飛行機ネタ 夢と憧れのアメリカ・・TWA(2月27日 晴れのち曇り 9℃)
風も弱まって穏やかな晴れ間。上空に薄い雲があって、少し日差しが弱く、先日のような暖かさはない。
天気は西から下り坂。明日は雨が降ると言うから、花粉症の人は一息つけるかも。
まだ2月なのに雨の予報とは…車を使う人は、タイヤ交換を考え始めているのではないか。
だがもう少し待った方が良いと思う。
このまま春になる保証はなく、寒さがぶり返す可能性はある。
雪が降っても春の淡雪…かも知れないが、積もらなくとも濡れた路面が凍結する事もある。
車を走らせる地域にもよるが、標高の高い所や北部の人は、今しばらく我慢した方が良さそう。
この冬は積雪が少なく、ドライバーさんは楽だったと思うが、その分特に一般ドライバーは「経験不足」気味。
その上ノーマルタイヤにしてしまっては、リスクが一気に高まってしまうから、多少運転に自信があるとしても、来月半ばくらいまでは様子見した方が良い。
誤解を恐れずに言うと、最近の一般ドライバーは、ドライビングテクニックが低下していると思う。
この所「煽り運転」の事件が取り沙汰されるが、それもテクニック低下に原因があると私は思っている。
また高齢者ドライバーによる重大事故も然り。
何故か?
私は間違いなく、「AT」車の完全普及に原因があると思っている。
今や乗用車の9割がAT車で、マニュアル車をほとんど見かけないばかりか、マニュアル車自体見た事も触った事もない、と言うドライバーも多いはず。
エンジンをかけ、ATのセレクトレバーを入れれば、あとはアクセルとブレーキ、ハンドルを回すだけ。
正直免許を持っていない人でも、簡単に運転出来てしまう。
そこにスマホの普及。
以前よりは減少したようだが、信号待ちでスマホをいじくる人は相変わらずいて、青信号に気づかず後続車からクラクションを鳴らされたり。
家族の迎えで駐車帯に停車中もスマホに夢中で、前後に気を配る事を忘れたり、バス停部分に停めたままだったり。
要するにスマホではなく、運転が「暇」なのである。
早い話、運転の緊張感がない。
極論AT車は片手片足で運転出来るから、脳も半分使わないようなもので、暇だから余計な事を考える。
それは集中力欠如であり、考え事がないと暇でイライラするのだ。
高齢者ドライバーが犯しやすい暴走運転も、無意識だから過ちを犯す。
だがマニュアル車ならどうだろうか。
AT免許のない時代の世代ならば、教習所では必ずマニュアル車で練習したはずだから、意味はわかるだろう。
マニュアル車の運転には、両手両足を使わなければならない。
言わせて貰えば、実にバカバカしいのだけれど、マニュアル車は右足でアクセルとブレーキはAT車と同じだが、左足でクラッチを踏まなければならない。
手も両手でハンドルを捌きつつ、左手でチェンジレバーを操作しなければならない。
クラッチを踏み、ギアを入れ、エンストしないようにクラッチを繋ぎ、速度に合わせて変則し、停車する時もブレーキと一緒にクラッチを踏む。
マニュアル車を知らない人には、何とも面倒くさく聞こえるだろうが、自転車と同じで要は「慣れ」。一度覚えてしまえば、身体が忘れない。
マニュアル車運転の経験がある人は、坂道発進が苦手と言う人もいるが、教習所で習った通りサイドブレーキを使えば難しくないし、AT車だって坂道発進にはブレーキを踏んでいなければならないから、理屈は同じだ。
何よりマニュアル車はスタートから停車まで、何かしら操作しなければならないから、無意識に運転に集中する。
動作上「アクセルとブレーキを踏み間違えた」と言う暴走事故は、基本的に有り得ない。
もちろんスマホの操作など、する暇はない。
雪道運転も、実はマニュアル車の方が安定している。
路面状況に合わせた微妙なトラクションコントロール(タイヤにかかる動力の調整)が、マニュアル車では可能で、ドライバーの器量でも調整出来る。
AT車はタイヤの微妙なトラクションコントロールが事実上不可能な構造で、アクセルを踏むと路面状況に関わらず、ただただ動力をタイヤに伝えるだけ。
だから下り坂やカーブ、雪道では減速するのにフットブレーキに頼ってしまう。
本来AT車には、ギアの固定モード(2やLなどのポジション)があり、エンジンブレーキが使えるが、マニュアル車と違って直接的なエンジンブレーキは効かないばかりか、これらのレンジの意味を理解していないドライバーが多い事に、私は驚いてしまう。
悪い事に流行のハイブリッド車などは、従来型ATのトランスミッションすらない場合もあり、ご丁寧にもギアの低速固定モードすら最初からない車さえある。
車を作る側の人間まで、マニュアル車の意味や利点を知らない時代らしく、今度はレーダーを使った自動ブレーキシステムなど、実に本末転倒な技術が出始めている。
ドライバーもすぐに頼ろうとするから、ますます技術は低下し、運転すると言う緊張感と責任感は薄れて行く。
事故が増えている高齢者ドライバーに対しても、認知力のテストや免許証返納を促しているが、私に言わせて貰えば実に頭の悪い、バカバカしい対策としか言いようがない。
高齢者ドライバーは運転するな、ではなくAT車を禁止、マニュアル車だけにすれば良い。
試しにやって見ると良い、誤操作による事故は着実に減るだろうし、何より四肢を使う事は、知らず知らず脳を活性化させるはずだ。
煽り運転も然りで、マニュアル車ならば暇に任せ、周囲の車にイラつく事などなくなるだろう。
まさにコロンブスの卵的な事で、世間は何故気がつかないのか理解に苦しむ。
まさか車業界と政治が、何か「そんたく」しているのでは?などと訝ってしまう。
飛行機ネタ。
私が外国に憧れたのは中学生のころ。今からもう40年近くも前のことである。
当時メディアと言えば、もちろんテレビとラジオだけ。
今では考えられないだろうが、キー局ではどこでも「海外ドラマ」枠があって、話題の海外ドラマを何とゴールデンタイムに放映していた。
多くは今と同じく深夜帯が多かったが、それでも22~23時台。
午前1~2時と言う時間帯は、基本的に放送していなかった。
さすがにゴールデンタイムだと、資金的に苦しくて長続きしなったが(海外ドラマは放映権料がかかる)、深夜枠ではちょっと古い(と言っても数年前から20年前とレンジは広い)、放映権の安いドラマは週に何本も放送されていた。
刑事ものはもちろん、コメディやファミリー物まで幅広く、まだ情報の乏しい時代に外国の風景や文化を垣間見ることができる貴重な体験であったと思う。
出演者やストーリーはもちろん重要だが、私には背景に移る街並みや建物、道路を走る車、店の種類や看板などが、まるで旅行しているような気分になったし、時にはドラマの世界が現実的に思えてしまったように感じることもあった。
日本で放映されていた海外ドラマのほとんどはアメリカ物だったため、あこがれの対象は必然的に「アメリカ」になっていた。
また音楽にも目覚め、中学生のうちからFMラジオで「洋楽」を聴くようになり、高校生になると更に増長した。
「平成生まれ」の世代にはわからないと思うが、このころ既に「レンタルレコード店」があった。
そう、もはや時代遅れになりつつある「CD」でもなく「レコード」である。
私が高校生になった80年代初頭は、ちょうどCDが登場したころで、まだディスクの容量は最大60分まで。
更にディスク自体分厚くて重かった。
しかもプレーヤーは高価で、複数のレンズで読み取る方式だったので故障も多かった。
ゆえに「アナログ」なレコードは、まだまだ主流を占めていた。
仙台市内でも82年頃で、数件のレンタルレコード店があったと思う。
1ウィークレンタルではなく、1泊2日が基本で、LP(アルバム)盤で300円前後だったように思う。
今のレートから考えると、結構高い様な気もするが、当時のショップは大流行で、いつも混雑していた。
借りたレコードは聴くだけでなく、「録音」するのが最大の目的。これは現在のCDでも同じだが、媒体は「カセットテープ」。
家に帰るのももどかしく、レコードプレーヤーに借りて来たレコードとテープをセットして録音すれば、レンタル代とテープ代だけでアルバム1枚をゲットできるのだ。
時には数枚のLPやシングル盤を借り、1曲ごと「編集」して自分だけの「洋楽ヒット集」みたいなオリジナルテープを作成し、好きな曲や全米ヒットチャートの曲ばかりを集めたテープを作った。
ちょうど「ウォークマン」が発売された時代で(知らない世代はネットで検索すべし・笑)、親にせがんで買ってもらい、自分だけのオリジナルテープを1日中聴いていた。
それが学校でも評判になって、友人からテープ自体のダビング(懐かしい言い回し)して、1本500円で売っていました(著作権に抵触する?40年も前なので時効と言うことで)。
話がそれてしまったけれど、それだけアメリカやイギリスと言った外国には人一倍強い憧れを持っていたのである。
飛行機好きは音楽やテレビ、映画より早くから趣味として続けていたが、アメリカ好きになると旅客機さえ憧れの対象になった。
もちろん海外旅行など、まだ金持ちの世界の話だったが、アメリカのエアラインにも憧れを抱くようになった。
飛行機好きはプラモデル大好き少年に育てていたが、当時飛行機模型で現在も有名な(株)長谷川(当時は長谷川製作所)が1/200スケールで旅客機シリーズを発売したのもこのころ。
1/200とは言え、ボーイング747だと全長35センチにもなるから、完成させれば大迫力だったが、それまで迷彩塗装の軍用機の模型しか作っていなかった私には、綺麗な旅客機の製作はなかなか大変で、何度か失敗して造り直した記憶がある。
旅客機の基本は艶のある美しい塗装がポイントで、「汚い」ミリタリー塗装ばかりしていた身には難しかった。
そのシリーズの中でロッキード「L-1011トライスター」が模型化されていて、いくつかのエアラインがラインナップされていた。
売れ筋は我が日本の全日空機だったが、私が惹かれたのはアメリカのエアライン「TWA」(トランスワールド航空)であった。
↑(2枚)70~80年代の主力だったTWAのトライスター(ウィキペディア英語版より)
当時、と言うかこれまで日本には一度も就航していないエアラインだったが、なぜか惹かれてしまった。
と言うのも、その時も見続けていたアメリカのドラマや映画の中で、良く「TWA」が登場していたからである。
出演者のほんの一言だけのセリフであることも多いが、いわゆる「別撮り」でTWA機がよく登場していたのだ。
セリフでも「TWA○○便」とか、「TWAに予約を」なんてセリフがやたら多いのである。
調べてみると、80年代のアメリカでは同社は大手エアラインの一つで、国内線や大西洋路線を中心とした路線を展開しているエアラインであることが分かった。
日本にはノースウェスト・パンナム・ユナイテッドなどが就航していたが、日本では見られないTWAこそが未知のアメリカ・・・に思えて、憧れたのである。
苦心して完成させたトライスターの模型は、実にカッコよく見えた。
TWAは1925年、ニューヨークを拠点として設立された「ウェスタン・エア・エクスプレス」が発祥で、30年にはいくつかのエアラインを買収して「トランス・コンチネンタル・アンド・ウェスタン・エア」として本格的なエアライン事業を開始した。
30年代末には、当時最新鋭機でアメリカ初の本格的旅客機ダグラスDC-1およびDC-3シリーズを導入し、大陸横断便を複数運航していた。
第二次大戦中は運休を余儀なくされたものの、戦争直前の39年に大富豪ハワード・ヒューズが同社を買収していたため、戦後すぐ運航を復活させている。
彼は戦時中、兵器生産などで軍に大きく貢献しており、政治的なコネクションを多く持っていた。
更にパンナムなどライバルと差をつけるため、同じく戦時中にコネクションを持っていたロッキード社に働きかけ、「コンステレーション」を開発させて、自社で運航させた。
同機は4発のレシプロ旅客機だったが、当時の旅客機としては最速を誇っていた。
更にダグラスやボーイングは、軍用輸送機と共用の機体であったが「コンステレーション」は初めて「旅客機」として開発された機体であり、キャビンは与圧構造を持つ唯一の旅客機であった。
胴体を大型化した「スーパーコンステレーション」「ストラトライナー」に発展し、世界のエアラインで運航されたが、ヒューズの「鶴の一声」で旅客機のスピードアップが実現したとも言える。
↑ロッキードL1049スーパーコンステレーション(現在の保存機、ウィキペディア英語版より)
50年に「トランスワールド航空」に変更し、文字通り国内線だけでなくヨーロッパ線を中心とした長距離国際線の構築に乗り出し、アメリカのエアラインでは初めてパリを拠点空港に置いた。
またヨーロッパではパンナムと同じく、域内の「以遠権」を持つに至り、アメリカのエアラインながらヨーロッパ各地を結ぶ路線を展開した。
ヒューズは「西ドイツ」のフラッグキャリアである「ルフトハンザ」の復活にも尽力し、資金を提供している。
飛行機好きで知られるヒューズは、ジェット化時代を迎えると即座にボーイング707を大量発注し、加えて自らの理想を持つ高速ジェット旅客機の計画をロッキードに持ち込んだ。
だがロッキード社は「F-104」戦闘機など、新時代の軍用機の開発で手いっぱいだったため、アイディアをコンベア社に持ち込み「CV880」を作らせた。
↑(2枚)ハワード・ヒューズの企画で誕生した高速機CV880とファーストクラスのラウンジ(ウィキペディア英語版より)
写真の様に、同機は100席級の小型機ながらTWAではファーストクラスを設定し、機体前方には専用のラウンジを作っていた。小型機なのに思い切った贅沢な利用法で、当時いかに飛行機がステイタスだったかが分かる。
707より高速で、亜音速に近い世界最速のジェット旅客機だったが、構造上問題が多く、商業的には失敗した。
それでもTWAが開発したとも言える機体であり、大いに宣伝され注目を浴びた。
60年にはボーイング707を使って「世界1周」路線を開設したが、ヒューズのあからさまなライバル・パンナムへの当てこすりであった。
↑(2枚)世界1周便に使われたB707-100とB707-320(ウィキペディア英語版より)
当時同社はヨーロッパや中東に多くの路線を持っていたが、アジアやオセアニアへは規制の都合で路線を持っておらず、世界1周便しか「出来なかった」と言う部分が大きい。
先に同社は日本へは未就航と書いたが、実はこの世界1周便ではロサンゼルス・ホノルルを経由した後、なんと「沖縄」を経由していた。
最も当時の沖縄は返還前の「アメリカ領」であり、発着は嘉手納基地だった。
そのため米軍関係者しか乗降は出来ない事になっており、給油のための経由だった。
しかし66年に、経営者であるヒューズは役員会と激しく対立し、個人所有の株式を売ることで失脚した。
この時彼は精神疾患を患っていたと言われ、役員会が追い出したと見られている。
67年にはヒルトンホテルグループを買収し、航空と世界的な高級ホテルチェーンのコラボはセレブ達の注目を浴びることになる。
ヒューズは映画会社を持っていたこともあり、ハリウッドのセレブたちとも深い繋がりを持っていたのである。
キャサリン・ヘプバーン、エヴァ・ガードナー、ハンフリー・ボガード、そしてフランク・シナトラなど40~50年代を代表するトップスター御用達のエアラインであり、ヒューズが去った後も有名人が利用すると言えばTWAだったのである。
特にフランク・シナトラは同社とのタイアップ企画による歌も出しており、レコードジャケットには版権フリーでTWAの「コンステレーション」が載せられると言う、有名な逸話がある。
70年代までは芸能人や大金持ちが利用するエアラインとして有名であり、だからドラマや映画で頻繁に登場したのであった。
常に先進的な機材の導入は、ヒューズの時代と変わらず、ボーイング747そしてトライスターと最新鋭機材を大量に発注し、国際線・国内線に惜しみなく投入した。
70年代から80年代は、パンナムと完全に型を並べるトップエアラインとして黄金期を迎えていた。
↑長距離路線に投入されたB747SP(ウィキペディア英語版より)
しかしその栄光は長く続かず、70年代後半の「規制緩和」はTWAへの風向きを変える事になる。
それまでの路線展開に関する規制が事実上撤廃されたため、国内線や近隣諸国だけ運航していたエアラインも参入できることになり、加えて新興エアラインの参入も相次いだ。
中には「ピープル・エクスプレス」の様に、新興エアラインでありながら今でいう「格安エアライン」も出現し、ニューヨーク~パリ間がたった145ドル(約5万円)で利用できるなど、大量輸送時代が本格的に始まった。
「TWA」と言うブランドだけでは利用率が上がらなくなり、本拠地もニューヨークから中部のミズーリ州セントルイスに移し、路線の整理や拠点の見直しを強いられた。
80年代までTWAは、ナローボディ機のB727で大西洋横断路線を運航していたことがある。
もちろんノンストップ便ではないが、洋上飛行の規制「ETOPS」に抵触しない3発機だった727で、アメリカとヨーロッパを結ぶ便を運航していた。
カナダ東部やアイスランドを経由しての横断だったが、747やトライスターによる直行便より運賃を安く設定し、若い人や安く旅行したい人に人気があった。
機材はロンドンやパリにつくと、そのまま便名を変えてフランクフルトやローマなどの域内便で運航された。
時間がかかり狭いナローボディ機ではあったが、運賃が年間通じて安いことから多くの支持を得ていた。
今こそ機体の性能が向上し、特に大西洋路線ではA320シリーズや757と言ったナローボディ機が数多く運行されているが、最初に定期便として定着させたのはTWAであった。
しかし経営不振に陥ると、採算性が悪いとして経由便は廃止されてしまった。
85年7月に、アラブ系過激派テロリストにハイジャックされたTWA847便が、ギリシアのアテネとローマの中間でハイジャックされたが、本来のルートはカイロ~アテネ~ローマ~ボストン~ロサンゼルス~サンディエゴと言うルートで「カイロ発サンディエゴ行き」であった。
今では考えられない壮大なルートで、もちろん以遠権で区間利用が可能。テロリストたちは警備の緩いアテネで乗り込んだが、こうした危険性もあるため経由便は他社でも縮小された時期である。
↑大西洋横断便やヨーロッパ域内線の主力だったB727-200(ウィキペディア英語版より)
経営リストラしても業績の悪化を止められず、92年遂に連邦倒産法「チャプター11」を申請し、再生の道を探った。
この時はすぐに立ち直ったかに見えたが、95年再び「チャプター11」を申請。
もはや黄金期の栄光は諦めざるを得ず、ヨーロッパ域内の路線はほとんど運休。
大幅なリストラは避けられない状態であった。
↑トライスターのキャビン。中央席2列の上にオーバーヘッドストウェッジがない。デザインは典型的な70年代アメリカンテイスト(ウィキペディア英語版より)
96年には思い切って「CI」を発表し、塗装の大幅な変更でイメージも再生させようとした矢先、再び悲劇に見舞われる。
96年7月17日、ニューヨークJFK空港発パリ、シャルル・ド・ゴール空港経由ローマ、フェミチーノ空港行き800便のボーイング747-100が、ニューヨークを離陸後僅か12分、高度約4,600メートル付近で突然空中爆発を起こし墜落。
乗員乗客全員死亡と言う大事故を引き起こした。
事故はアトランタオリンピックの直前で、テロが疑われた。
事故機は陸上近くに墜落した為、機体の大半が引き上げられて詳しい調査がなされたが、原因は機体の電気回路が老朽化で腐食。それが破損してショートを起こして発火。
近くにあった空の燃料タンクに引火すると同時に、タンクに残存していた燃料に引火・爆発した事が分かった。
事故を直接目撃した旅客機があり、747は火を吹いて爆発した後、機体が真っ二つに割れたと言う。
胴体前部はそのまま海に落ち、主翼とエンジンの付いた後部は暫く上昇した後ばらばらになって落下したと言う。
TWAは直後「テロの疑いがある」として、被害者の立場を取り続けていた。
しかし原因が判明し、その元凶はTWAの整備ミスと断定された。
機体は71年製造の747-100で、同機のもっとも初期の機体。
経営不振にあえいでいた同社は、整備コストを削減するため、部品の交換や点検を法定基準より引き下げて整備していたことが明らかとなり、組織的な不正と裁判所も判断を下した。
既に飛行機をまともに飛ばすことも出来ないほど、同社はダメになっていた。
↑800便として墜落事故を起こしたB747-100「N93119」(ウィキペディア英語版より)
この事故がきっかけで一気に利用客離れが始まり、01年アメリカン航空に買収と言う形でTWAは消滅した。
機材はアメリカンだけでなく、デルタ航空などにも売却され、一時はパンナムと共にアメリカを代表するエアラインだったTWAは事故でその歴史すら忘れられるように消えて行った。
あまりに栄光と奈落の底が、はっきりし過ぎた歴史であった。
事故後はB717やB777などの最新鋭機材を発注し、イメージ回復に努めようとしていたが、777は導入されず717は短期間の運用でデルタ航空に引き取られている。
CI後の塗装は、赤と黒をベースに世界地図をモチーフにしたイラストが胴体に描かれていて、大胆かつ堂々としたデザインであった。
↑(2枚)最後の塗装になったB717とB767-300ER(ウィキペディア英語版より)
正に「トランスワールド」を具体化したようなデザインが飛行機王国アメリカを想わせたが、それは失いつつある過去の栄光を取り戻したいと言う同社の切なる願いも込められていたのかもしれない。
80年代までの赤を中心としたシンプルなデザインも、すっきりしつつ主張があり、いい意味で大胆。
私はこの潔い塗装こそ、カッコイイ「アメリカ」の象徴に思えてならなかった。
新塗装はずいぶんイメージは変わったが、あまり良いデザインのないアメリカにおエアラインの中では今でも十分通用する秀逸なデザインの一つだと思う。
同社を買収したアメリカン航空は、16年に「思い出のTWA」という企画を立てて、B737-800にTWAの塗装を復元した特別塗装機を飛ばしている。
ちょうどCIの20周年だったこともあり、元TWA社員やファンから要望に応じたものだと言う。
多少アレンジされてはいるが、現代にTWAが甦ったような感じがあって、粋な計らいと言えよう。
↑TWA塗装を復刻したアメリカン航空のB737-800(ウィキペディア英語版より)
穏やかな夜。
寒くなっているが、風はなく過ごしやすい。
そのせいか、街はなぜか人手が多く、いつものカフェは閉店まで混んでいた。
買い物もお客さんが多く、何かあるのかと思うが、偶然だったようだ。
あまり寒くないことが、人々を少しずつ行動させ始めているのかと思う。
外出中に下腹の調子が悪くなり、トイレに駆け込んでしまった。
幸い事なきを得たが、心当たりがない。
生ものを食べていないし、味が悪くなった古い物も食べていない。
便通は良い訳ではないが、悪い訳でもなく、急の下しがちょっと気になる。
腸内環境が悪いと言う事なのだろうけど、一人だと判断が見誤りそうで心配だ。
かと言って病院に行くほど痛みがある訳でもないし、胃は至って順調。
こんな時母だったら薬を飲めとか、水ものや冷たい物を控えろと言ってくれるのだが、その母はいない。
健康に気を使う事はもう止めてしまったが、みっともない体調不良も避けたい。
明日母の月命日。
元気ですか?
今日は良い1日でしたか?
体調はどうですか?
風邪など引いてませんか?
寒さは大丈夫ですか?
ふと昔の君を思い出しました。
全く意味はないのだけれど、君と出逢ったあの場所。
今は姿を変えてしまって久しく、毎日通るのですが、なぜか懐かしく思い出しました。
もう10年も前とは思えないほど、記憶が鮮やかに甦りました。
今あの場所は子供用売り場になってしまい、君のいた時代の面影は薄いです。
でも私には、つい最近の様な錯覚を起こします。
明日もどうかお元気で。
君に笑顔がありますように。
お休みなさい。
春花の うつろふまでに 相見ねば 月日読みつつ 妹待つらむぞ(万葉集巻十七 3982 大伴宿禰家持)
☆今日のバス
1263号車 06年式日野ブル―リボンⅡ(KV234N1) 野村車庫
天気は西から下り坂。明日は雨が降ると言うから、花粉症の人は一息つけるかも。
まだ2月なのに雨の予報とは…車を使う人は、タイヤ交換を考え始めているのではないか。
だがもう少し待った方が良いと思う。
このまま春になる保証はなく、寒さがぶり返す可能性はある。
雪が降っても春の淡雪…かも知れないが、積もらなくとも濡れた路面が凍結する事もある。
車を走らせる地域にもよるが、標高の高い所や北部の人は、今しばらく我慢した方が良さそう。
この冬は積雪が少なく、ドライバーさんは楽だったと思うが、その分特に一般ドライバーは「経験不足」気味。
その上ノーマルタイヤにしてしまっては、リスクが一気に高まってしまうから、多少運転に自信があるとしても、来月半ばくらいまでは様子見した方が良い。
誤解を恐れずに言うと、最近の一般ドライバーは、ドライビングテクニックが低下していると思う。
この所「煽り運転」の事件が取り沙汰されるが、それもテクニック低下に原因があると私は思っている。
また高齢者ドライバーによる重大事故も然り。
何故か?
私は間違いなく、「AT」車の完全普及に原因があると思っている。
今や乗用車の9割がAT車で、マニュアル車をほとんど見かけないばかりか、マニュアル車自体見た事も触った事もない、と言うドライバーも多いはず。
エンジンをかけ、ATのセレクトレバーを入れれば、あとはアクセルとブレーキ、ハンドルを回すだけ。
正直免許を持っていない人でも、簡単に運転出来てしまう。
そこにスマホの普及。
以前よりは減少したようだが、信号待ちでスマホをいじくる人は相変わらずいて、青信号に気づかず後続車からクラクションを鳴らされたり。
家族の迎えで駐車帯に停車中もスマホに夢中で、前後に気を配る事を忘れたり、バス停部分に停めたままだったり。
要するにスマホではなく、運転が「暇」なのである。
早い話、運転の緊張感がない。
極論AT車は片手片足で運転出来るから、脳も半分使わないようなもので、暇だから余計な事を考える。
それは集中力欠如であり、考え事がないと暇でイライラするのだ。
高齢者ドライバーが犯しやすい暴走運転も、無意識だから過ちを犯す。
だがマニュアル車ならどうだろうか。
AT免許のない時代の世代ならば、教習所では必ずマニュアル車で練習したはずだから、意味はわかるだろう。
マニュアル車の運転には、両手両足を使わなければならない。
言わせて貰えば、実にバカバカしいのだけれど、マニュアル車は右足でアクセルとブレーキはAT車と同じだが、左足でクラッチを踏まなければならない。
手も両手でハンドルを捌きつつ、左手でチェンジレバーを操作しなければならない。
クラッチを踏み、ギアを入れ、エンストしないようにクラッチを繋ぎ、速度に合わせて変則し、停車する時もブレーキと一緒にクラッチを踏む。
マニュアル車を知らない人には、何とも面倒くさく聞こえるだろうが、自転車と同じで要は「慣れ」。一度覚えてしまえば、身体が忘れない。
マニュアル車運転の経験がある人は、坂道発進が苦手と言う人もいるが、教習所で習った通りサイドブレーキを使えば難しくないし、AT車だって坂道発進にはブレーキを踏んでいなければならないから、理屈は同じだ。
何よりマニュアル車はスタートから停車まで、何かしら操作しなければならないから、無意識に運転に集中する。
動作上「アクセルとブレーキを踏み間違えた」と言う暴走事故は、基本的に有り得ない。
もちろんスマホの操作など、する暇はない。
雪道運転も、実はマニュアル車の方が安定している。
路面状況に合わせた微妙なトラクションコントロール(タイヤにかかる動力の調整)が、マニュアル車では可能で、ドライバーの器量でも調整出来る。
AT車はタイヤの微妙なトラクションコントロールが事実上不可能な構造で、アクセルを踏むと路面状況に関わらず、ただただ動力をタイヤに伝えるだけ。
だから下り坂やカーブ、雪道では減速するのにフットブレーキに頼ってしまう。
本来AT車には、ギアの固定モード(2やLなどのポジション)があり、エンジンブレーキが使えるが、マニュアル車と違って直接的なエンジンブレーキは効かないばかりか、これらのレンジの意味を理解していないドライバーが多い事に、私は驚いてしまう。
悪い事に流行のハイブリッド車などは、従来型ATのトランスミッションすらない場合もあり、ご丁寧にもギアの低速固定モードすら最初からない車さえある。
車を作る側の人間まで、マニュアル車の意味や利点を知らない時代らしく、今度はレーダーを使った自動ブレーキシステムなど、実に本末転倒な技術が出始めている。
ドライバーもすぐに頼ろうとするから、ますます技術は低下し、運転すると言う緊張感と責任感は薄れて行く。
事故が増えている高齢者ドライバーに対しても、認知力のテストや免許証返納を促しているが、私に言わせて貰えば実に頭の悪い、バカバカしい対策としか言いようがない。
高齢者ドライバーは運転するな、ではなくAT車を禁止、マニュアル車だけにすれば良い。
試しにやって見ると良い、誤操作による事故は着実に減るだろうし、何より四肢を使う事は、知らず知らず脳を活性化させるはずだ。
煽り運転も然りで、マニュアル車ならば暇に任せ、周囲の車にイラつく事などなくなるだろう。
まさにコロンブスの卵的な事で、世間は何故気がつかないのか理解に苦しむ。
まさか車業界と政治が、何か「そんたく」しているのでは?などと訝ってしまう。
飛行機ネタ。
私が外国に憧れたのは中学生のころ。今からもう40年近くも前のことである。
当時メディアと言えば、もちろんテレビとラジオだけ。
今では考えられないだろうが、キー局ではどこでも「海外ドラマ」枠があって、話題の海外ドラマを何とゴールデンタイムに放映していた。
多くは今と同じく深夜帯が多かったが、それでも22~23時台。
午前1~2時と言う時間帯は、基本的に放送していなかった。
さすがにゴールデンタイムだと、資金的に苦しくて長続きしなったが(海外ドラマは放映権料がかかる)、深夜枠ではちょっと古い(と言っても数年前から20年前とレンジは広い)、放映権の安いドラマは週に何本も放送されていた。
刑事ものはもちろん、コメディやファミリー物まで幅広く、まだ情報の乏しい時代に外国の風景や文化を垣間見ることができる貴重な体験であったと思う。
出演者やストーリーはもちろん重要だが、私には背景に移る街並みや建物、道路を走る車、店の種類や看板などが、まるで旅行しているような気分になったし、時にはドラマの世界が現実的に思えてしまったように感じることもあった。
日本で放映されていた海外ドラマのほとんどはアメリカ物だったため、あこがれの対象は必然的に「アメリカ」になっていた。
また音楽にも目覚め、中学生のうちからFMラジオで「洋楽」を聴くようになり、高校生になると更に増長した。
「平成生まれ」の世代にはわからないと思うが、このころ既に「レンタルレコード店」があった。
そう、もはや時代遅れになりつつある「CD」でもなく「レコード」である。
私が高校生になった80年代初頭は、ちょうどCDが登場したころで、まだディスクの容量は最大60分まで。
更にディスク自体分厚くて重かった。
しかもプレーヤーは高価で、複数のレンズで読み取る方式だったので故障も多かった。
ゆえに「アナログ」なレコードは、まだまだ主流を占めていた。
仙台市内でも82年頃で、数件のレンタルレコード店があったと思う。
1ウィークレンタルではなく、1泊2日が基本で、LP(アルバム)盤で300円前後だったように思う。
今のレートから考えると、結構高い様な気もするが、当時のショップは大流行で、いつも混雑していた。
借りたレコードは聴くだけでなく、「録音」するのが最大の目的。これは現在のCDでも同じだが、媒体は「カセットテープ」。
家に帰るのももどかしく、レコードプレーヤーに借りて来たレコードとテープをセットして録音すれば、レンタル代とテープ代だけでアルバム1枚をゲットできるのだ。
時には数枚のLPやシングル盤を借り、1曲ごと「編集」して自分だけの「洋楽ヒット集」みたいなオリジナルテープを作成し、好きな曲や全米ヒットチャートの曲ばかりを集めたテープを作った。
ちょうど「ウォークマン」が発売された時代で(知らない世代はネットで検索すべし・笑)、親にせがんで買ってもらい、自分だけのオリジナルテープを1日中聴いていた。
それが学校でも評判になって、友人からテープ自体のダビング(懐かしい言い回し)して、1本500円で売っていました(著作権に抵触する?40年も前なので時効と言うことで)。
話がそれてしまったけれど、それだけアメリカやイギリスと言った外国には人一倍強い憧れを持っていたのである。
飛行機好きは音楽やテレビ、映画より早くから趣味として続けていたが、アメリカ好きになると旅客機さえ憧れの対象になった。
もちろん海外旅行など、まだ金持ちの世界の話だったが、アメリカのエアラインにも憧れを抱くようになった。
飛行機好きはプラモデル大好き少年に育てていたが、当時飛行機模型で現在も有名な(株)長谷川(当時は長谷川製作所)が1/200スケールで旅客機シリーズを発売したのもこのころ。
1/200とは言え、ボーイング747だと全長35センチにもなるから、完成させれば大迫力だったが、それまで迷彩塗装の軍用機の模型しか作っていなかった私には、綺麗な旅客機の製作はなかなか大変で、何度か失敗して造り直した記憶がある。
旅客機の基本は艶のある美しい塗装がポイントで、「汚い」ミリタリー塗装ばかりしていた身には難しかった。
そのシリーズの中でロッキード「L-1011トライスター」が模型化されていて、いくつかのエアラインがラインナップされていた。
売れ筋は我が日本の全日空機だったが、私が惹かれたのはアメリカのエアライン「TWA」(トランスワールド航空)であった。
↑(2枚)70~80年代の主力だったTWAのトライスター(ウィキペディア英語版より)
当時、と言うかこれまで日本には一度も就航していないエアラインだったが、なぜか惹かれてしまった。
と言うのも、その時も見続けていたアメリカのドラマや映画の中で、良く「TWA」が登場していたからである。
出演者のほんの一言だけのセリフであることも多いが、いわゆる「別撮り」でTWA機がよく登場していたのだ。
セリフでも「TWA○○便」とか、「TWAに予約を」なんてセリフがやたら多いのである。
調べてみると、80年代のアメリカでは同社は大手エアラインの一つで、国内線や大西洋路線を中心とした路線を展開しているエアラインであることが分かった。
日本にはノースウェスト・パンナム・ユナイテッドなどが就航していたが、日本では見られないTWAこそが未知のアメリカ・・・に思えて、憧れたのである。
苦心して完成させたトライスターの模型は、実にカッコよく見えた。
TWAは1925年、ニューヨークを拠点として設立された「ウェスタン・エア・エクスプレス」が発祥で、30年にはいくつかのエアラインを買収して「トランス・コンチネンタル・アンド・ウェスタン・エア」として本格的なエアライン事業を開始した。
30年代末には、当時最新鋭機でアメリカ初の本格的旅客機ダグラスDC-1およびDC-3シリーズを導入し、大陸横断便を複数運航していた。
第二次大戦中は運休を余儀なくされたものの、戦争直前の39年に大富豪ハワード・ヒューズが同社を買収していたため、戦後すぐ運航を復活させている。
彼は戦時中、兵器生産などで軍に大きく貢献しており、政治的なコネクションを多く持っていた。
更にパンナムなどライバルと差をつけるため、同じく戦時中にコネクションを持っていたロッキード社に働きかけ、「コンステレーション」を開発させて、自社で運航させた。
同機は4発のレシプロ旅客機だったが、当時の旅客機としては最速を誇っていた。
更にダグラスやボーイングは、軍用輸送機と共用の機体であったが「コンステレーション」は初めて「旅客機」として開発された機体であり、キャビンは与圧構造を持つ唯一の旅客機であった。
胴体を大型化した「スーパーコンステレーション」「ストラトライナー」に発展し、世界のエアラインで運航されたが、ヒューズの「鶴の一声」で旅客機のスピードアップが実現したとも言える。
↑ロッキードL1049スーパーコンステレーション(現在の保存機、ウィキペディア英語版より)
50年に「トランスワールド航空」に変更し、文字通り国内線だけでなくヨーロッパ線を中心とした長距離国際線の構築に乗り出し、アメリカのエアラインでは初めてパリを拠点空港に置いた。
またヨーロッパではパンナムと同じく、域内の「以遠権」を持つに至り、アメリカのエアラインながらヨーロッパ各地を結ぶ路線を展開した。
ヒューズは「西ドイツ」のフラッグキャリアである「ルフトハンザ」の復活にも尽力し、資金を提供している。
飛行機好きで知られるヒューズは、ジェット化時代を迎えると即座にボーイング707を大量発注し、加えて自らの理想を持つ高速ジェット旅客機の計画をロッキードに持ち込んだ。
だがロッキード社は「F-104」戦闘機など、新時代の軍用機の開発で手いっぱいだったため、アイディアをコンベア社に持ち込み「CV880」を作らせた。
↑(2枚)ハワード・ヒューズの企画で誕生した高速機CV880とファーストクラスのラウンジ(ウィキペディア英語版より)
写真の様に、同機は100席級の小型機ながらTWAではファーストクラスを設定し、機体前方には専用のラウンジを作っていた。小型機なのに思い切った贅沢な利用法で、当時いかに飛行機がステイタスだったかが分かる。
707より高速で、亜音速に近い世界最速のジェット旅客機だったが、構造上問題が多く、商業的には失敗した。
それでもTWAが開発したとも言える機体であり、大いに宣伝され注目を浴びた。
60年にはボーイング707を使って「世界1周」路線を開設したが、ヒューズのあからさまなライバル・パンナムへの当てこすりであった。
↑(2枚)世界1周便に使われたB707-100とB707-320(ウィキペディア英語版より)
当時同社はヨーロッパや中東に多くの路線を持っていたが、アジアやオセアニアへは規制の都合で路線を持っておらず、世界1周便しか「出来なかった」と言う部分が大きい。
先に同社は日本へは未就航と書いたが、実はこの世界1周便ではロサンゼルス・ホノルルを経由した後、なんと「沖縄」を経由していた。
最も当時の沖縄は返還前の「アメリカ領」であり、発着は嘉手納基地だった。
そのため米軍関係者しか乗降は出来ない事になっており、給油のための経由だった。
しかし66年に、経営者であるヒューズは役員会と激しく対立し、個人所有の株式を売ることで失脚した。
この時彼は精神疾患を患っていたと言われ、役員会が追い出したと見られている。
67年にはヒルトンホテルグループを買収し、航空と世界的な高級ホテルチェーンのコラボはセレブ達の注目を浴びることになる。
ヒューズは映画会社を持っていたこともあり、ハリウッドのセレブたちとも深い繋がりを持っていたのである。
キャサリン・ヘプバーン、エヴァ・ガードナー、ハンフリー・ボガード、そしてフランク・シナトラなど40~50年代を代表するトップスター御用達のエアラインであり、ヒューズが去った後も有名人が利用すると言えばTWAだったのである。
特にフランク・シナトラは同社とのタイアップ企画による歌も出しており、レコードジャケットには版権フリーでTWAの「コンステレーション」が載せられると言う、有名な逸話がある。
70年代までは芸能人や大金持ちが利用するエアラインとして有名であり、だからドラマや映画で頻繁に登場したのであった。
常に先進的な機材の導入は、ヒューズの時代と変わらず、ボーイング747そしてトライスターと最新鋭機材を大量に発注し、国際線・国内線に惜しみなく投入した。
70年代から80年代は、パンナムと完全に型を並べるトップエアラインとして黄金期を迎えていた。
↑長距離路線に投入されたB747SP(ウィキペディア英語版より)
しかしその栄光は長く続かず、70年代後半の「規制緩和」はTWAへの風向きを変える事になる。
それまでの路線展開に関する規制が事実上撤廃されたため、国内線や近隣諸国だけ運航していたエアラインも参入できることになり、加えて新興エアラインの参入も相次いだ。
中には「ピープル・エクスプレス」の様に、新興エアラインでありながら今でいう「格安エアライン」も出現し、ニューヨーク~パリ間がたった145ドル(約5万円)で利用できるなど、大量輸送時代が本格的に始まった。
「TWA」と言うブランドだけでは利用率が上がらなくなり、本拠地もニューヨークから中部のミズーリ州セントルイスに移し、路線の整理や拠点の見直しを強いられた。
80年代までTWAは、ナローボディ機のB727で大西洋横断路線を運航していたことがある。
もちろんノンストップ便ではないが、洋上飛行の規制「ETOPS」に抵触しない3発機だった727で、アメリカとヨーロッパを結ぶ便を運航していた。
カナダ東部やアイスランドを経由しての横断だったが、747やトライスターによる直行便より運賃を安く設定し、若い人や安く旅行したい人に人気があった。
機材はロンドンやパリにつくと、そのまま便名を変えてフランクフルトやローマなどの域内便で運航された。
時間がかかり狭いナローボディ機ではあったが、運賃が年間通じて安いことから多くの支持を得ていた。
今こそ機体の性能が向上し、特に大西洋路線ではA320シリーズや757と言ったナローボディ機が数多く運行されているが、最初に定期便として定着させたのはTWAであった。
しかし経営不振に陥ると、採算性が悪いとして経由便は廃止されてしまった。
85年7月に、アラブ系過激派テロリストにハイジャックされたTWA847便が、ギリシアのアテネとローマの中間でハイジャックされたが、本来のルートはカイロ~アテネ~ローマ~ボストン~ロサンゼルス~サンディエゴと言うルートで「カイロ発サンディエゴ行き」であった。
今では考えられない壮大なルートで、もちろん以遠権で区間利用が可能。テロリストたちは警備の緩いアテネで乗り込んだが、こうした危険性もあるため経由便は他社でも縮小された時期である。
↑大西洋横断便やヨーロッパ域内線の主力だったB727-200(ウィキペディア英語版より)
経営リストラしても業績の悪化を止められず、92年遂に連邦倒産法「チャプター11」を申請し、再生の道を探った。
この時はすぐに立ち直ったかに見えたが、95年再び「チャプター11」を申請。
もはや黄金期の栄光は諦めざるを得ず、ヨーロッパ域内の路線はほとんど運休。
大幅なリストラは避けられない状態であった。
↑トライスターのキャビン。中央席2列の上にオーバーヘッドストウェッジがない。デザインは典型的な70年代アメリカンテイスト(ウィキペディア英語版より)
96年には思い切って「CI」を発表し、塗装の大幅な変更でイメージも再生させようとした矢先、再び悲劇に見舞われる。
96年7月17日、ニューヨークJFK空港発パリ、シャルル・ド・ゴール空港経由ローマ、フェミチーノ空港行き800便のボーイング747-100が、ニューヨークを離陸後僅か12分、高度約4,600メートル付近で突然空中爆発を起こし墜落。
乗員乗客全員死亡と言う大事故を引き起こした。
事故はアトランタオリンピックの直前で、テロが疑われた。
事故機は陸上近くに墜落した為、機体の大半が引き上げられて詳しい調査がなされたが、原因は機体の電気回路が老朽化で腐食。それが破損してショートを起こして発火。
近くにあった空の燃料タンクに引火すると同時に、タンクに残存していた燃料に引火・爆発した事が分かった。
事故を直接目撃した旅客機があり、747は火を吹いて爆発した後、機体が真っ二つに割れたと言う。
胴体前部はそのまま海に落ち、主翼とエンジンの付いた後部は暫く上昇した後ばらばらになって落下したと言う。
TWAは直後「テロの疑いがある」として、被害者の立場を取り続けていた。
しかし原因が判明し、その元凶はTWAの整備ミスと断定された。
機体は71年製造の747-100で、同機のもっとも初期の機体。
経営不振にあえいでいた同社は、整備コストを削減するため、部品の交換や点検を法定基準より引き下げて整備していたことが明らかとなり、組織的な不正と裁判所も判断を下した。
既に飛行機をまともに飛ばすことも出来ないほど、同社はダメになっていた。
↑800便として墜落事故を起こしたB747-100「N93119」(ウィキペディア英語版より)
この事故がきっかけで一気に利用客離れが始まり、01年アメリカン航空に買収と言う形でTWAは消滅した。
機材はアメリカンだけでなく、デルタ航空などにも売却され、一時はパンナムと共にアメリカを代表するエアラインだったTWAは事故でその歴史すら忘れられるように消えて行った。
あまりに栄光と奈落の底が、はっきりし過ぎた歴史であった。
事故後はB717やB777などの最新鋭機材を発注し、イメージ回復に努めようとしていたが、777は導入されず717は短期間の運用でデルタ航空に引き取られている。
CI後の塗装は、赤と黒をベースに世界地図をモチーフにしたイラストが胴体に描かれていて、大胆かつ堂々としたデザインであった。
↑(2枚)最後の塗装になったB717とB767-300ER(ウィキペディア英語版より)
正に「トランスワールド」を具体化したようなデザインが飛行機王国アメリカを想わせたが、それは失いつつある過去の栄光を取り戻したいと言う同社の切なる願いも込められていたのかもしれない。
80年代までの赤を中心としたシンプルなデザインも、すっきりしつつ主張があり、いい意味で大胆。
私はこの潔い塗装こそ、カッコイイ「アメリカ」の象徴に思えてならなかった。
新塗装はずいぶんイメージは変わったが、あまり良いデザインのないアメリカにおエアラインの中では今でも十分通用する秀逸なデザインの一つだと思う。
同社を買収したアメリカン航空は、16年に「思い出のTWA」という企画を立てて、B737-800にTWAの塗装を復元した特別塗装機を飛ばしている。
ちょうどCIの20周年だったこともあり、元TWA社員やファンから要望に応じたものだと言う。
多少アレンジされてはいるが、現代にTWAが甦ったような感じがあって、粋な計らいと言えよう。
↑TWA塗装を復刻したアメリカン航空のB737-800(ウィキペディア英語版より)
穏やかな夜。
寒くなっているが、風はなく過ごしやすい。
そのせいか、街はなぜか人手が多く、いつものカフェは閉店まで混んでいた。
買い物もお客さんが多く、何かあるのかと思うが、偶然だったようだ。
あまり寒くないことが、人々を少しずつ行動させ始めているのかと思う。
外出中に下腹の調子が悪くなり、トイレに駆け込んでしまった。
幸い事なきを得たが、心当たりがない。
生ものを食べていないし、味が悪くなった古い物も食べていない。
便通は良い訳ではないが、悪い訳でもなく、急の下しがちょっと気になる。
腸内環境が悪いと言う事なのだろうけど、一人だと判断が見誤りそうで心配だ。
かと言って病院に行くほど痛みがある訳でもないし、胃は至って順調。
こんな時母だったら薬を飲めとか、水ものや冷たい物を控えろと言ってくれるのだが、その母はいない。
健康に気を使う事はもう止めてしまったが、みっともない体調不良も避けたい。
明日母の月命日。
元気ですか?
今日は良い1日でしたか?
体調はどうですか?
風邪など引いてませんか?
寒さは大丈夫ですか?
ふと昔の君を思い出しました。
全く意味はないのだけれど、君と出逢ったあの場所。
今は姿を変えてしまって久しく、毎日通るのですが、なぜか懐かしく思い出しました。
もう10年も前とは思えないほど、記憶が鮮やかに甦りました。
今あの場所は子供用売り場になってしまい、君のいた時代の面影は薄いです。
でも私には、つい最近の様な錯覚を起こします。
明日もどうかお元気で。
君に笑顔がありますように。
お休みなさい。
春花の うつろふまでに 相見ねば 月日読みつつ 妹待つらむぞ(万葉集巻十七 3982 大伴宿禰家持)
☆今日のバス
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