飛行機ネタ 伝えたい美しき影のMD-80(3月1日 晴れ時々曇り 13℃)
今日から3月。「令和2年」ももう3ヶ月目とは、本当に時の流れは早い。
仙台は朝から青空が広がり、気温も二桁・4月並みの陽気に。
ちょっと季節感がずれるけれど、「小春日和」と言う言葉がぴったりだ。
私はまだ体調がイマイチなので(なんとかウィルスではありません、腰痛です)、どこかに出かけるなど思いもよらず、大きく寝坊させてもらったが、それでも洗濯と掃除だけはやった。
風もなく、洗濯物をベランダに干したら夕方までにはあらかた乾いた。
世間では日増しにコロナウィルスの話が拡大し、自粛ムードも出ている。
正直「手遅れ」のような気もするが、それで一定の安心感が得られるのであれば良いのだろう。
問題は市民が「冷静」になることで、「デマ」に流されるようではより騒ぎが拡大する。
特にトイレットペーパー・ティッシュペーパーの買い占めは完全なデマで、ネット上ではSNSで拡散させたと思われる人物が「炎上」を超えて「吊るし上げ」状態になっている・
予測できたこととはいえ、顔から住所・電話番号・勤務先まで公開されている。
もちろんこうした「リンチ」のような事を支持する気は一切ないが、騒ぎになることを面白がり、かつ自ら買い占めてネット上で高価で売る・・・と言う輩は断じて許せないことも確かだ。
最もデマを簡単に信じ、買い占めする一般市民にも大きな責任があるのではないか。
行政は「火消し」に懸命だが、何度も言うように「感染=死亡」では全くなく、大半の患者は通常の風邪の症状で済んでいると言う事を今一度認識して欲しい。
感染予防対策は結構だが、恐れていて何も解決しないのだ。
せっかく天気の良い日曜日、こうした騒ぎで出かけるのも憚れると感じた人は多かっただろう。
我が家の近所はとても静かで、いつもの日曜日と変わらなかった。
静かだったと言う事は、それなりに外出した人もいたと言う事かも知れない。
飛行機ネタ。
私見であるけれど「最も美しい旅客機」と思えるのは、エアバスのA340、唯一の超音速機コンコルドだと思っているのだが、「一番」と思うのは「MD-80」シリーズだ・・と思っている。
どこが?と聞かれたら、正直答えに窮するかも知れない。
強いて言えばリアジェット方式で、ピンと立ちあがったT型尾翼、ほっそりしたスマートな胴体が「デザイン」的に素晴らしいと思っている。
同シリーズは、60年代にアメリカの旅客機名門メーカー「ダグラス」社が開発した「DC-9」の改良・発展型である。
ダグラスは40年代から旅客機部門では、最大のライバルボーイング社と常々セールス競争を争ってきた。
50年代にジェット化の波が押し寄せると、当然両社も航空大国アメリカの威信をかけてジェット旅客機の開発に着手した。
長距離4発機ではB707に遅れを取ってしまったダグラスDC-8だったが、ダグラスはそれにもめげず今度は短距離機の開発背先手を打った。
創世期のジェット旅客機はまだ技術はもちろん、需要も未知数な部分が大きかったが、同社は短距離こそジェット機に適した市場があると考えたのである。
一方ボーイングは707の技術と意匠を使って中距離機で3発機の「B727」を開発し、近距離路線は一気にジェット化の時代を迎えつつあった。
そこでダグラスは敢えてB727より小さく、コストの安い双発機で勝負に臨んだのである。
ボーイングと同じく、胴体の意匠はDC-8の物を使ったが、B727が707とほぼ同じ胴体にしたのと違い、DC-9では直径は一回り小さくした。
最初の生産型となる「10」型の標準座席数は僅か80席前後と、現代のリージョナル機並みであった。
しかし同機は小型にしたことで、それまで旅客機の常識だった「3人乗務機」とせず、正・副パイロットだけの「2人乗務」としたことが最大の特徴であった。
当時アメリカの航空法では、座席数によって3人乗務が規定されていたが、それをクリアするため座席数を少なくしたのだった。
だが技術の向上は進み、短距離機であればパイロットだけでも充分飛行することは可能だと言う意見が増えていた。
最もアメリカの各エアラインの乗務員組合は、安全性を縦に2人乗務を認めようとしなかったが、本音は航空機関士の職が亡くなる恐れがあったからである。
組合連合が全面的に2人乗務を認めたのは、80年代にB767が登場してからの事で、それまでは小型の短距離機のみという妥協案が続いたのである。
逆にその妥協案がDC-9を上昇気流に乗せて、世界中のエアラインから座席数の増加が望まれた。
以後DC-9は「胴体ストレッチ」が定番となり、時代と共に胴体が伸びて大型化していった。
ストレッチはDC-8で培った技術で、設計段階から将来性を見越してあった。
一方ボーイングは707をストレッチで大型化できず、727は一度だけ延長させただけであった。
最初の生産型であるDC-9-10/20の全長は31メートルだったが、ベストセラーとなった110席級の30型では36メートル、50型になるとついに40メートル・150席級に拡大し、同機種ながら9メートルも胴体が延長された。


←(3枚)DC-9の成長。ノースウェスト航空の10と30、TWAの50(ウィキペディア英語版より)
70年代になると航空需要はますます増大し、DC-9シリーズは更に発展することになる。
ところがDC-9の好調なセールスは、同社の経営に影を落とし始めていた。
経営陣の権力抗争の他、「売れ過ぎ」による赤字が始まってしまったのである。
すなわち膨大なバックオーダーを抱えたのは良かったが、その分エアラインへの納入時期の幅が拡大し、製造コストが上昇しても契約時の価格でしか売ることが出来ず、1機当たりの利益率が減少してしまったのである。
有効な手立てを取るどころか、内紛がそれを阻んで赤字が拡大し、最終的には軍用機メーカーだったマクドネルと合併することを余儀なくされたのである。
マクドネルは旅客機は素人であったため、社名を「マクドネル・ダグラス」として旅客機部門はそのまま存続する形で、DC-9シリーズの開発も継続された。
それで完成したのが最長モデルの「80」シリーズである。
60・70型がないが、これは胴体延長が物理的に最後であった事と間もなく80年代の新型機と言う事で「80」シリーズとなった。
「80」シリーズは全長が更に延長され45メートル、50型より5メートルも延長された。
それに伴ってエンジンも従来のP&W「JT-8」ターボファンエンジンも、改良型が搭載され、コクピットも一部を変更した。

←(2枚)最も美しい旅客機の一つ、日本エアシステムのMD-81(ウィキペディア英語版より)
初号機は79年に初飛行し、80年にスイス航空に納入され就航を果たした。
「マクドネル・ダグラス」として発足したのは67年のことで、10年以上ダグラスブランドとして旅客機は「DC」が使い続けられていた。
「DC」とは「Douglas Commershal」の略で、ダグラスの商用機と言う意味。
合併後ダグラス時代に開発した機体は、合併後も「DC」を使っていたが、「80」シリーズからはマクドネル・ダグラスの略である「MD」に変更された。
最も社内では旧ダグラス派の反発が強く、当初は「DC-9-80」で受注を行っており、初期の納入機もこの形式名のままに機体もある。
日本では、旧日本エアシステムが導入した。
同社は東亜国内航空時代の73年からDC-9シリーズを運用し、同社の主力機として国内ローカル線のジェット化に貢献した。
70年代は同社唯一のジェット機だったが、政府の「46・47」体制(エアラインの営業規制)が緩和されることで、同社は路線拡大を目指して初のワイドボディ機A300を発注し、世間を驚かせた。
←東亜国内航空時代に導入されたDC-9-41(ウィキペディア英語版より)
同時に主力機だったDC-9-41の後継機として「80」シリーズも発注し、座席数は40型の120席級から一気に165席まで拡大し、ローカル線の輸送力増強を図ることになった。
同機は通称「MD-80」シリーズと言われるが、この形式名の機体は存在せず「MD-81」が基本型である。
その後追加されたモデルはサブタイプで、高地・高温地向けにエンジンの出力を上げたのが「82」、82をベースに燃料タンクを増設して航続距離を延長したのが「83」である。
←高地・高温地方向けにエンジンを強化したMD-82(アリタリア航空、ウィキペディア英語版より)
この他胴体を逆に短縮して滑走路の短い空港でも運用でき、コクピットを完全なグラスコクピット化した「87」、「83」に「87」のコクピットを移植した「88」が存在し、胴体の短い「87」以外外観上の識別は困難だ。
日本エアシステムでは基本型のMD-81とMD-87を導入したが、初期の9機だけは運輸省(現国交省)への登録は「DC-9-80」になっていた。
これは同社のオリジナルモデルで、コクピットが従来のDC-9-41と同じものを装備していた。
長年同機を運用していてパイロットも移行訓練を容易にするため、あえて新しいコクピットでなく従来のアナログ式に据え置いたのである。
←日本エアシステムのオリジナルに近かったDC-9-80(ウィキペディア英語版より)
最も時代に流れ、そしてメーカーもそれ以上のカスタマイズに難色を示したことから10号機以降はスタンダード仕様が導入され、登録も「MD-81」に改められた。
90年代までの日本エアシステムでは、両機を区別しない運用を行っていたが、整備の関係上「DC-9-80」は福岡に集積させ、福岡ベースのダイヤで運航されていた。
同社のDC-9-41時代は「レッド&グリーン」塗装だったが、A300導入に合わせて「レインボーカラー」に変更されたため、DC-9-80は最初の数機が極短期間「レッド&グリーン」で運航された以外、すぐにレインボーカラーに変更された。
←導入直後レインボーカラーに変更されたMD-81(ウィキペディア英語版より)
MD-81になってからは、テールコーンの形が円錐形から平坦に変わったが、それ以外外観上の変化はない。
キャビンはもちろん普通席だけのモノクラスで、2-3の5列配置が特徴だった。
この座席配置は中間席は1つしかなく、8割が窓際が通路に当たることから好評であった。
座席は花柄モケットが採用され、狭いキャビンを明るく見せる効果をもたらしていた。
ただしB737新世代と違い、オーディオなどのエンターティメント装置は一切なく完全な「ベーシック仕様」だった。
同機には胴体左側後部に大きな非常口があるが、ここの座席は面白く、LCCで言う足元の広い「コンフォートシート」であった。
非常口前に座席がないので、前席がないのだ。

←(2枚)初期導入機の尾部は円錐形になっている(ウィキペディア英語版より)
私も何度か利用したが、面白いのはサービス時に「テーブルをお使いになりますか?」と聞かれること。
最前部の座席にはアームレスト部に折り畳みテーブルがついているのだが、非常口席にはそれもついていない。
初めて利用した時はどうするんだろう・・と思っていたら、なんとCAさんが「取り外し式」のテーブルを持ってきた。
要するに赤ちゃん用のテーブルみたいなものを、アームレストに差し込むのだ。
正に赤ちゃん風で、正直恥ずかしい想いをしたのも今ではMD-81の思い出である。
また同機の客室窓は大きく、角のついた四角いタイプで景色が良く見えた。
これはDC-8譲りだったが、DC-8では客室窓が1列ずつなく1列置きだったため大きくされた名残である。


←(3枚)上からDC-9-50、MD-81、MD-87のコクピット(ウィキペディア英語版より)
胴体が長く、エンジンが後部についた同機は相対的にキャビンが静かなこともファンや常連客には評判が良かった。
当時は座席位置による運賃差はなかったから、慣れた人は前方座席を予約する。
当然主翼にエンジンはない事は、操縦性も影響した。
主翼にエンジンのトルクがかからないから、小回りが利く機体だったと言う。
DC-9以来同機の主翼は実にシンプルで、フラップもシングルタイプである。
←スマート&シンプル。それがMD-80シリーズ最大の特徴だ(ウィキペディア英語版より)
最もMD-81では、旋回する時は機首から曲がると言うよりも尾部の方から「回り込む」ような感覚だったそうだが、旋回率はB737やA320よりも良かったと言う。
エンジンは基本設計が60年代の低バイパス比ターボファンで、B737やA320の高バイパスファンエンジンには燃費などは及ばなかったが、国内線ではそれほど大きな差はなかった。
同エンジンは改良を重ねた熟成度の高いエンジンであり、堅牢で故障も少ないエンジンであった。
ただ低バイパスエンジンであるが故、騒音レベルが高い事が欠点だったが、日本エアシステムでは独自に「防音ナセル」を装備して規制をクリアしている。
気付きにくいが、オリジナルのJT-8Dエンジンに比べ中央部が膨らんだナセルに変更されているのも特徴の一つであった。
更に90年代以降の日本エアシステム機は、エンジンがオリジナルの「JT-8D-209」から「JT-8D-217C」に換装されていた。
これは同社が導入したMD-87に搭載されたパワーアップ改良型で、同エンジンでは最終型の一つである。
推力はオリジナルの「207」に比べ15%ほど高くなっている。
MD-87派胴体を130席級に「逆ストレッチ」させた珍しいタイプで、エンジンが強化された分STOL性(短距離離着陸性能)が重視されたモデルである。
日本エアシステムでは、その性能を活かすため白浜空港や松本空港線に投入した。
両空港は滑走路が短い事に加え、周囲に山があって気象条件が厳しい事で知られていたが、プロペラ機しか就航できなかったのである。
そこに離着陸性能に優れたMD-87を導入したことで、ジェット化が実現したのである。

←(2枚)僅か8機の導入ながら、ハイパフォーマンスを持っていたMD-87(ウィキペディア英語版より)
離着陸性能が良いと言う事は、騒音は低く、燃費も低くなるという利点があり、整備上の利点も踏まえMD-81にも換装させたのである。
90年代末、日本エアシステムは子会社としてチャーター専門のエアライン「ハーレクイン・エア」を設立し、2機のDC-10と1機のMD-81を移籍させ、独自の塗装に変更。大きな話題を呼んだ。
塗装だけでなくキャビンのインテリアも導入以後初めて刷新し、完全な別エアライン機材のようになったが、MD-81は日本エアシステムの「ウェットリース」機専用で、同社便を定期便として運航していた。
←今でもデザインに人気が高いハーレクイン・エアのMD-81(ウィキペディア英語版より)
その後日本エアシステムは日本航空と統合・合併されることになったが、すでに古い「DC-9-80」は退役していたものの、完全統合後もMD-81/87は継承され、日本航空の塗装とロゴを纏って運航が続けられた。
MD-81は徐々に系列エアラインの「JALエクスプレス」に移籍し、大阪・伊丹空港をベースに全国のローカル線に投入された。

←(2枚)統合後日本航空に移籍したMD-81とJALエクスプレスに再移籍したMD-81。「JAL」ロゴは短期間だった(ウィキペディア英語版より)
一方発展型であるMD-90とMD-87は日本航空本体に残され、前者は全国で、MD-87は北海道内路線などに使われた。
しかし日本航空の破たんで、再生案の一つに機材整理が掲げられ、旧日本エアシステム機はB777以外は退役することになった。
比較的新しいMD-90とA300は残存したが、10年代前半に全て退役し、日本の空から半世紀の歴史を持った「DC-9」の血脈は消滅した。
2000年代にはB737NGやA320の他、新しいリージョナル機CRJやEシリーズなどが登場し、同機は完全なロートル機になっていたのは止むを得ないことであった。
キャビン仕様などでは明らかに時代の差が感じられ、一昔前の飛行機と言う感は否めなかった。
同機は多数が生産され、海外のエアラインでは途上国を中心に事故も多かったが、日本では大きな事故は殆ど起こしていない。
87年に花巻空港に着陸しようとしたDC-9-41が、ウィンドシアに巻き込まれて着陸失敗事故を起こしたが、死者は出ていない。
現代の目で見れば、リアエンジンにT型尾翼と言うのは非効率的に見えるかも知れない。
確かにこの方式だと通常の方式に比べて、構造上の制約があることも事実。
T型尾翼自体構造上複雑になるほか、緊急時の高仰角姿勢になると失速しやすい欠点がある。
よほどのことなのだけれど、高仰角姿勢になると主翼と水平尾翼の気流が重なって失速しやすいと言う理論がある。
胴体を延長すると重心が移動するが、尾部の形状は変えられないのでひたすら前方を伸ばすしかない。

←(2枚)遠目でも判別しやすい独特のスタイル。日本のMD-81はエンジンがMD-87と同じJT-8D-217Cに換装されていて離着陸性能が向上していた(ウィキペディア英語版より)
なので大型化するには限界があることになるのだが、当時のナローボディ機としてはそれで充分であった。
ただ胴体径が小さく、主翼や尾翼も大きくしなかったことは、航続距離が伸ばせない事を意味しており、後輩であるB737NG・A320シリーズには勝てない構造だった。
コクピットのウィンドウもDC-8のデザインをそのまま継承し、7枚のガラスと2枚の天窓がある。
B737でも天窓があったが、NGシリーズでは廃止されたが、こちらは最終モデルのMD-90まで残されている。
既に実用性は失われていたものの、狭いコクピットに置いては天窓のせいで明るく、パイロットの作業環境は優れていたと言われる。
私は日本エアシステム時代はもちろん、退役間近となった日本航空・JALエクスプレス時代には同機を好んで利用するようにしていた。
確かに新世代機と比べて、全体的に見劣りするのは仕方なかったが、上記のようにキャビンの静粛性に優れていた。
エンジンが近い後部席でも、騒音対策を施したJT-8Dエンジンはそれほどうるさいとは思えなかった。
A320のCFM-56の方が、離陸時などはファン音がやかましいが、MD-81のそれはあまり気にならないのである。
低バイパスエンジンだから、ファン径が小さく、その音は低いのである。
どちらかと言えばキーンと言う、昔ながらのジェット音と言う感じである。
←(2枚)昨年秋に退役したアメリカン航空のMD-83(ウィキペディア英語版より)
MD-80シリーズには知られざる功績があって、登場した時代ナローボディ機として傑作機であったB727を生産中止に追い込んだ事である。
B727はモノクラスで180席前後が標準だったが、3発機・3人乗務機。
航続力もDC-9では及ばなかったが、MD-82では727を上回る性能を持っていた。
座席数もほぼ同じであり、双発。2人乗務機である同機が売れない訳がなく、727を運用していた多くのエアラインがMD-80シリーズに切り替えたのである。
現在日本でのリアジェット機は、IBEXエアラインが運用する「CRJ700」が唯一になってしまった(プロペラ機には数種存在する)。
世界でも生産中のリアジェット旅客機は殆ど姿を消し、DC-9/MD-80/90シリーズは元よりそれ自体が「絶滅種」になりつつある。
もうあのしゃきっとした美しい機体は、二度と見られないのだろうか。
世界でも同機は老朽化が原因で年々数を減らしており、MD-80シリーズは約200機程度が現役にあると見られている。
そのうち1/3はプライベート機や軍用機、政府専用機として保有されている機体で、エアラインでは120~130機前後と見られる。
300機以上の同機を運用して来たアメリカン航空は、昨年秋ついに全機が引退し、人気だったアメリカのメジャーではデルタ航空だけになった。
そのデルタはMD-88と元日本エアシステム・日本航空のMD-90を運用しているが、2~3年以内の退役が発表されている。
なおMD-81の方はアメリカのLCC、アリジャント・エアとベネズエラのLASER航空が中古機として買い取ったが、前者は自社の既存機への「部品取り」のために購入し、MD-80シリーズ自体既に引退した。
LASER航空は14機ものMD-80シリーズを保有し、そのうち6機が元日本エアシステム・日本航空のMD-81だ。
加えて「現役」と見られる、唯一のMD-81でもある。
こちらは登記上現役にあるとされるが、ベネズエラは現在無政府状態に近い内紛が続いており、エアラインが運航できる状態にない。
←現役にあるベネズエラ・LASERのMD-81は、元日本エアシステム機(ウィキペディア英語版より)
最も多くの同シリーズを持つのがイランで、現時点でイラン航空と子会社のイラン・エアツアーズ、キッシュ・エア、タバーン航空、タフタン・エア、ザグロス・エア、カスピアン航空、ATA航空などが同シリーズを運用中で、少なくとも30機以上が現役にあると思われる。
いずれもMD-82/83で、トルコやロシアのマーケットを通じて各地からかき集めているようだ。
部品もまだ入手しやすいと見えて、トルコを含む近隣の友好国ではイランのMD-80シリーズが頻繁に飛来している。


←(3枚)30機以上が現役にあるイラン。上からイラン・エアツアーズ、カスピアン航空、ATA航空のMD-82/83(ウィキペディア英語版より)
世界的にはもう少し元気な同機の姿は残りそうだと言えるが、極めて限定的である。
昨年まで台湾の遠東航空がMD-83を使って新潟に就航していたが、倒産してしまった。
日本近辺で運用しているエアラインはなく、航続距離の関係からチャーター機などが飛来する可能性も低い。
日本全国を飛んでいた美しいリアジェット・T型尾翼機は、もう写真の中と思い出の中でしか見ることが出来ない。
しかしその姿は、できる限り残しておきたいし、知らない世代のファンにもぜひその魅力を伝えて置きたいものである。
日中は暖かったが、夜は冬らしい寒さだ。
放射冷却なのだろうか、風も冷たく春が近付いているようには思えない。
長期予報では3月も、気温は高め傾向と言うが、あくまで予想。
このころの自然界は、まるで人間の文明をあざ笑うかのように予想通りにはならない。
不思議なことだ。ほんの10年間の間にこの国は大きく発展し、今年は半世紀ぶりにオリンピックまで開催されると言うのに、人々は慌てふためいている。
自然はこの国を簡単に繁栄させて堪るか・・とでも言いたいのか、そして10年前より便利を享受してる国民はより怯えているように見える。
今月は「3.11」、9年めの年。
あの日我々被災地はどれだけの恐怖と絶望に見舞われ、そして力を合わせて踏ん張ったことか。
もう9年、僅か9年。
自然からの脅威を事前に察知しやすくなってもまだ、あの日の事を忘れつつある愚かさ。
いつしか「自分を守る」ことを、「自分さえ助かれば良い」と勘違いしてはいまいか?
だとすれば、それは最大の愚行となるだろう。
そうでないことを祈るばかりだ。
元気ですか?
今日は良い一日でしたか?
体調はどうですか?
風邪など引いてませんか?
今日から3月です。
私にとっても、君にとっても3月はいろんな意味で大切で重く感じる月とも言えるでしょう。
でも喜ばしい月、とも言えるのではないでしょうか。
3月になると、私は毎日君の事を思い出します。
思いで深い月だからです。
何かと世間はざわついていますが、君なりの大事な3月を過ごして欲しいと思います。
花粉も飛散し始めているようですので、体調管理にはくれぐれも気をつけて下さい。
明日もどうかお元気で。
君に笑顔がありますように。
お休みなさい。
春の日の うらがなしきに おくれいて 君に恋ひつつ 現しけめやも(万葉集巻十五 3752 娘子)
仙台は朝から青空が広がり、気温も二桁・4月並みの陽気に。
ちょっと季節感がずれるけれど、「小春日和」と言う言葉がぴったりだ。
私はまだ体調がイマイチなので(なんとかウィルスではありません、腰痛です)、どこかに出かけるなど思いもよらず、大きく寝坊させてもらったが、それでも洗濯と掃除だけはやった。
風もなく、洗濯物をベランダに干したら夕方までにはあらかた乾いた。
世間では日増しにコロナウィルスの話が拡大し、自粛ムードも出ている。
正直「手遅れ」のような気もするが、それで一定の安心感が得られるのであれば良いのだろう。
問題は市民が「冷静」になることで、「デマ」に流されるようではより騒ぎが拡大する。
特にトイレットペーパー・ティッシュペーパーの買い占めは完全なデマで、ネット上ではSNSで拡散させたと思われる人物が「炎上」を超えて「吊るし上げ」状態になっている・
予測できたこととはいえ、顔から住所・電話番号・勤務先まで公開されている。
もちろんこうした「リンチ」のような事を支持する気は一切ないが、騒ぎになることを面白がり、かつ自ら買い占めてネット上で高価で売る・・・と言う輩は断じて許せないことも確かだ。
最もデマを簡単に信じ、買い占めする一般市民にも大きな責任があるのではないか。
行政は「火消し」に懸命だが、何度も言うように「感染=死亡」では全くなく、大半の患者は通常の風邪の症状で済んでいると言う事を今一度認識して欲しい。
感染予防対策は結構だが、恐れていて何も解決しないのだ。
せっかく天気の良い日曜日、こうした騒ぎで出かけるのも憚れると感じた人は多かっただろう。
我が家の近所はとても静かで、いつもの日曜日と変わらなかった。
静かだったと言う事は、それなりに外出した人もいたと言う事かも知れない。
飛行機ネタ。
私見であるけれど「最も美しい旅客機」と思えるのは、エアバスのA340、唯一の超音速機コンコルドだと思っているのだが、「一番」と思うのは「MD-80」シリーズだ・・と思っている。
どこが?と聞かれたら、正直答えに窮するかも知れない。
強いて言えばリアジェット方式で、ピンと立ちあがったT型尾翼、ほっそりしたスマートな胴体が「デザイン」的に素晴らしいと思っている。
同シリーズは、60年代にアメリカの旅客機名門メーカー「ダグラス」社が開発した「DC-9」の改良・発展型である。
ダグラスは40年代から旅客機部門では、最大のライバルボーイング社と常々セールス競争を争ってきた。
50年代にジェット化の波が押し寄せると、当然両社も航空大国アメリカの威信をかけてジェット旅客機の開発に着手した。
長距離4発機ではB707に遅れを取ってしまったダグラスDC-8だったが、ダグラスはそれにもめげず今度は短距離機の開発背先手を打った。
創世期のジェット旅客機はまだ技術はもちろん、需要も未知数な部分が大きかったが、同社は短距離こそジェット機に適した市場があると考えたのである。
一方ボーイングは707の技術と意匠を使って中距離機で3発機の「B727」を開発し、近距離路線は一気にジェット化の時代を迎えつつあった。
そこでダグラスは敢えてB727より小さく、コストの安い双発機で勝負に臨んだのである。
ボーイングと同じく、胴体の意匠はDC-8の物を使ったが、B727が707とほぼ同じ胴体にしたのと違い、DC-9では直径は一回り小さくした。
最初の生産型となる「10」型の標準座席数は僅か80席前後と、現代のリージョナル機並みであった。
しかし同機は小型にしたことで、それまで旅客機の常識だった「3人乗務機」とせず、正・副パイロットだけの「2人乗務」としたことが最大の特徴であった。
当時アメリカの航空法では、座席数によって3人乗務が規定されていたが、それをクリアするため座席数を少なくしたのだった。
だが技術の向上は進み、短距離機であればパイロットだけでも充分飛行することは可能だと言う意見が増えていた。
最もアメリカの各エアラインの乗務員組合は、安全性を縦に2人乗務を認めようとしなかったが、本音は航空機関士の職が亡くなる恐れがあったからである。
組合連合が全面的に2人乗務を認めたのは、80年代にB767が登場してからの事で、それまでは小型の短距離機のみという妥協案が続いたのである。
逆にその妥協案がDC-9を上昇気流に乗せて、世界中のエアラインから座席数の増加が望まれた。
以後DC-9は「胴体ストレッチ」が定番となり、時代と共に胴体が伸びて大型化していった。
ストレッチはDC-8で培った技術で、設計段階から将来性を見越してあった。
一方ボーイングは707をストレッチで大型化できず、727は一度だけ延長させただけであった。
最初の生産型であるDC-9-10/20の全長は31メートルだったが、ベストセラーとなった110席級の30型では36メートル、50型になるとついに40メートル・150席級に拡大し、同機種ながら9メートルも胴体が延長された。
70年代になると航空需要はますます増大し、DC-9シリーズは更に発展することになる。
ところがDC-9の好調なセールスは、同社の経営に影を落とし始めていた。
経営陣の権力抗争の他、「売れ過ぎ」による赤字が始まってしまったのである。
すなわち膨大なバックオーダーを抱えたのは良かったが、その分エアラインへの納入時期の幅が拡大し、製造コストが上昇しても契約時の価格でしか売ることが出来ず、1機当たりの利益率が減少してしまったのである。
有効な手立てを取るどころか、内紛がそれを阻んで赤字が拡大し、最終的には軍用機メーカーだったマクドネルと合併することを余儀なくされたのである。
マクドネルは旅客機は素人であったため、社名を「マクドネル・ダグラス」として旅客機部門はそのまま存続する形で、DC-9シリーズの開発も継続された。
それで完成したのが最長モデルの「80」シリーズである。
60・70型がないが、これは胴体延長が物理的に最後であった事と間もなく80年代の新型機と言う事で「80」シリーズとなった。
「80」シリーズは全長が更に延長され45メートル、50型より5メートルも延長された。
それに伴ってエンジンも従来のP&W「JT-8」ターボファンエンジンも、改良型が搭載され、コクピットも一部を変更した。
初号機は79年に初飛行し、80年にスイス航空に納入され就航を果たした。
「マクドネル・ダグラス」として発足したのは67年のことで、10年以上ダグラスブランドとして旅客機は「DC」が使い続けられていた。
「DC」とは「Douglas Commershal」の略で、ダグラスの商用機と言う意味。
合併後ダグラス時代に開発した機体は、合併後も「DC」を使っていたが、「80」シリーズからはマクドネル・ダグラスの略である「MD」に変更された。
最も社内では旧ダグラス派の反発が強く、当初は「DC-9-80」で受注を行っており、初期の納入機もこの形式名のままに機体もある。
日本では、旧日本エアシステムが導入した。
同社は東亜国内航空時代の73年からDC-9シリーズを運用し、同社の主力機として国内ローカル線のジェット化に貢献した。
70年代は同社唯一のジェット機だったが、政府の「46・47」体制(エアラインの営業規制)が緩和されることで、同社は路線拡大を目指して初のワイドボディ機A300を発注し、世間を驚かせた。
同時に主力機だったDC-9-41の後継機として「80」シリーズも発注し、座席数は40型の120席級から一気に165席まで拡大し、ローカル線の輸送力増強を図ることになった。
同機は通称「MD-80」シリーズと言われるが、この形式名の機体は存在せず「MD-81」が基本型である。
その後追加されたモデルはサブタイプで、高地・高温地向けにエンジンの出力を上げたのが「82」、82をベースに燃料タンクを増設して航続距離を延長したのが「83」である。
この他胴体を逆に短縮して滑走路の短い空港でも運用でき、コクピットを完全なグラスコクピット化した「87」、「83」に「87」のコクピットを移植した「88」が存在し、胴体の短い「87」以外外観上の識別は困難だ。
日本エアシステムでは基本型のMD-81とMD-87を導入したが、初期の9機だけは運輸省(現国交省)への登録は「DC-9-80」になっていた。
これは同社のオリジナルモデルで、コクピットが従来のDC-9-41と同じものを装備していた。
長年同機を運用していてパイロットも移行訓練を容易にするため、あえて新しいコクピットでなく従来のアナログ式に据え置いたのである。
最も時代に流れ、そしてメーカーもそれ以上のカスタマイズに難色を示したことから10号機以降はスタンダード仕様が導入され、登録も「MD-81」に改められた。
90年代までの日本エアシステムでは、両機を区別しない運用を行っていたが、整備の関係上「DC-9-80」は福岡に集積させ、福岡ベースのダイヤで運航されていた。
同社のDC-9-41時代は「レッド&グリーン」塗装だったが、A300導入に合わせて「レインボーカラー」に変更されたため、DC-9-80は最初の数機が極短期間「レッド&グリーン」で運航された以外、すぐにレインボーカラーに変更された。
MD-81になってからは、テールコーンの形が円錐形から平坦に変わったが、それ以外外観上の変化はない。
キャビンはもちろん普通席だけのモノクラスで、2-3の5列配置が特徴だった。
この座席配置は中間席は1つしかなく、8割が窓際が通路に当たることから好評であった。
座席は花柄モケットが採用され、狭いキャビンを明るく見せる効果をもたらしていた。
ただしB737新世代と違い、オーディオなどのエンターティメント装置は一切なく完全な「ベーシック仕様」だった。
同機には胴体左側後部に大きな非常口があるが、ここの座席は面白く、LCCで言う足元の広い「コンフォートシート」であった。
非常口前に座席がないので、前席がないのだ。
私も何度か利用したが、面白いのはサービス時に「テーブルをお使いになりますか?」と聞かれること。
最前部の座席にはアームレスト部に折り畳みテーブルがついているのだが、非常口席にはそれもついていない。
初めて利用した時はどうするんだろう・・と思っていたら、なんとCAさんが「取り外し式」のテーブルを持ってきた。
要するに赤ちゃん用のテーブルみたいなものを、アームレストに差し込むのだ。
正に赤ちゃん風で、正直恥ずかしい想いをしたのも今ではMD-81の思い出である。
また同機の客室窓は大きく、角のついた四角いタイプで景色が良く見えた。
これはDC-8譲りだったが、DC-8では客室窓が1列ずつなく1列置きだったため大きくされた名残である。
胴体が長く、エンジンが後部についた同機は相対的にキャビンが静かなこともファンや常連客には評判が良かった。
当時は座席位置による運賃差はなかったから、慣れた人は前方座席を予約する。
当然主翼にエンジンはない事は、操縦性も影響した。
主翼にエンジンのトルクがかからないから、小回りが利く機体だったと言う。
DC-9以来同機の主翼は実にシンプルで、フラップもシングルタイプである。
最もMD-81では、旋回する時は機首から曲がると言うよりも尾部の方から「回り込む」ような感覚だったそうだが、旋回率はB737やA320よりも良かったと言う。
エンジンは基本設計が60年代の低バイパス比ターボファンで、B737やA320の高バイパスファンエンジンには燃費などは及ばなかったが、国内線ではそれほど大きな差はなかった。
同エンジンは改良を重ねた熟成度の高いエンジンであり、堅牢で故障も少ないエンジンであった。
ただ低バイパスエンジンであるが故、騒音レベルが高い事が欠点だったが、日本エアシステムでは独自に「防音ナセル」を装備して規制をクリアしている。
気付きにくいが、オリジナルのJT-8Dエンジンに比べ中央部が膨らんだナセルに変更されているのも特徴の一つであった。
更に90年代以降の日本エアシステム機は、エンジンがオリジナルの「JT-8D-209」から「JT-8D-217C」に換装されていた。
これは同社が導入したMD-87に搭載されたパワーアップ改良型で、同エンジンでは最終型の一つである。
推力はオリジナルの「207」に比べ15%ほど高くなっている。
MD-87派胴体を130席級に「逆ストレッチ」させた珍しいタイプで、エンジンが強化された分STOL性(短距離離着陸性能)が重視されたモデルである。
日本エアシステムでは、その性能を活かすため白浜空港や松本空港線に投入した。
両空港は滑走路が短い事に加え、周囲に山があって気象条件が厳しい事で知られていたが、プロペラ機しか就航できなかったのである。
そこに離着陸性能に優れたMD-87を導入したことで、ジェット化が実現したのである。
離着陸性能が良いと言う事は、騒音は低く、燃費も低くなるという利点があり、整備上の利点も踏まえMD-81にも換装させたのである。
90年代末、日本エアシステムは子会社としてチャーター専門のエアライン「ハーレクイン・エア」を設立し、2機のDC-10と1機のMD-81を移籍させ、独自の塗装に変更。大きな話題を呼んだ。
塗装だけでなくキャビンのインテリアも導入以後初めて刷新し、完全な別エアライン機材のようになったが、MD-81は日本エアシステムの「ウェットリース」機専用で、同社便を定期便として運航していた。
その後日本エアシステムは日本航空と統合・合併されることになったが、すでに古い「DC-9-80」は退役していたものの、完全統合後もMD-81/87は継承され、日本航空の塗装とロゴを纏って運航が続けられた。
MD-81は徐々に系列エアラインの「JALエクスプレス」に移籍し、大阪・伊丹空港をベースに全国のローカル線に投入された。
一方発展型であるMD-90とMD-87は日本航空本体に残され、前者は全国で、MD-87は北海道内路線などに使われた。
しかし日本航空の破たんで、再生案の一つに機材整理が掲げられ、旧日本エアシステム機はB777以外は退役することになった。
比較的新しいMD-90とA300は残存したが、10年代前半に全て退役し、日本の空から半世紀の歴史を持った「DC-9」の血脈は消滅した。
2000年代にはB737NGやA320の他、新しいリージョナル機CRJやEシリーズなどが登場し、同機は完全なロートル機になっていたのは止むを得ないことであった。
キャビン仕様などでは明らかに時代の差が感じられ、一昔前の飛行機と言う感は否めなかった。
同機は多数が生産され、海外のエアラインでは途上国を中心に事故も多かったが、日本では大きな事故は殆ど起こしていない。
87年に花巻空港に着陸しようとしたDC-9-41が、ウィンドシアに巻き込まれて着陸失敗事故を起こしたが、死者は出ていない。
現代の目で見れば、リアエンジンにT型尾翼と言うのは非効率的に見えるかも知れない。
確かにこの方式だと通常の方式に比べて、構造上の制約があることも事実。
T型尾翼自体構造上複雑になるほか、緊急時の高仰角姿勢になると失速しやすい欠点がある。
よほどのことなのだけれど、高仰角姿勢になると主翼と水平尾翼の気流が重なって失速しやすいと言う理論がある。
胴体を延長すると重心が移動するが、尾部の形状は変えられないのでひたすら前方を伸ばすしかない。
なので大型化するには限界があることになるのだが、当時のナローボディ機としてはそれで充分であった。
ただ胴体径が小さく、主翼や尾翼も大きくしなかったことは、航続距離が伸ばせない事を意味しており、後輩であるB737NG・A320シリーズには勝てない構造だった。
コクピットのウィンドウもDC-8のデザインをそのまま継承し、7枚のガラスと2枚の天窓がある。
B737でも天窓があったが、NGシリーズでは廃止されたが、こちらは最終モデルのMD-90まで残されている。
既に実用性は失われていたものの、狭いコクピットに置いては天窓のせいで明るく、パイロットの作業環境は優れていたと言われる。
私は日本エアシステム時代はもちろん、退役間近となった日本航空・JALエクスプレス時代には同機を好んで利用するようにしていた。
確かに新世代機と比べて、全体的に見劣りするのは仕方なかったが、上記のようにキャビンの静粛性に優れていた。
エンジンが近い後部席でも、騒音対策を施したJT-8Dエンジンはそれほどうるさいとは思えなかった。
A320のCFM-56の方が、離陸時などはファン音がやかましいが、MD-81のそれはあまり気にならないのである。
低バイパスエンジンだから、ファン径が小さく、その音は低いのである。
どちらかと言えばキーンと言う、昔ながらのジェット音と言う感じである。
MD-80シリーズには知られざる功績があって、登場した時代ナローボディ機として傑作機であったB727を生産中止に追い込んだ事である。
B727はモノクラスで180席前後が標準だったが、3発機・3人乗務機。
航続力もDC-9では及ばなかったが、MD-82では727を上回る性能を持っていた。
座席数もほぼ同じであり、双発。2人乗務機である同機が売れない訳がなく、727を運用していた多くのエアラインがMD-80シリーズに切り替えたのである。
現在日本でのリアジェット機は、IBEXエアラインが運用する「CRJ700」が唯一になってしまった(プロペラ機には数種存在する)。
世界でも生産中のリアジェット旅客機は殆ど姿を消し、DC-9/MD-80/90シリーズは元よりそれ自体が「絶滅種」になりつつある。
もうあのしゃきっとした美しい機体は、二度と見られないのだろうか。
世界でも同機は老朽化が原因で年々数を減らしており、MD-80シリーズは約200機程度が現役にあると見られている。
そのうち1/3はプライベート機や軍用機、政府専用機として保有されている機体で、エアラインでは120~130機前後と見られる。
300機以上の同機を運用して来たアメリカン航空は、昨年秋ついに全機が引退し、人気だったアメリカのメジャーではデルタ航空だけになった。
そのデルタはMD-88と元日本エアシステム・日本航空のMD-90を運用しているが、2~3年以内の退役が発表されている。
なおMD-81の方はアメリカのLCC、アリジャント・エアとベネズエラのLASER航空が中古機として買い取ったが、前者は自社の既存機への「部品取り」のために購入し、MD-80シリーズ自体既に引退した。
LASER航空は14機ものMD-80シリーズを保有し、そのうち6機が元日本エアシステム・日本航空のMD-81だ。
加えて「現役」と見られる、唯一のMD-81でもある。
こちらは登記上現役にあるとされるが、ベネズエラは現在無政府状態に近い内紛が続いており、エアラインが運航できる状態にない。
最も多くの同シリーズを持つのがイランで、現時点でイラン航空と子会社のイラン・エアツアーズ、キッシュ・エア、タバーン航空、タフタン・エア、ザグロス・エア、カスピアン航空、ATA航空などが同シリーズを運用中で、少なくとも30機以上が現役にあると思われる。
いずれもMD-82/83で、トルコやロシアのマーケットを通じて各地からかき集めているようだ。
部品もまだ入手しやすいと見えて、トルコを含む近隣の友好国ではイランのMD-80シリーズが頻繁に飛来している。
世界的にはもう少し元気な同機の姿は残りそうだと言えるが、極めて限定的である。
昨年まで台湾の遠東航空がMD-83を使って新潟に就航していたが、倒産してしまった。
日本近辺で運用しているエアラインはなく、航続距離の関係からチャーター機などが飛来する可能性も低い。
日本全国を飛んでいた美しいリアジェット・T型尾翼機は、もう写真の中と思い出の中でしか見ることが出来ない。
しかしその姿は、できる限り残しておきたいし、知らない世代のファンにもぜひその魅力を伝えて置きたいものである。
日中は暖かったが、夜は冬らしい寒さだ。
放射冷却なのだろうか、風も冷たく春が近付いているようには思えない。
長期予報では3月も、気温は高め傾向と言うが、あくまで予想。
このころの自然界は、まるで人間の文明をあざ笑うかのように予想通りにはならない。
不思議なことだ。ほんの10年間の間にこの国は大きく発展し、今年は半世紀ぶりにオリンピックまで開催されると言うのに、人々は慌てふためいている。
自然はこの国を簡単に繁栄させて堪るか・・とでも言いたいのか、そして10年前より便利を享受してる国民はより怯えているように見える。
今月は「3.11」、9年めの年。
あの日我々被災地はどれだけの恐怖と絶望に見舞われ、そして力を合わせて踏ん張ったことか。
もう9年、僅か9年。
自然からの脅威を事前に察知しやすくなってもまだ、あの日の事を忘れつつある愚かさ。
いつしか「自分を守る」ことを、「自分さえ助かれば良い」と勘違いしてはいまいか?
だとすれば、それは最大の愚行となるだろう。
そうでないことを祈るばかりだ。
元気ですか?
今日は良い一日でしたか?
体調はどうですか?
風邪など引いてませんか?
今日から3月です。
私にとっても、君にとっても3月はいろんな意味で大切で重く感じる月とも言えるでしょう。
でも喜ばしい月、とも言えるのではないでしょうか。
3月になると、私は毎日君の事を思い出します。
思いで深い月だからです。
何かと世間はざわついていますが、君なりの大事な3月を過ごして欲しいと思います。
花粉も飛散し始めているようですので、体調管理にはくれぐれも気をつけて下さい。
明日もどうかお元気で。
君に笑顔がありますように。
お休みなさい。
春の日の うらがなしきに おくれいて 君に恋ひつつ 現しけめやも(万葉集巻十五 3752 娘子)
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