますように。
お休みなさい。
かすみ立つ 春日の里の 梅の花 山の下風に 散りこすなゆめ(万葉集巻八 1437 大伴宿禰村上)
特に夜は風雨が強まり、県内では暴風・大雨洪水警報が出たほか、一時「土砂災害警報」も出た。
ウィルスの「緊急事態宣言」の初めての週末となったが、出かけたくとも出かけられる天気ではなかった。
私は止むを得ず、22時頃近所のコンビニまで買い物に行ったが、まさに風のピークで、何年かぶりに傘を壊されてしまった。
雨は未明に止んだが、強風は今日午前中まで吹き荒れた。
雲もすっきり取れず、寒々とした日曜日である。
緊急事態宣言を受け、市内も自粛ムードが一層強まった。
それは仕方ない事だと思うが、買い物や用事を済ませるには、極めて不都合だ。
行政もこのあたりはもう少し気を使って欲しいと思うのだが、今日になって突然休業や時短営業となる店が多く、生活に支障をきたす。
せめて数日前から「予告」してもらえば、こちらも合わせる事が出来るが、突然は非常に困る。
我が泉中央では、「セルバ」がこの週末からGWまで、一部店舗を除いて休業となったが、唯一営業していた「アリオ泉」も、昨日から時短営業に踏み切った。
一昨日の時点では、飲食店を含むテナントが休業する旨がウェブ等で伝えられていたが、「イトーヨーカドー」も1時間時短営業になってしまった。
恐らく本社の方針と思われるが、駅に隣接した中核店舗だけに、この自粛は疑問を感じざるを得ない。
土日祝日の時短営業は理解できるが、平日もと言うのはおかしい。
地下鉄・バスを使う人々の「買い物難民」を誘発することになるし、時短の分買い物客が別の時間に集中することになる。
世の中、早い時間帯に買い物に行ける人ばかりではないはず。
しかも昼間も、自粛で平常より人では少ないとはいえ、相当数の買い物客は出ており、こうしたやり方が果たして拡大予防に繋がるかと思う。
むしろ平常営業の方が、お客さんが「分散」するのでは・・?とまで思ってしまう。
東京では繁華街こそ人出は減ったが、郊外の商店街は逆に人出が増えたと言う話もある。
手間はかかるだろうが、店舗では頻繁に除菌する、レジなどでは間隔を取って並ぶように誘導する、等お客さんが「密着」しないようにすれば良いのではないか。
営業中の飲食店では、座席数を減らしてお客さん同士が隣り合わせにならないようにするなど配慮しており、それを優先させるべきだ。
結局「世相に合わせてウチも」みたいな、特に大手企業は「責任回避」に見えなくもない。
行政の自粛要請も、そろそろ「バカの一つ覚え」さえ聞こえてくる。
いま必要なのは、すぐにでも治療薬や治療法を許可することで、いつまでも自粛だけで問題は解決しない。
給付金も1度ばらまいたからとて、一時しのぎで、時短や休業で給与の減った人には効果は薄い。
国は企業や店に補償金を出すと言うが、従業員に還元するのはあくまで会社。
会社が知らんふりすればそれまでで、対策は「同時進行」させなければならない。
国会では首相夫人が、先月末に遊んでいたとか野党が糾弾しているが、バカバカしさにも程がある。
その暇があったら、独自にマスクを確保して配布するとか、国民の生活をどうにか守ることを考え行動する気にはなれないのだろうか。
政府の対応を遅いと批判する国民が多いそうだが、ならば何のために野党がいるのだろうか。
だがこの期に及んで、現野党がいかに「役立たず」かが垣間見えるような気がする。
飛行機ネタ。
先月全日空系列の「ANAウィングス」が運航を担当している、B737-500の1機が大阪から西日本を中心に「ラストフライト」を行った。
全日空は3機の同機を保有していたが、新型コロナウィルスの影響で国内線は大幅な減便になっており、同機は事実上の「退役」を迎えたと見做しても良い様に思う。
同社ではB737-500の退役に合わせ、最後まで引退セレモニーやファンのためのチャーター運航などを計画していたが、極めて流動的になって来た。
ファンだけでなく、長年運用して来た同社にとっても、こういう形でフェードアウトしてしまうのは何ともやりきれない想いであろう。
だが同機は20年前半までに退役・・とアナウンスされており、仮に残った機体を飛ばすにしても、果たしてそれまで世間が落ち着くかどうか見妙としか言いようがない。
乗客を乗せず「内輪」だけでささやかな引退セレモニー・・にしても、空港やその周辺に引退を惜しむファンが押し寄せる可能性も否定できず、全日空としては悩ましいだろう。
先月末引退した「JA305K」は、ギリギリ自粛対象前だった事はラッキーだったかも知れない。
同機は95年に、ANAグループエアラインだった「エアーニッポン」が、初めて自社導入したジェット旅客機である。
同社は70年代までは「日本近距離航空」として、主にローカル線専門のエアラインだったが、全日空との業務提携が拡大したことで社名を変更した。
それまでは機体は全日空からリースもしくは移籍と言う形で保有していたが、路線拡大に合わせてB737-500が導入された。
前年には日本トランスオーシャン航空が、日本で初めてB747-400を導入し、直後に日本航空も導入。
94・95年は日本のエアライン事情が、大きく変化・成長した時期である。
関空開港もあって、国内線の需要が急激に伸び始めた時であり、各社はローカル線の拡充に全力を注ぐ事になった。
それまでは飛行機はまだ贅沢な交通機関で、大都市圏同士の幹線もしくは大都市圏と地方を結ぶ路線、すなわち放射状の利用が主体だった。
しかし運賃などの規制が緩和され、「包括運賃」と呼ばれる格安料金が一般販売できるようになり、地方同士の飛行機利用も増えていた。
国の方針で、地方空港が整備された事もあり、需要は増えたのである。
「包括運賃」とは、いわゆる「団体運賃」の事。
本来は旅行会社が企画・募集したツアーに適用される運賃だが、各旅行会社に分配された「団体枠」を個人客に切り売りすることが可能となったのがこの時代である。
表向きは企画募集型の「ツアー」だが、航空券とホテルを組み合わせた「個人ツアー」と言う形で包括運賃を適用した。
当時は「早割」などの割引はあったものの、割引率は低く、「個人ツアー」だとかなり割安であった。
ホテルの料金を考えると、運賃は半額以下の事も多く、旅行だけでなく出張族にも大いに活用された。
当日申し込みは不可、キャンセル料は高めと言う条件はあったものの、前日まで空きさえあれば申し込み可だった。
こうした状況で地方~地方を飛行機利用する人が激増し、各エアラインはローカル線の充実が必須であった。
それにピタリの機材が、B737だったのである。
それまでは日本トランスオーシャン航空の前身である南西航空と、全日空がB737-200を運用していたが、あくまで短距離ローカル線向きだった。
亜幹線や地方中核都市間では、B727が主役だったが、退役しており、新しい小型機が必要であった。
それがB737-400/500だった・・と言う訳だ。
この時点で同機は最新鋭・・と言う訳ではなかった。
「737クラシック」と呼ばれる300~500型は、200型を発展・改良したシリーズで、最初の300型は84年にアメリカの大手USエアウェイズとサウスウェスト航空でデビューした。
アメリカでは、エアラインに対する大規模な規制緩和が70年代末に実施され、運航が自由になったのと同時に競争も激しくなった。
特に国内と近距離国際線は、新規参入が拡大し、エアラインはより効率の良い機体が求めた。
それまでは180席級で3発機のB727と双発のB737-200、DC-9だけで、需要にきめ細かく対応するには古くなっていた。
ボーイングは、200型をベースに経済性に優れた大口径ターボファンエンジンに換装し、小型機ながら低燃費・低騒音の新型機として開発した。
最初の300型は、200型より全長が約2.7メートル延長されたが、標準座席数は130席と、200型僅かに大きい機体だった。
続く400型はアメリカの旧ピードモント航空で88年にデビュー、胴体を延長し150席級としたモデル、そして200型とほぼ同じ大きさ・座席数にした代わりに航続距離を伸ばした500型は、90年に300型と同じくサウスウエスト航空でデビューした。
足掛け6年の月日を費やしたが、これで同じB737でも、エアラインの事情に合わせて座席数を選べるという利点が生まれたのである。
ライバルとなっていたダグラスDC-9及びMD-80シリーズでは、需要の増加に伴って胴体を延長して行ったが、バリエーションを同時販売することはなかった。
80年代後半にようやく胴体を「逆ストレッチ」させたMD-87を販売したが、ほかのバリエーションは全てエンジンや航続距離の違いで、胴体は共通だった。
そこにB737は3つのバリエーションを「同時」に生産・販売すると言う手法を取り、これは旅客機では初めてのことであった。
それだけ世界のエアライン事情はシビアになっていた、と言う事だが、選択肢が増えたことはセールスを伸ばす最大のファクターにもなったのである。
同機が魅力的だったのは、それまで小型ナローボディ機だったB737の「短距離線用機」と言う概念を、自ら打ち砕いたことだった。
200型は初期の低バイパスエンジンの中では傑作となった「P&W JT-8D」エンジンを装備していたが、「737クラシック」で採用した「CFM-56」エンジンは、現在まで使われる高バイパスターボファンエンジンで、同機が初めて実用化した。
同エンジンは、世界的に供給する目的で、アメリカのGE社とフランスのスネクマ社が共同で立ち上げた合弁企業「CFMインターナショナル」で開発したエンジンである。
現在までA320シリーズの他、4発機のA340、リノベーションしたDC-8など多発機でも使われる優秀なターボファンエンジン。
しかし「737クラシック」では、このエンジンの取り付けに苦労した。
元々B737は、地上機材が乏しいローカル空港でも運用できるように設計されていて、そのために脚を短くし地上高を出来る限り低く抑えた。
出入り口には収納式のエアステア(タラップ)を備えていたが、その分エンジンの取り付けに限界が生じた。
初期の100・200型のJT-8Dエンジンは、低バイパスエンジンでほっそりとスマートな形をしていたが、それでも737には無理があった。
通常主翼のエンジンは「パイロン」に吊り下げるが、737では地上高のせいでパイロンを使えず、止む無くエンジンを主翼に「直接」取り付けることで解決した。
737クラシックでは、できる限り開発コストを抑えるため、200型から大きく変更点がないようにしたため、CFM-56エンジンの取り付けは困難を通り越して「不可能」に近かった。
しかし737クラスに使用できる高バイパスエンジンはCFM-56しかなく、考えに考えた末パイロンを用いつつエンジン本体を大きく前方に突き出させ、かつ「上向き」に、それでもまだ足りないので予定よりファンの直径を小さくした。
ところがそれでも地上とのクリアランスが取れず、最終的にカウリングの下部を「平面」にすることで何とかクリアさせたのである。
正面から見るとカウリングは「おむすび型」になっているのが737クラシック最大の特徴だが、カウリング上部は主翼上面とほぼ同じ高さになると言う、素人が見ても無理やり感が否めない格好になってしまった。
それは機体全体のバランスも、大きく変化することを意味した。
CFM-56はJT-8Dよりも50%近くも出力が向上し、かつ機軸に対して3度上向きについていることからバランスを取る事が必要であった。
そこで水平尾翼と垂直尾翼、および昇降舵と方向舵の面積を増やしたことに加え、コンピューターによる姿勢制御装置が搭載された。
「STS」(スピードトリムシステム)と呼ばれるこの装置は、主に自動操縦をしない離着陸時に使用し、特に離陸時に有効であった。
機首上げで上昇する時に、エンジントルクと機体重量で速度と仰角のバランスが取れるように、コンピューターがセンサーと速度を計算し、安定版(昇降舵以外の水平尾翼)の基本角度を自動的に調整する装置である。
最も現在の機体のように、二重三重のフューエルセイフ機能はなく、万が一の時にはパイロットが手動で解除する。
当時1系統だけの装置に不安があると言う意見が出たが、ボーイングは充分だと説明している。
生産停止中の「B737MAX」の事故原因となった「MCAS」は、この新世代737「737クラシック」で採用されたSTSを発展させたシステムであるが、単純なシステムだったことから継続されている。
だが古く非力な初期型に比べて、操縦性自体は格段に向上していた。
各型の全長は300が33.4メートル、標準座席数は130席、最も大きな400は全長36.4メートル、標準座席数150席、最も小さい500は全長31.1メートル、標準座席数は120席で、航続距離は最大で4,500~5,000キロにも達した。
初期型では3,000キロ程度、DC-9/MD-80シリーズでも最大3,500キロ程度なので、当時としては常識破りの航続性能であった。
コクピットは全面デジタル計器のグラスコクピットではないが、主計器はブラウン管ディスプレイに置きかえられ、管制航法装置と相まって制度が格段に向上していた。
なおレイアウトは共通なので、パイロットのライセンスも300~500型は共通で操縦できる。
このことは需要に応じて各型を使い分けようとするエアラインには朗報で、運航コストは更に低下した。
更に航続距離の長さは、短距離運用だけでなく中距離の運用も可能となることから、当時流行していたチャーターエアラインにも大人気であった。
機体価格も安く、途上国のエアラインでも導入しやすい事で、新世代737は大ヒット作の初期型を凌ぐ勢いで受注を集めたのである。
冷戦時代が終わると、自由化された旧東欧諸国や民営化・自由化された旧ソ連構成国のエアラインもこぞって発注した。
本国アメリカでは、同一区間を多数運航する「シャトル便」が流行し、300型を最初に運航したサウスウエスト航空は500型も大量に発注し、最終的に数百機と言う途方もない機数を運航するまでに至った。
メジャーではUSエアウェイズの他、ユナイテッド航空、アラスカ航空、コンチネンタル航空が採用したが、デルタ航空やノースウェスト航空のようにDC-9/MD-80シリーズにこだわったエアラインも多かった。
少なくともデビューしたてのA320シリーズが、アメリカを席巻するとは予想だにできない時代であった。
300型と500型は99年まで生産され、400型は00年まで生産が続けられた。
90年代後半には600~900型の「737NG」に受注が切り替えられたが、「737クラシック」のバックオーダーも多数残っていて、数年間は双方が並行生産された。
日本では最初に400型を導入した日本トランスオーシャン航空が、25年感に渡り運用し、後継機種となる800型と完全に交替して退役したのは昨年の事である。
日本航空がDC-8以来のナローボディ機として導入した機体は、全機が新たに設立された子会社「JALエクスプレス」に移籍。
大阪伊丹空港を拠点に、北海道から九州までJAL便としてローカル線網を拡大させた。
2000年代になると日本トランスオーシャン機と「共同事業機」になり、双方の便に分け隔てなく運用されて、北海道から沖縄・八重山諸島まで全国制覇を成し遂げた。
95年に500型を導入したエアー・ニッポンは、08年に受託運航として独自の運航を取りやめ、全便が全日空便として運航し、12年にはANAグループ再編につき、会社清算された。
同社は新造機発注だけに留まらず、海外から中古機をリースまでして最終的に25機を運用した。
会社清算後は、機体は全日空及び系列のリース会社に登録され、運航は新しく立ちあげた「エアー・ネクスト」も加わったが、その後再び再編され「ANAウィングス」によって運航された。
また需要増加のため、羽田~八丈島線専用機として、中古機ながら初めて400型を2機導入し、マスコットキャラクター「スーパードルフィン」を全体に描いた「アイランドドルフィン」として運航した。
この他経営不振で業務提携になった北海道国際航空(現エア・ドゥ)に400型と500型の一部がリースされ、その後400型は新興エアラインの「スカイネット・アジア航空」(現ソラシード・エア)に売却。
500型は全日空の700型とバーターする形で返却され、現在に至っている。
エアー・ニッポン、全日空とも、やはり北海道から八重山諸島まで制覇している。
日本トランスオーシャン航空は、初期の自社導入機が老朽化で退役すると、JALエクスプレス機が移籍した。
JALエクスプレスは統合した旧日本エアシステムのMD-81や、日本航空が導入したB737-800に切り替え、余剰となった400は全て日本トランスオーシャン航空で運用された。
上記のように新世代737、「737クラシック」は日本のジェット旅客機で最初に「全国制覇」した機種でもあるのだ。
そして「737NG」が大量に出回った後も、現役で居続けたという事実は、同機の優秀性を如実に物語っている。
もちろんオールデジタルのフライ・バイ・ワイヤ機ではないし、コンピューター化は一部に過ぎない。
計器のCRTは、液晶ディスプレイにエアライン独自で交換したり、パイロットがEMBやi-PADなどを持ちこむことでデジタル運航を可能にした。
日本ではのべ50機以上の「737クラシック」が運用され、ほぼ退役とは言え2020年の時点で「現役」であったという事実がある。
737NGは、同じCFM-56エンジンながら改良型で、デジタル制御システム「FADEC」を装備しているが、「クラシック」にはない。
だが機械式が多く残るシンプルさが、整備を容易にし、頑丈な機体だったと言う。
737クラシックの主翼は、全て同じで幅員は28.9メートル。
なので胴体の短い500型では長く、400型では逆に短く見える。
特に400型では、外観上何とも頼りなく見えてしまうのだが、主翼は固く、直進性に非常に優れていると言う。
逆に言うと、巡航中は固い主翼のおかげで、機体の規模の割に乱気流に強い半面、先に飛ぼうとする性質も強いと言う事。
そのため降下する時には、管制から支持された高度に降下が間に合わない場合もあるそうだ。
その場合は飛行中使用できるスポイラーを使って、あらかじめ支持される前から準備することも多くある。
なるほど、私は400・500とも数十回程度搭乗しているが、短距離区間のフライトだと、よくスポイラーを立てる事を見かけた。
後退角は25度で、これはA320より強く、直進性が良い事を意味している。
また200型にはなかった特徴として、主脚が左右に僅か3度程度だが動く。
これは操縦席でコントロールできないが、横風用にチルト出来るようにしてあるのだ。
飛行機に取って最も不安定で危険が伴う離着陸時、横風は天敵である。
場合によっては離陸中止、着陸復航を行う必要もある。
だが737クラシックは、あくまで主脚が地上にある時に限られるが、自然に機首が風上を向くようになっているのだ。
最も心持程度なのだけれど、パイロットにとっては大きな安心材料だったそうだ。
同シリーズを多数運航したヨーロッパでも、地中海や大西洋岸のリゾート地などでは通年強風が吹く空港が数多くあり、同機の就航で定時運航率が上昇した。
主翼の安定性と相まって、日本を含め悪天候時の欠航率が低かったのも同シリーズの大きな特徴であった。
今こそコンピューターがパイロットよりも早く、乱気流や横風に対処するが、この時代の旅客機としては良く考えられた機体であった。
それはメーカーの主観によるものだけでなく、エアライン側に立って考えられたシステムを持っていたからだ。
ボーイングでは直前に、最初のハイテク機となったB767を開発していたが、737でもその新しい技術がフィードバックされていた。
今と比べれば、かなりの「アナログ機」であろうが、現代の旅客機に一筋を確立させたとも言える功労機なのである。
99~00年の生産中止まで、300型が1,113機、400型が486機、500型が389機、合計1,988機が生産された。
737NGと比べると遥かに少ないが、時代を考えれば大量生産には違いない。
さすがにNGと世代交代が進み、足止めされてはいるが「737MAX」も出現したことで数はグッと減ったが、それでも半数近くが現役にある。
数が多い分、中古機としての動きが活発で、何社も渡り歩く機体も珍しくない。
中には貨物機に改造されて運航される機体も多くあるが、小さい500型では貨物機に改造された機体はない。
それでも中南米や中東、アフリカと言った途上国や、ロシアや東欧諸国でもまだまだ現役で運用される機体が多い。
特に機齢が若く、フライトサイクルの低い500型が相対的に多いと言う、逆転現象が特徴的だ。
日本では300型を使ったエアラインはなく、日本籍で登録された機体は1機もない。
飛来した海外エアラインも少なく、90年代初頭に韓国のアシアナ航空が全国の地方空港に就航させた事と、中国国際航空や中国南方航空が同じく地方線に就航させたが、いずれも飛来した期間は短い。
近年ではロシア・サハリンに本拠を置いた「サハリン航空」と、その後再編された「オーロラ航空」が200型と500型で就航していたが、現在はプロペラ機のDHC-8-400やA319に変更されている。
中でも中国国際航空の300型は、日本に定期就航した唯一の300型である。
振り返ってみると、未熟ながら1時間未満の短距離線から数時間の中距離千まで使える融通性を持っており、それが現在のナローボディ機全盛時代に繋がっている。
当時はそこまで考えられておらず、キャビンに国際線仕様する余裕があまり考えられていなかったが、NGではキャビンアレンジに改良がくわえられ、国際線運用は全く珍しくなくなった。
登場はA320シリーズよりも前だから、同機は30年後を見越した「先進的」な旅客機だった・・と言えるのである。
今回全日空機が退役するに当たり、ネット上では「全日空で最も古い機種」「まだ飛んでたのか」と言った呟きが見られたが、間違いではないにせよ、もうちょっと敬意が欲しい。
多少無理やり感はあるのだけど、CFM-56エンジンをつけたおかげで現在の737があると言っても過言ではないのだ。
日本のエアラインではなかったが、ボーイングでは翼端に後付けのウィングレットを追加できる「スーパー」への改修を請け負っていて、アメリカのエアラインを始め、各国のエアラインでレトロフィットさせた機体がある。
また737伝統の「天窓」を埋めた機体も多く存在し、全日空の500型も改造されたが、ウィングレットは装備されなかった。
出来れば1機だけでもその姿を見てみたかったが、どうだろうか。
就航後四半世紀と言うのは、凄いことだ。
大型ワイドボディ機ならまだしも、737で25年と言うのは日本では珍しい。
それだけ愛着と信頼性を持てた機体と言う証拠で、ウィルス騒ぎでフェードアウトさせず、きちんとした形で有終の美を飾らせてあげたいと思うのは、私だけではあるまい。
さすがに夜はひっそりしている。
ただでさえ日曜夜は人も車も少ないが、自粛が追い打ちをかけているようだ。
怒られそうだが、食事の買い物があるので近所のスーパーまで出かけた。
アリオが急に時短営業になったから、こちらも・・と不安だったが、通常営業だった。
21時を過ぎていたが、ポツリポツリお客さんが入れ替わり出入りする。
自粛と言っても、特に一人暮らしの人はまとめ買い出来ないことも多く、コンビニは相対的に高い。
繰り返しになるが、せめてスーパーは通常営業で良いと思う。
帰りにまだ夜桜を・・と思ったが、案の定昨日の風雨で殆ど花は散っていた。
それでも20日位満開だったのは凄いし、騒ぎで疲れた精神を癒してくれた。
来年こそ、ゆっくりと見れることを願う。
元気ですか?
今日は良い一日でしたか?
体調はどうですか?
昨日の暴風雨、君は大丈夫でしたか?
街はどんどん自粛され、まるで震災の時を思い出してしまうほどやりにくい状況になってしまいました。
いずれ戻って行くでしょうが、どこまで馴染めるかちょっと心配です。
君の仕事も、影響が出ているかも知れません。
家にいることも、決して悪い事でもないので、気持ち次第でしょうか。
誰とも会えない寂しさもあるかも知れませんが、少しだけの辛抱だと思います。
私はカフェに行けなくなったことくらいで、実はあまり影響されていません。
普段から人と会う事も会話することも殆どないので、いつもと同じです。
もし君が不安や寂しさに襲われていたら、つまらない話でもして和ませてあげたいのですが、それが出来ないことが残念です。
予防は大切ですが、変に神経質になり過ぎると判断に迷う事にもなるので、気をつけて下さい。
明日もどうかお元気で。
君に笑顔がありますように。
お休みなさい。
かすみ立つ 春日の里の 梅の花 山の下風に 散りこすなゆめ(万葉集巻八 1437 大伴宿禰村上)
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